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日本各地に生物でない物(主に道具類)を「供養」すると言う習慣(「針供養」等)がありますよね。
この様な習慣の起源を御存知の方いらっしゃいますでしょうか?(時期、地方など)
多くの場合、これらの習慣は仏教的な儀式として行われていると思いますが、
仏教の中ではこの様な非生物の「供養」について定義されているのでしょうか?

アイヌ文化でもネィティヴインディアンの文化でも、
長年使用した道具(非生物)に対し儀礼を行うと聴きました。
その様な風習が仏教以前にも一般的に存在していたのか、
あるいは仏教文化と共に持ち込まれたのか、
仏教以前に存在するとすれば、いつ頃仏教文化と一緒になったのか興味を持っています。

A 回答 (3件)

仏教で「供養」は三宝(仏・法・僧)または死者の霊に諸物を供え回向(エコウ)することを意味します。

三宝の一、法の意味として「一切の存在するもの」がありますから、ある意味、「供養」と言う言葉自体すでに非生物を含んだ言葉だと考えてよいのかもしれません。

非生物への「供養」がどうして日本で行われるようになったかについて、僕は勝手に次のように、想像しています。
1.インドで煩悩から解脱することを目的とする仏教が生まれた。
2.中国に仏教が伝わって、儒教の影響を受け葬送儀礼が取り込まれた。
3.葬送儀礼の加わった仏教が日本に伝わり、万物に神が宿ると言う考えとひとつになり、非生物への供養が行われるようになった。

針供養の他には、「橋供養」「鐘供養」などがあるようです。
針供養については参考URLに由来が書いてありますので見てください。

参考URL:http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Suzuran/272 …
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この回答へのお礼

ありがとうございました。大変参考になりました。

お礼日時:2001/02/20 16:15

結論からいえば、非生物を祭る儀礼は仏教以前に存在したと云ってよいでしょう。



森羅万象、万物に生命や精霊が宿るという考えは、現代の主要宗教以前の世界各地に存在したと考えられます。その形跡はインディアン(中南米ではインディオ)や世界各地の僻地に住む民族に残っています。勿論、日本でも形を変えて色濃く残っており、先進国としては珍しいケースと云えるでしょう。ドイツやスイス、北欧などの同じような習俗はきリスト教により禁止され早い時期に姿を消した訳ですが、
一部は姿を変えて生き残っています。(ハロウイーン、クリスマスの樅の木、春の祭礼など)

万物を崇めることを具体化したのが祭りであり祠や大木信仰だと思います。太古から万物礼拝が行われていたらしいことは、発掘された祭祀場跡や祭りの道具、偶像、人形などで考古学的に確認され、現代社会(特に未開の)においては、文化人類学が証明しています。

キリスト教が徹底的に古い習慣を追放したのに比べ、アジア生まれの仏教は各地の
習俗を布教の道具として、積極的に取り込んだのではないでしょうか。厳しい一神教のキリスト教でさえ、布教が遠方に及ぶにつれて人類共通の習俗や願いを無視できなかったようで、イエス・キリスト以外にマリア信仰や沢山の聖人が生まれ、それぞれが何らかの守護神となって庶民の願いを聞き届けています(カトリック)。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。大変参考になりました。
世界的にはキリスト教下で消滅したものが多いのですかね。

お礼日時:2001/02/20 16:24

 仏教渡来以前の民間の物語の集成である古事記に水神とか山あるいは風の神、火の神様の記述がありますので、日本古来の風習です。

仏教の伝来と共に、それが仏教の習俗の様に変化(大国主の命が仏教の大黒天になり、かまどの神となった)した例もありますが、基本的には全てのものに神が宿っていると見ていた日本古来のものです。

参考URL:http://www2.spitz.net/amou-field/kuniumi.html
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この回答へのお礼

ありがとうございました。大変参考になりました。(参考URL面白いですね)

お礼日時:2001/02/20 16:20

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