プロが教えるわが家の防犯対策術!

ずいぶん前のことですがテレビで100人の高校生に死にたいと思ったことがあるかどうかを聞く企画がやっていました。
結果は100人中半分ぐらいがイエスでした。

衝撃を受けました。

残りの半分は死にたいと思ったことがないということですよね?

わたしはそれまでどんなに明るく楽しそうに生きている人も心の中にはなにかしら大きな悩みを抱えて生きているんだと思っていました。
実はそうでもないんでしょうか。
お父さんとお母さんがいてたまには反抗したり、恋人のことで悩んだり、人間関係で悩んだり、将来のことに不安になってみたり、そんな普通の人生を意外とみんな歩んでいるんでしょうか。

死にたいと思ったことがないという人がどんな人生を歩んできたか知りたいです。

またその他意見などお願いします。

A 回答 (9件)

むしろ自分にとっては半数が「死にたい」と思ったことがある、


という方が意外です。

ただ、「死にたい」というのがどのくらいの重みか、というのは
個々人によっておおきな差があるのではないでしょうか?

本当に、自殺をするための準備をするぐらいの覚悟をもって
「死にたい」と思うのか、単なる現実逃避の一つとして、
「死にたい」という言葉が頭をよぎる程度のものなのか・・・

自分が『「死にたい」と思ったことがありますか?』と
問われたら、前者のイメージがあるので、「ありません」と答えます。
自殺の準備までするほど死にたいと思い詰める人が半数いるほど、
悪い社会ではないと思っているのですが・・・
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

確かに「死にたい」がどの程度かによって結果にばらつきがでますね。


自殺の準備をしたことがあるかと言う問いだったら、わたしは半数でこんなに衝撃は受けなかったかもしれません。

死にたいと思ったことがあるかという問いは奥が深くなかなか難しいものなのかもしれませんね。

貴重なご意見ありがとうございました。

お礼日時:2008/08/09 23:38

No4のものです。

お礼ありがとうございます。
再度登場してすみません。
質問者様は10代でいらっしゃったのですね。
私は21の女です。(10代終えたばかりですが笑)
10代の時って結構そういうこと考えますよね。私もそうでした。
ま、死にたいとは思いませんでしたが…
私って何で生まれてきたんだろうとか、ここから逃れたい、消えたい…とか。ま、どっちかというと私の場合は消えてみたらどうなるのかな~でしたが。
>悩みに対する生きる喜びの存在が大きかったのかもしれないとも言えます。
そうだと思うよ。死にたいって思わない人ってさ。
>だれもが死にたいと本気で思うほど大きな悩みを何かしらかかえてる はずだ、みんな表面では小さな悩みしか言わずに隠しているだけなん だという私の考え方は間違っていたのかもしれません。
間違っていたというよりそうやって隠している人もいれば、表面に出す人もいる。人から見たらすごい大きな悩みでもその人にとってはなやみでなかったり…。皆じゃないってのはいえるけど、別に間違いではないと思うよ。そういう人もいるだろうし。
>たまにその気持ちを死にたいという言葉に置き換えたりもします。
 ただの一種の現実逃避です。
すごい!分かってるやん!
心の中でならいくら現実逃避しててもいいとおもうよ。
実際に死ななきゃさ。

>それとは別に誰にも言えない「死にたい」があります。いや、ありました。
今はないってことかな?だったらいいけど、「死にたい」が今もあるなら、なんか楽しいこと考えよう!いっぱい考えよう!
いじめられて泣いたなら、「涙の数だけ強くなれるよ…」の歌詞でも思い出そう!貴方はきっと以前より強い!
書き込みしてるくらいだから今は大丈夫だと信じているけど…
毎日楽しくね!
では、貴方の幸せな毎日を願って…失礼します。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

再度回答をいただきありがとうございます。

10代って不安定な時期であることもあって自分の存在についていろいろ考えたりしますよね。

わたしの友達にも「消えたい」「生きている意味があるのか」など現実逃避としての死にたいを言う子も少なくないです。

そういう10代らしい普通の悩みでいっぱいいっぱいになっている子をみると言葉は悪いですが少し羨ましい気もします。

いろいろと心配していただいてありがとうございます。

今は大丈夫です。
どうしようもなくなるその時までは死んだように生きようと決めました。
その時が来るのが明日なのか一年後なのか十年後なのかはわかりませんがそれまではたらたらと生きていくつもりです。

質問文には関係ない話になってしまいごめんなさい。

親身なアドバイスが心にしみました。

ありがとうございました。

お礼日時:2008/08/12 07:38

ワタシは一度も死にたいと思ったことはありません。


自分から死のうという意味での「死」のことですよ。
つまり「自殺」と呼ばれる死を考えたことはありません。

いやなことや、つらいこと、生きてることがどうでもいい時、
50年(50代です)以上生きてると、それはいろんなことがたくさんあります。
しかし、苦しさや悲しみ、怒りなどは、匂いと同じで留まらないことを知りました。
もし、匂いが永遠にそこに残れば大変ですよね。
それと同じように、あらゆる出来事は、時間とともに過去へと消えていきます。
死ぬ用意をしているあいだにも、出来事は過去へ消え去ってしまうのです。

ただ、自殺死以外なら、死について考えたことはあります。
とっても天気のいい朝に目覚めて「こんな朝は死にふさわしい」だとか、
バイクで3●●キロ近くスピード出して、小石でもあったら逝ってしまうぜとか、
まあ、死ぬことについての期待ですか?・・・ちょっと違うかも・・

きっとワタシのような人間は、苦しみなどに、まともに立ち向かわないのでしょうね。
ある意味人生をなめてかかっていて、寿命までダラダラと生きる羽目になるんでしょうね。
とっても幸せですけどね。

答えになってなかったかな(笑)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

年の違う方と人生や生命について話す機会がないので参考になりました。

私は今10代です。
たったこれだけしか生きていない私の悩みなんて鼻で笑われてしまうかも知れませんね。

苦しみや悲しみが匂いのように消えていくものだというのにはとても説得力を感じます。

そのことに気付いたら前向きに生きようと思える人も私の世代では少なくないかもしれませんね。


苦しみに立ち向かわずダラダラと生きる人生が悪いものには思いません。

というのもそれが私の理想とする新たな生き方の形だからです。
あくまでも仮ですが。

でもlong-beeさんはとっても幸せと言い切ることができる人生であるので、私と違い、いい意味のダラダラだと思います。

ダラダラというよりもむしろ明日へと繋いで行ける一種の強さだと思います。

生きている人はある程度その要素を含みながら生きているのかもしれませんね。

なんだか話が飛躍してしまい申し訳ありません。

貴重なご意見ありがとうございました。

お礼日時:2008/08/10 19:42

#2、#4の方に同意です。


半数も死にたいと思ってることにびっくりですよ。
1000年くらい生きていたいってずっと公言してましたもの。

高校生の頃なんて彼とデート、学校、資格試験、バイトにイベントに・・・1日が72時間あっても足りない!って思ってたのに。
人間関係や将来のことで悩んで死にたいと思うのはタダの逃げでしょう。
悩まない人はいないと思いますけど、明けない夜はない。
終らないことはないんですよ。改善できるかは本人の努力と運次第。
不運に終った時のこと悩んでも仕方ないです。
終ったことは終ったこととして次へ行きましょう。
生きてればなんとでもできるものですよー。

全然まったく思ったことのない人からの意見でした。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございました。 

実際に死にたいと思ったことがまったくない方からの意見が聞けてとても参考になりました。

質問文にも書いてあるとおり私はどんなに明るく生きているように見える人もなにかしら大きな悩みを抱えて生きているんだと思ってきました。


隠しているから見えないだけなんだと思ってきました。

でもそうではないことがわかりました。

何事にも前向きに今を精一杯楽しんで生きている人は存在するんですね。

そういう人と実際に出会えて今すごく新鮮な気持ちがします。

どんな環境でどんな人生を歩んでこられたのかとても興味があります。


貴重なご意見ありがとうございました。

お礼日時:2008/08/10 19:13

こんばんは。


私も「死にたいと思ったことがある」ので、半数というのは意外でしたね。
「死にたいと思ったことがない」人がどんな人生を歩んできたのかはわかりませんが・・・
すごく恵まれていて、「死にたいと思ったことがない」人は少ないんじゃないかなあ、と思います。
人はそれぞれ価値観が違うので・・・Aさんにとっては、「死にたい」と思うようなことが、Bさんにとっては、「今に見てろー見返してやる!」ってことだったりした、というのが多いのかな?と思います。想像ですが。

私は去年病気をしまして、検査やら手術やら、再発の危険性などなどで精神的に追い詰められ、かなり真剣に「こんなだったら死にたい」と思いました(^^;)
現金なもので、なんとか日常生活が送れるようになった今では、「あの時死ななくて良かったな!セーフセーフ。生きてるだけでまるもうけ~」と思っています。

何か参考になれば幸いです。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
回答をそれぞれ拝見するとやはり人によって意外と思う方向も違うようです。

すごく恵まれていなくとも価値観の違いによって前向きになれる人も多いのかもしれませんね。

ご病気で随分苦労なさったのですね。

状態が良くなったようでなによりです。

そのときには悲しみや苦しみでいっぱいでも後から考えると他に気付くこともあるのですね。

死にたいという思いを乗り越えたからこそわかるものもあるのかもしれません。

貴重なご意見ありがとうございました。

お礼日時:2008/08/10 18:55

わたしの妹が小学校に入学したばかりの頃、


泣きながら
「おねえちゃん、もう死にたい」
って言うので理由を聞いてみると・・・
「学校で教科書をもらったんだけど、
センセイがおかしいところがあったらもってきてね。
って言ってたのにそのときはわからなくて、
今見たらページが切れてた・・・うえ~ん」
っていうケースは、
その質問の 死にたい に、カウントしてもいいのかな??

たぶん当時本人は<真剣>だったとは、思うんだけど・・。

どの程度思ったことをカウントするかでも人それぞれ違うだろうし、
そういう場面で
 はい。
って手をあげるのかボタンを押すのかわかんないけど、
意思表示するのが恥ずかしい人も中には、いるかもしれないし、
かえって深刻な人のほうが手をあげないかもしれないし。

なんかその企画、あまり<まじめ>に受け取らないほうが無難かも。
直感ですけど^^
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

妹さんは真剣だったかもしれませんが、かわいらしいエピソードですね。

確かに質問の受け取り方やどの程度までカウントするかには個人差がありますよね。


結果がそのまま真実とも限らないし、テレビの企画を鵜呑みにするのは良くないですね。

もう少し柔らかく気楽に受けとめられるようにしていきたいと思います。 

貴重なご意見ありがとうございました。

お礼日時:2008/08/10 00:49

私もNo2の方と同感です。


半分も死にたいって思った人がいたことに驚きました。
誰だって大小はあると思いますが、悩みはあると思います。
ちなみに私だって悩みはつきません。
死にたいと思ったことはありません。ただここから逃れたいとか、
私が消えたらどうなるかなって思ったことはあります。
貴方は死にたいと思ったことあるんですよね?
それはどうしてでしょう?
回答になりませんでしたが失礼します。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

やはり誰でも悩みはありますよね。
でももしかしたらわたしが思っているよりも小の悩みを抱えているひとが多いのかもしれません。

悩みが小さいというとなんだか生意気に聞こえるかも知れませんが私の予想以上に悩みに対する生きる喜びの存在は大きかったのかもしれないとも言えます。

だれもが死にたいと本気で思うほど大きな悩みを何かしらかかえてるはずだ、みんな表面では小さな悩みしか言わずに隠しているだけなんだという私の考え方は間違っていたのかもしれません。

私もここから逃れたい、消えたいと思うことがあります。
たまにその気持ちを死にたいという言葉に置き換えたりもします。
ただの一種の現実逃避です。

それとは別に誰にも言えない「死にたい」があります。いや、ありました。

どうしてでしょう?に答えられなくてごめんなさい。

支離滅裂な文章ですいません。考えながら書いていたらこんなになってしまいました。

貴重なご意見をありがとうございました。

お礼日時:2008/08/10 00:40

年齢層によるとおもいますが、私は高齢者なので思ったことないです。



今の若い人は恋人と喧嘩、受験失敗、等小さな事でもすぐ死にたいと思う人が多いのでは、(本人は大きな出来事と思ってしまう)

死に対する重さが昔と今ではぜんぜん違うのではないかと思います。
死ぬということは、本人だけの問題だけでなく、友達も悲しむでしょうが(短期間の悲しみ)残された家族はその家族が生きている間何十年と言う年月を悲しまなければならない。

周りにあたえる影響の大きさと、恋人と喧嘩した、恋人と別れた事を比較すれば簡単に死にたいとは思えないはずです。

恋人と別れて二度といい人にはめぐり合えないと思っていても、生きている以上めぐり合える可能性はゼロではないが、死んでしまったら可能性ゼロです。

振られて、新たな恋をしての繰り返しで成長して自分にもっとも相応しい相手が見つかる事を忘れているから、でしょうか。

それから、日頃の生活に死と出会う事がなくなっているのも原因と思います。
例えば、親兄弟が死んだり、自分がすごくかわいがっていた(特に犬・ネコ)ペットが死ぬ経験をした人は軽々しく死にたいとは思わないはずです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

世代の違う方からのご意見をうかがえてうれしいです。
確かに恋人との喧嘩や受験失敗などを死にたいという思いに軽々しく繋げてしまう若い人も最近は多いようですね。

50人の中にはそういう軽々しい「死にたい」でYESと答えた人もいると思います。
そうなると
50人‐上記のYES=本気で死にたいと考えたことがある人
となりますよね。
上記のYESが何人いたかはわかりませんが本気で死にたいと考えたことのある人の少なさに衝撃を受けたのです。

なんだか頭の悪い文章になってしまって申し訳ないです。

死にたいと思ったことがない人にもまわりの影響を理解できる人や命の大切さしっかりと心得ている人など様々なのですね。

貴重なご意見をありがとうございました。

お礼日時:2008/08/10 00:02

ご自身の過去を振り返ってみてください


中学時代・・死にたいと思ってましたか?
小学時代・・死にたいと思ってましたか?
幼稚園の時・・思ってましたか?

幼児、小学低学年頃は
死にたいと思う事はなかったのでは無いでしょうか
そして辛いことがあったとしても
他にやりたいこと、熱中していること
楽しいと思っていること等々
そういった事を思えば
死にたいとまで思わないという人がいても
まったくもっておかしいことではないでしょう。

辛いことにも増して
生きることを楽しいと思える人がいるのは不思議ではないと思います
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
確かに幼児のころは死にたいなんて思いもしませんね。

楽しいことにも増して生きることを辛いと思ってしまう人がいなくても不思議じゃないのかもしれません。

楽しみが苦しみに勝てる人が多いことは良いことですね。

貴重なご意見ありがとうございました。

お礼日時:2008/08/09 23:06

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!