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 昨日、「笑っていいとも!増刊号」を見ていましたら、幕末の傑物、大村益次郎の子孫の方が出演されて、

「この人が誰の子孫か?」

を、当てるというクイズをやっていました。

 子供の頃に見た、大河ドラマ「花神」の影響や、理系人間であることもあり、幕末の人物の中では、大村益次郎が一番好きなので、すぐに答えがわかりましたが、龍馬や、桂にくらべて知名度が低いことは私にもわかりましたので

「たぶん当たらないだろうナ!」

と思っておりましたが、やはり正答は少ないものでした。

 しかし、「大村益次郎の子孫を出して、面白味がある」と、民放バラエティ番組の人間が判断したところを見ると、それほど知名度が低いわけではないのかもしれない?・・・という疑問がわきました。

 で、ご質問は以下の2つです。

1)大村益次郎の知名度は、世代別、戦前・戦後、理系・文系?等、各階層でどのような傾向があると想像されますか?

2)番組中、プロフィールを説明するテロップで「・・・一時『村田蔵六』と名乗る・・・」(表記はウロ覚えです)と流れたのですが、実は私は、本名が「村田蔵六」だと思っておりました。これは、どう考えるのが正しいのでしょうか?

 以上です。よろしくお願いいたします。

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A 回答 (4件)

こんばんは! わぁ~、そんな方がテレビにでていたのですか!(見たかった…)



(気をとりなおして)
さて名前の方は、みなさん回答されているので、知名度の方について少々回答します。
私は30代ですが、大村益次郎は歴史の教科書(授業)では、彰義隊(上野戦争)しか登場しなかったと思います。(小、中、高のどれかは忘れました)
周囲の同年代の人で、大村益次郎について知っている人は、いままで1名しか記憶にありません。(周囲の全ての人に、聞いて回ったわけではありませんが…)
大河ドラマを見ることのできた年代以外の人には、あまり知られていないと思います。(知る人ぞ知る、ですね)
戦前でしたら、想像ですが日本陸軍創設の父、「大村兵部大輔」(兵部大輔=陸軍次官だと思います)として、現在よりもずっと有名だったでしょうね。

余談ですが、私は大村氏生地付近(山口市鋳銭司)をうろついたことがあります。
あと適塾は、正面より眺め(入っていません)、暗殺者に襲われた場所(京都)は遭難の碑の前に立ち、死去した場所の大村益次郎殉難碑は、車の中から見ました。(止めてくれ~)お墓も行きましたよ。大村益次郎の墓は「花神」のとおり、きれいに整備されていましたが、何もない明るい場所でした。参考URLの鋳銭司郷土館にも、大村益次郎に関する展示物が多いので、訪問されることをお勧めします。(長くなってしまいました。すみません)

参考URL:http://www.city.yamaguchi.yamaguchi.jp/bunkazai/ …
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この回答へのお礼

 はい、そうなんです、そんな番組がありました(^^;)

まずは、どうもお答えありがとうございます。m(_ _)m

>同年代の人で、大村益次郎について知っている人は、
>いままで1名しか記憶にありません。

 益次郎は、私にとって、数少ない敬愛する日本人の一人ですが、特にファンとして思い入れがあるわけではなかったので、旧跡を訪ねたりすることはなかったのです。
 しかし、そんな私でも、益次郎が好きとかいう人間に会ったことがなく、残念に思っておりました。
 半分趣味で、科学史を研究しているのですが、日本人であれだけ徹底した合理主義を身につけたテクノクラートには心当たりがありません。その傑物が突然、長州の片田舎に出現したことは驚くべきことのように感じています。そして理系に生まれたからには、益次郎のように生きてみたいと思って過ごしてまいりました。

>戦前でしたら、~ ずっと有名だったでしょうね。

 帝国、長州、陸軍・・・どれも戦前ならではの要素なんでしょうネ。
まあ、靖国神社に立つ益次郎の像が、全てを象徴しているのでしょう。それらを抜きにして、やはり余りある魅力のある人物であると信じたいデスネ・・・ファンとしては。

 どうもありがとうございました。一度、ファンらしく、事跡をたどってみたいとおもいます。

お礼日時:2002/12/10 22:27

名前の件だけ。

司馬先生の「花神」によります。

まず苗字の「村田」ですが、彼の場合は百姓身分だったので、
正式には名乗れません。ただ、村医者としての箔付け的な
使い方であれば、お上(彼の場合は長州藩)もそうやかましくは
言わなかったものだそうです。

名前のほうはもともとは「良庵」。彼の家は代々の村医者で、
ずーっと当主が「村田良庵」を名乗る慣わしだったのです。
ただ、彼の父(考益)は婿養子で「良庵」ではなかったのですが、
近所の人が例によって「良庵」と呼びつけるのがいやだったとか。
で、父親が「どうせ良庵と呼ばれるようになるのだから」と
「良庵」とつけたといいます。ただ、彼もやっぱりこの呼び名は
気に入らず、自分でつけた名前が「蔵六」。ですから、
彼自身は自分の名前は「村田蔵六」だと思っていたでしょう。

さて、緒方洪庵の「適塾」で学んだ彼は、宇和島藩に招かれることで
雇い武士としての身分を手に入れます。その後幕府に雇われて
江戸で蘭学を教えますが、本人の強い意志で桂小五郎に接近し、
やがて故国の長州藩に仕えることとなります。
最初は一代限りの雇士としての立場でしたが、彼の地位が重きを
増すにつれ、ついに譜代の上士として正式に仕えることになります。
このときに「大村益次郎永敏」という名前を名乗るようになったわけです。
(姓は藤原氏。これも適当につけただけ。家系伝説では平氏とか)

この名前で長州藩軍の総指揮者として長州征伐を戦い、
やがて新政府においても江戸討伐から北越戦争、会津戦争などの
指揮を執り、そして明治陸軍の基礎を築き上げていきます。
という次第で、正式な名前は「大村永敏」と言うべきなのでしょうが、
永敏は諱としてつけただけで、武士の諱は通常ほとんど使われることも
なかったので、一般的には「大村益次郎」ということになるでしょうね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!

そうですか!なるほど、たしかに村医者なら、生まれた時の名前は「たいしたことない・・・」って事ですね!?
「蔵六」は「木下藤吉郎」
「益次郎」が「豊臣秀吉」
って感じなんでしょうか!。

 略歴のまとめ、どうもありがとうございます。
 こうして見ますと、独力で各藩・幕府を渡り歩いた実力主義にプライドを感じてしまうのは、私だけでしょうか?
見習えるものなら、見習いたい迫力が輝きます。

 実は益次郎の「郷土愛」「愛国心」ってドラマや、小説では、あまり見えてこないのですが、できればそれらを超えた存在であって欲しいといのは、ファンのひいき目なのかもしれませんネ??

では、またなにかありましたら、よろしくお願いします。

お礼日時:2002/12/09 23:21

私は、先週末の「いいとも」の増刊号で、大村益次郎の子孫の方をみかけました。

やっぱりおでこが出てるなって、ちょっと感激。

数週間前、NHKの「その時、時代が」?とかいうのでも、大村益次郎のことあつかってましたっけ。靖国神社の銅像もクレーンかなにかで撮影したんでしょうか、まぢかで見れてよかったです。

私は、大阪の街中の会社勤めですが、塾頭をやってた「適塾」とか、法円坂といいますか国立大阪病院の角地にある「大村益次郎殉難碑」(↓URL)の前はよくとおります。そのとき、もし刺客におそわれなかったら日本陸軍はどうなってたろうなんて想像したりします。(^^)

ということでご質問の1)のほうですが、私の場合、理系専攻で、大学受験では日本史はとってませんでしたので、せいぜい大村益次郎という名前を聞いたぐらいでした。

詳しく知るようになったのは、やっぱり、「花神」を読んでからですね。

結局、司馬遼太郎氏の小説を読んだことがある人には、明治維新のときの強烈なキャラクターとして記憶に残るけれど、そうでない人には、多くの群像の1人としか思われてないのかも。

参考URL:http://www.osakapubliceng.or.jp/rekishi/uekita/p …
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この回答へのお礼

ご回答、どうもありがとうございました。

>やっぱりおでこが出てるなって、ちょっと感激。

 確かに(^^;)。あんなオデコのイルカがいましたネ?
たぶん幕末でも、女性にはモテなかったはずでしょうに・・・
シーボルトの娘との恋情は、どの史実なんでしょう?ってずっと気になっています。

>もし刺客におそわれなかったら日本陸軍はどうなってたろうなんて

 私は、益次郎には、教育者になって欲しかったですネ。
 ロジカルに考える、というついに日本人には根づかなかった習慣を、あるいは彼なら教育できたかもしれない・・・というのは言い過ぎでしょうか?

●大村益次郎殉難碑・・・拝見いたしました。
 益次郎が、唯一、幕末の志士だったらしい所は、天寿を全うできなかったことかもしれませんネ?!
私が、益次郎の足跡をたどりたい場所があるとすれば、
 1に四境戦争の事跡、2に生家、そして3が殉難の地でしょうか・・・

また、よろしくお願いいたします。

お礼日時:2002/12/09 23:01

見ましたよ。

この前のいいとも。(ちょっとだけど・・・)僕も数ヶ月前に司馬遼太郎の「花神」を読みました。幕末にこんな人物がいたんだとちょっとした衝撃を受けました。小説の方はやっぱり、司馬テイストに仕上がっている分も差し引いて考えないといけないと思うんですが、幕末という、人間の感情がいろんなレベルで噴きあがった時代にああいう存在はやはり、強い魅力を感じます。
さて、

1)大村益次郎の知名度は、世代別、戦前・戦後、理系・文系?等、各階層でどのような傾向があると想像されますか?

知名度に関しては、「革命軍の総大将であり、全軍の指揮を受け持ち、連戦連勝した人」ということで、教科書にでてきたような気がする・・・というのが一般的な理解ではないでしょうか?竜馬、西郷、近藤などといった人は理解しやすく共感したり、憧れたりといった感情移入がしやすいですが、大村益次郎のような人物はどうしても多くの人は理解できにくいと思います。(自分なんかは共感しちゃいますが・・・)ちなみに自分は26歳、文系です。これは、世代をとうして幾分の違いはあっても同じようなかんじじゃないでしょうか?

2)番組中、プロフィールを説明するテロップで「・・・一時『村田蔵六』と名乗る・・・」(表記はウロ覚えです)と流れたのですが、実は私は、本名が「村田蔵六」だと思っておりました。これは、どう考えるのが正しいのでしょうか

自分もどうだったかハッキリ覚えてないんですが、確か、本名だったと思います。
ちなみにご存知かもしれませんが、「蔵六」とは両手、両足、頭、しっぽを蔵する・・・亀、の意味があるそうです。意味深い名前だなあと思います。
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この回答へのお礼

さっそくのお答え、ありがとうございます。

 確かに、「益次郎」=「花神」ですよね!

 何冊か、大村益次郎関係の本を読んだんですが、正直、いまだに、あの小説と大河(中村梅之助さん主演)のイメージでしか、私は益次郎を語ることができません。
 「情熱」や「愛国」といった得体の知れないものに動かされた人々より、(少なくとも小説の中では)テクノクラートとして理詰めで動いて勝利していった益次郎が、とても共感でき、理解しやすかったのは、私が理系小僧だったからかもしれません。

 またよろしくお願いいたします。
 

お礼日時:2002/12/09 21:59

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