プロが教えるわが家の防犯対策術!

大学入試・センター試験・模試などには評論文がありますが、自分にはそれらの意義がわからないのです
正直に言って模試等で評論文を読んでいても、「こいつは何を言いたいんだ」「よくこんな無味乾燥な文を書くな」と思ってしまうのです。もちろん著者を軽蔑しているつもりはありませんし、多少は文の内容を理解することが出来ます。
ただ、評論文というのは基本的には自分の考えを主張し、他者に理解して貰ったり、世間に自分の考えを広める事を目的としてると思うのですが、何故に難解な表現ばかりを使い、わかりにくくする必要があるのでしょうか?
普通の人が読んでも、理解出来るような文にしなければ、評論文自体の意味が無くなり、単なる自己満足の文になってしまうと思うのですが、どうなのでしょうか?

A 回答 (3件)

論文の表現が難解になるのは、読み手の誤解を避けるためです。


誰もが理解できる平易な表現というのは、反面で意味が広くなり、人によって解釈の違いが生じる可能性が高くなります。このことを難しく言うと、「言葉の多義性」になります。つまり、意味が曖昧だと自分の都合のいいように解釈しちゃうわけです。
一方、難解な表現の場合は、意味も限定されるので誤解が生じる可能性が低いのです。

言い方を換えると、日常生活で使う平易な言葉を辞書で引けば、たくさんの意味が載っているのに対して、聞いたこともない難解な言葉は、意味が一つか二つしか載っていません。
そこで、特に重要な論点に関して、自分の主張を厳格に伝えるためには、表現が難解になっても仕方がないわけです。
もっとも、平易な言葉に置き換えても十分に真意が伝わる場合に、わざと難解な表現を用いるのは、自己満足の批判を免れないでしょう。

この回答への補足

みなさん回答ありがとうございます
皆さんの意見を聞いて、評論文について大方理解することが出来ました

補足日時:2008/08/05 15:57
    • good
    • 0

評論自体が、必ずしも世間一般に知らしめる事を目的としていないなら?


と考えると判りやすいかも知れません。

例えば映画評論ならば、映画をそれなりに見慣れている人を対象にしているはず。
だから映画の専門用語や特別な言い回しも多用するでしょう。
また、「この映画は面白い」じゃ映画評論にならないでしょう。
「○○が××という部分が他に比べて面白い」という感じで、詳細に(映画の事を知らない人ならその意義さえ判らないような)肝心要の部分を特定しようとすると、それが絶妙になればなるほど表現が面倒なものになるのも判ります。


専門外の人が見れば、意味不明の用語はまるで穴埋め問題のようなもの。
文脈から逆に推測するような形になるので、試験問題=落第者を振り落とす用の問題になりえるってトコでしょう。

逆に専門の人が見れば、専門外の人からすれば意味不明な用語でもスラスラ判るので、何の苦もないという事もあり得ます。



余談。
私はコンピュータ技術が仕事ですが、例えばパソコンが調子悪くて調整した時、調整依頼をしたコンピュータの素人さんが「結局何が悪かったの?」と聞いてきます。
しかし、本当の状態を説明しようとすると、専門用語を避けるわけにもいかず、専門用語を並べれば絶対に相手が理解できないのが火を見るよりも明らかなので説明に詰まります。

ということで真っ先に「どこまで端折れば判ってもらえるか?」という点を考えます。
普通の人が判る表現で留めようとすると「嘘は言ってないけど、真実からどれほど遠いのやら…」って頭を抱えるような状態になります。
でも、そこまでレベルを落とさないと説明できないことは結構多々あります。
    • good
    • 0

評論文は単なる紹介記事でもなく読書感想文でもなく、その事象に感心有る向きに(限定して、と云えるかも知れない)、前後左右古今東西の観点・視点から論評を加え、識者である限定読者の前に論点・問題点を浮き彫りにするという目的で書かれたもの、と云う理解をすれば、その論旨の難解さと他者からみれば独り合点の展開等は肯けるし、決して一般読者レベルの理解を求めて書かれていない、と思えばよろしいのでは。

試験問題とすれば、この様な読み解きにくい評論文を材料にしなければ得点差が出にくいのではないかという、一般論で締め括ります。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!