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日産のカルロス・ゴーン氏についてお聞きします。
(1)日産はゴーン氏が入るまではどのような状態だったのでしょうか?
(2)どのような業績をあげたのでしょうか?
(3)氏がもたらした価値観とは何でしょうか?

では、ぜひお教え下さいませ。

A 回答 (5件)

では非常に簡単に。


1.深刻な販売不振にも関わらず強固な労組と対立が続き、財務状況が著しく悪化。販売台数国内2番手から3番手に転げ落ちてしまっていた。
2.大胆なリストラ(人件費含む各種コストカット)を行い、5年で財務状況を一変させ、国内2位のポジションにも返り咲く。
3.欧米流の「コミットメント」が有名です。要するに全社員に具体的な達成目標を立てさせ、それを達成出来たか否かで評価をするというわけです。
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1:毎年赤字でメインバンクから支援を打ち切られ、倒産する寸前でした。

累積赤字もとんでもない金額でした。グループ従業員全員が路頭に迷うのは時間の問題でした。

2:単年度で黒字へ転換しました。
もっと凄いのは絶対無理と思われていた累積赤字を解消しました。
創業以来最高の黒字を計上しました。経営という点では天才を通り越して神です。

3:私ごときではわかりません…
「ルノーには発売して欲しいと切望される車種など有りませんでした。
日産にはZを望む声があり、GTRを望む声があります。自動車メーカーとしてこんなに幸せなことはありません」と仰って、実際に両車種を復活させました。販売的にも成功しています。
ただし、日産の生産台数は、日本で第四位まで落ち込みました。
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(1)技術に傾倒したため、技術者の意向で、プラットフォームをわずかの違いで作る、見えない部品のバリ取りなど、無駄が多かった。


また、「銀座通産省」と揶揄されるように、官僚的な体質が強い体質で、デザイン等や会社の方向性の意思決定に問題があった。生産設備については世界でトップクラスであり、ゴーン氏も九州工場訪問時にを立派すぎると言ったほど進んでいた。具体的には混流生産であり、これはトヨタと日産がもっとも進んでいた。(例えば、黄色のマーチ、紺色のスカイライン、緑のキューブと言った順番に生産)
90年代に入ってからも、九州に第二工場、福島県いわき市にエンジン工場等を新設、北海道に国内メーカー最大のテストコースを設置、生産能力や設備を増強したが、需要に見合わなくなり、設備過剰となった。

(2)官僚的な経営体質のため、当たり前の改革が出来なかった事を改革できた。村山工場を例にとっても、内陸で輸送コストがかかり、設備も古く、本来は新設の工場が出来たのだから閉鎖すべきものを、日本人では出来なかった。また、他メーカで当たり前のプラットホームや部品の共有化も進まなかった、こうしたことを改革できた。

(3)個人的には、日産という会社が、極めて日本的な会社であり、当然すべき改革が出来なかったと言う構造が、現在の日本とよく似ているように思われますね。さほど需要がない道路をしがらみで造る、官僚の天下り先を作る。もっと言えば、戦前、負けるとわかった戦争を継続し続け国民の生命財産よりも官僚(軍)組織の論理を優先し、早く和平を行えば東京や広島、長崎の多くの命を失わずにすんでものを、国が倒産しかかり、行き着くところまできて、やっと進駐軍を受けいれ、軍部財閥の解体、民主化等の今から当たり前の改革を行った。日本人は、事なかれ主義、出る杭は打たれる、といった点は現在も変わらず、一つの目標を外部から与えられ解決する能力に優れますが、既得権益が優先され、自身の組織を返みて省くと言う改革能力に劣ります。このことを考えると、バブル後の多くの日本企業が外資傘下になったことは残念ですね。国がIMFの管理下になるような馬鹿なことにならなければと思うばかりです。

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約20年前ですが、ホンダがお酒を飲んで運転しようとするとエンジンがかからない装置を開発して、飲酒運転を無くす試みをしました。


しかし、そんな費用のかかる装置を標準装備にしても必要ない人が殆どです。
仮に飲酒運転を平気でする人が、オプション代を支払ってそんな装置を取付けるでしょうか?
結局モラルや自覚の問題だと分かり、そのままお蔵入りになっていたと思いますが、昨年でしたか確かに技術は進化しセンサーなどの能力は上がったかもしれませんが、そんな装置を自慢げに公表していました。
それを見て、日産は終わった・・もっと違う事でするべき事が山ほどあるでしょう。
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専門外の分野ですが、日産は車の作り方や進む道が最初から間違いだらけでした。

いずれ日産はおしまいになると昔から予想していましたが、ドンドン工場が閉鎖され人員整理に入っていました。
ゴーン氏の詳しい人柄も知りませんが、フランス人独自の感覚で会社の意識そのものを変えようとしたのかもしれませんが、ひどすぎるデザインの車ばかりだったのが、少しは垢抜けたデザインの新車の投入で売上が少しは持ち直したでしょうか、程度に思っています。

しかし、基本的な車のポリーシーや進む道、日本の環境などの適合性を考えると、素人目にも違う方向に向かっています。
デザインも、パッと見は良くてカッコイイからと買いますが、数年で飽きるようなやりすぎのデザインばかりです。

ZとGT-Rなどのように販売台数の割りに車種が多すぎます。

何時までニッサンとプリンスを意識しなくてはいけないのか?

新車発表のゴーン社長の発言には笑ってしまうことばかりです。

ホンダが20年前に試みて無駄と分かった事を今頃試みています。
このまま行けばやはり日産の終わりは近いと思います。

日産が生き残るには、真に今の日本の車社会を理解し、これから向かうべき道を見据える事の出来る社長の早期出現が望まれます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
私がこの質問をさせて頂いたのは、ゴーン氏の手腕にいささか疑問を持っていたからです。
nsan007さまのメッセージは実に歯切れが良くて「なるほど」と感じました。
もうひとつお聞きしたいのですが
>ホンダが20年前に試みて無駄と分かった事を今頃試みています。
とは具体的にどういうことなのでしょうか?

お礼日時:2008/08/03 19:06

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