『ボヘミアン・ラプソディ』はなぜ人々を魅了したのか >>

建物の外から風呂の下の方で燃えている火(かまど?)に竹の棒で息を吹き込んで「湯加減はどうですか?」
などど言っているシーンがよくありますよね。
あの風呂ってどういう構造なんでしょう?
火のすぐ上が風呂がまの底じゃないですよね、それだと風呂がまは五右衛門風呂の様に鉄の釜のはずですが
あれは木製ですよね。
底だけが鉄で側面は木製???
教えてください

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (2件)

所謂"鉄砲風呂"の事でしょうか?


http://www.mizu.gr.jp/kenkyu/mizu11_arau/no11_c0 …
http://www.alianet.org/ALIANEWS100/furo.pdf
http://bunta-rotenburo.hp.infoseek.co.jp/park/fu …
こちらは五右衛門風呂とは逆に浴槽の中に鉄製の筒が縦に通っているタイプですね
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答いただきありがとうございました
なるほど
ちょうど、ストーブの煙突が浴槽の中を通っていてその熱で
水を温めるんですね
考えたものですね

お礼日時:2008/06/24 22:16

いくつかの種類がありますが


基本的に鉄の釜が湯船の一部になっています

ほとんど全部が釜 が五右衛門風呂
下半分が釜になっているのが 長州風呂(だったかな)
釜の部分がストーブのように湯船の中にあるものも有ります
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました

お礼日時:2008/06/24 22:12

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q鉄砲風呂について

江戸時代などに使われてた鉄砲風呂を知らないのですが写真は見つかったのですが実際どう言う構造になってるのか断面図かその他の図はありませんか?

Aベストアンサー

下記のような記述がありました。

家庭用風呂は関東では「鉄砲風呂」、関西では「五右衛門風呂」が主流でした。両者とも大きな桶の下部にかまどを据えつけたものでしたが、温め方に違いがあります。鉄砲風呂は炎が通る鉄管によってお湯を沸かし、人がやけどしないよう板で仕切りました。一方五右衛門風呂は底から熱する方式です。水面に板が浮いており、これを足で沈めて入浴します。
http://iroha-japan.net/iroha/B06_custom/10_furo.html

Q薪風呂釜の種類と性能について

現在薪風呂釜の導入を検討しています。
いろいろ調べましたが、価格以外の情報が乏しく、どなたか詳しい方、
いらっしゃいましたらよろしくお願いしたします。
まず、材質で、亜鉛メッキ鋼板製とステンレス、さらに銅の釜がありますが
それぞれ特徴と耐久性。使用する薪の本数など。
その他なんでもかまいませんので、お願いすいます。

Aベストアンサー

生まれてから成人するまで薪風呂に入っていました。
いわゆる五右衛門式ですが、小学生から薪割りと沸かし担当でした。
材質は鉄の鋳物と思われます。
槽の厚さが厚く熱容量が有って、4人くらい入浴しても差し湯が要らず
体の芯から温まります。
これ以外の風呂は銭湯と温泉しか入っていなかったので、この風呂のよさがわからないまま、ユニットバスにして後悔しています。
200L程度の浴槽でしたが、新聞紙で着火し、わらや紙ごみで火力を上げ薪は夏は1~2本、冬は5本くらいでした。
6人家族で60年くらい使用していましたが、今はありません。
亀の子たわしで掃除をしていました。
浴槽はコンクリート基礎で受け、焚くところは、浴室の外でした。

Q昔のお風呂はよほど不衛生だったのでは?

みなさんこんにちは。私は歴史好き人間です。江戸や明治頃の日常生活などを調べています。最近その頃の入浴について調べたのですが、江戸時代の書物浮世風呂に描かれている一場面で、銭湯でお風呂の中に、てぬぐいとか、ふんどしまでいれているのです。ましてや当時はお湯も浄水などしていなかったわけですから、想像すると、よほど不衛生きわまりなかったのではないでしょうか?子供がお湯につけたてぬぐいを口に入れているのをみて、「ポンポン(おなか)が痛くなるよ」と注意している場面もあります。現代人とはちがって、当時の人びとは体も相当汚れていただろうし、そんな庶民が湯船に寿司詰め状態でつかっているのです。今の私の視点でみると、そんなお風呂に入っても、はたしてきれいになれたのだろうか?と思います。当時の人びとは汚く感じなかったのでしょうか?

Aベストアンサー

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

>>昔のお風呂はよほど不衛生だったのでは?

確かに、現代人の考え方からすれば、「不衛生」でした。

(1)石榴口(ざくろぐち)から奥の浴槽では、手拭を入れて身体を洗う者さえいました。
(2)浴槽は、あくまでも、身体を温める場所でしたので、汚れていようと「お構いなし」の状態でした。
(3)そして、浴槽は薄暗く、1尺(約30cm)四方の明り取りの窓があるだけでしたし、夜になれば明り取りの窓は役には立ちません。したがって、浴槽で人が何をしようと、例えば、褌を洗おうと、垢を擦ろうと、子どもが小便をしようと、何も見えない状態でした。
(4)そこで考え出されたのが「揚がり湯」というものでした。
(5)基本的には、洗い場で、まず、垢を擦り、石榴口から湯船に、そして、揚がり湯で、もう一度、身体を清めてから出ました。

銭湯の図(絵)をアップロードしてみます。

(1)四角の水溜め箱の水を桶に汲んで、まず、身体を洗います。
(2)その後に、石榴口から湯船へ。
(3)絵の左手の桶が並んだ奥の方に小窓が開いており、湯汲男が柄杓(ひしゃく)で洗い場の外で沸かした湯を一人一人の桶へ汲んでやり、客は、もう一度、そこで身体を清めて出て行きました。(揚がり湯です)。
(4)右手の水を浴びている客もいます。湯汲男の桶への汲み入れが遅くて、多分、「待ってられねえや」とばかり、水を浴びているのだと思います。

(よもやま話)
(1)江戸の街は、何度も大火に見舞われましたので、各家庭で風呂を持つことは禁止されており、湯屋の開業には「幕府の許可」が必要でした。かの有名な「三井越後屋(現:三越)」の店員でさえ、湯屋通いをしました。また、各家庭で使用できるほどの水の便も良くなかった。さらには、薪は近郷の農家から買いましたので、非常に高かった。

(2)湯屋の相場は8文(約100円)で蕎麦の16文の半分でしたので、長屋のご隠居風情になると、朝晩と1日2回湯屋通いをしたくらいです。それ位、江戸っ子は風呂が好きでした。そして、おおむね各町内に1軒は湯屋がありました。

(3)神田上水ができてから、庶民の長屋などにも井戸ができ、飲み水や調理に使いましたが、もともとは、石神井池の水を引いたもので、現代のように「塩酸」で消毒などはしていない自然の水でした。不衛生といえば不衛生。

(4)湯屋で洗髪をすることは「ご法度」で、頭を洗えたのは、髪を剃った座頭(あんま)だけでした。

(5)髪を洗う・・・については、次のサイトで、私が答えています。ご参考までに。
http://okwave.jp/qa4139899.html

(6)火災防止の観点から、大風の日は湯屋は休みでした。

まあ、まだまだ面白い話もありますが、これ位で・・・。

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

>>昔のお風呂はよほど不衛生だったのでは?

確かに、現代人の考え方からすれば、「不衛生」でした。

(1)石榴口(ざくろぐち)から奥の浴槽では、手拭を入れて身体を洗う者さえいました。
(2)浴槽は、あくまでも、身体を温める場所でしたので、汚れていようと「お構いなし」の状態でした。
(3)そして、浴槽は薄暗く、1尺(約30cm)四方の明り取りの窓があるだけでしたし、夜になれば明り取りの窓は役には立ちません。したがって、浴槽で人が...続きを読む


人気Q&Aランキング