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最初に言っておきますが、歴史についてはまったく勉強もしてないので断片的な知識しかありません。
 
 秀吉が中国を攻撃しようとしたとネットで読んで軽くショックです。
僕の考えとしては日本は鎖国していたのでそのまま日本の中で自分の国を守り生活していればいいと思っているんですが。
「いつ日本は外国と関わりを持ち、そして外国に侵略しようとしたんですか?」

また、今の朝鮮人や外国人が移住してきている日本についてどう思いますか?
日本はもうアメリカのように人種が解らなくなって行くのでしょうね。

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A 回答 (7件)

1つ付け加えはあります。


鎖国を行った時期は江戸時代の将軍家光の時代からです。
外国を侵略しようとしていたのは室町幕府の時代からですよ。琉球を外国と位置づけるなら。
秀吉が朝鮮に派兵したときに追い返されたので中国出兵は諦めたと聞いています。
命も経済的にも侵略どころではなくなったので。
江戸時代には外国との交流も盛んだったと聞きます。
本格的に侵略を開始したのは、明治時代からです。
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現在の天皇家つまり大和政権というのはそもそも朝鮮半島からやってきた一族によって作られたのではないか、という説があります。

他の方も書いた白村江の戦いも、元々百済からやってきた一族だったから百済に味方した、という説もあるくらいです。古代大和政権の研究にはいわゆる天皇家の古墳調査が欠かせないのですが実は肝心の宮内庁が調査の許可を決して許しません。そこから、宮内庁が古墳の研究を許さないのは研究が進むと天皇家のルーツの秘密が明らかになるからではないか、という人もいるくらいです。
ですから、もしそうだとしたら、大和国家なるものはそもそも外国への侵略によって成立した国家だ、といえるかもしれません。ちなみにそういう「たいした文明を持っていない民族のところに異民族がやってきて原住民を殺したり追い出したことによって成立した国家」というのは数多くあります。有名どころではあのイスラエルがそうです。元々そこにはパレスチナ人が住んでいましたが、ユダヤ人がやってきてそこに住み着きました。ユダヤ人が「そこは俺たちの土地だ」と主張する根拠は「神様がここをユダヤ人に与えるといったからだ」というものです(実際に旧約聖書に「この場所をお前たちに与える」と書いてあります)。

ちなみに秀吉が朝鮮半島に侵略したのは「やむにやまれぬ事情」があったからです。戦国時代、武士は戦争で得た土地を褒美として与えられることによって生活していました。ところが秀吉によって天下が統一されると肝心の「与える土地」がなくなってしまいました。また、秀吉軍というのは多くの「軍人」によって成り立っていましたが、天下統一で平和になるとそういった軍人たちは不要になり、数多くの失業者が出てしまいます。武装した武士たちが失業するのですからこれは為政者にとって好ましいことではありません。ですので、秀吉は朝鮮半島に進出することによって対応しようとしたのです。
家康はこれを横目で見ていたので、まず多くの失業武士(浪人)たちを大阪の陣で豊臣方につかせることで「処分」し、それでもまだ余っていた浪人を島原の乱で「処分」したのです。

この回答への補足

へえぇぇぇぇぇぇ。
なるほどねえ。

日本史はやはり勉強してみたいですね。何か良い参考書ありますか?
高校の参考書で十分でしょうか?

補足日時:2008/08/15 10:01
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>いつから日本は外国に領土を広げようとした ?



卑弥呼の勢力の及ばない地に毛人(蝦夷)が住む。
それから、大和朝廷時代になりは外国への領土拡張の時代になります。

記録によれば、関東平野も早期に攻め込み、
一部の抵抗はあったけれど早期に服従したとあります。

水路を利用し栄えていた大豪族の研究もあります。
水路を利用して暗夜に紛れ、周辺豪族の配備をすり抜け直接都を襲撃したのではないかと推測しています。

蝦夷は百人力と言うけれど、攻めたらあっと言う間に負けてしまった。
初めてエミシが文字として登場します。

任那日本府が滅亡した頃、
それまで放置していた蝦夷地征伐に焦点を絞ります。

日本海側を集中して攻撃したのは、
蝦夷-朝鮮間の交易と同盟を断つ物です。

半島経営よりも守り(敵の排除)に徹した時代でもあります。
また、律令国家(国家の安泰)を目指した訳です。
中央集権国家を目指しました。

>日本はもうアメリカのように人種が解らなくなって行くのでしょうね。

日本の市民権を得たい。
こう言う人が多いのは良い事だと思いますが、

中国、インド、台湾、韓国の企業と技術力、資本力はあなどれません。
現在では世界の工場とは、中国を指します。
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現在用いているような意味での「外国」という概念が登場してからということであれば、国民国家という概念が日本に持ち込まれた明治時代以降、1945年に至るまで日本は一貫して対外膨張を続けています。

早い段階で言えば明治6年政変の原因の一つにもなった1873年の「征韓論」論争(このときは実際には出兵せず)、1874年の台湾出兵、1875年の江華島事件などがありますし、1894年の日清戦争以降はずっと対外膨張の歴史です。

しかし、現在用いているような「外国」という概念が存在しなかったころにまで遡るとすれば、そして「日本」の主体を「朝廷」におくとすれば、他の全ての国がそうであるように、有史以来日本は常に外国とかかわりを持っていますし、対外侵略をしています。
なぜ今の日本の範囲が北海道から沖縄までかということを考えたことがありますか?元々大和朝廷が直接支配していたのは(即ち「日本」は)日本列島の中央部の一部の地域にすぎなかったはずです。それが現在の範囲にまで広がったのは、対外膨張を続けたからに他なりません。
元々九州の南部には「隼人(はやと)」と呼ばれる人々が住み、東北地方には「蝦夷(えみし)」と呼ばれる人々が住んでいました。これら「日本」である大和朝廷とは異なる体系に属する人々を「平定」していくことによって、本州から九州にいたる「内地」の「日本」が形成されたのです(もちろん、古代におけるこれらのことに対して善悪の判断をするつもりはありませんし、そもそもそんなことは出来ません)。
その後、内乱の時代を経て織豊政権や江戸時代頃になると、ある程度現在の意味に近い形で「日本」と「外国」というものが(政治の中枢にいる人々にとっては)意識されるようになりますが、その頃になると更に外側まで「日本」の範囲を広げる動きが出てきます。「蝦夷地(えぞち)」と呼ばれた北海道も幕府の支配下に入りますし、当時既に琉球王国という独立国であった沖縄も、島津(薩摩)藩の支配下に入ることになります。琉球王国が滅び、沖縄が正式に日本に編入されるのは明治時代になってからです。(いわゆる「琉球処分」)

ここまで見てきたものはあくまで今日の日本の範囲内での出来事なので広義には内紛と捉える人もいるかもしれませんので、もう少し現在で言う外国への侵略に近い出来事で言えば、朝鮮半島との歴史が挙げられます。古いものでは414年に高句麗と倭が戦ったという記録(「好太王碑文」)がありますし、朝鮮半島の南部は日本の支配下にあったと考えられます(任那)。しかし、さらに明白且つ近年のものとしては、質問者様も挙げておられる豊臣秀吉の朝鮮出兵が挙げられます。秀吉は「中国を征服し、アジア全体の王になる」といういささか誇大妄想気味の目標を掲げて朝鮮半島へ兵を進めています。

したがって質問の答は、国民国家として他の国民国家を攻めた時期で言うならば「明治初年」、現在で言う「国」というものをもう少し古い時代にも用いるならば「秀吉の朝鮮出兵」、現在で言う「国」という概念自体が存在しない頃にまで遡るならば「有史以来」と言うことが出来るのではないでしょうか

最後に後半部分の質問に対する答ですが、上でも述べたとおり日本は最初から統一されていたものではなく、現在のような形になったのは明治時代以降のことです。したがってアイヌや琉球民族を含んでいる以上、「日本は完全な単一民族国家」等という表現は成立しえません。それ以外の外国人の移入についても、例えば朝鮮人は有史以来日本へ数多く流入しています。「渡来人」という言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。ちなみに現在の天皇家にも朝鮮人の血が流れていると言われます(桓武天皇の母親が渡来系)。さらに近代に入ってからは、韓国併合により「一つの国」とされた関係上、更に数多くの朝鮮人が(強制であるかどうかに関わり無く)移住してきています。ですから朝鮮人の移住というのは今に始まったものではなく、むしろそれらの人々との混血の上に今の日本人があることから考えても、またそもそも日本人のルーツの一つは朝鮮半島にあることから考えても、それは大きな問題ではないと思います。
また、そのほかの外国人の移住の増加についても、グローバル化が進む現在の世界においては至極当然の流れであり、当たり前のことだと思います。それを拒否することなどはナンセンスだと思います(それが許されるのならば、世界中で日本人の移民が拒絶され、差別を受けることも許されてしまいます)。むしろ、現在の日本は移民に対して諸外国と比べても厳しい方なのであって、直ちに「日本人」の社会を脅かす(このような考え方自体、時代に逆行しているのですが)様な事態にはならないと思いますし、そもそも「日本人」というもの自体が概念に過ぎない以上、たとえアメリカのように「人種のサラダボール」のような社会になったとしても、「日本人」意識を持ちたいと考える個々人が自らの「日本人」としてのルーツをしっかり認識さえずれば、「日本人」の存在が脅かされることも無いと思います(むしろ、「人種のサラダボール」とは本来そういうものです)。
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広開土王碑に「倭を討ち~」と読める文面があることから, (朝鮮の) 三国時代には倭も朝鮮に影響力を持っていたことが伺えます. 倭・百済連合軍が唐・新羅連合軍に敗れた「白村江の戦い」というのがあったことからも, 日本と百済が密接な関係を持っていたとわかります.


ちなみにこの百済から王族が日本に来ており, 後に「百済王」の姓を名乗っています. 同じく新羅に滅ぼされた高句麗の王族も日本で「高麗王」の姓を名乗っています. これは今の高麗神社の流れになります.
あと, 桓武天皇の生母である高野新笠は百済系渡来人の系統で, この血統は現在の皇室にも受け継がれています. ということで, 韓国では「天皇は朝鮮人の血を引いている」などと喧伝することもあります... が, 戦前はこのことが朝鮮併合の口実 (の 1つ) に使われてたんだけどねぇ.
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「いつ日本は外国と関わりを持ち、そして外国に侵略しようとしたんですか?」と言われれば、まだ日本国の領域が固まらず、朝鮮とも蝦夷とも境界線を争っていた時代、と言えるでしょう。



4世紀の末から6世紀の始めまで、だいたい聖徳太子が出てくる100年くらい前の時代は、日本と朝鮮は境を接していたような状態でした。
韓国の歴史家は認めたがりませんが、現在の韓国南部に日本人が統治経営していた地域や、現地で亡くなった日本の豪族の前方後円墳があったようです。

当時の大和朝廷にとって、東北地方の蝦夷の方が敵対国であり、朝鮮半島南部の各国(「三韓」=弁韓、馬韓、慕韓)とは、外交と戦闘で領土が度々入れ替わるようなものでした。
領土を広げるというよりも、開拓地を交換するような感じだったと思われます。

当時の日本の使節が中国の役人に会った時、「我が国の東は山で遮られている」と言ったそうです。その時代や、後の坂上田村麻呂の時代の感覚では、「平城京や平安京の兵や役人が、東北地方に住むこと」が十分に「日本が外国に領土を広げた」ようなものだったのです。

検索するなら、4~6世紀に朝鮮半島にあったと言われる日本の支配下の地域「任那(みまな)」,それの経営に失敗して手放した日本の豪族「大伴金村(おおとものかなむら)」で検索してみてください。

それから、国家として領土を増やす以外に、漁民が遠くまで船で出て、船商人と海賊を兼業したような例もあります。
これが盛んになったのは、鎌倉時代の末で日本の中央政府の抑えが効かなくなった南北朝時代です。つまり、民間人の海外進出が始まった時代です。
この行動は、元朝を滅ぼした明朝の皇帝の政策にも影響を与えています。
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ず~と昔から外国と関わりを持ち続けてます。


国という概念の無いような昔から。

「鎖国」を誤解してますが、鎖国って外国と関わらない訳ではなく
関わりを持つ人や関わる範囲を制限していただけです。

侵略をどう捉えるかですが、和冦とか教科書に書いてないですか?
史実かどうか説の分かれますが、白村江(はくすきのえ)とか聞いたことは?

後半部分は質問?意見?

この回答への補足

いつ領土を広げようと外国に進軍したかを答えてください!

後半部分は「?」の付いている文について返答をください。

補足日時:2008/08/13 18:12
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