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綱吉は無駄遣いが多かったと非難されることが多いですが、
大奥が散財したり寺社を作るのにお金をたくさん使ったりしたのが
元禄文化という町人文化を栄えさせた大きな要因とは考えられない
でしょうか?
綱吉が将軍になる前はデフレだったようですが荻原重秀の
改鋳と綱吉の積極財政によりデフレ脱却が可能になり
町人が豊かになり文化も栄えたのだと思うのです。

インフレが庶民を苦しめたと教科書には必ず書いてありますが
おそらく経済学的に問題になるレベルのインフレは起きなかった
のだと思います。経済活動を抑制してしまうレベルのインフレが
起きていたのなら庶民は生活するのに精一杯で文化を発展させる
どころではなかったと思うからです。

A 回答 (4件)

 個人的には御質問に対する回答や意見を出来るだけの材料を持ってはおりません。


 ただ、日本史において改革、という名の財政再建ばかりが評価され、元禄期もそうですし、とにかく田沼時代のことが不当に貶められている、という気がしてなりません。
 現代においてバブル時代にも特にひどいインフレが起こったわけではないように経済成長とインフレとは別物です。まさに今景気後退とインフレーションが(正確にはスタグフレーション)起ころうとしていることからも明らかですね。

 参考URLのサイトでは経済政策として積極財政を是としており、あくまでもそうした視点から見て、ということではありますけれど御質問と全く同じく荻原重秀の政策を評価しています。この項目以外にも時折江戸時代に触れているところがありますので、捜してみても宜しいかと思います。
 私としてはこの方の主張には概ね賛成です。
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この回答へのお礼

レスありがとうございます。
私も経コラは時々勉強になるなぁと思って
読んでいます。
荻原重秀のところも読んでみようと思います。

お礼日時:2008/07/10 01:44

逆説的になりますが, 「教科書」から「支配者の教えたいこと」が見えてくるのかもしれません.


例えば, 教科書において吉宗の改革はだいたい「よかった」とされたりしますよね. ということは, 支配者は「浪費せずに質素倹約を旨とするのがよいことである」と教えたいのかもしれません.
吉宗の改革は, まあ政治的にはよかったと思うんですが, 経済的には....
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この回答へのお礼

レスありがとうございます。

>>「浪費せずに質素倹約を旨とするのがよいことである」

今の日本のエリートはまさにこんな感じですよね。
GDPデフレータがずっとマイナスなのにずっと基礎的財政収支
の黒字化を主張している。
実は私はここに問題意識があったのでふと歴史の教科書を
読み返したときに綱吉が実は正しかったのではないかと
思ってしまったのです。

お礼日時:2008/07/10 01:49

 すみません、No.2です。


 肝心のURLを付け忘れました。

 こちらです。

参考URL:http://www.adpweb.com/eco/eco483.html
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綱吉に関する知識はじゅうぶんお持ちで、ご意見もちゃんと持っておられるようではありませんか。

ここは議論の場ではなく、分からないことを教えて貰う場です。綱吉については私も意見は持っていますが、それを書いても、議論になるだけですよね。
 例えば下記のようなサイトでご意見を書かれてみてはいかが?

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=t&board=1 …

http://www1.ezbbs.net/01/webfro/
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この回答へのお礼

レスありがとうございます。
確かに、(議論系の)掲示板などで質問すべき内容で
場違いだったかもしれません。
でも、せっかく初めて質問したのでもう少し
回答が来るのを待っていようと思います。

お礼日時:2008/07/09 07:35

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Q江戸幕府が財政難な理由

天下をとった徳川がいつも財政難なのは何故でしょう?
金や米が必要ならいくらでも税金をかけられるし通貨も発行できるのに災害や飢饉でもないのに財政難になる理由がわかりません。
単に乱費でしょうか?

天下を取り損なった信長や徳川家より所領が少ない秀吉はこの財政難の幕府よりもっと財政難だったのでしょうか?

Aベストアンサー

No.10です
わざわざお礼を記入して頂きありがとうございます。
お礼の中に二三ご質問と言いますが疑問点がおありのようでしたので追加の説明をさせて頂きます。

>幕府は何故米価格をコントロールしなかったのでしょうか?
正面から制度としてやったことはありませんが、現在の日銀の為替介入のような形で、市場からの買い上げを何度かやってはいました。
どの程度の規模買い上げたら効果があるのか、等と言う近代経済理論に基づいたものではなくエイヤッと見繕いでした。
結果として左程の効果はありませんでした。
幕閣のアリバイ工作にはなったでしょう。
一方江戸時代の中頃1730年前後から大阪で米の先物取引が始まっていました。
現在世界中で行われている商品先物取引は大阪が発祥の地です。
つまり現物取引と先物取引が現在と同様に混在して市中価格が決まっていました。
ただでさえ経済に疎い幕閣には到底理解ができなかったようです。
この程度の経済知識のレベルでの判断でやる市場介入ですから効果を期待する方が無茶でしょう。

ではなぜ制度的にやらなかったのか、という点については、いろいろ議論はあります。
幕府という組織はあくまでも軍事組織で、勘定方も戦費調達係のような位置づけではじまりました。
市場は全くの自由経済市場でした。
おそらく、室町時代からあった座という独占経済体制を織豊時代に破壊して楽市楽座という自由経済体制に移行させていた考え方がそのまま継承されて放置されてしまったためかと思います。
関ヶ原の戦も終わり100年程経ったころには、経済力は完全に町人の手に移ってしまっていました。
いわゆる元禄時代の到来です。
政治体制は戦国時代のままで、肝心の武家自身の日常生活は貨幣経済に飲み込まれていました。
この状態で、幕府による米の専売制度化は不可能に近い状態になっていました。
そもそも元禄時代直後の享保の改革などいう経済政策を行わなければならなくなったのは、家康時代にセッセと蓄えた資産を食いつぶしてしまった結果でした。
ロクに財源もないのに専売制は到底やれるものではありませんでした。

>インフレが起こっても米を売って現金に変える幕府には米価と他の商品との価格の比率が変わらなければ問題ないと思うのですが何か間違っていますでしょうか?
需要と供給の関係です。
一つは、大名連中は収入=米を増やすためにセッセと領内の新田開発を進めました。
年貢といいますのは、あくまでも村単位で課税されるもので現在の所得税にように個人単位のものではありませんでした。
村の中で誰が納めるのか、ということになり、当然大地主の裕福な農家が納めることになりました。
つまり一定規模以下の農家は無税でした。
この年貢を負担した農家を本百姓、無税の農家を水呑百姓と呼びました。水呑は正式な身分呼称として扱われた名称です。
大地主は租税負担を軽減するために実際に農作業に従事していた人達に田畑を小分けして割譲しました。
他人の田んぼと自分の田んぼでは労働意欲が違いますから自然に村全体の収穫量は増大していきました。
田畑の割譲は「たわけ!」と悪口に使われるほど武家は嫌って禁止もしましたが収まりませんでした。
禁止令がでていますが、それ以降の日付の割譲契約や売買契約の書状が沢山残っています
ということで米の供給量は年々増えていきました。
武家が米を現金に換えるのは大阪か江戸でした。
つまり、この二大都市では米は必然的に潤沢にありましたから米の相場価格は下がり続けました。
年ごとの作況による上下は当然ありました。
一方、衣住のほうは平和な時代ですからいくらでも需要がありました。
食も米以外の食材への需要もいくらでもありました。食材も贅沢になっていきました。
そもそも倹約令なるものが度々だされるのは、年々贅沢になっていき倹約令そのものに効果がなかった結果です。
インフレになれば即値上がりしました。
つまりインフレ効果は米価には影響が極めて少なかったとお考えください。
武家の収入は米だけですから、たちまち貧乏になってしまいます。

>何故大名は国元だとお金を使わないのでしょう?
まったく使わないのではなく江戸にいるよりも使わなくて済んだということです。
戦が無い時代の大名というのは、冠婚葬祭、節句行事などが最重要な仕事でした。
これに伴う贈答費用いわゆる慶弔費、交際費です。
年々派手になり半端な費用ではありませんでした。
しかも最も喜ばれるのが小判でした。
江戸時代の金貨である小判というのは、通貨であるとともに贈答用の景物という性格も持っていました。
大判は景物として最高のものでした。(むしろ通貨としては使われませんでした)
幕府もたびたび倹約しろ!といいますが幕閣自身が見栄の張り合いをやっていましたからどうにもなりません。
大名と呼ばれるお殿様は日常は一汁一采が普通でたまにつく魚も鰯か干物でした。
これが来客となるといわゆる大名料理がずらりと並びました。
形式第一主義社会を生きるのは大変です。
つまり国元に引っこんでいれば交際費はかかりません。
江戸城へ出かかるための行列をそろえる必要もありません。
形式見栄の時代ですから、喰うものを喰わなくても行列は飾りました。
食材も潤沢に現物が手に入ります。

蛇足
交易で得る金額などたかがしれていました。
木造帆船で運ぶ貨物量などたかが知れています。品物の価格もしれたものです。
100両のツボを1万個売ってもせいぜい100万両です。幕府や大名家の財政規模とは桁が違います。
秀吉の時代とは経済規模が違います。そもそも人口が違います。
交易で財政が潤うのであれば長崎での交易を独占していた幕府が財政難に陥る訳がありません。
薩摩島津家は500万両余の借金を抱えていました。
40年年賦払いなどとムチャクチャをやって明治時代も廃藩置県になるまで借金返済に走り回っていました。
金もろくに払わない薩摩の江戸藩邸に近寄る町人はいませんでした。

No.10です
わざわざお礼を記入して頂きありがとうございます。
お礼の中に二三ご質問と言いますが疑問点がおありのようでしたので追加の説明をさせて頂きます。

>幕府は何故米価格をコントロールしなかったのでしょうか?
正面から制度としてやったことはありませんが、現在の日銀の為替介入のような形で、市場からの買い上げを何度かやってはいました。
どの程度の規模買い上げたら効果があるのか、等と言う近代経済理論に基づいたものではなくエイヤッと見繕いでした。
結果として左程の効果はありませんで...続きを読む


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