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回答のほうは常連ですが質問するのは初めてです宜しくお願いします。
「私は何も考えないであたまを真っ白にする特技があります」
この挨拶で始まるとっぴな回答もご覧になった方も多いと思いますが、私の場合どんなにつらくても自らを救うことを諦めきれたことはありません。
多分人間の本性として誰もがそうだろうと思います。
そうすると大乗仏教でよく使われる「仏の慈悲にすがる」と言うのがそれだけでは納得できないのではないかと考えました。
仏教の経典と膨大な研究成果は尊敬に値するものでして、その中には「仏の慈悲にすがる」についてとりすがりの拝み屋根性とは違う確かな知的理由があるのではないかと期待しています。

私は哲学にも宗教にも素人ですので判り易く平易な文章でのご回答をお願いします。

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A 回答 (19件中1~10件)

愚見ですが返答させていただきます。



質問者さんが、私の身近にいたら、よき友達になれそうな、面白そうな方だな。
とかおもいいつつの返信です。

結論からいいますと、他を救済することが、自己を救済することと
変わらないからです。

一即一切 一切即一 という言葉があります。
仏教の方では、自己とは何かを極め尽くすものです。

それが、悟りとも見性ともいいます。
悟りとは何も特別なことではなく、当たり前のことを、当たり前と知ることです。

冬が来たら、寒くてよろしい、夏は暑くなってよろしい、
当たり前のことが、あたりまえである道理を悟るのが見性とも、悟りともいわれるものでございます。

質問者さんの質問を伺いますと、仏教は、自分よりもまず、他人を優先しなさい、といういことへの違和感に感じますが、

他を優先して、自分は後から付いて行きなさい的な考え方は、
仏教の中でも、儒教よりな考え方でありまして、

本来の仏教は自己の救済(自己とは何かを明らかに見ることが大前提です)が目的です。

わかりづらいかとは思いますが、仏教では、自己と他己との間に隔てがないので、他人を救済することが、自己の救済になる。
つまり、自己の救済の否定にならないのです。


8万4千の方便(例え)を用いて、説かれている仏教ですので、
中には、矛盾するように聞こえる内容もあるのです。


仏教は、対機説法ということを用いまして、釈迦が説かれた、真実です。

釈迦は、40年、数百、数千人の人にその人に応じた話し方でお話ししたかたです。
中には、わかりやすいように、例えを用いて、簡素に話されたこともありましょう。

その内容が、すべて弟子によって記録されて経典なっています。

ですので、矛盾を覚えることもあるとは思いますが、究極において釈迦の説かれた真実は
ひとつです。

他は自己であり、自己は他である。

つとめて、自己を明らかに見なさい。
そうすれば、自己は全世界と知ることができる。

ということです。

現在、さまざまな、仏教解釈がありますが、それは
「分け登る 麓の道は多かれど 同じ高嶺の月を見るかな」
という歌が示すように、
山の8号目あたりで、議論しているに過ぎません。
山頂まで極めつくせば、解釈は統一されます。

極めつくせば、他の救済も自己の救済も同じことであるから、
自己の救済の否定にはつながらないのかとおもいます。
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この回答へのお礼

ご回答の内容はすなおに受け取れました。
ありがとうございます。
異論もなく信仰を表ざたにすることのなかった平凡な私としては新鮮なご説明ばかりです。
「無心」とならば自信を持っていえる私も「無の境地」はしらないんです。
そんな中で時をリ「無心」すら破られる現象にこまっております。
その原因から対処すると孤独でなければいけないと言う危険な考えが浮かびます。

お礼日時:2008/07/20 02:53

> ご意見は了解しました。



 意見の部分「は」了解したということですが、さて、単なる事実の指摘の部分は了解できたんでしょうか?
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この回答へのお礼

そのつもりです。

お礼日時:2008/07/22 12:31

> これは行っておいたほうがいいのではないかと思ってコメン


> トしますが、私は論戦など仕掛けていないんです。

 後述しますが、私が論戦をしかけていると思い込んでいるのですね。
 その認識がまず誤りですから、改めましょう。

> ここはGOOですから普通に自分の疑問に答えてくれる回答
> 者を募集しただけです。

 その意味であれば私は、要約すれば「あなたの疑問は、出発点がゆらいでいるゆえ、成立していない疑問である」というきわめて正しい回答を出しているのですが、その点は理解しているでしょうか?

> 要するに中学生でもわかるような大乗仏教をお願いしたので
> すが、どのようなおつもりで中学生にもわかる言葉が出ない
> のでしょうか。

 私の回答は、中学生には分からないと?
 中学生を舐めてませんか。
 「中学生にもわかる言葉が出ない」と断じる根拠は何なのでしょう?
 多少の固有名詞はともかく、私が述べている日本語は、中学生でも十分に読解できるレベルです。

> 中学生は反論すらしないことをわかって食って掛かったのですか。

 何か、妄想を抱いていませんか?

> 論戦を仕掛ける以外の意図があったのならお聞かせ願いたいです。

 はあ、「私が」論戦を仕掛けていると言いたいのですね。
 私は最初から今まで回答する意図で回答・補足要求を書いています。そして、それに対するあなたの反応の結果、あなたの質問がおかしいことが判明したので、一段下がって回答のための前提である「質問が質問として成立していること」をあなたが整理すべきことを「回答」しているのですが、理解できていますか?

 「リンゴとバナナ、どちらがミカン?」と問われて「質問が成立していない」と指摘するのと変わりません。

> 質問者様の対応は私には最初から批判的(むしろ否定的とも
> いいますが)であり、切れて叱り飛ばしているようにもお見
> 受けします。

 それについての私のスタンスは No.6 に既に示した通りです。が、あなたが「そう思わない」と言い張るのなら、私としては「ご自由に」という回答になりますね。

> 自らに劣情を内包しているゆえとまで行ってくれましたが自
> らの行いに自覚が足りないかのようにお見受けします。

 誰が「劣情」なんて言っているのですか?
 その単語、この QNo.4189510 において、あなたが今初めて使っているのですけど。

> ここまで行ったらいいすぎですが、「私は仏を信仰しない」
> との返礼は質問者様の言う仏は信仰に値の意味ですよ。

 自分に「様」を付けるのはどうかと思いますが、それはともかく、あなたがあいまいな認識に基づいて「自己の救済の放棄に繋がる」なんて失礼な思い込みをしている状態では、信仰に値しないと思っても不思議はないでしょうねえ。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
ご意見は了解しました。

お礼日時:2008/07/21 18:55

大乗仏教は昔の聖人たちが苦労して理論体系としたものですから、中学生にわかる説明というのは、少々無理かと思います。

年齢的にも、最低で20代~30代の人生経験がいるのではないでしょうか。しかしながらキーワードと指摘しました「色即是空」でネット検索すると以下がヒットします。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1933274.html?ans_cou …
>「色即是空」とは、「全ての形あるものや現象(色)はそれ自体では存在せず、互いに依存する関係の上に成り立っている」という思想で、仏教の根本思想に位置づけられています。ですから、仏教では「縁起(他との関係が縁となって生起すること)」を大切にしています。

この空思想は、虚無や幻想と勘違いされるおそれがあり、理解が難しいのは当然のことと思います。(私も正しく理解できているかどうか自信がありません。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA_%28%E4%BB …

ちなみに、オリジナルの般若心経はサンスクリットで書かれており、鳩摩羅什(くまらじゅう)がこれを漢訳して「色即是空」という訳を作ったそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A9%E6%91%A9% …

お子さんに説明するのでしたら、
「色即是空というのは、『この世のすべてのものは(人も動物も虫も草も)お互いにつながりを持っているからこの世にあるんだ』という意味だよ。お互いにつながっているんだから、むやみに殺したり、壊したりしてはいけないよ。」と説明するのはいかがでしょうか。

「唯識」や「大乗仏教」でもネット検索することをお勧めします。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
助けになります。

お礼日時:2008/07/21 18:57

> 中学校で習ったことは別に忠実に憶えているわけではないです。



 要するに、ろくに覚えても居ない内容に基づいて「いわゆる大乗仏教全般」なんて大見得を切ったわけですよね。その結果がもたらしたみっともなさは、もう十分理解しているでしょうから、それを今後の人生の糧にしましょう。

 まあ、大見得を大見得のまま維持すべく、中学校で習った内容を確認するのも良し、大見得を(どんな形でかは知りませんが)撤回してしまうも良し。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
これは行っておいたほうがいいのではないかと思ってコメントしますが、私は論戦など仕掛けていないんです。
ここはGOOですから普通に自分の疑問に答えてくれる回答者を募集しただけです。
要するに中学生でもわかるような大乗仏教をお願いしたのですが、どのようなおつもりで中学生にもわかる言葉が出ないのでしょうか。
中学生は反論すらしないことをわかって食って掛かったのですか。
論戦を仕掛ける以外の意図があったのならお聞かせ願いたいです。
質問者様の対応は私には最初から批判的(むしろ否定的ともいいますが)であり、切れて叱り飛ばしているようにもお見受けします。
自らに劣情を内包しているゆえとまで行ってくれましたが自らの行いに自覚が足りないかのようにお見受けします。

ここまで行ったらいいすぎですが、「私は仏を信仰しない」との返礼は質問者様の言う仏は信仰に値の意味ですよ。

お礼日時:2008/07/21 16:01

> お叱りはごもっともです。



 私は叱ってなどいません。
 が、あなたがそう受け取ったということは、あなたの内部には叱られて然るというやましい思いがあるということですね。それは、改めましょう。それが何なのかは、私は知りませんが。

> では中学生にもわかる大乗仏教は無いのでしょうか。

 「では」が繋がっていません。従って、以降の文言は意味を失います。
 ここで「では」を使うには、「大乗仏教は中学生には分からない」という主張を誰かがしていることが前提として必要ですが、誰もそんなことを言っていません。

 ともあれ、あなたがすべきことは、あなたが「中学時代に習った」と言った内容を具体的に確認し、それが本当に「大乗仏教一般」と言えるかどうかを確認することです。

 私が見るところ、それは厳密には大乗仏教ではなく、日本仏教のごく一部となるでしょう。その結果、「いわゆる大乗仏教全般が」という立論自体を見直す必要が出てくるはずです。
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この回答へのお礼

ご協力ありがとうございます。
中学校で習ったことは別に忠実に憶えているわけではないです。
世の中にそんなことがあると知ったまでです。
他の方のご回答で自分の救ってもらってる立場と言うか姿勢に偏見があったのが判りました。
「自助努力」であまりにも気負いこんでいたと言うことです。

お礼日時:2008/07/21 00:16

こんにちは。

マリア・フワポヨです。

哲学については全くの素人なので他の方の回答がよく理解できませんし、トンチンカンな回答になると思いますがよろしいでしょうか。

私の場合もどんなにつらくても自らを救うことを諦めきれたことはありません。これがすなわち、如来の慈悲によると認識しております。因縁因果・縁起の法則によれば自分の力なんかではありません。

自分の力はたかが知れてます。しかし仏の慈悲に“すがらされる”ことにより、全てが叶うような気がします。
「仏の慈悲にすがる」のも、必然的に強制されていると感じます。
仏さまに。
それは、自分の中に“仏性”があるからです。

仏教の大切なところはそれに気が付くことです。

素人なのでそれ以上のことはわかりません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
新鮮な視点ですね。
理解可能で楽しいです。
他の方へのご返事とも共通しますが「理解できました」が私も精一杯なんですよ。
それでも偏見が直っていくのが判りますし自分の意見に固執する必要もない。
私はどこか自分の正気かどうか自覚に乏しいところがありましてこうして理解できているだけで楽しいです。

お礼日時:2008/07/20 21:22

個人的な解釈を含みますが、「仏の慈悲にすがる」ことというのは、大乗仏教の核心ではありません。

核心的でないことを問題にしているのだとすれば、以下を無視してください。

大乗仏教という言葉は般若経に初めて出てでてくる言葉です。般若心経の核心は色即是空であり、高度に哲学的な存在論であります。http://www.e-sogi.com/arekore/kyo1.html 

それは、一説には唯識学派で大成されたとされます。この思想の系譜は仏陀たちを悟ったものたちとして尊敬している一方、「仏の慈悲にすがる」といった宗教的な色彩は非常に弱いと考えます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
今回の質問の趣旨は「私は明らかに大乗仏教を誤解しているのでどうにかしたいと思ってます。」といった意味でご意見は非常に参考になります

お礼日時:2008/07/20 21:17

・あなたが「大乗仏教一般」と呼ぶ相手として具体的に想定している宗派なりお寺なり個人なりを示してもらえますか。



> 中学校の頃学校の授業で習った大乗仏教です。
> 日常で大乗仏教を持ち出したことはありません。

 私は、あなたが中学校で何を習ったか知りません。
 答えになっていませんが。

 もし、そもそも覚えていないのなら、まずその点を調べて確認して具体化しましょう。そこから出発しなければ、あなたの疑問はそもそも成立しないのですから。
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この回答へのお礼

お叱りはごもっともです。
では中学生にもわかる大乗仏教は無いのでしょうか。

お礼日時:2008/07/20 18:36

 質問の内容を読んでいてなんとなく、思う所があるので少しばかりお話しさせていただきます。


>>「私は何も考えないであたまを真っ白にする特技があります」この挨拶で始まるとっぴな回答もご覧になった方も多いと思いますが、
 なかなか面白い特技ですね。仏教には「空」といわれたりする境地がありますが、明治の曹洞宗の僧侶である種田山頭火(ラーメン屋さんの名前ではありません。)という方は「無にはなれても、空にはなれない」とおっしゃっています。この言葉は、人間とはすべての者を捨てきっても無にはいたることはできても、すべての執着を離れ、捨てたということも捨てて空になるということは非常に難しいことであると思います。すべての者を捨てきった三頭火上人だからこその言葉でしょう。
 

>>そうすると大乗仏教でよく使われる「仏の慈悲にすがる」と言うのがそれだけでは納得できないのではないかと考えました。
 これに関しては、仏教自体がお釈迦様の慈悲にすがる行為であるともいえますよ。お釈迦様は菩提樹の下で成道されました。そして、この悟りを誰にも説かずに悟りの境地を楽しみながら、入滅してしまおうとお考えになっていました。そこへ、梵天という神様が現れお釈迦様にその悟りの境地を皆に説いてくださいと頼まれます。そうした梵天の頼みによって、お釈迦様は五比丘の元へ向い初転法輪(初めての説教)となるわけです。
 この梵天勧請のお話をお釈迦様の心の中の葛藤としてしまえばそれまでですが、出来上がった説話だけ見てみると、お釈迦様としては成道してすぐには悟りの境地を人に説くという事は考えてにはいっていません。ということは釈迦様の「悟り」の境地には、他者に教えを説く、もしくは他者を救済するという要素は含まれていないことになります。
 しかし、梵天勧請によってお釈迦様の中に「悟り」とはまた違った要素が与えられます。それは、他者に教えを説き、他者を救済するという要素です。それを仏教的に言えば「慈悲」や「大悲」と表現するものといえるでしょう。梵天勧請以後のお釈迦様の中には「悟り」と「慈悲」という二つの異なった理念をもって行動されます。しかし、結果を見てみれば「悟り」と「慈悲」は異なる境地であるかもしれませんが、そこに矛盾がなかったからこそお釈迦様はそれを一生涯続けることが出来たとも考えられます。
 つまり、仏教自体がお釈迦様の慈悲の現われであり、それを信仰することはお釈迦様の慈悲の心にすがる行為にもなると思いますよ。


>>仏教の経典と膨大な研究成果は尊敬に値するものでして、その中には「仏の慈悲にすがる」についてとりすがりの拝み屋根性とは違う確かな知的理由があるのではないかと期待しています。
 なんとなくこのあたりには大乗仏教のなかでも、阿弥陀仏の信仰に対する疑問のようにも感じました。「南無阿弥陀佛」と称えれば、阿弥陀仏のお慈悲のよって救われるという「仏の慈悲にすがり救われていく」タイプの仏教は、確かに従来の仏教っぽくないですねぇ。しかし、質問文の中の「とりすがりの拝み屋根性とは違う確かな知的理由があるのではないかと期待しています。」というのは、どのような理論に基づいているのか?きっと仏教的な理論に基づいておるのであろうという期待が見え隠れしていて嬉しい次第です。
 この阿弥陀仏の信仰はまとめて「浄土教」と表現されます。私もその中でも浄土真宗を信仰しています。さて、浄土教の別名を知っていますか??浄土教は別名「二尊教」と呼ばれます。二尊とはお釈迦様と阿弥陀様という意味です。浄土教はどうしても阿弥陀仏だけが大切なんだと思われがちですが、ちゃんとお釈迦様も大切にするんですねぇ。
 お釈迦様の仏教の基本的なベースには、「自分自身を見つめなおす」ということがあると思います。お釈迦様自身も自分の苦しみの原因を見つめなおして「十二縁起」というものを説かれています。ですからどの仏教でも、自己を見つめなおすということは大切なものになるかと思います。その中でも、人間の暗い部分の直視というものを突き詰めていったのが浄土教です。
 浄土教の中でも最も有名といってもいい言葉が、
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人おや」
という「悪人正機」の根拠となっている言葉でしょう。この言葉は、一般には親鸞聖人の説とされていますが、現在の研究においては法然上人が説かれたもので、親鸞聖人はそれをただ伝えただけとされています。つまり、これは法然上人、親鸞聖人お二人の共通理解ということもいえます。また、親鸞聖人は「正機」ということについて、このようにも述べています。
「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。」
「阿弥陀仏が五劫考え通した本願は親鸞一人のためであった」と、自身こそが阿弥陀仏の目的であることを宣言しています。阿弥陀仏が親鸞聖人を救わんがために本願を立てたのだとするならば、親鸞聖人はまさに「正機」に当たります。ということは、正機である悪人とは親鸞聖人のことであり、親鸞=悪人ということ成り立ちます。親鸞聖人にとって阿弥陀仏の救いの目的(正機)である悪人というは自分の事にほかならないことがいえます。この「悪人」とはどのような意味を持つかというと、親鸞自身が悪人であるという自覚を述べていることからも、ただ単に現代において使用される悪人と言う意味ではなく、自分自身が悪人である事を自覚するからこそ、阿弥陀仏の正機たりえる悪人となるのです。ですから、悪人とは他者を判断する材料ではなく、深い自己反省に基づく自覚ものといえるでしょう。
 私はガンダムも好きなんですが、シャアの言葉に浄土教的な反省法が見えますね。「認めたくないものだな若さゆえの過ちというものは」シャアは自分の若さゆえの過ちを認めているのです。けれども、その過ちを認めたくないと思っている自分がいるということにも気づいている。これは非常に浄土教的な反省法です。それは、親鸞聖人の『教行信証』の中にも
「外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、内に虚仮を懐ければなり」
外側をいくら取り繕おうとも、心の中では違うことを考えている。シャアの言葉を借りれば、「外ではいくら反省しているような顔をしていても、心の中ではそれを認めようとしない自分がいる」ということです。このような心持では悟りなど開けるはずがない。この絶望的とも言える人間の闇の部分への凝視が浄土教の出発点となります。

 このような本来なら自分自身ですら見たくない人間の闇の部分に対しては、浄土教はなすすべなしなのか??いえいえ、そうではありません。ではそれはどのような方法かといえば「受容」です。受け止めてもらうことであると思います。
 乙武洋匡氏の『五体不満足』を読ませていただいたことがあります。乙武さんは生まれた時から四肢切断であったそうで、お母様への配慮から一ヶ月お母さんは乙武さんに会うことができなかったそうです。そして初めての対面のとき、一目見るなり「かわいい」と抱きしめたんだそうです。乙武氏は「この言葉があったから、今後どのようなつらいことがあっても生きていける」と述懐しておられます。そして、「一ヶ月経って始めて私は人間になれた」とも述べています。このような無条件の受容こそが、私達人間の生きる意欲の根源にあるわけです。
 上記したような救われる縁手がかりの尽き果てたかのような自覚を持った悪人はつねにそのような場所を捜し求めていたわけです。そういいった者達が阿弥陀仏の願いに包み込まれていく教えが、浄土教になるのです。「仏に願われている私」親鸞聖人の「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり」という言葉も自分自身の悪人の自覚と共に、「阿弥陀仏の受容」という救いの姿を現したものであるともいえると思います。浄土真宗の釈徹宗氏は「この受容の原理こそが阿弥陀仏の正体ではないか」と述べておられます。
 またしても、ガンダムからの引用でございますが、アムロは最後の戦いの中一人になってしまったと絶望にさいなまれるそんな中仲間達の声が聞こえてくるそして、「僕にはまだ帰るところがあるんだ。こんな嬉しいことは無い」と涙を流すのです。今気づいたんですが、浄土教ってガンダムで説明できたりして(笑)

 つまり、浄土教とは「阿弥陀仏という仏の浄土への受容という姿を現すことで、死への恐怖を取り除き、なおかつ無条件の受容によって生きる意欲を提供する」という脅威のアクロバット的思想を展開したものといえるのではないでしょうか。

 
>>私は哲学にも宗教にも素人ですので判り易く平易な文章でのご回答をお願いします。
とのことでしたので、できるだけ宗教用語のような難しいものは使わない正にしたつもりですが、読みのくいですかね。しかも、ずいぶん熱くなり長くなってしまいました、なお急ごしらえのため誤字脱字乱文どうぞお許しください。参考にしていただければ幸いです。
 合掌 南無阿弥陀佛
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
ご説明はわかりやすく、そして心をいさめる薬効がありました。
他の方のご回答もあって質問の主題にはもうこだわっていません。
貴重なお時間をさいてご回答いただいてありがとうございます。

お礼日時:2008/07/20 18:46

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