日本、外国共に怖い事件がありますが、今までの歴史のなかで猟奇的な殺人鬼というのはどういった人がいるのでしょう? 個人的に切り裂きジャックやジョン・ヘイグ、サムの息子が怖いと思いました。

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A 回答 (3件)

メジャー所のサイトでは以下の物がありますね。



参考URL:http://www8.ocn.ne.jp/~moonston/index.htm
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この回答へのお礼

ありがとうございます。参考になりました。

お礼日時:2008/07/08 17:52

串刺しが好きだったヴラド・ツェペシュ公爵=ドラキュラのモデルとか、エリザベート・バードリー伯爵夫人(若い処女)を次々と殺した。


ジルド・レ戦争孤児を何百人も殺して性的興奮を覚えていたとか。
日本では津山の30人殺し都井睦雄(八墓村のモデルとか)。
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この回答へのお礼

やはり精神的に病んでる人ばかりなのですね。 それと殺人鬼てなにかのモデルとなってるのが多いんですね。

お礼日時:2008/07/03 16:53

ヘンリー・リー・ルーカス


 ハンニバルの元になった人物
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3% …
柳永哲
http://www.chosunonline.com/article/20040921000085

Wikiでは「快楽殺人」として以下の記事があります。
日本のものは無いですがリストが最後のほうに記述されています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%AB%E6%A5%BD% …
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この回答へのお礼

二人共怖いと感じましたがとくにヘンリーはすごいですね。300人以上殺害って…。 こんなのが現代にいたら夜も眠れないですね。

お礼日時:2008/07/03 16:49

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Q【歴史】稲作文化が食料を備蓄出来るようになったことで人類は飛躍的に成長したと学校の歴史で習いましたが

【歴史】稲作文化が食料を備蓄出来るようになったことで人類は飛躍的に成長したと学校の歴史で習いましたが、

稲作文化によって人と人との争いが生まれたという話を聞いて、人類の成長は争い(戦争)によって技術が飛躍的に成長することになり人類の科学技術は戦争のための最先端技術が人類の発展に役だったという話から考えると、

教科書の稲作文化によって食料が備蓄出来るようになって食料のためにずっと働かなくても他のことが出来る時間が出来て人類は発展したという説は間違いで、

人類の発展は稲作文化によって食料が備蓄出来るようになって食料を巡って食料自体だけでなく、その食料を作れる土地自体を奪おうと争いが生まれ、戦争によって人類は発展したと考える方が筋が通っているのでは?

従来の説
×稲作文化は食料を備蓄出来るようになって人類は飛躍的に発展した

私の説
稲作文化は争いを生んだ。争いによって人類は飛躍的に発展した。

稲作文化じゃなくても狩猟文化であっても肉をスモーク、燻製にする技術は生まれていたわけで食料を備蓄する技術は稲作文化に限らなかったはず。

稲作文化こそが争いを生んだ。

稲作文化によって上下関係が生まれた。

稲作文化は偉大ではなく、稲作文化こそが人類滅亡を招いた元凶であった。

狩猟文化なら上下関係も生まれていなかった。ただ家畜という技術が生まれたときに家畜を奪う家畜を育てる土地を巡って争いは生まれたはずなのでどの道、人類は争いなくして生きられない楽をしたい生き物なのでしょう。

基本人間は人が作ったものを奪って食べるという楽をしたい生き物なのです。

だから、自分で開発するより開発されたものを奪った方が歴史から見ると強盗文化の方が正当文化であって、レジに並んでちゃんと単価を払って秩序ある生活をすることを始めたのはつい最近のこと。

ということは歴史の流れで行くと、発展途上国ですらお金を払って物を買うという文化が普通となっているので戦争は無くならないと言っている人の説も覆されるかも知れない。

人類は戦争をしなくなる方向に時代は向かっている。

【歴史】稲作文化が食料を備蓄出来るようになったことで人類は飛躍的に成長したと学校の歴史で習いましたが、

稲作文化によって人と人との争いが生まれたという話を聞いて、人類の成長は争い(戦争)によって技術が飛躍的に成長することになり人類の科学技術は戦争のための最先端技術が人類の発展に役だったという話から考えると、

教科書の稲作文化によって食料が備蓄出来るようになって食料のためにずっと働かなくても他のことが出来る時間が出来て人類は発展したという説は間違いで、

人類の発展は稲作文化に...続きを読む

Aベストアンサー

「稲作」限定なのは何故でしょうか?
日本の技術の発展のみについての質問なのでしょうか?
だとしたら、なんで↓は人類全体なのでしょうか。

A:>戦争によって人類は発展したと考える方が筋が通っているのでは?

↑以外に質問と判断できる文がないので、これが質問の主旨と解釈させていただきました。

回答A:違います。


>従来の説
A:>×稲作文化は食料を備蓄出来るようになって人類は飛躍的に発展した

>私の説
B:>稲作文化は争いを生んだ。争いによって人類は飛躍的に発展した。


C:>稲作文化じゃなくても狩猟文化であっても肉をスモーク、燻製にする技術は生まれていたわけで食料を備蓄する技術は稲作文化に限らなかったはず。


あなたの論理ですが、AとBの間を飛ばしている上に、Cを歪曲していると思います。

A→Bの間には、備蓄できる程収穫を増やす為の「農業技術の発展」がある筈です。

あなたは、それらが、空き地に種を撒いただけで実った僅かな物を奪い合う為に棍棒で殴り合ってる間に発展したとでも思っているのでしょうか。

あなたは「農業」は全ての学問(文明)の源である事を理解していないと思います。
収穫を増やすには、農地の面積の計算や、治水の為の測量(土地の高低差の計算)と土木技術や、降水量の予測(=季節)の為の暦の作成→天文学、農機具の為の鉱物の掘削や精製や加工技術 が必要になります。

更に、Cでは、個人レベルの狩猟による備蓄と、集団農業よる収穫物の備蓄と管理やそれらの分配を同列に語ることで、技術以外の「社会」の発展についても無視しています。

あなたの言っている戦争による発展は、文明が↑まで至った後の事を語っているに過ぎないと思います。


戦争をする者は生産活動(農業)をせずに消費のみを行います。
人口比で僅かな者であっても、それらを一時的にでも生産活動から外す事が可能になるには、どれだけの技術の進歩(生産量や保存や輸送)が必要でしょうか?
以上から、戦争中に兵士を養うには、後方にそれだけの生産力(人口)が必要な筈ですが、それは農業技術の発達に拠るものではないのでしょうか?


以上から、あなたの言っている「技術の発展」とやらは、既に成立した文明間の戦争や、産業革命以降の工業力についてのものであって、それらは既に「稲作(というか農業)技術」で語れる段階にはないと思います。

「稲作」限定なのは何故でしょうか?
日本の技術の発展のみについての質問なのでしょうか?
だとしたら、なんで↓は人類全体なのでしょうか。

A:>戦争によって人類は発展したと考える方が筋が通っているのでは?

↑以外に質問と判断できる文がないので、これが質問の主旨と解釈させていただきました。

回答A:違います。


>従来の説
A:>×稲作文化は食料を備蓄出来るようになって人類は飛躍的に発展した

>私の説
B:>稲作文化は争いを生んだ。争いによって人類は飛躍的に発展した。


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Q歴史のなかの排便はどうなってるの??

どこかで見たのですけど、西洋人は長いドレスをしたまま排便するのだと見ました記憶があります。
匂いを消すため香水の匂いがきついのだと・・・

小説が好きで、特に西欧史モノが好きなのですが読むたびに疑問に思ってたのです。
風呂はどうなってどこにあるのか、トイレはどこにあるのかなど・・・
昔はタライなのでしょうか。
庶民は大浴場なのでしょうか。

Aベストアンサー

 
  まず、西欧の中世で、長いドレスを纏っていたのは、王侯・貴族・富裕階級の人々で、庶民はそんな豪華なというのか、脱ぐのに手間のかかる衣服は着ていませんでした。
 
  日本の中世・古代の貴族などのトイレは、大別、「かわや」という一種の水洗トイレと、もう一つは「容器」を使っていたようです。「かわや」というのは、一般庶民も使っていましたが、川の上に小屋などを造って、そのまま流れるようにしたもので、貴族の邸宅のかわやは、人工の流れを造って、それを利用したようですが、主流はやはり、「容器(おまる)」であったようです。
 
  西欧もこれと同じような感じで、かわやはなかったと思いますが、「穴」が空いていて、という方式と「容器」で、この両方とも、ターゲットがはっきりしていると、かなり厚い衣服を着ていても、その部分だけを露呈して、穴なり容器のなかに落とせばよい訳で、特にドレスを脱ぐ必要はなかったと云えます。また、「下着」というのは、いまでいう女性ならショーツの類ですが、ああいうものは近代以降で、昔は、下着もスカート状で、ショーツを脱ぐ手間もなかったのです。
 
  「穴」の場合は、その先はどうなっていたかというと、大体、地面にそのまま落下のようです。蓄積設備や、下が川になっているなどの例もあったかも知れませんが、あまり、そんなことは考えていなかったようです。衛生概念が大分違うのです。
 
  匂いを消す香水は、日本でも中世貴族などは、香を炊いていたりしていたようですが、西欧の場合、二つか三つの事情があります。一つは、日本は亜熱帯気候で、湿度や温度が高く、頻繁に身体を水や湯で洗わないと、汗などで、どろどろになって来たり不快感がきわめて大きいのです。しかし、西欧は温帯または亜寒帯にも一部入っており、温度も夏でも低いですし、何よりも「湿度」が低いので、汗をあまりかかず、結果的に、風呂などに入る習慣がなかったとも云えるのです。古代ローマ人は、温泉や大銭湯(カラカラの浴場)などを造って、風呂好きでしたが、イタリアは地中海性気候で、西欧(フランス・イギリス・ドイツなど)と少し気候が違っていたのと、文化風習の違いがあったのでしょう。ただ、イタリアの方が風呂に入る必要があったのは気候的に云えます。
 
  西欧中世人は、風呂に入らないし、身体もあまり拭わないので、垢がたまって来て、身体から異臭が漏れて来るのですが、これを防ぐために、西欧の上流階級では、香水・香料をかなり頻繁に使いました。体臭を消すために使っていたのです。
 
  もう一つ、西欧はキリスト教文化で、また衛生概念や病気の治療などについて、古代ローマよりも後退していました。キリスト教文化では、たてまえ上「清貧」を美徳としたので、贅沢をしている一方で、清貧も守るというおかしなことになり、外見の衣服は贅沢であるが、下着は、半年に一度着替えるだけだとか、おかしなことをしていました。カトリーヌ・ド・メディシスだったと思うのですが、1年間交換せずに着続けて、真っ黒になった下着を、清貧の証だと、人々の前に示し、人々が感銘したという話もあります。
 
  事実かどうか確認していないのですが(そういう記述を読んだのですが、本当かと思ったということです)、ベルサイユ宮殿にトイレがなかったのは有名ですが、「容器」を使って、中身を棄てればよい訳で、もっと簡単には、庭などで、貴婦人はドレスをまとったまま、小の方はしていたというのがあります。そのため、高い靴の方が、はねかえりがかからないので、異常に高い靴が、貴婦人のあいだで流行したというのですが、これは真偽不明です。
 
  中世のパリでは、一般にトイレは常設設備としてなかったはずです。容器にして、それを貯めておく桶のようなものがあって、回収業者が集めていたというのはあるかも知れませんが、こんな制度がきちんとあれば、パリの衛生状態はもっとよかった訳で、実状は、容器に出して、中身は、窓から、外の街路に放り投げたというのが一般でした。中世(17世紀、またそれ以前)のパリやロンドンなどの大都市の衛生施設はこういうものなので、道路は、排泄物がいたるところにあり、生活廃物も道路に棄てたので、牛馬の糞なども混じって、悪習芬々たるありさまで、足下をよほど確保しないと、パリなどの道路は、歩けなかったという事情があるようです。また、道路には、馬車の車輪の幅に応じた窪みがあり、馬車が道路を通過する時は、この窪みに轍を乗せて走ったのです(これは古代ローマの道路もそうでした)。(雨が降ると、道路は汚物が流れる川になったという話もありますが、西欧は雨自体が少ないのです)。
 
  都市ではなく、田舎の場合は、いまも世界の非常に貧困な差別されている人たちがしているように、衛生施設などなく、その辺りの野原などで、用を足していたか、容器を使うかしたのでしょう。人口密度が小さいので、あまり不衛生にならなかったのでしょう。
 
  風呂は、基本的に貴族などは、自家用を持っていたかも知れませんが、あまり入浴しません。シャワーというか、お湯を沸かして身体を拭うこととか、お湯を大きなたらいの浴槽に入れて、そこで入浴していたようです。これは貴族や富裕な者の話です。(庶民は、お湯や水で身体を拭っていたのでしょう。冬季の場合。夏は、川などで泳いだり、行水すればよいのです)。
 
  パリなどでは、「風呂屋」があったという記録があります(大浴場ではありません。また日本は風呂屋は、江戸時代ですが、結構たくさんありました。夏は個人は行水ですが、冬になると、なかなか、風呂を沸かすのもたいへんです)。個人個人では、なかなか湯を沸かすのでもたいへんなので、銭湯のようなものがあったということです。風呂が沸くと、それを告知して風呂屋の者が、声をかけに街に出て、住民はそれに応じて風呂に出かけたようです。田舎だと、燃料にそれほど困らないので、お湯を沸かすというのも、結構あったでしょう。ただ、全般的に、現代もそうですが、西欧人は、風呂には頻繁には入りません。気候が乾いているというのがその理由でしょう。
 
  中世では、色々な意味で生活施設や衛生施設が整っていたのは、修道院で、例えば、修道士は、一人一台の寝台で寝る権利がありました(逆に言うと、庶民は、藁の上に布などをかけたもの、またはそれもない藁の上で、みな雑魚寝していたのです。寝台がある場合でも、二人・三人・四人と一緒に寝るので、窮屈で仕方なかったと言います)。修道院は、古代からの知識を蓄積していましたし、衛生思想や医療知識にも豊かで、修道院は風呂(風呂というのは、水を入れて、下から熱するのではなく、普通には、容器に湯を注いで、そこに入るのです)を設備していましたし、普通、医療所なども備えていて、付近の住民が修道院の医療を頼みにしていたというのもあります。修道院の場合は、トイレの施設もそれなりのものを準備していたようです。
 
  (これは、文庫クセジュだったと思うのですが、『中世の生活』とか、「生活の世界史」の『中世西欧』の巻だとか、その他、色々な本で読んだことを元に記しています。日本や古代ローマの話は、別の出典があります。……なお、大都市の記録はあるのですが、それ以外は資料が少ないのです。西欧の中世大都市は、人口密度が高過ぎて、生活の利便性や衛生などへの配慮が追いつかなかったのです。また大都市には、貧困層が流れ込み人口が増え、余計に不衛生になったのです)。
 

 
  まず、西欧の中世で、長いドレスを纏っていたのは、王侯・貴族・富裕階級の人々で、庶民はそんな豪華なというのか、脱ぐのに手間のかかる衣服は着ていませんでした。
 
  日本の中世・古代の貴族などのトイレは、大別、「かわや」という一種の水洗トイレと、もう一つは「容器」を使っていたようです。「かわや」というのは、一般庶民も使っていましたが、川の上に小屋などを造って、そのまま流れるようにしたもので、貴族の邸宅のかわやは、人工の流れを造って、それを利用したようですが、主流はや...続きを読む

Q血盟団事件 5•15事件 2•26事件について

この三つの事件の原因やつながり、
当時の日本の状況を教えてください。

血盟団事件では井上準之助が殺されましたが、世界恐慌と金輸出による不況で
彼が狙われたのでしょうか?それとも政府の人間を無差別に殺したのでしょうか?

他二つの事件との関連などもお教えください。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

教科書読むのが一番と思います。
血盟団は日蓮宗の狂気の顕れです。
当時の世の中の矛盾は天皇親政によって解決できる。その天皇の英明を曇らせているのが君側の奸として井上準之助等が挙げられました。政権当事者は世の中の矛盾を解消しなかった、拡大させた張本人として、当然リストアップされました。
5.15と血盟団とは直結しています。
2.26は出発点は異なりますが、倒すべき当事者としては、血盟団と同じ名前がリストアップされたのはある意味当然でしょう。
いずれにせよ、暴力で対立相手を押さえ込む風潮を擁護し、軍部の暴走がますます加速しました。
これ位のことは教科書にある。
それ以上に何か知りたいなら、質問のレベルを具体的にどうぞ。

Q【歴史・ロシア皇太子襲撃事件】1891年にロシア皇太子のニコライ2世が訪日中に日本人警察官の刀で斬り

【歴史・ロシア皇太子襲撃事件】1891年にロシア皇太子のニコライ2世が訪日中に日本人警察官の刀で斬りつけられるという大津事件がありましたが、日本の学校では歴史の授業で大津事件のことは習いますか?

Aベストアンサー

習わなかったんですか?

Q名字の歴史と都道府県の歴史

昨日、日本人の名字についての番組をやっていましたが、そもそも庶民の名字はいつごろ誰によってつけられたのですか?
また身分の高い人はかなり昔から名字があったのですか?
それから現在の都道府県名がつけられたのはいつごろでしょうか?
おしえて下さい。

Aベストアンサー

こんにちは。

以下のサイトの情報はどうでしょうか。

名字について
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%97%E5%AD%97

都道府県について
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E9%81%93%E5%BA%9C%E7%9C%8C

参考になれば幸いです。


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