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美術の「印象派」はどういう経緯で現れたのでしょうか? 当時の時代状況も含めて知りたいのですが--。

A 回答 (2件)

>美術の「印象派」はどういう経緯で現れたのでしょうか?



歴史的な「経緯」に着目すれば、19世紀後半期、サロン(官展)で落選した若手の新進画家たちが旧態依然とした美術界に反発し、1874年に展覧会を開いたときに始まります。
当時、まだ無名だったモネの「印象・日の出」を見た記者がバカにして、展覧会に参加した画家たち(ピサロ、セザンヌ、ルノワール、ドガ等々)を「印象派」と呼んだところ、逆に画家たちの方が居直って、自ら「印象派」を名告るようになったわけです。

ですから、一口に印象派と呼んでも、画家一人一人をつぶさに検討すれば、各人各様でしかないのですが、概してアウトドア(太陽光)指向や従来の固有色に対する拒否の姿勢が認められます。
その色彩理論については、美術入門書や解説書等に任せるとして、素人の私などが思うに、印象派にしても、当時最盛期にあった自然科学主義の影響は否めないと思います。
要するに、視覚的により写実的に対象を捉えようとすると、外界の対象が人間の目に映るということそれ自体のメカニズムを追及せざるを得なくなったということです。

すると、それまで素朴に信奉されてきたような、外界の対象はそれぞれの固有色を持っていて、それを人間が知覚しているという従来の常識が崩壊してしまい、対象固有の色彩なんてウソだ、風景は単に太陽光線を受けてそれを反射しているだけだ、という考え方が生まれてきたわけです。
言い換えますと、人間の網膜が受け止めているのは、実は不断に変化してやまない光の「印象」(impression)でしかないということです。

こういう発想で外界の風景を眺めるようになれば、やはり従来の外界に対するイメージはガラガラと崩壊せざるを得なくなりますよね。
おそらく、彼らの網膜に映った外界の風景とは、もはや固定的な輪郭も色彩も失い、とにかく光の洪水、光の乱舞、光の爆発でしかなかったと思います。

でも、印象派の画家の心中を察するに、彼らが光の魔術に翻弄されているなどとは夢にも思わなかったはずで、おそらく彼らなりに徹底的に写実的であろうと心がけただけとしか考えなかったのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

成程, 言われてみればその通りですね。
各人の意識の違いか--。

お礼日時:2008/08/16 09:44

1.色彩特に光のスペクトルの研究が進みそれまで支配的だった


 配色を用いなくなった。

2.鉛のチューブによる絵の具の販売により戸外での制作が以前より
 容易に出来るようになった。

3.それまで工房による分業制だった制作過程が個人の制作にとどまる
 ようになりより個人の意図を作品に込めやすくなった

4.写真機の登場により画家がより写実的に描く需要が減った。

5.アカデミズムの価値観の支配に反発する勢力の台頭

6.理想美から現実的な写実への移行の過程で発生

7.印象主義画家をセンセーショナル&スキャンダラスにとりあげた
 マスコミによるアジテーションによっての知名度の上昇

8.歴史的絵画からより身近な題材の作品の需要が増えた

9・今までの購買層ではない購買層(アメリカの成金)の価値観に
 合っていた。画商が目ざとくその購買層の開拓をした

(おまけ)社会主義運動による啓蒙のおかげでそれまでの
     支配的価値観や支配階級を否定する下地が出来上がった。
     ブルジョア的な価値観が反映しているものが絵画や美術
     だったから(コレは私独自の予想ですので根拠はナシ)
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この回答へのお礼

当時の絵は歴史的絵画が主流だったんですか--。
「印象派」の運動が流れを大きく変えたんですね。

お礼日時:2008/08/16 09:45

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