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江戸時代に士・農・工・商・えた・ひにんなどの身分制度が出来ましたが、このえた・ひにんに該当する人たちは、どうやって決定されたのでしょうか?
中学校では「時の権力者が世の混乱を治めるために低い身分の人を作って不満のはけ口にした」などと習った気がします。しかし、この"低い身分"の人たちはどのようにして選ばれたのでしょうか?貧しい農民をこの身分に割り当てたのでしょうか?私の思いつきでは前科のある人やその家族などをこの身分にしたのではないかと思ったのですが、実際はどうなのでしょうか?

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穢多非人とは身分制度の身分のひとつらしいですね。


社会秩序を強化するためにつくられたようですが、江戸時代にいっそう徹底されたようです。

・士・農工商・穢多非人(しのうこうしょうえたひにん)とは - コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E5%A3%AB%E3%83%BB%E8%B …

A 回答 (4件)

こんにちは。


私は、自称「歴史作家」です。

まず、身分制度についてですが、士・農・工・商ですが、次にくるのは「非人」「穢多(えた)」の順です。

で、ここで、あなたの質問に答えるとしたら、地方の成立は雑多な部分もありますので、話が長くなります。そこで、江戸および江戸時代についてのみお話をいたします。

確かに、士農工商の序列ではありましたが、実際としては、士・工・商・農、という序列が正しいと思います。

年貢(税金、または、武士の給与)確保のため、武士の次に農民が位置しましたが、士農工商で一番苦労したのは、農民でした。

まず、「非人」について:

元々は「人非人」あるいは「僧侶」の意味でした。つまり、人間界を捨てた「世捨て人」のことを指しました。やがて、賎民(せんみん=貧しい人)を指すようになり、中性では「穢多」と混称されるようになってきました。しかし、江戸時代に入ると両者は「厳密」に区別され、「非人」は良民(平民)のなり下がりとして位置づけられ、良民への復帰の道が開かれていました。
「穢多」と違っているところは、「皮細工等の生産に従わず」卑属な遊芸や物貰いの独占権を持ち、「穢多」よりも上位に位置していました。

「非人」にも2種類あり、「抱非人(かかえひにん)」と「野非人(のひにん)」とに分かれていました。

「野非人」は今日で言われる「路上生活者」。つまり、ホームレスで、主に、農村部で飢饉や病気などにより年貢が納められなくなった者が「人別帳」を離れて江戸へ流入した者たちでした。つまり、「無宿者」と同じ考え方です。江戸でも厳しく取り締まりをし、一定の区域に住まわせたりしましたが、効果はなく、後の、「無宿狩り」などへと発展していきました。

一方、「抱非人」は、例えば、
(1)姉妹伯母姪と密通した者。
(2)男女の心中(相対死)で女が生き残った場合。もしくは、両人とも生き残った場合。
(3)主人と下女の心中で主人が生き残った場合の主人。
(4)15歳未満で無宿の子どもが盗みをした時。
などとなっていますが、
非人小屋頭が江戸の各地にあり、そこの頭の支配を受けていました。この非人組頭の頂点に「弾左衛門」という人物がおり、その支配下に「頭」と呼ばれる者が4~5人いました。最も有名なのは、荒川土手(地名は分かってはいますが、人権に関わることなので、ここでは、あえて、荒川土手とします)に木組みと筵(むとろ)で住まいを造り、痩せた土地を開墾し、非人同士が結婚して子どもが生まれても、その子どもも非人でしかなかったのです。

まあまあ、幅を利かしていたのが「車善七」率いる人たちでした。

非人の生計としては痩せた土地から得るものは少ないので、主に「物乞い」でした。江戸時代、非人以外が「物乞い」をすると、逆に、罪になりました。また、街角の清掃、門付(かどづけ)などの清めに関わる芸能を披露。そして、街角の清掃に付随して紙くずを拾って、それを発展させて「再生紙」造りにも寄与しました。(現代のリサイクルの先駆け?)。さらに、町役の下役として警備や刑死者の埋葬、また、斬首の刑(首切りの刑)などでは、罪人を押さえつけたり、その後の死体処理をしたり、入牢した者が病気に罹った時の看病。少年犯罪者の世話などに従事しました。

そして、「非人」は、上記(1)~(4)などの罪で非人になっても、家族や親類縁者が、多少の「銭」を支払うことで、平民に戻れたのです。

そこへいくと、「穢多」は、「非人」よりも、さらに下位に置かれ、町民の住居からは、かけ離れた場所に、一箇所に集めて住まわされました。その条件?としては、「非人」の中でも、さらに「素行」が悪く、「非人の秩序」を乱す者などが対象でした。しかし、支配をしていたのは、やはり、「非人組頭」の弾左衛門でした。

彼らは、例えば、死んだ牛馬を百姓から貰い受け、その肉を食い、皮は皮製品などにしました。この斃牛馬(へいぎゅうば=死んだ牛馬)の取得権は「穢多」の何よりの独占権でした。
その他にも、藁(わら)細工、燈心細工、破魔弓矢(はまゆみや)細工等簡単な手工業的生産に携わりました。

この「穢多」の歴史は、戦国時代に戦国大名から鎧(よろい)や鞍(くら)などの武器としての皮製品調達のために、当時は長史(ちょうし=村のまとめ役)に皮製品の上納を命じたことに始まる、と、されています。その見返りとしては、年貢を安くしてもらったり、とかの恩恵も与えられました。

しかし、江戸時代に入ると、「穢多」は、、「士農工商・非人・穢多」と「非人」より下位に位置づけられ戦国時代と同じような職業に従事し、一生涯「平人(ひらびと、または、ひらんど)=庶民」に戻ることはできませんでした。

こうした「非人」や「穢多」は、収入があってないようなものでしたので、租税を課せられることもなかったので、やがて、その租税免除により、幾らかでも貯えをし、土手などから、平地に土地を持つ者も出始め、大きな意味で「部落」ができました。

そして、明治4(1871)年に制定され、明治5年に編成された、いわゆる、壬申戸籍(じんしんこせき)には、「皇族」「華族」「士族」「卒」「地士」「僧」「旧神官」「尼」「平民」「新平民」「非人」「穢多」などという「階級」が書かれており、当時は、まだまだ、身分制度が色濃く残っており、しかも、誰でもがこの戸籍を閲覧することができました。

しかし、昭和43(1968)年に、差別部落の人を探し出す事件が発覚し、大企業での採用取り消し、部落民との結婚禁止などという事件が発生し、同年、「閲覧」および「公開」を禁止し「永久封印」とされました。

とは言うものの、現在に至っても、「部落名」を聞いたり、そこに代々住んでいたということで、「偏見の目」が向けられ、現在、「部落開放運動」や「同和問題」が今なおクローズアップされているのが現状です。
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この回答へのお礼

たいへん面白く読ませていただきました。
当時の経済構造ですでに出来上がっていた貧困層や犯罪者にえた・ひにんなどの階級を割り当てたのだと。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/04/26 09:50

> 江戸時代に士・農・工・商・えた・ひにんなどの身分制度が出来ました



学校教育で受ける士農工商ってウソです。江戸時代にそのような制度はございません。
江戸時代に存在したのは
武家…お城勤めをするもの
   上士(家老その他で一般的には100石以上)
   中士(100未満30石以上)
   下士(30石未満)
   郷士(帰農した侍で、有事に兵隊として従軍する)*
   浪人(仕事のない元武家)**
僧家…神社・仏閣で働く人***
農家…名主(村の代表みたいなものでたいがい地主で巨大商社)****
   本百姓(独自の土地を持つ百姓で郷士もここ)*
   水呑百姓(地主から土地を借りて農業している)*****
町家…職人(物作り専門)
   商人(物販や物流を行う)****
   町人(いまで言うサラリーマン又はフリーター)******
以外…えた(人や動物の死体処理や土木事業などに携わる人)
   非人(犯罪者)

*は相互に関係がある
*****と******は武家や名主の下で下働きしてる者もおり、有事の際徴兵される

幕末には農家で軍事組織を編成した農兵が作られた。春日隊、彰義隊、新選組など
幕府陸軍は主に町人から集められた(傭兵)
台場事業その他大型公共事業は主にえたが請け負った

このように江戸時代は相互関与しあっているため、士農工商という身分分けはできません。有名人には農家出身の武家も多いです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2009/04/26 09:52
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この回答へのお礼

起源については統一見解がないのですね。
しかし、やっていた職業によって決められたという感じがしました。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/07/11 09:32

こちらに同じ質問があるのでご参考に。



参考URL:http://okwave.jp/qa212868.html
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この回答へのお礼

馬とかの死体を処理する人などだったのですね。
とても参考になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/07/11 09:31

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Q夫が部落出身である可能性が高いです

悔しくて夜も眠れずこちらに辿り着きました。
(理解していただきたいので内容が細かく、長いです。申し訳ありません。)
出会った当時私は学生で、夫は県外の人間でしたが仕事の為に都心部に移り住んでいました。
結婚して4年です。子供が一人います。
夫が実家近くに転職したので、今は夫の実家の近くに住んでいます。
私は3人姉妹の末っ子で、父が中学生のときに亡くなったので母親に育てられましたが、祖父母が会社を経営していたので何一つ不自由なく育ちました。
出会った当時、夫は実家にルートセールスで度々来ていました。
母は時々物を買っていて、私と知り合う2年前から夫を知っていました。
その間、彼氏がいなかった私の写真を見せていたのは知っています。よく母から、「面白いお兄さんがいて○○(私)に会ってみたいと言っているけれど、どうする?」と言われており、その一年後に初めて3人で食事に行きました。
付き合いはそこからです。
付きあってから度々悩まされたのは、他人に対して暴言を吐いたり道路の真ん中で車を止めて怒ったりすることでした。
(先日も駐車場の枠外にとめていた車の人に暴力団のような言葉を吐いていたので知らない顔をして子どもと逃げました。)
私にも暴言や暴力(年に数回)があり、何度も別れようと思ってきました。
しかし、夫にも優しい所があり、初めての人でしたので夫がすべてだという気持ちがあり、結局結婚に至りました。
何かがおかしいと思ってきたのは結婚してからのことです。
毎週夫の実家に行くごとに義父母から親戚の職業を耳にしてきましたが所謂部落の方が多い職業についており、部落の方と結婚している人がとても多いのです。
また、義父は自営業をしていますが暴力と酒癖が悪く部屋中のものを壊したり、年に数回は義母の顔にあざができるほど殴るので本当に恐ろしいです。
本人たちの口から「部落」という言葉は結婚してからは何度となく聞いていますが、自分たちは違うというニュアンスで話してきます。
差別があるから夫のいとこは子供をつくらないし、結婚もしないとも聞かされてきました。
私が少し調べた結果は義父が部落出身のようです。
調べるきっかけとなったのは私の職場に夫がやくざまがいの電話をしてきたことでした。
それは、私の仕事用携帯に職場の男性のアドレスがあっただけのことでした。私的なメールは一切しておらず、上司から同僚まで全ての電話番号とアドレスが入っています。
夫はそれを浮気だと勘違いして、会社に怒鳴りこみの電話をしてきました。しかも妊娠初期の事でした。
その後出産の為辞めることとなりましたが、会社の上司から夫のことをかなり詳しく聞かれた上でそれとなく言われました。
本当にショックで血の気が引きました。
その後、義父母や夫がよく口にする地区をネットで検索してみると、全て部落に当てはまる地区で自分が住んでいる地区も昔はそうだったと知りました。
本当にショックでした。
冒頭に「悔しい」と書いたのは騙されたと感じるからです。
結婚前に夫の性格や暴力のことで母や親戚から反対されながらも結婚を選んだのは私です。
でも、墓場まで持って行こうとした夫が許せません。
私に話していたら結婚は迷ったかもしれない。
でもきっと結婚していたと思うんです。
それなのに純粋な気持ちでずっと夫を思ってきたのに隠し通そうとしている夫は裏切り者です。大嘘つきです。
夫を許せません。
結婚するまでは部落の人がいるのかどうかも知りませんでした。そして、部落が何かもよくわかりませんでした。
しかし、少しずつ勉強したり地区や周りの人間を見ていく中で分かったことがあります。それは差別する人間だけが悪いのではなく、差別される側にも問題があるということです。
義父や夫の親戚の会話は人間の血が通っていなくて、私にはとても理解ができません。酷い言い方かも知れませんが、気が狂いそうになるほど見ず知らずの他人を悪く言ったり暴言を吐きます。
私が言われることもあります。
今、人生にとても悩んでいます。こどもが小さいので母子家庭は厳しいかもしれませんが、穏やかな暮らしがしたいです。
夫とも義父母とも一切の縁を切ってこの土地からも逃れたい・・普通の考えをした人間と関わりあって生きたい。これが正直な気持ちです。
簡単にはいきませんが、何も考えずに生活しようとしても夫や義父が何か言動を起こす度にうんざりしている自分がいます。
まとまりの無い文章ですみません。
経験談やアドバイスなど、皆さんの考えをお聞かせ下さい。
どうぞ宜しくお願い致します。
最後まで読んで下さってありがとうございました。

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Aベストアンサー

難しい問題ですね。 差別する事はいけない事だと倫理を
説いても、実際にはいろんな形で区別されている事も事実。

自分がその立場に立った時に、つゆほども気にせず過ごせるか?
と聞かれると自信がありません。

普通に・・・・と言う気持はよくわかります。

昨今は、まだ昔ほどの差別はないにしても、中には未だに
違った目で見る人がまだまだいる事も確かです。

そのうえ、いろんな事件が世間を騒がせますから、この事が
表だって知られるようになれば、なにがしかの弊害はあるやも
しれませんしね。

この事案からまったくかけ離れた所で生活している物が
当事者に対して簡単に「差別はいけません」とは言い難いです。

関わった物の苦しみは関わった者しか分かりませんね。

輪の中に身を置くという事で、私は単なる個人の人格だけの
問題でもない気がします。

生活の環境と言う物は、個人の主観に大きく影響します。

周りを取り囲む人々が同じ価値観で接してくれば、少なからず
感化されますからね。

さて、問題は今後ですよね。
離婚されるなら身を隠す必要があると思いますよ。

今までの言動・行動を見ても旦那様自身がこの事をかさに
人を威圧する性格が見受けられます。
そういう境遇が持たしたら性格かもしれませんが、実際問題
多少危険である事は覚悟する必要があると思います。

出来れば御実家のご両親にもきちんと相談されて、考えうる
対応を模索しておく必要があると思います。

それでも先を考えれば、行動する価値は十二分にあると思います。
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しれませ...続きを読む

Q部落出身かどうか調べるって・・・。

 今日彼と話してたんですが、彼の親は、私が部落出身者でないかどうかを調べるっていうんです。彼は怒って親と口も聞いてないみたいです。私は自分がそうなのかどうかは全くわからないけど、もしそうだとしたら結婚は無理なのかなぁ・・と考えてしまって悩んでいます。調べるってどういう方法があるのですか?彼との話で「部落出身者は他の地区の人と結婚できないから身内同士で結婚したりするらしい」って言ってたんですけど、うちの親戚も身内同士で結婚したりしているし、また私の両親はかなり田舎の出身なのでもしかして・・・って思ったりします。なんか自分がこういうのを気にしないといけないっていうのがすごく悲しいです。引越ししていても調べたら分るものなのですか? もし私の文章を読んで気分を悪くされた方がいらっしゃったら申し訳ありません。無知なので何もわかりません。どなたか教えてください。

Aベストアンサー

私の父は探偵をしているため、娘(あるいあh息子)の結婚相手を調べて欲しいという親からの以来がとても多いです。
つまり部落出身かどうか。
それは、住民票をみます。
住民票は手書きです。
同和地区の住所というのが昔ありました。
それが同和地区差別を無くそうってことで
住所を変えたり引越ししたりします。
そういう方が非常に多いので
いちいち全部の住所を書き直してられないため
一部分に二重線を引っ張って住所を一部分手書きで訂正します。同和地区の差別反対が起こってから
昔、急速にその作業が行われました。
その修正をしているかそうでないかで
分かるそうです。
あくまでも同和出身を調べる一つの手段であるため
これだけで分かる場合も有るし
分からない場合も有ります。
以上、父から教えてもらったことです。

Q自分が在日かどうか調べる方法

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証明)を取れば両親のこともわかるのですか?
母親の祖母が在日で帰化していた場合、その事はどの世代まで表記されるのでしょう?

ちなみに私は両親の戸籍から分籍(転籍)しており、本籍は東京ですが、出身および両親の本籍は大阪です。


在日か調べたい→戸籍を取れ、という解答はよく見るのですが、
具体的な方法が見つからず困っています。


また在日がどうのという質問に非難が集中している様子を見ることがありますが、
まぁ私のアイデンティティを明確化させたいだけですので、今回はご容赦ください。
日本生まれの日本育ち、ここ数世代の直系は全員日本人の日本人!と、
日本生まれの日本立ち、でも曾祖母は朝鮮人だから87.5%はチョッパリニダ!では、
やはりちょっと心持ちが変わるので、はっきりさせたいのです…。

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証...続きを読む

Aベストアンサー

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで韓国併合政策により在日朝鮮人はもとより、朝鮮半島にいる朝鮮人まですべて大日本帝国臣民扱いで法律上、外国籍ではなかった(両者とも本籍は半島にある)。
昭和20年の終戦を迎え在日の多くは半島に帰国しましたが、日本に残ったり、また朝鮮から戻ってくる人達もおりました。
明治時代から昭和26年までの間に朝鮮より日本へ渡って来た朝鮮人達は昭和27年にそれまであった日本の国籍を失って正式に外国籍となる。そして、在日朝鮮人の日本国への帰化が始まったのも昭和27年。

古来からの日本人家系なら苗字漢字に制限なく明治時代からの苗字漢字を継続できます。
在日朝鮮人の帰化が昭和27年に始まり、名前の漢字制限(上記)は昭和23年に始まってますから、朝鮮籍、韓国籍から日本に帰化した者は旧字体漢字で帰化するチャンスがなかったんです。

簡単な調べ方としては『住民票』での苗字名前漢字が旧字体で表記されてるなら明治時代からの日本人家系。
新字体ならば、
「戦前の家系状況が分かる戸籍みせて」と役所に言ってみること。
戦前の家系状況が記されていて朝鮮人を思わせる記述がなければ日本人。
戦前の家系状況が分かる戸籍を見せてくれない場合や戦前の戸籍が日本以外にある場合は帰化人だと判断できます。

戸籍取得方法は先に回答されてる方法をやるといいでしょう。

ただ、例え純粋な日本人でなかったとしても質問者さんが日本が大好きで在日の方々のように反日感情を露わにされるのが不快に感じるなら、心はちゃんと日本人ですよ。

…私も可能性はあるかもしれないんで経済的に余裕が出来れば戸籍を追ってみたいです。


以上、参考程度に

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで...続きを読む

Qたくさんの方に教えて頂きたいです!結局、部落差別って何なのでしょうか?

僕は北海道出身です。
北海道には『部落』と呼ばれる地域がありません。
ですから部落差別と呼ばれるものも存在しないと思います。

青春時代を関西の田舎町で過ごしましたが、その時初めて『部落差別』なるものの存在を認識し、とても大きな衝撃を受けました。
『同和教育』なるものも北海道の小学校では教わった記憶がありませんし、未だに根強い差別意識が残っている事に疑問を感じています。

部落地域に住む方々の過去などは関西在住時に友人達から説明を受けましたが、いまいちそれも良くわかっていないというのが現状です。

『なぜ部落と呼ばれる地域の人たちは差別の対象となるのでしょうか?』

ちなみに僕自身は『部落』が何なのかという認識が薄く、周囲の人たちが言う事を全く気にせずに(詳しい事を知らずに)普通にお付き合いをしてきた経緯がありますし、今もそのような認識をもっています。

なお、差別的な認識は全くない状態でこの文章を作成しましたが、何か問題があれば質問自体を削除して頂けるように管理人さんにお願いするつもりです。

Aベストアンサー

多くの方が現代の事柄を中心に回答されているので、私は近世地方史(加賀藩)研究者としての立場から、江戸時代の実態について少し述べてみます(ただし、こうした差別は江戸時代以前からあったと考えられています)。
江戸時代までの日本には仏教の影響もあって四つ足の動物を食べる習慣がありませんでした。また、人や動物の死骸に触れることは忌み嫌われていました。
しかし、世の中の誰かがそれをやらねばならなかったのも事実です。例えば道端で死んだ牛馬の処理、死刑に処せられた人の始末、皮製品の製作等々の作業です。
そこで、古代、あるいは中世ころからこれを家業とする一族を作り(あるいは自然に生まれ)、専門家集団として一般農民とは一線を画していたのです。
いつのころからか(少なくとも江戸時代初期以前)、こうした一族は人間以下のものとみなされ、不当な差別を受けるようになっていきます。差別は生前のみとは限らず、ある地域では死後においても墓石の法名に「畜○○」などと書かれました。
一説には、農民にしっかり働かせるため、農民以下の存在として工・商を置き、さらにその下に非人を置いたとも言われています。
一族は差別を受けた反面、法的な保護も受けていました。例えば牛馬の処理はこれらの一族が独占しており、刑場での作業も一般の農民や町民が使われることはなかったのです。
こうした差別は明治政府によって撤廃されたのですが、そのころに作られた壬申戸籍では「新平民」と記載されてしまいました。そのため、戸籍を見ると部落の出身であることがすぐに分かってしまい、色々な悲劇を生み出すこととなりました。
明治維新からすでに130年以上経過しております。インドのカースト制度などでは、名前で階級が分かってしまい、また宗教上の理由からも差別の撤廃が困難なようですが、日本では戸籍を調べるにも限界があり(明治期の戸籍はもうほとんど調べられない)、いずれはなくなるものと思います。またそうであることを願ってやみません。

多くの方が現代の事柄を中心に回答されているので、私は近世地方史(加賀藩)研究者としての立場から、江戸時代の実態について少し述べてみます(ただし、こうした差別は江戸時代以前からあったと考えられています)。
江戸時代までの日本には仏教の影響もあって四つ足の動物を食べる習慣がありませんでした。また、人や動物の死骸に触れることは忌み嫌われていました。
しかし、世の中の誰かがそれをやらねばならなかったのも事実です。例えば道端で死んだ牛馬の処理、死刑に処せられた人の始末、皮製品の製作...続きを読む

Q被差別部落出身者であることは、現在も調査すれば分かるのですか?

被差別部落出身者であることは、現在も調査すれば分かるのですか?


明治期の戸籍には、旧身分が記載されていたことは知っているのですが……

【質問1】現在も調査すれば部落出身者か否かだということが分かるのでしょうか?

【質問2】もし分かるとしたら、それはどういった事由から分かるのですか?(戸籍などの書類・氏名・出身地区などから分かる?)
よろしくお願いします。

(注:私は差別撤廃推進論者です。ただ単に詳しく知りたいと思って質問しております)

Aベストアンサー

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

>>【質問1】現在も調査すれば部落出身者か否かだということが分かるのでしょうか?

「部落」がどこにあったかは、今でも調べようとすれば調べられます。
そして、その土地に代々住んでいた・・・と、なると、「部落出身者」ではないか・・・との推測がされます。

>>【質問2】もし分かるとしたら、それはどういった事由から分かるのですか?(戸籍などの書類・氏名・出身地区などから分かる?)

「戸籍法」明治4年4月4日大政官布告第170号・明治5年2月1日施行。では、ご存知の通り、「非人」「えた」などの人たちを「新平民」と記載されたことは、すでにご存知かと思います。
この通称「壬申戸籍」は、村役場などでも、「新平民」の欄に「付箋」を貼ったり、折込をしたりした時代がありました。
そして、昭和45年まで、誰でもが自由に「閲覧」できました。
また、部落の所在地を一覧表にしたような本も出版されており、銀行や大企業などは、それを購入して、部落民かを判断し、戸籍を提出させて就職の際の合否などを決めていました。

しかし、「平等」という言葉が浸透するようになり、昭和45年に「壬申戸籍」は、各地の法務局の金庫に「永久封印」されました。

それでも、昭和45年までに、銀行や大企業などでは、「部落一覧表」のようなものを購入しており、壬申戸籍の封印と一覧表などの発行停止はされましたが、多分に、銀行や大企業などの本棚には残っている、と思われます。つまり、そうした書籍の「廃棄」までは、法律は定めていないからです。

「漏れる」とすれば、そうした企業や、極端に言えば、歴史学者なども考えられます。

私も、職業柄?全国とまではいきませんが、今、居住している県内の資料は持っています。
もちろん、私は「口が裂けても」公表したりはしませんが・・・。

東京の都会あたりでは、人口の流出入があり、どこの地域かは多くの人はしりませんが、農村部などでは、依然として、口伝えで「ああ、あそこの部落は・・・」などと、代々伝えられたりしています。

また、自ら名乗る人もいるくらいですから、中々難しい問題ですね。

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

>>【質問1】現在も調査すれば部落出身者か否かだということが分かるのでしょうか?

「部落」がどこにあったかは、今でも調べようとすれば調べられます。
そして、その土地に代々住んでいた・・・と、なると、「部落出身者」ではないか・・・との推測がされます。

>>【質問2】もし分かるとしたら、それはどういった事由から分かるのですか?(戸籍などの書類・氏名・出身地区などから分かる?)

「戸籍法」明治4年4月4日大政官布告第170号・明治...続きを読む

Q同和出身を調べる方法

自分を調べたいのですが、同和の出身って、どうやって調べるのでしょうか?

私は、バカなせいもあり、同和という言葉を知ったのは22歳の社会人になってからでした。
当時、会社の先輩に、「部落のこと、本当に知らないの?」って、天然記念物のように見られました。

義務教育では同和のことを教えませんよね?(私がバカだから忘れてるかもしれませんが)

さて、本題に戻りますが、私は同和地区があったことは知ってます。(今でも名残りとしてあるのかな?)

私の父方の祖父は島根県から東京に転居し、その後に栃木県で落ち着きました。
父方の祖母は、たぶん栃木県の出身です。

母方の祖父と祖母のことは、よくわかりません。

私の父と母は、栃木県の出身で、栃木県で生活をしていましたが、私が幼い頃に2~3回の転居があります。

以上のことから、転居を繰り返せば、その血筋には同和出身者がいたことを隠せると思いますし、子供に余計な心配をかけなくて済みます。

しかし、私は、もう大人なので本当のことを知りたいのです。自分のルーツというものを。

実は、本籍地が移り変わった栃木県、島根県の役所に行き、父方の戸籍も100年前くらいまで遡って調べたことがあります。しかし、その戸籍には、同和とか書いてなかったです。
まあ、ようは、それくらい、気になるのです。

別に私は同和出身だって、かまいません。
そういう人でも、経済界や政界で、とても立派な人はいます。

なんでも良いのでアドバイスの程、宜しくお願いします。

自分を調べたいのですが、同和の出身って、どうやって調べるのでしょうか?

私は、バカなせいもあり、同和という言葉を知ったのは22歳の社会人になってからでした。
当時、会社の先輩に、「部落のこと、本当に知らないの?」って、天然記念物のように見られました。

義務教育では同和のことを教えませんよね?(私がバカだから忘れてるかもしれませんが)

さて、本題に戻りますが、私は同和地区があったことは知ってます。(今でも名残りとしてあるのかな?)

私の父方の祖父は島根県から東京に転居し、その後...続きを読む

Aベストアンサー

戦時中までは、水平社が部落解放運動をしていました。
   
全国水平社が、東京の大塚に本部を置きました。
   
ところで、地方によっては、逆の差別があったりして、差別を受けたからと言って、統一の取れた差別は在りません。江戸幕府が、寺社を取り締まっていたからです。
大体は、キリスト教が被差別に入り込んだので、その信者一族が被差別だったりします。
戸籍にチョンと点が打ってあれば、それがしるしだったのですが、戦後の国憲で差別を禁止したので、今は作り変えているのではないでしょうか。
国憲で門地の別とか、思想を自由化したので、現憲を維持すれば、差別はありません。「……」童子とか、昭和天皇の大葬の時には、表に出ましたが。八瀬童子だったかな。

Q部落の人は育ちが悪いのですか?

部落の人は育ちが悪いのですか?

母の家庭の育ちが悪いように思います。
具体的には、兄弟が多いのですが、学歴、学力が極端に悪かったり、
娯楽の話題が低俗だったり、
母は人(主に父など)のお金を盗むことばかり考えています。
それとは逆に娘の私には良い暮らしをさせようと必死になっている傾向があります。

母の実家の場所をネットや古地図で調べると
都内ですが部落の地域でした。

差別をする意図はないのですが、部落の人とは
えた、非人のような育ちという事なのでしょうか?

Aベストアンサー

部落の人とは、おおよそ先祖がえた、非人であることを指します。なので、そこらへんの認識は正しいです(元犯罪者とかも入りますけどね)。
育ちが良いか悪いか、という質問に対して答えますと、平均すると悪い方が多いです。
別に先天的に人間が悪いのではなく、部落の人々は過去に劣悪な環境に押し込まれ、その環境が現代に続いていることが多く、そのため育ちは悪くなりがちです(悪い環境とは狭い地区に家が固まっているなど。今でも改善できていない地区は多いです)。私は仕事柄、部落の方々と接触することが多いですが、立派な方もいますし、常識のない方もいます。ただ、それでも平均値をとれば育ちは良くはありません。
なので回答は、育ちは平均値をとれば悪い、ということになります。
けれど「部落の人だから」という理由で悪いと決まったわけではないので、よく付き合うことが重要だと思います。
それでもダメな人だと思うなら距離をあけるのもいいでしょう、でも、それは部落以外の人にも言える話です(母親は別ですが)。
なので、部落など気にせず、ダメな人はダメ、良い人は良い、と考えて人間関係作っていけばいいんじゃないでしょうか。

部落の人とは、おおよそ先祖がえた、非人であることを指します。なので、そこらへんの認識は正しいです(元犯罪者とかも入りますけどね)。
育ちが良いか悪いか、という質問に対して答えますと、平均すると悪い方が多いです。
別に先天的に人間が悪いのではなく、部落の人々は過去に劣悪な環境に押し込まれ、その環境が現代に続いていることが多く、そのため育ちは悪くなりがちです(悪い環境とは狭い地区に家が固まっているなど。今でも改善できていない地区は多いです)。私は仕事柄、部落の方々と接触すること...続きを読む

Q同和地区?

部落や同和地区について、無知なものです。

私に彼氏が出来た時から頭の固い父は
私に「同和地区の男との結婚は許さん」
と言います。

私は生まれも育ちも関西です。
中学くらいのときに、家は「真言宗だ」と聞かされ
お前はお寺の住職の曾孫、◯◯家(名字)の血を汚すことがあれば縁切りだ
とも言われ続けてきました。

関西には、まだまだ部落差別がたくさんあります。
私は無知ですが。

本当なのかは知りませんが そういった地区の場所には

神社?があり、家の玄関がそっちを向いている
家と家の距離が近い(屋根がひっつくほど)
道が狭い(車一代分)

と、言います。

宗派(宗旨)からも分かる

と言います。

今は、大学生なのですが、
高校の時から付き合ってる1つ下の彼氏がいます。

彼氏は、同和地区が多い 市 に住んでいて
父は宗旨を聞いてこいといいました。

そして家周辺も見に行かされました。(父同伴)

そして見に行ったところ「やめとけ」の一言で片付けられました。


私はそれでも別れなかったのですが
ある日その言葉においつめられ
「もぅ疲れた」といい別れを告げ別れたのですが、
彼は、それでも私が好きだと言ってくれ
私も嫌いになって別れたわけではないので
また付き合いはじめました。

もちろん父には内緒です。母には言ってますが。


今の彼氏と、結婚することは出来ないのでしょうか…

また、そういった地区出身だと彼の口から聞けるのでしょうか?
調べ方などはあるのでしょうか…


好きな人を悪く言われたくなくて

いつも苦しいんです…


話がまとまってなくてすみません

部落や同和地区について、無知なものです。

私に彼氏が出来た時から頭の固い父は
私に「同和地区の男との結婚は許さん」
と言います。

私は生まれも育ちも関西です。
中学くらいのときに、家は「真言宗だ」と聞かされ
お前はお寺の住職の曾孫、◯◯家(名字)の血を汚すことがあれば縁切りだ
とも言われ続けてきました。

関西には、まだまだ部落差別がたくさんあります。
私は無知ですが。

本当なのかは知りませんが そういった地区の場所には

神社?があり、家の玄関がそっちを向いている
家と家の...続きを読む

Aベストアンサー

 部落差別はなくなりません。

 部落差別がなくなると、困る人がいるのです。
 被差別部落に住んでいるという事を強調して、自治体から金をもらっている人たちがいるのです。
 特定の地域を優遇するよう自治体に圧力をかけている団体があるのです。

 最初は、差別をなくすための活動をしていたのかもしれません。
 でも今では、差別をネタに国民の税金を巻き上げることしか考えていません。
 差別はいけない、と叫ばれて何十年も経つのに、いまだに差別がなくならないのは、他ならぬ差別をなくそう!と主張する人たち自身が、既得権益、つまり救済と称してカネをもらえる状況を維持したいと考え、そのための広報活動、「差別がまだまだ世間にあふれているから、被差別部落を救済しろ!(カネで!!)」と叫ぶ活動を継続しているからです。

 彼らの性根には、自分ではなにもせず、他人の金で楽して暮らすという発想しかありません。
 せっかく手に入れた金づるを失ってたまるか、と考えているのです。

 そんな現状を打破するために我々がするべきことは、出自に関係なく人と接し、いまだに出自に拘って彼らの既得権益を守ってやろうと無意識に画策する旧世代を説得し、古き悪しき慣習を打ち破ることです。

 人間の価値は生まれで決まるのではありません。
 過去で決まるのでもありません。
 これから何を言い、何をするかで決まるのです。

 その人を見極め、信頼するに足る人ならば、他の一切を振り払っても共にいたいと望めるような人物ならば、全ては2人が決めることだと思います。
 確かめたければ、直接聞きましょう。
 厳しい現実を、真実を語ってくれる相手ならば、信ずるに値するかもしれません。

 差別をなめてはいけません。
 差別との戦いは壮絶で、陰惨で、神経をすり減らします。
 それなりの覚悟が必要です。

 部落差別はなくなりません。

 部落差別がなくなると、困る人がいるのです。
 被差別部落に住んでいるという事を強調して、自治体から金をもらっている人たちがいるのです。
 特定の地域を優遇するよう自治体に圧力をかけている団体があるのです。

 最初は、差別をなくすための活動をしていたのかもしれません。
 でも今では、差別をネタに国民の税金を巻き上げることしか考えていません。
 差別はいけない、と叫ばれて何十年も経つのに、いまだに差別がなくならないのは、他ならぬ差別をなくそう!と主...続きを読む

Qえた・ひにんについて

私たちは今、同和問題について話しあっています。
そこでいくつかわからないことがあったので、知っている方がいましたら、
ぜひ教えてください。

・「えた」「ひにん」とありますが、江戸時代に、どんな基準でその人たちは
 決められたか

・現在、実際に部落問題で差別を受けた例などがありましたら具体的に教えて
 ください。

同和問題を学ぶといっても、実感がわかないことが多いです。
私にとっては、本当にそんな差別があるのかすら信じられません。
みんなが正しいことを学べるようにぜひ教えてください。

Aベストアンサー

「穢多」「非人」に関しては、様々な学説が有ります。
現在も、「被差別部落」をめぐる研究が日々行われており、基本的にはその研究結果を待たなければなりません。

大雑把に言って、
「エタ」「非人」-「被差別部落」の歴史は、明確な範囲で言えば「平安朝」までさかのぼれます。
「myau」さんが参考URLに挙げられた、ページでも「かわた」の事が書かれていました。
当時すでに、「牛や馬などの死体処理(myauさん)」を生業としている人々が、存在しています。
この仕事は、水が必要になりますので「川」のそばに居を構えていました。
また、処理した(基本的には、志望した牛馬の埋葬など-病原菌の発生予防など-。その際、肉の解体などが行われた)後に残った肉と「皮」の加工もしていた。
「川」と「皮」のどちらかが、「かわた」の語源らしい。
当時、すでに生産活動から離れていた貴族層は、人間の埋葬も彼らに依頼したみたいです。
貴族層にとっては、「死」は忌む事で、「穢れ」であり、その処理に従事する人々は、「穢れ」た存在として忌み嫌われて、また、恐れられていました。
ですが、動物であれ、人間であれ「死」は避けようの無い現実であり、彼らの存在は必要とされていたのです。
それゆえ、近くには居て欲しくないが居なくては困るので、一定の距離を保った地域を「居住地」として定め、移動を禁止しました。
此れが、「部落」の起源。
その後、身分制度が確立した際に、幕府は彼らの存在を利用したわけです。
ですから、身分制度によって「穢多」「非人」が作られたのではなく、制度に「組み込まれた」というのが、事実に近いと思います。

さて、彼らがどのような経緯をもって皮加工の技術を習得したのか、また、その先祖はどんな存在なのかは、様々な説があり、確定しているものでは有りません。

「穢多」「非人」に関しては、様々な学説が有ります。
現在も、「被差別部落」をめぐる研究が日々行われており、基本的にはその研究結果を待たなければなりません。

大雑把に言って、
「エタ」「非人」-「被差別部落」の歴史は、明確な範囲で言えば「平安朝」までさかのぼれます。
「myau」さんが参考URLに挙げられた、ページでも「かわた」の事が書かれていました。
当時すでに、「牛や馬などの死体処理(myauさん)」を生業としている人々が、存在しています。
この仕事は、水が必要になりますので...続きを読む

Q最初の天皇はなぜ誕生したのか?

初代天皇は、どういう経緯で出来たのですか?
神武天皇は、国王(日本で一番偉い人)みたいなものだったのですか?

Aベストアンサー

実はそのことについてわからないので困っているんです。
というのも3世紀に活躍したとされる邪馬台国の卑弥呼という女王の解釈により、最近では神武天皇でさえ紀元前660年前の人物とすることには異論がありながらも、その存在自体はありえて、だからこそ正史である『日本書紀』に記載されているのでは?といった論調もあります。
神武天皇そのものというより、神武の伝承として伝わる物語の核になる史実が存在した。それは現存はしていませんが『日本書紀』編纂の主な材料となりえた『帝紀』などに書かれていたのであろう。と予測する立場があるんですね。
ですから国家や天皇の成り立ち自体はよくわかっていない中で、神話などの古伝承から国家や天皇の成り立ちを整合性を以って説明できるのでは?と目下奮闘中といった人々もいる。とのあり方が現況では一番進歩が見られるスタンスであり、逆にそのような暗中模索な状況こそが、現在の学界における日本国家成立の研究、ないし天皇支配の淵源の研究などの現状だと思います。

そして天皇(大王)を中心とした国家といった概念が表れたであろうとされるのが、いわゆる4世紀の古墳時代と呼ばれる時代であったことは、考古史料から、特に前方後円墳などの規格性の強い墓制の出現で見当がつきつつあるのですが、そこの詳しい実態は、日本はもとより、3世紀段階における日本の国情を伝えた古代中国の史書などが4世紀時点ではないためよくわからないんです。いわゆる「謎の4世紀問題」ですね。

いずれにせよ『魏志』倭人伝などの記述から、卑弥呼が活躍する前後(3世紀)にあっては「倭国大乱」と評価できる内戦状態が、その規模は別として事実あったのでしょうね。もちろんその戦闘状態は天皇の出現と無関係であるとも思えないんです。その様な中、詳しい経緯はわかりませんが、倭国大乱と呼ばれる混沌とした戦乱の世にあって、統一的国家としてのヤマト政権を樹立するだけの武力ないし交渉力が、4世紀段階における天皇(大王)の祖先にあったことは疑う余地はないのかな?と思いますし、考古史料などが語る結果から帰納法的に糸を手繰りつつ明らかにしようと試みている、3世紀から4世紀にどのような経緯で歴史がつながるのか?といった問題は、識者はもとより僕に限らず古代史に興味を持つ者が一番知りたい部分なのです。

ですから率直に申し上げれば「初代天皇は、どういう経緯で出来たのですか?」という質問については「こっちが知りたい部分です」といった頼りない回答になり、せっかくのご質問に明確にお答えできないことを心苦しく思いながらも、現状をご理解いただければありがたいと思う次第です。

実はそのことについてわからないので困っているんです。
というのも3世紀に活躍したとされる邪馬台国の卑弥呼という女王の解釈により、最近では神武天皇でさえ紀元前660年前の人物とすることには異論がありながらも、その存在自体はありえて、だからこそ正史である『日本書紀』に記載されているのでは?といった論調もあります。
神武天皇そのものというより、神武の伝承として伝わる物語の核になる史実が存在した。それは現存はしていませんが『日本書紀』編纂の主な材料となりえた『帝紀』などに書かれていたの...続きを読む


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