痔になりやすい生活習慣とは?

一般には、明智光秀の私怨だと言われていますが、本当にそうでしょうか?

当時、すでに、織田信長を忌避する雰囲気があったと聞きます。
朝廷も、信長が死ぬと、すぐに、明智光秀に官位を与えるなど、動きがヘンです。

信長を一番恐れていたのは、朝廷のはずです。
信長は、既存の権威を無視しています。

光秀は、みんなが喜んでくれると思って、信長を殺したけど、結局、してやられた、と言うのが、本当で、「加藤の乱」と同じだったのではないでしょうか?

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (9件)

信長が最も信頼した忠臣が明智光秀で、信長がいわば丸腰でいられたのも、何かあったら明智軍団に身辺を守らせればよいという目論見で、今でいえば身辺警護のSPが裏切ったのですから、ビックリでしょうね。


江戸幕府も関東には石高の大きな大名を置かなかったように、権力者が身近に大勢力の者を置くのは、よほど信頼しないとできないことで、だからこそ不思議な事件です。
動機は当人以外わからないと思います、光秀も戦国を生き抜いたつわものですから、もともと野心もあり、今が信長に代わり天下人になるチャンスと考えたのかもしれません。
また、昨今人間的にも立派な大人が、些細なことで切れて、家族を皆殺しにするという事件もありますから、ストレスが溜まって切れたのかも知れません。
朝廷も保険のつもりで、光秀に甘言を言って、裏切りを勧めたかも知れませんし、中国道で戦っている秀吉と毛利が足利義昭を仲介に結託して、信長を殺したら味方するといったのかも知れない。
珍説としては、織田信忠が黒幕で、津田信澄を連絡役に光秀と組んでおり、口封じに殺されたという考えもできる。
このあたりの事情は、光秀が敗者になった時点で、勝者によって書き換えられますから、後世には推測以外伝わりませんが、私は計画的な犯行で、一番利益を得た人間が怪しいという原則に従えば、秀吉黒幕説ではないかな。
    • good
    • 4
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

確かに、中国大返しなど、秀吉は怪しいです。

光秀には、信長に対する、大恩があります。
譜代の家来より、よそものの新参者を取り立てるなど、戦国大名多しといえども、信長しか、やっていません。
秀吉も、光秀も、信長がいなければ、世に出られなかった人物です。

光秀には、信長殺しの大義があったはずで、光秀にとっての大義とは、すなわち、朝廷だったのではないか、と推測するわけです。
比叡山焼き討ちは、朝廷にとって、真っ青になるような事件で、「次は、うちらかも」と思ったとしても、しかたないわけです。
信長が、15代将軍足利義昭を、追い詰めても、決して殺さなかったことから、朝廷にも、弓矢を向けることはない、ということは、わかりそうなものですが、朝廷にとって、足利将軍家は、新参の成り上がりで、比叡山のほうが、心理的に近かったとも考えられます。

お礼日時:2008/08/18 13:08

ひとりの人間の心の内の問題ですから、自分を明智光秀の立場に置き換えて、推測するしか、ないと、思います。


ドラマの「明智光秀」の、「自身が、次世代のための捨石になる」は、無いな~と、思いました。
私の中の光秀は、反乱を成功させる・・・プライド奪回のため。
その先は、あまり、考えていなかった・・・です。
周囲への人望は、自信が、あったが、コンタクトの不徹底、内応者のなさで、己を悟った。
一切をかなぐり捨てて、這い上がるハングリーさは、自分には、ないし、そんなのは、耐えられないと思った・・・あきらめた・・・です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

今となっては、真相はわかりません。

でも、それを想像するのが、歴史の楽しいところです。

お礼日時:2008/08/19 13:50

これは佐久間、林の追放が引き金になっていると思います。



光秀は非常に家臣思いで、家中の結束が固く、領民にも愛された領主だったとのことです。
何をおいても一族や家臣を守ることに彼の価値観はあったはずで、そのために信長に忠節をつくしてもいたのでしょう。
しかし、だからこそ、長年の忠臣であってもいきなり首を斬ってしまう信長そのものが、逆に彼の中で問題化していったのだと思います。

そのプレッシャーの中で、信長がまったく無防備に首を差し出してしまったわけです。
そのまたとない機会に面して、魔が差してしまったのでしょう。

陰謀説が語られますが、陰謀があったにしては、他家との連携が全く取れていません。
朝廷からなにがしかの接触があったのなら、少なくとも舅の細川などは巻き込んでいるはずです。
なので、「プレッシャーの中で魔が差した」が正しいのではないか、と自分は考えます。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「本能寺の変」の変わったところは、謀反人の光秀が、悪く言われず、殺された主君の信長の非ばかりが、取りざたされることです。
「親に孝、主に忠」をモットーとする江戸時代を経てもなお、そうなんです。

お礼日時:2008/08/19 13:48

いろいろな見解はあるでしょうけれども、明智光秀が「単なる裏切り者」扱いにされたのは、山崎合戦に敗北したことが全てではないかと思います。

山崎合戦に敗れて「敗軍の将」になったのでみんな(きなくさい人たちは)口をつぐんだのでしょう。それをあまり深く突っ込まなかった秀吉にも腹にイチモツあったと勘ぐられても仕方ないでしょう。

ちなみに加藤の乱ってあの国会議員のアレですかね。彼が演台にしがみついて泣いていたシーンがありましたが、あの真相は「加藤さん、ここまで来たんだから国会に行きましょうよ」「イヤだよ、イヤだ。僕、怖いよ」って演台にしがみいていたと思われるので、彼と一緒くたにするのは光秀公に失礼かと思われます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

加藤の乱は、定まった定義がないので、なんとも言えませんが、頭もよく、常識もあり、派閥の領袖だった、総裁候補ナンバーワンの加藤紘一が、ほんの少し、流れを読み間違えただけで、一転、奈落に落ち込んだ事件でした。
加藤紘一自身には、悪い点はなかったと思います。
少し甘かったんですね。

お礼日時:2008/08/18 12:58

領地召し上げの話は元禄時代の「明智軍記」に初めて出てくる話で、信じないほうがよろしいでしょう。


光秀の信長への怨恨の理由として、まことしやかに語られる話のほとんどが、江戸時代にこしらえられたお話にすぎません。例えば、丹波八上城を開城させる際に母親を人質に出す話などは、状況的にありえません。光秀が兵糧攻めで食い物のない城へ、大事な人質を送るほど馬鹿だったとは思えないわけで。

動機については、まったく不明です。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

素直な回答で、ありがとうございます。

今となっては、推測するしか、ないわけです。

加藤の乱を経験(見た)した私たちからすると、政治とは、本音と建前が乖離していて、まともな人間が、ほぞをかむことがよくある、ということがわかるわけです。

お礼日時:2008/08/18 12:51

明智光秀は本来保守的なの性向の持ち主でした。


これに対し織田信長は進歩的というか革新的思考の人であり、性格的に相容れない同士という関係でした。

さらに信長は重臣といえど役に立たないと判断すればどんどん更迭し追放していました。

光秀は対朝廷工作に秀てて重用されてきましたが、信長が自身を神として朝廷を蔑ろにする意思を示したことからすでに彼の役目が終わり、いつかは追放の憂き目をみるかもしれぬと恐怖を感じていました。

さらに中国攻めで苦戦している秀吉への援軍を命じられ、合わせて長年苦労して経営してきた丹波や近江の領地を返還させられ、代わりに当時まだ毛利の領地であった因幡などを与えられたのです。
しかも当年の年貢を徴収することを許されず、即刻援軍に出発せよと命じられました。

光秀としては裸同然の状態で出陣することになり、信長からいよいよ冷遇されることになったかと誤解したわけです。
過去の信長に対する奉公が無に帰したと考えたわけでそれくらいならいっそ反乱して信長を倒すほかはないと決意したわけです。

まさに窮鼠猫を咬む行動でした。  急な決定であったので組下の武将や縁戚の武将にも連絡をとるひまもありませんでした。
反乱に同心してくれると考えた武将たちに裏切られ、結局山崎の戦いに敗北しました。

朝廷が信長に恐怖を覚えていたのは事実で最初は光秀を支援する動きを見せましたが天下の趨勢に従わざるをえなかったのです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

信長に冷遇され、追放された武将は大勢います。
織田家譜代で、信長と次弟との争いで、信長に味方した者(名前は忘れました)まで、追放されています。

私は、光秀の教養や人格から考えて、彼自身と、周りをも、納得させられるだけの大義がなければ、光秀は、信長殺しを、しなかったんじゃないか、と思ったからです。

お礼日時:2008/08/18 12:47

 こんにちは。



 意外とこういうとかも知れませんよ↓。

http://www.geocities.jp/sou_nihonshi/honnnoujino …

参考URL:http://www.geocities.jp/sou_nihonshi/honnnoujino …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

そうなんでしょうか。

お礼日時:2008/08/18 12:41

主家を倒すことは、あの当時ではよくあること。


光秀に関して、特別にその理由を求めるのは、光秀を倒した秀吉の後継である家康が徳川300年を築いたからです。

信長自体も、織田家本家と尾張守護家である斯波家を倒して尾張を統一しています。

二君に仕える
1568年 信長上洛段階では、幕臣は織田家と合体中というか、今の感覚で言えば、「天下ホールディングカンパニー」という持ち株会社の名誉会長が足利義昭で、社長が織田信長。その下に織田株式会社と、幕臣株式会社、浅井株式会社があったというような感じ。
細川昭元とか一色義道とかが幕臣グループといえば幕臣グループです。
足利将軍家旗本軍団ともいえる諸家が、近畿から濃尾にかけて存在し、明智光秀もその一人ではなかったかという説もあります。他の例で言えば和田惟政も同様です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

確かに、主家殺しは、よくあった時代です。

光秀の謀反だけは、ことさらに、有名です。
時代の流れを変えたからです。
また、光秀本人が、教養人であり、秀でた武将だったからです。

お礼日時:2008/08/18 12:39

色々と説があるので何とも。


ただ、明智光秀には付け入られる隙が多かった感じがしますね。
戦国時代にあって二君(足利家&織田家)に仕えていたのは明智光秀くらいだったとか。
織田家に仕えた時点でおかしいよ。

ちなみに細川藤孝はちゃんと切ってから織田家臣になったのにね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

今となっては、「真相は、藪の中」ですね。

お礼日時:2008/08/18 12:35

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q明智光秀はどうして信長を殺したんでしょか?

こんにちは
日本史に詳しくないのですが、
明智光秀はどうして信長を殺したいと思ったんでしょうか?

また信長というのは攻撃的な性格という印象がありますが
いろんな人間から恨みを買ったため、そのうちこういう目にあうのも
自然な成り行きだったという事なんでしょうか?
それとも…???

Aベストアンサー

 本能寺の変は、日本史の謎の一つですね。

 さて、下記のサイトがありましたのでご紹介します。
■本能寺の変
http://www.page.sannet.ne.jp/gutoku2/honnoujinohen.html

 よく言われるのは母親の見殺し説です。
 光秀が波多野秀治を攻略する際に、自分の母親を人質として差し出すことで開城に成功しました。しかし、信長は波多野秀治を殺してしまい、それに怒った家臣は光秀の母親を殺してしまいます。こうしたことが引き金になったのではないかと言われています。

 ただまあ、理由は一つではないでしょう。ご紹介したサイトには7つもの推測が記載されていますが、これだけの背景があれば、謀反を起こすには十分すぎるたのではなかったかと思います。

 光秀は、今で言うインテリで、大変まじめな性格でした。逆に、プライドが高く、融通の利かない面があったと推察されます。このことから、信長の過酷な性格と相容れない部分が多く、最後には追い詰められて限界に達したのでしょう。

 彼は信長に見出され、一気に出世階段を駆け上がっていきますが、人使いの面では、他の織田家の武将同様、酷使されていました。信長は、今まで評価してきた幹部でさえも、働きが少し鈍るだけで首にしたりしたのですが、こうした面が、彼を追い詰めることになったのでしょう。

 余談ですが、現代を見ても、急成長している企業で、社長の腹心が唐突に辞職するケースは大変多いのです。社長からすれば、部下に十分すぎる給料をやって、相応のポストを与えて、一体何の不満があるんだ?と言うことなのでしょうが、それに応える部下の心労は、人並みではないと言うことでしょう。こうした企業では総じて、頭脳だけでなく、図太い神経をも持ち合わせていなければ、勤まらないことが多いようです。

 ご参考まで。

 本能寺の変は、日本史の謎の一つですね。

 さて、下記のサイトがありましたのでご紹介します。
■本能寺の変
http://www.page.sannet.ne.jp/gutoku2/honnoujinohen.html

 よく言われるのは母親の見殺し説です。
 光秀が波多野秀治を攻略する際に、自分の母親を人質として差し出すことで開城に成功しました。しかし、信長は波多野秀治を殺してしまい、それに怒った家臣は光秀の母親を殺してしまいます。こうしたことが引き金になったのではないかと言われています。

 ただまあ、理由は一つではな...続きを読む

Qなぜ明智光秀は 織田信長を裏切ったのでしょうか? それに どうして気づかなかったのでしょうか?

なぜ明智光秀は

織田信長を裏切ったのでしょうか?

それに

どうして気づかなかったのでしょうか?

Aベストアンサー

本能寺の変はその後に天下を取った秀吉の影響でかなり捻じ曲げられてしまっています。一番最初にこの事変を世間に現した書物は秀吉が祐筆の大村 由己の書かせた『惟任退治記』で、早々天正10年に発表されています。半年もたたないうちに秀吉が自己の都合のいいように発表しなければならなかったという理由があったと見るのが、順当なところでしょう。そして以後は秀吉に立場におもねって、この内容から逸脱することは出来ませんでした。その後に発表されたあの太田 牛一の「信長公記」でさえ、彼は信長に同道してはいなかったので本能寺には行っていない、基本線は秀吉の意向を周到するものです。
この事実を見る限り、秀吉には世間に隠したい何かがあったのだと見ることが出来ます。明智光秀の犯行ではないのかもしれません。そうであれば、変の理由も信長が気付かなかった理由も詮索できないのは無理もありません。
ただしもしそうであったとして、私にも不明なのは変後の明智光秀の行動です。さも自身の決断で行ったかのように、安土城を占拠し財産を押収するという行動を単独で行っているのです。本人があずかり知らぬことであったなら、まるで犯人でありますと公言しているようなその後の行動を取るのだろうかと思うのですが・・・

本能寺の変はその後に天下を取った秀吉の影響でかなり捻じ曲げられてしまっています。一番最初にこの事変を世間に現した書物は秀吉が祐筆の大村 由己の書かせた『惟任退治記』で、早々天正10年に発表されています。半年もたたないうちに秀吉が自己の都合のいいように発表しなければならなかったという理由があったと見るのが、順当なところでしょう。そして以後は秀吉に立場におもねって、この内容から逸脱することは出来ませんでした。その後に発表されたあの太田 牛一の「信長公記」でさえ、彼は信長に同道し...続きを読む

Q明智光秀はどんな人だったの?

明智光秀の性格を教えてください
どんな人物でどんな性格だったのかがわかる、エピソードなり諸説を
知っている方いたら、ぜひ教えてください。
例えば、疑りやすい性格だったから、信長を信じきれずに
討ってしまったなど…
意外と知られていない情報があればすごく助かります。
できれば、その情報が載っている本やアドレスも教えてください。
よろしくお願いします

Aベストアンサー

人柄ということですので、ちょっとしたエピソードを紹介したいと思います。

光秀の奥さんは、煕子さんという人だったのですが、
実はこの煕子さんは、光秀の元にお嫁に来る前に疱瘡という病気にかかり
顔に醜い痕が残ってしまったそうです。

煕子さんの実家では、織田の重臣明智光秀の嫁になる人だ
醜い煕子でなく、親戚の子を煕子ということにして、
光秀の下に送ろうと決めました。

だけど、光秀は偽者である事をすぐに見抜いてしまいます。
そして、煕子の実家に使者を送りこう告げます。
「約束の煕子さんが、疱瘡にかかったと噂は聞いてます。
 ですが、何も気にしないで、どうかお嫁に来てください。」と

こうして煕子は、無事に光秀の元に嫁入りします。

しかも、光秀は側室を持たず、この煕子を生涯ただ一人の妻として愛します。

以上のエピソードから、光秀は大変潔癖な人物であり、
とても優しい人柄を持ち合わせた、戦国時代には珍しいタイプの人だったようです。

Q2年契約で借りた家を途中で解約して引っ越すとどうなるの?

会社の都合で単身赴任することになりました。
赴任先では3年務めることになっていますが、1年で赴任先から戻ってこいという辞令がおりる可能性は十分あります。
そういう場合、2年契約を結んでいるとき、1年で解約した場合。どんなペナルティがあるのでしょうか?
契約内容にもよると思いますが、「一般的に」という感覚で回答いただけると助かります。
よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

今時、違約金を取るような物件は殆ど有りません。
2年契約というのはあくまでも契約期間なので2年経てば
解約又は更新しなければならない訳で、
2年間絶対に住みますという契約ではありません。
1、契約途中で解約する場合は通常1か月分の家賃を払って直ぐ退去。
2、事前に退去日が決まっていれば1ヶ月前までに解約の通知を出せば
違約金など一切有りません。

突然解約しなければならないような場合は上記の1、に該当しますので
住まないのに1か月分余計に家賃を払うので勿体無い気もしますが
これは一般的な契約ですので仕方ないと思ってください。

違約金を別途取る部屋や、解約通知は2ヶ月前とかいうおかしな条件の部屋もありますが非常に稀(全体の10%にも満たないと思います)
だと思います。
部屋探しの際に最初から、解約通知は1ヶ月前の物件を紹介してくれ
・・と業者に言えば余計な手間も掛かりませんので
お勧めです。

Q調べやすい歴史上の人物

中学生です。夏休みに、歴史新聞という課題を出されました。
条件は、『死んだ人』なら、誰でもいいらしいです。
でも、私は歴史上の人物の誰かにしたいのですが、どれもピンとこず・・・・。
死んでいて、中学生で習う歴史上の人物で、調べやすい人物はいませんか??

Aベストアンサー

歴史新聞の作り方
http://event.kids.yahoo.co.jp/summer2006/study2/society04/index.html

>中学生で習う歴史上の人物で、調べやすい人物はいませんか??

・聖徳太子
・天智天皇
・天武天皇
・源頼朝・義経
・足利尊氏
・織田信長
・豊臣秀吉
・徳川家康
・西郷隆盛

あたりは、エピソードがたくさん残っているので、やりやすいでしょう。

Q明智光秀のエピソードを教えて下さい

明智光秀については、三日天下の情けない男、というイメージしか持っていなかったのですが、最近、いくつか本を読んだり検索していたりして、予想以上に人気が高く、評判もいいことを知りました。
こちらのサイトでも検索して過去問で、単なるエピソードなのでしょうけど
「鳴かざれば、放してやろう、ホトトギス」
というのを読みガーンとやられました。一目惚れ(一読惚れ?)に近い感覚です。本当にこういう歌を本人が詠んだわけはないにしろ、こういう歌で表現される、というのが、すごく好きです。
男性のどこに魅力を感じるかは人それぞれですが、私は殺してしまえという信長は残酷で好きでなく、秀吉は才を鼻にかけているようで嫌、以前は3人の中では家康がマシかな、と思っていましたが、光秀は私の好みにピッタリきます。
というわけで、にわか光秀ファンの私に、明智光秀の素敵なエピソードを、教えて下さい。むしろ史実に載っていないようなものの方が楽しいです。
結構自分でもネットで検索などしてみたのですが、おすすめの光秀サイトなどもありましたら教えて下さい。

Aベストアンサー

才覚や志の高さを示す逸話はいろいろあるのですが
優しさや茶目っ気を感じるものをご紹介します。

光秀曰く
「仏の嘘を方便と言い、武士の嘘を武略と言う。
これから考えれば、土民百姓は可愛きことなり」『老人雑話』
司馬遼太郎の解釈では
「仏の嘘も武士の嘘も許されるのに農民の嘘ばかり
罰せられるのはおかしい。そう考えれば彼らの嘘も
憎いどころか可愛いものではないか。」
となるそうです。


唐崎の松の植替

万葉集をはじめ、古来から歌に詠まれてきた名勝で
近江八景の一つ「唐崎の松」は、光秀が坂本を居城に
したころには枯れてしまっていた。
和歌に明るい光秀は、これを惜しみ新しく松を植替えた。
その折に詠んだ歌
「我ならで誰かは植えんひとつ松 心して吹けしがの浦風」

何やら誇らしげな感じの歌で、妙におかしいですね。

Q山崎の戦い、光秀の味方は何故少なかったのか?

 本能寺の変で明智光秀が信長を討ちますが、その後の山崎の戦で羽柴軍に敗れます。
 大義名分では主君の仇討ちの秀吉に理がありますが、軍勢の数にかなりの差があります。細川、筒井、高山など、光秀の頼みとしていた武将はことごとく秀吉方に付きます。光秀は謀反人ですが、当時、信長に反旗を翻していた勢力もかなりあったはずです。
 各武将はお家の行く末を案じての決断だとは思いますが、秀吉と講和した毛利は別として、その他の反信長勢力を糾合できなかったのでしょうか?
 11日天下として、上杉、長曾我部など援軍を集められなかったのでしょうか?丹羽長秀は大坂にいたそうですが、四国征伐には行ってないでしょうか?

Aベストアンサー

 一般の常識的回答からは逸脱しますが・・・

 明智光秀は、細川藤孝が自分の側につくことを確信していた様に感じられます。
 
 細川藤孝はこのとき、息子忠興共々髷を落としてしまい、中川・高山などと違い中立を守ります。また、光秀の娘で忠興の妻であった玉(ガラシャ)を離縁し幽閉ますが、結局正妻の座に戻しています。

 武士が髷を落とすのは、侘び・恭順を示す場合に行なわれる行為で、単に長年の盟友(元々二人とも足利将軍家の家来であった。)と袂を分かつとしても、髷まで落とす必要性があるとは考えにくいことです。
 細川藤孝と明智光秀の間には、他人には知りえない何らかの盟約があって、その盟約を破る侘びと考えれば、光秀の娘をほとぼりが冷めた頃に息子の正妻に戻すというのも、せめてもの罪滅ぼしで納得できる感じがします。

・細川藤孝が明智側についた場合

 細川藤孝は、関が原の合戦の時には手勢五百ほどで一万五千の軍勢を丹後田辺城で釘付けにしたほどの戦略家。そして、細川が味方していれば、洞ヶ峠を決め込んだ大和の筒井順慶は光秀側についたはず。

 更に、兵力不足と指揮官不足で二正面作戦を行なえなかったために、一度安土城を攻め取りそれから軍を戻したため時間のロスが生じ、京と大阪の間の山崎が戦場となったのが、実際の歴史の展開。

 歴史にIF(もし)はないが、細川藤孝が中国攻めの進軍体制のまま明智側についていれば、細川藤孝が東の安土城を攻略し、明智光秀と筒井順慶は、西の大阪城にいた丹羽長秀・織田信孝軍(本能寺の変を聞いた兵が逃亡し兵力が半減。軍としての機能を喪失していた。)を撃破。その時点で中川・高山軍も明智軍に合流していた可能性が高い。

 ここに羽柴秀吉軍が攻めてきたとしても、兵力は山崎の合戦とは全く逆。また地の利も大阪城を占領し摂津を押さえた明智側が有利。
(その情報を得れば、羽柴軍は摂津に進軍しなかっただろう。結局播磨で持久戦体制を取らざるを得ない。)

 織田の五軍団+徳川家康の状況
  明智軍‥‥畿内の支配・経済を確立・朝廷利用。
  羽柴軍‥‥明智・毛利に挟まれて活動不能。
  丹羽軍‥‥壊滅
  柴田軍‥‥上杉との対峙で釘付け(史実)
  滝川軍‥‥北条の攻勢で壊滅(史実)
  徳川軍‥‥信濃・甲斐を切り取る(史実)

 この後どうなるかは分からないが、明智か徳川の政権になった可能性が高いと思われる。
 
 歴史上のことですし、敗者の明智光秀についての資料が多く失われていること、勝者の側に立った細川幽斎と敗者との関係ですから、今後も確定的資料が出てくることは考えられません。
 ですが、朝廷も絡んで(近衛前久・吉田兼見は変の後、織田信孝に狙われたらしい。)細川藤孝と明智光秀の間には、何かしらあったような資料が散見されます。

 キャスティングボードを握るキーパーソンが、どちらに動くかで、結果が大幅に変わってしまう(関が原の合戦もまたしかり。)ことは、よくあるように思います。

 一般の常識的回答からは逸脱しますが・・・

 明智光秀は、細川藤孝が自分の側につくことを確信していた様に感じられます。
 
 細川藤孝はこのとき、息子忠興共々髷を落としてしまい、中川・高山などと違い中立を守ります。また、光秀の娘で忠興の妻であった玉(ガラシャ)を離縁し幽閉ますが、結局正妻の座に戻しています。

 武士が髷を落とすのは、侘び・恭順を示す場合に行なわれる行為で、単に長年の盟友(元々二人とも足利将軍家の家来であった。)と袂を分かつとしても、髷まで落とす必要性が...続きを読む

Q信長・秀吉・家康のホトトギス

上記三人の人柄をホトトギスを用いて表現した文句は有名ですが↓

信長「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」
秀吉「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」
家康「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」

これらは彼らの人柄をわかりやすく例えるために後世に詠まれた、とこのサイト内の他の質問から知りましたが、これらを考えた「誰か」というのは特定の人物として存在するのでしょうか?
ご存知の方がいらっしゃいましたら教えて下さい。
宜しくお願いします。

Aベストアンサー

作者不明だそうです。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~gokuh/ghp/think/zakki_08.htm

Qなぜ中国は北朝鮮をかばうのですか

中国は北朝鮮にあまり厳しい態度をしないみたいですが、なぜ中国は北朝鮮をかばうのですか?
仲良しな国なんですか?

それとなぜアメリカはイラクの独裁政権をやっつけたみたいに、北朝鮮の独裁政権をやっつけないのですか?

Aベストアンサー

まず中国ですが、中国は北朝鮮と国交のある数少ない国の1つです。同じ共産主義政権という事もありますし、共産主義独特の思考で「同志」をかばうのは、これ当然の事なんです。

かつて連合赤軍や赤軍派・京浜安保共闘・反日武装戦線グループが日本の共産化を目指し、あちこちで犯罪を犯しましたが(よど号ハイジャック事件・ダッカ事件・連続企業爆破事件・あさま山荘事件・塚田銃砲店襲撃事件・M作戦・クリスマスツリー爆弾事件など)、結局彼らのした事は鎮圧・制圧されました。こいつ等も仲間を「同志」と呼び、裏切り行為があれば、リンチにかけて激しい制裁を加え、挙句殺してしまうところまでいっています。中国が死刑を強硬に行うのは、所謂、同志の「裏切り行為」に対する制裁と見せしめです。おっかないんですよ、中国って。日本でも共産党委員長になった宮本顕治元議員も同志を殺害したという事実があります。とにかく危険な主義・思考なんです。


アメリカが北朝鮮の独裁政権を潰せないのは、イラクの時みたいに大量破壊兵器を持っているのは分かってはいるんですが、問題はその兵器にあるんです。CIAが入手した情報によれば、核ミサイルは勿論、生物兵器・細菌兵器という怖っそろしい武器をゴロゴロ持っているからです。それと並行してアメリカは北朝鮮に対し「攻撃」の大義名分を持っていない。それがアメリカが北朝鮮に対し攻撃できない理由なんです。もしアメリカと北朝鮮が戦争状態に突入したら、アメリカの同盟国である日本にも甚大な被害が出ると、きちんと計算してるからなんです。それと中国にも。


北は中国の言う事なら何でも「ハイハイ」と聞きます。それでアメリカは今懸命に中国を通して北を何とかしろと影の部分で交渉しているのですが、先にも書いた通り、北と中国は「同志」。かばっているからいつまで経っても進展が無いんです。

まず中国ですが、中国は北朝鮮と国交のある数少ない国の1つです。同じ共産主義政権という事もありますし、共産主義独特の思考で「同志」をかばうのは、これ当然の事なんです。

かつて連合赤軍や赤軍派・京浜安保共闘・反日武装戦線グループが日本の共産化を目指し、あちこちで犯罪を犯しましたが(よど号ハイジャック事件・ダッカ事件・連続企業爆破事件・あさま山荘事件・塚田銃砲店襲撃事件・M作戦・クリスマスツリー爆弾事件など)、結局彼らのした事は鎮圧・制圧されました。こいつ等も仲間を「同志」と呼び...続きを読む


人気Q&Aランキング