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それでいて人の気持ちになって物事考えようなんてどう考えても矛盾してる

海外へボランティアに行くくせに日本にいるホームレスにはみむきもしないようなものだ

ただ周りからの称賛がほしいだけ

死という日本のホームレスに対して

生という海外ボランティア的な偽善事業に乗っかってるだけな気がします

どう考えても死そのものを軽視してるようにしか思えません

死を食わず嫌いしてる気がしてなりません

結局こういう同調圧力が
クラスにいじめっこがいてもどうでもいいやと思わせたり
容姿などの空疎な悩みにとらわれたりして
さまざまな犯罪を引きおこしてると思うのですがどう思われますか?

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A 回答 (8件)

そういう面は大いにあるんじゃないでしょうか。



現代は、みな大切なものを見失っている気がします。
私たちが生きていくべき、一つの道を。
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確かに、「死」を人にとっての最悪のもととして、社会が捉えている面がある(例えば、十数年自由が剥奪される無期懲役より死刑のほうが重い刑罰とされている刑事制度など)。


「死」が人にとって最悪のものかどうかは別にして、「死」の社会的な評価を少々好転させても、殺人事件(未遂を含む)の減少にはつながらないと思う。なぜなら、「死」の社会的な評価はどんなに好転しても「生」の評価より低いものとなるだろうから(「死」と「生」の評価が逆転したら社会はもう成立しない)、人にとっては害悪でありつづけるし、「死」が害悪なら、害意を持った人はそれを引き起こそうとするだろうから。しかも、言い方が不適切かもしれないが、殺人という行為は。行為自体はすごく簡単で、代替する犯罪はあまりないと思う。
さらに、殺人という行為にとっては、良心との葛藤のほうが犯罪にとって大きな障害だと思えるので、「死」の評価を上げることで、良心との葛藤が小さくなるのならば、かえって殺人事件は増えるのでないかと思う。
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風潮とか関係ないし。


人が死んだら悲しいのは身近な人が死んだ経験がある人なら
イヤだなと思うのは普通だし、経験のない人でもいずれそうなる。
人を殺すということをいちいち肯定なんかしたくないから
別に理由なんていらん。

質問読んでアホくさと思ったよ。
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情動に関していろいろと学んで詳しいのですが、批判も多い今回の質問者様の意見も理解可能でそれなりの正論と言いえます。


博愛の精神を対立意見として育てるといい感じのバランスの取れた思考となりますが、その前に悪意について知るべきでしょう。
「悪」と言うのは概念として思考の中だけに存在して五感とは隔離されており体現不能です。
しかしながら主観が悪意に侵食されるとその本人は悪の存在を信じてしまいます。
神前に誓いを立てなければいけないのがまだ幼い人間のもどかしさですが「悪人」は歴史上一人も居ません。
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No.2の方の言うように言いたいことがわかりにくいので自分なりに解釈して回答します。

ずれていたらごめんなさい。

つまりthymosさんが言いたいのは、人の気持ちになって物事を考えようという意見はOKだけど、現実問題として誰も人の気持ちなど考えちゃいない。人の気持ちを考えることは、ある意味同調圧力に逆らうことであり、人の気持ちを考えて行動するほどいじめなどの不当な差別を受ける羽目になる。といった感じでしょうか?

そして 死 ホームレス いじめ などネガティブに捉えられがちだけど確実に存在するものを認めようとしない風潮こそが、ネガティブさに拍車をかけるためますます被害者が拡大する→やがて被害者の行き場のない怒り、悲しみが犯罪という形で暴発する。もっと言えば、最近多い通り魔事件などの背景にもこういう事情が見え隠れする。それに皆少しは気づいているのに、集団による責任回避的に犯人への自己責任論にすりかえる。弱者はますます行き場を失い、もっと酷い犯罪さえ起こるかもしれない。こんな感じでしょうか?

ここから私自身の見解ですが、確かにそういう捕らえ方もできると思います。というか私自身の考えと近いのでおおむね賛成です。だけどここからは私自身への反論でもあるのですが、それを言ってもどうしようもないというのがあるんですよね。結局みんながそれをわかっているから同調圧力にみんな乗っかって行くのでしょう。誰も悪くないし、だけど皆が悪い。thymosさん自身もいまこの瞬間生きているということは、大なり小なり同調圧力に乗っているのだと思います。生きることは差別することなのではないでしょうか。私の意見も責任回避的で自分だけはそんな汚い考えの持ち主ではないと言い張っている感が否めないところが悔しいのです(笑)
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 矛盾があるなぁ。

経験上、人が殺されたり、交通事故で死んだりすると、本能で悲しむぜ。殺されたら、殺し返したくなるぜ(だけど、しないよ、それにより悲しむ人が身内にも殺される側にもいることを、実感してるからね)。
 ボランティアにしても偽善であろうが、心に中まではわからない。君のその問題を提示して語ろうとする心の中さえも疑問だ。それを取り上げてそれこそ偽善ではないかとさえ思う。日本にいるとき、たとえホームレスに何も感じなくても、それでもボランティアに行って助かる人が一人でもいれば、それは有益だと思う。何もせずに、問題だけ取り上げて、さも知っているかのように理論振りかざす方が、無益だ。君はこのボランティア問題に対して完全無欠な改善策をお持ちかな。
 何かを起こす、動く方が、いじめにも対処する動きになる確率は高いと思うよ。動かない風潮が主になれば、それこそ偽善による助けもなくなるよね。ホームレスを支援している人は別にもいる。だから、ボランティアの中で、我がの目に見えているモノに集中する。すべてにボランティアしなきゃ、ボランティアにはならないのか?可能と思うか?それと、死を食わず嫌いってなんだ?死をわかるのは、死んだ人のみ。それらを知っているかのように語る方が、俺には「そのとおり、いいこと言う」と言われたい偽善に感じるが。その薄っぺらさが犯罪を引き起こしているように感じるが。その証拠に、少年犯罪は、報道を信じればすべて反省の言葉を時間がかかろうがいずれ出している。遺族にとっては、許せなく「遅い」反省だけどな。
 それよか、校則や社則、社会マナーに則った上で、「自分はこれで行く」という強さを持つ方が重要。それは学校ではなく、親が教え込むモノ。それも幼稚園入って、集団の決まりを知り始める5歳までにだと思う。
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>人の死を悲しんだり殺人を否定する風潮が犯罪を引きおこす



ってどういう意味なの?
逆では?
全体の流れもいまいちわかりません、マジ。

まとにかく、人のことはどうでもいいわけで。
腐った役人国家がそれを象徴しています。
年金ネコババ当たり前ですから。
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生は死とつながっています。

相反するものではありません。
私は、大病をして、強くそう思うようになりました。明日死んでもいいようにしておこうと。

偽善への同調は、私の日本史観にありません。アメリカでしょう。

また、いじめの問題は別でしょう。悩みはいじめっこに限らず、誰にでもあります。「自分より下の者を作りたい」という一種傲慢がいじめの根源で、それに対して「自分では上の者に到底かなわない」という卑下があります。卑下が、ホームレスのほうに向かうか、反社会的行為(犯罪など)のほうに及ぶか、単に愚痴をこぼしているのか、で、ご質問の一部答えになっているかと存じます。
私は、愚痴をこぼしている、のが大半と考えます。
ちなみに、日本の犯罪(人口当たり)はここ近年減っています。
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