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学生の時から、ずっとこの問題が頭にあります。(ちなみに私は36歳男性です。)本を読んだり、信仰を持ったりして、自分なりに一生懸命考えてきました。今のところ、「修行して人として成長していくこと」かなあと思っています。皆さんはどうお考えですか。生きている意味、人生の苦しみの意味、世の中に悪の存在する意味・・・・・について、思っていることを何でも教えてください。「意味なんかない!」という意見でもかまいません。自分の宗教では・・・とか、あの人はこの本でああ言ってたとか、何でも構いません。質問の性格上、面と向かってはなかなか話題にしづらく、この掲示板を使わせていただき、いろんな方の考えを聞きたいのです。

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A 回答 (28件中11~20件)

 admirebossさんのコンピューターから回答しています。

fcompoです。
 僕は時々精神病院に行ったほうがいいのではないかと思うほどこの手のことに悩み、夜も眠れないことがしばしばあります。そしていろいろ考え、さまざまな本を読んでたどり着いたひとつの結論があります。その本は、
  森 博嗣
 さんの書いている本全般です。
 森博嗣さんは、ミステリー作家ですが、彼の作品には首尾一貫したひとつの哲学が貫かれています。僕はその哲学が大好きで、かつ納得のできるのもなので、ここにご紹介します。
 それは、人は名前のために生きているというものです。
 sakura99さんの悩みは、おそらく自分のすることに何の意味も見出せないという心の葛藤から来るものでしょう。誰もが抱えうる悩みだと僕は思っています。そこにこういうひとつの結論はつけられないでしょうか?「人生におけるすべてのものは装飾である・・・」と。
 自分はかっこよくあろうと躍起になる人がいます。彼は自分のうわべをよくしようと躍起になっていると見ることができます。つまり彼の外見、彼の装飾部分です。自分は名門校に行って研究者になると勉強ばかりする人もいます。彼は頭脳という装飾部分を磨こうとしていると見ることができます。家族の為と言って身を粉にして働く人がいます。彼は家族という彼の装飾部分のために働いていると考えることができるのです。
 さて、ここで話は飛びますが、人はいつ死ぬのでしょうか?脳が死んだとき?心臓が止まったとき?それとも体細胞がすべて死滅したとき?僕はすべて違うと思います。人が死ぬのは人から忘れ去られたときです。いかがでしょうか?人は人の記憶という媒体を通じて心の中で生きつづけるのではないでしょうか?
 僕の「死」の定義はこうです。すると人は長生きするために生きると考えることができると思います。すなわちその人の名前のために生きるということです。人を取り巻くものは精神、肉体もすべて装飾に過ぎません。人の根底を成すのは名前なのです。違うでしょうか?
 人は長い歴史の中で大きな頭脳を手に入れ、それに伴って「名詞」を手に入れることができたのです。世界中で名詞を使うのは人だけです。例えば飼い犬にポチと呼びかけたら呼ばれたと思って走り酔って来るではないかと思うかもしれませんが、犬はポチという単語はこっちへ来いという命令だというように理解しています。人の脳だけが高度な名詞の細分化という作業に耐えることができたのです。こうして人は名詞を手に入れ、名前のために生きるようになったのです。ある意味幸福な生物といえるでしょう。
人の寿命はそれによって飛躍的に伸びました。日本人で最も長生きなのは僕の知る限りでは卑弥呼です。彼女はすでに3000歳になります。

 いかがですか?人に覚えていてもらうように生きる。これが人の生きる意味ではないでしょうか。その意味で僕は某真理教の教祖などは一般人よりは長生きであるといえると思います。しかし、何らかの功績で名前を残したほうが長生きできるのは自明です。
 sakura99さんもこれから名前のために生きてみるというのはいかがでしょうか?
                               fcompo
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この回答へのお礼

 ありがとうございました。
 名前に生きる、名を残す、というのも尊い生き方ですね。

お礼日時:2001/03/15 22:00

僕は来年に受験を控える17歳の男子高校生です。

僕は高校に入りそれまでやっていた野球部を1ヶ月でやめ、休日は友人との麻雀などで過ごすという生活を送ってきました。しかし、最近、周りが受験モードに入り、さらに自分で言うのもなんですが徐々に敬遠されるようになり、今は機械相手にギャンブルをしています。しかし負けたときはもちろん、勝っても気分が晴れないときがあるのです。「自分はこんなことをやっていていいのか?将来に向けての考えはないのか?」と自ら問いかけることがあります。しかしそれについてはいくら考えても答えが出ることはなく、むしろ好きな女の子のことや親の理想と正反対な自分の現実から逃げ出したくなります。自分は何のために生まれてきたのか?なにがしたいのか?そんなことを考えても別の考えにたどり着きストレスがたまるだけです。そもそも生物は自分の子孫を繁栄させること、自分のコピーを作ることを目的としていると聞いたことがあります。あなたがそれに賛同できないならそれもよいでしょう。ぼくも賛同はできません。そしてじぶんがどういうときが自分にとって「いい時」なのか・・・と考えると、やはり楽しい時、うれしいときです。どんなつらいことがあってもそういうことを目標に生きていくことが大切だと今は思います。今後この考えは変わるかも知れませんが今の僕の意見は「生きていくことの意味は楽しいこと、うれしいことを探して行き、自分でそれを思いっきり味わうこと」だと思います。
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この回答へのお礼

 ありがとうございました。
 「思いっきり味わうこと」という部分に共感します。
 これから、春のいい季節です、思いっきり味わいたいですね。

お礼日時:2001/03/15 21:51

sakura99さま、お待たせしました。

調べがつきました。

「わたしたちはどこから来て どこへいくのか?-科学が語る人間の意味-」
著者:佐倉 統 絵:木野鳥乎 出版社:ブロンズ新社 本体価格1500円
ISBN 4-89309-207-3 C0095

☆ 貸した人に会えず、オンライン書店の検索でも探せなかったんで・・・
リアル書店の丸善に電話で「こーでこういう本で・・・」と、相談して探してもらいました。貸したのも返ってこなさそうなので、わたしももう1冊買うことにしました。

訪問看護という仕事柄、利用者さんにもよくわたし自身が聞かれます。
「ねえ、看護婦さん、何で人って死ぬんだろう」
「なんで自分が死ななくちゃならないんだろう」
「なんで自分が」「生きてる意味ってあるの」・・・・毎日のことなので、わたしたち自身の頭がいっぱいになります。「葉っぱのフレディ」では「死」のネガティブさや、人と別れることの悲しさをフォローしきれません。自分が死んでも周りに何かを残す、影響を残す、それが、あえて存在するとすれば「死後の世界」なのだとはこの本でも著者が言ってますが、やっぱり自分が一番かわいいです。自分を失うのが人間一番こわい。死があるから生が輝くというよくある言い方もよくありますが、自分の身にせまった個人的な納得のレベルでは、決して「そうだね」とは言えない一人であります。
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この回答へのお礼

うわー、面白そうな本ですね!!
さっそく本屋さんに注文しました。
「葉っぱのフレディ」も本の名前ですか?
ありがとうございました。

お礼日時:2001/02/20 17:22

待ってくださるんですね、申し訳ありません・・・。


効率よくいきましょうか、うろ覚えの書名を書いておきます。

「ぼくたちはどこから来てどこへいくのか? こどものための哲学対話」
ハードカバーでサイズはA5くらい。イラストは木野鳥呼さんです。
ごめんなさい、ひとまず会社行きますーー・・・。
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わたしも「意味はない」派です。


そうしてそう考えるかと言いますと、「意味」とは出来事に、あとから
人間が付加するものだから・・・です。だいたいは、その前に生きちゃって、死んじゃってると思うんです(自殺は除く)。

宇宙も、地球も、人間がなくたってそのまま、ありますきっと。

それで、たくさんたくさん生まれて死んでいくマンボウは、きっと
大きくなる前に他の魚に捕食されるとき「死ぬのが怖い!」とは
考えないと思う、という学者さんもいるんですよね。
(↑これを書いてた本、ご質問されているような内容の本で、
面白いのでぜひ紹介したいんです!が今人に貸してて書名が不明・・・。根気があったら待ってて下さい、そうでなければ、また別のところで質問してくださいませんか?)

・・・・ただし、生きることに意味を与えるのも悪くないと思っています。
その方が、面白いでしょう?
こういうのは、ダメですか?
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。本の名前、是非是非教えて欲しいので、気長に待たせてください。回答をくださった皆様、それまで、すみませんがポイントはお待ちください。すみません!!

 人間がいなくなっても宇宙は存在する・・・とは全くそのとおりですよね。わたしもそうだと思います。
 その一方で、先日、「人間が意識して初めて宇宙は存在する」という論旨の文章を読み、大変新鮮なショックを受けました。
 自分が生まれて宇宙を認識したときに、宇宙は存在を始め、自分が死んで認識ができなくなったときに宇宙は終わる・・・という意味のことだったと思います。確か、先月号の「諸君」の中の西尾幹二さんの文章だったと思うのですが・・・。
 いままで、科学的な認識論を学校教育でも、家庭環境でも受けてきました。でも、そういう認識の仕方とは全く違う仕方があるんですね。哲学でそういう認識論があるそうなんですが、詳しくはよく分かりません。

お礼日時:2001/02/19 09:06

次元の低い回答で恥ずかしいのですが、私は「幸せになるため」です。


そのために希望を捨てずに苦労もしますし、人の身にもなりますし、第一自分だけ幸せになるのはなかなか難しく、周りのもの全てが幸せに満ち満ちている世界なら、これほど素晴らしいことはないのではないかと思います。
お金持ちになって、おいしい物をたらふく食って、ということではなく(それも否定できない自分に苦笑)、探していた物がやっと見つかったときとか、痛かった部分が直ってきて痛みがましになってきたときとか、個人的には子供達を出産したときとか、ささやかでも幸せを感じる心は誰にでもあるので、それを繰り返して生を全うできるのではないかしら、と思っています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。「幸せになるため」ほんとにそうですね。結婚し、子供が生まれてから、生活の中の、小さな幸せ、というものがとても大切だということを、近頃強く感じます。

お礼日時:2001/02/18 16:26

前の#9で回答した者です。


このテーマについて何時間もsakura99さんとお話ししたい衝動を抑えつつ、言葉足らずになることを承知で端折って端折って書きます。
 
神が宇宙を創造された目的が、人間だけのためであるとか、神自身のためであるという論理は成立しません。神にも、人間にも、人間創造に協助した天使にも、万物にも共通する目的でなければなりません。

それは、「喜びを得ること」のためであり、極めて内的なものです。外的には人間には、知識、金、権力が必要ですが、それらは所有するのが目的ではないし、永遠の相対関係を結べるものではありません。

神にも人間にも天使にも万物にも共通に必要ですべてが喜べるもの、それは真の愛しかありません。愛は永遠不変であり、宇宙創造の起源や生命の発現地は、まさに真の愛です。

愛によって主体と対象が一つになれば力が生まれ、主体に対し、同位権、同参権、相続権をもつことになります。社長と結婚すれば普通の人が社長夫人になるように。

人間の一生は、腹中時代10ヶ月、肉身時代100年、そして霊界時代千年万年永遠を生きます。腹中ではへその緒が命の綱ですが、それを切ってこの世に生まれます。この世では肺で空気を呼吸して生きますが、肉身が死ぬときはその活動が停止し、霊界に生まれます。霊界では愛を感じて呼吸する世界であり、神の愛が光で表れる世界です。

ですから人間は愛を中心として心と身体を一つにし、愛を中心として家庭を完成し、愛を中心として万物を主管する、そのような経緯をたどるように創造され、またそれを実現していく過程において喜びを得るようになっています。

しかし悲しいかな人間は神の愛の圏内から逸脱し(堕落)、神の愛の圏内に戻る(復帰)途上にあるので宗教という、愛の訓練(為に生きること)の場が必要になったのです。神と人と愛が一つになれば宗教は必要ではなくなるわけですが。

以上、不足を承知で。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。「愛の訓練の場が必要になった」という部分に深く感じるものがありました。この世は愛の訓練の場だ、自分は愛の訓練をしているのだと思うと、生きるエネルギーが湧いてきます。もっとも、自分自身は愛の実践からはとて遠い、弱い人間なのですが。でも、自分なりに、迷いつつ、失敗しつつ、葛藤しつつ進んでいけばいいんじゃないかとも思います。

お礼日時:2001/02/18 16:21

 こんばんは。

#6にコメントありがとうございます。

 ここまでの回答を見た感じでは、私は結構少数派に属する見解を持っていると考えてよさそうですね。多くの人が生きている意味について悩んでいると知って正直驚きです。では百歩譲って人生に何らかの意味があるとして、それが分かったらなんか意味があるのでしょうか。ひょっとすると自分に意味を見いだして、ほっと安心したいということかな。それとも単なる知識欲で、知れば満足?後者であるならば、私の知りたいことと、他人の知りたいことのベクトルがずれているだけかも、とも思えますね。それとも全然違う何か?

 さてさて、コメントに対するさらなる私見です。そのとおりで、この宇宙の誕生からして偶然の産物と考えられるので、意味を見いだすほうが困難です。「この宇宙だけが唯一のもの」という特殊な状況よりも、「数多くの(ほとんど無数の)異なった法則に支配された宇宙が誕生してその内の一つがここ」という一般化された状況の方がしっくりくると思いませんか。もちろん証明または実証は現在のところ不可能です。でも、「創造主のおっちゃんがいて唯一この宇宙だけを作りはった」というめちゃめちゃ特殊な状況も同様に証明不能なのでいいですよね。どちらも人が頭で勝手に考えただけのことです。どれがいいと思うかはその人しだいですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。「私は結構少数派・・・」とおっしゃっていますが、私の今までの感じからいけば、masa1000rxさんの意見はそんなに少数派でもないかも知れません。この問題について、世論調査でもしてみたら面白そうですね。

お礼日時:2001/02/17 23:52

回答に対する意見を頂きましたが、その内容を読んでちょっと補足をしてみたいと思いましたので少し書かせていただきます。


息子さんがおられるそうですが、その事に対して「生命のバトンタッチに意味があるか・・・」とあります。あなたの息子さんにとっては、あなたは間違いなく意味がある存在です。生まれてきたわけですから。

社会に貢献する、というのも場合によっては迷惑になっている場合もあるわけです。ダイナマイトを発明したノーベルが社会に貢献したか、これは人間だけをとってみれば産業は発達もしたし貢献したと言えるでしょう。原子爆弾、クローンなどをとってみても同様です。しかし特定の対象に対して貢献しても別の何かには迷惑ということも随分あるはずです。気持ちの上で人に貢献したいというのは尊敬いたします。ただ、あまり意識をされるとご自身のできる範囲の狭さにストレスが溜まってきませんか?

ちょっと宗教じみてきて申し訳ないのですが(ちなみに私自身はどの宗教もやっておりません)、「生きている意味」というのを考えた場合、やはり生命体としてする事は子孫を残す、ただこれに尽きると思います。子供がいなければ自分の意思を別の誰かに託すなど、今のところ私にはこれ以上の答えは見出せていません。まだまだ未熟者かもしれませんが・・・
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この回答へのお礼

ありがとうございました。子供が生まれたとき、なんだか大きな責任を果たしたような気持ちになったことを思い出します。(育児はこれからではありますが。)子供から、いろんなことを教えられているような気がします。

お礼日時:2001/02/17 12:53

最近、『人生の目的』や『なぜ人を殺してはいけないか』等の質問設定はその設定自体間違っているうんぬんという説明がありますが、はっきり申し上げましてそれはご本人が知らない、わからないから逃げ、ごまかし、正当化しているだけです。


 
人間にはその存在目的があり、つまり明確な人生の目的があり、それを成就してこそ、人生の意味があると考えます。

ただ人間は結果的な存在のため、誰も自分の意志で生まれてきた存在ではないゆえ、いくら人間自体をひっくり返してみても分解してみてもわからないのは今までの人類歴史の証明するところです。それは原因である、創造主を知らずして絶対解決の不可能な問題なのです。

すみません、今出かけるところなのでまたあとで続きを書きたいと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。hngさんの回答を読んだら、なんだかドキドキしてきました。続きを楽しみにしています。

お礼日時:2001/02/17 11:21

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