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大辞泉と明鏡国語辞典の各言葉の説明が余りに似ているので、
絶対にどちらかが片方をパクってるとしか思えないのですが、これについて事情をご存知の方は教えて下さい。

(例)
【マットレス】
大辞泉 敷き布団の下やベッドなどに用いる厚い敷物。
明鏡  敷き布団の下やベッドに敷く厚い敷物。

こんな感じです。
どの説明も、9割方文章が同じで、ごく僅かにだけ言葉を変えてたりしてパクり方が悪質に見えるのですが・・・

A 回答 (4件)

おっしゃることはよくわかりますが、「国語辞書を作成する業界が怠慢なのだという理解」では辞書業界があまりにも気の毒というものです。

私の先の回答を読んでそういう理解に至られたなら、私の説明能力の低さを恥じるとともに、質問者さまおよび辞書業界の関係者にお詫びするしかありません。

もっとも新しく出た国語辞典といえば「明鏡」だと思いますが、その序文に編者のこんな言葉が載っています。

私の信念は、既にある多数の辞典にもう一冊を加えるのではなく、今までにはないただ一つの辞典を創るということである。たいした特徴もない辞典をもう一冊増やしても世の中を混乱させるだけである。今回の辞典編集にあたっても、この信念のもとに、これまでには存在しない最良・最高の辞典を創るべく、百回を越える検討会議を重ね、編集方針を練った。

編集方針を練る検討会議だけで百回以上です。よく「企画から完成までウン十年」とか「一冊完成するまでに編集委員が2、3人は死ぬ」と言われる辞書の世界ですが、これで「怠慢」と言われるのでは、たまったものではありません。
おそらくどの辞書も独自にこのような信念をもって編集されているはずだし、先にも回答したように、その辞書の目指す方針によって、たとえば「大辞泉」なら百科的な項目に、「明鏡」なら基本的な語になればなるほど、辞書の解釈や説明には個性が色濃く表れます。

質問者さまがイメージされているのは「辞典」というよりは「事典」的なもののようですが、私を含めた国語「辞典」ユーザーの求めているものと多少乖離があるように思います。
「マットレス」についていえば、それが寝具として使う敷き物であることさえわかれば国語辞典としては用が足りるのであって、それ以上の情報が知りたければ、おっしゃるように、より専門的な事典なり資料なりを調べればよいのです。それよりもユーザーにとって必要な情報は、言葉の使い方とか、表現の仕方とか、表記の使い分けといった、国語辞典でなければ書いていないことであり、この点においてはそれぞれの国語辞典が「違う説明の仕方や違う側面に触れたアプローチで自分の言葉で」説明しているし、「同じ分野の別の本を読者に手に取らせた意味を持つだけの多様性」は十分にあります。
最近このカテゴリーで「“行為”と“行動”の違い」とか「“送らせていただく”という表現は正しいのか」とか「“が”と“は”について」というような質問がありましたが、試しにいろいろな国語辞典で「行為」「行動」「させていただく」「が」「は」という項目を引いてみてください。国語辞典の多様性が実感していただけるはずです。
あるいは、具体的な一般名詞でもとにかく独創的な語釈のほうがよいというのであれば、よく引き合いに出されますが「新明解」という辞書もあります。独創的すぎて人によって好みが分かれる辞書ではありますが、質問者さまには気に入っていただけるのではないかと思います。
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この回答へのお礼

うーむ、確かに国語辞典に対して、先入観として事典的なものを考えていたかもしれません。
明快な表現以外は使わないという理科系作文の原則が、逆に豊かな国語表現から意識を遠ざけていた(辞書を引く際にも)という気がします。
これからは、言葉の表現の仕方という点等にも注目して国語辞典を読み比べて選びたいと思います。
親切にありがとうございました。

お礼日時:2008/08/23 20:09

ご返信を読んで誤解されたままだと辞書制作に携わる人たちがあまりに不憫なので。



>誰でも時間をかけたら見栄えのいい辞書が作れてそれなりに売れそうですね^^;
作れますが売れないでしょうね。
時間をかけた国語事典ほど無意味なものはありませんから。
現代の生活で知りたい言葉が載ってなかったら意味ないでしょう?50年かかって辞書作りました~作ってみたらどれもこれも死語でした~なんて辞書つくってだれが買うんですか?
ただの自己満足でしょ、それ。
できるなら自分に満足のいく辞書を、とは辞書制作に携わる人間のだれもが思うことです。それを許さないのは辞書を「買う」側の人間です。ニーズに合わせなければ、意味はない。それを「簡単に「是」」としているなんて言葉で済ませるんですか。

辞書には「締め切り」があるんです。
辞書の命は「鮮度」です。
他の回答者様がおっしゃっているように「新明解」は質問者様が求めていらっしゃるような辞書ではあります。が、それがほんとうに役に立つ辞書かと言えば、私はそうは思いません。あれは読み物であってツールにはなり得ませんから。
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「事情をご存知の方」って、その辞書の執筆者か編集者くらいしかいないと思うので、ここで質問をしてみても真相が判明する可能性は限りなくゼロに近いでしょう。

どうしても気になるのなら直接編集部にでも問い合わせてみたらいかがでしょうか。「はい、パクりました」なんて絶対に言わないと思いますが、もしかしたら参考になる話が聞けるかもしれません。くれぐれもクレーマーだと思われないように注意してくださいね。

私の回答としてはNo.1さんと同じになりますが、パクり(学問的にいえば「先行研究の参照」)のない辞書というものはありえないと考えます。また、パクりでないことを示すためだけにことさらに独創的で新奇な表現を用いるのも、読み物としてはおもしろくても、実用性の面からはあまり歓迎できることではありません。
特に、例に挙げられた「マットレス」のような言葉は誰が説明しようがほとんど同じ意味になるのは当然で、逆にいえば、人によって意味が大きくころころと変わったら困ります。
参考までに、いま手元にある辞書の記述を引用してみます。

・精選版日本国語大事典:敷きぶとんの下やベッドに用いる厚い敷き物。
・新選国語辞典第八版:敷きぶとんの下やベッドに用いる厚い敷き物。マット。
・集英社国語辞典第二版:寝具用の厚い敷物。弾力性に富み、ベッドに置いたり、ふとんの下に敷いたりする。

いかがですか。これらの記述を並べて、どれがどれのパクりだと詮索したり非難したりしてみることにそれほど意義があるとは思えません。書誌学者なら別かもしれませんが。
また、「大辞泉」と「明鏡」のどちらかが特に悪質だと思われるなら、「9割方」という根拠と、少なくともほかの辞書はそうではないということを明らかにする必要があるでしょう。

私の持っている電子辞書には「大辞泉」も「明鏡」も入っているので両方ともよく使いますが、「マットレス」のような言葉はともかく、「行く」とか「する」など補助動詞にもなるようなレベルの言葉や助詞や助動詞など、基本的な言葉になればなるほど、解説の内容や切り口はかなり変わってきます。
そして、ここのカテゴリーの質問を見てもわかるように、日本語の表現や使い方について疑問をもったときに必要になる情報というのは、「マットレス」のような言葉の意味よりもこうした基本的な言葉の性質や使い方であることのほうが圧倒的に多いものです。
「大辞泉」と「明鏡」は中型辞典と小型辞典という性格の違いももちろんありますが、個々の言葉の解説についてもまったく別の特徴と特長をもった辞典として私は使い分けています。

この回答への補足

どれも似てますねぇ。
国語辞書には詳しくないので、切り口が間違ってたようですね。

私は理科系なのですけれど、同じ分野の教科書や学術書や論文で、同じ数式や同じ定理の説明だからといって右に倣えの同じ文面や同じ説明方法は簡単には許されません。
違う本なのだから、同じモノの説明であっても、違う説明の仕方や違う側面に触れたアプローチで自分の言葉で書き、同じ分野の別の本を読者に手に取らせた意味を持つだけの多様性を見せないといけない。マットレスのような言葉であっても同様です。一言での簡略な説明を心がけたり、日用品なので図を載せたり。想定読者のレベルで説明を平易にしたり。それが出来ないのなら(この場合はカタカナ語辞典のような)別の専門書に一括して任せる。そうしないと、「違う本を無理して作る必要が無い」と身内から叩かれます。理科系分野にはそういう気質があります。辞書業界にもそういうものがあると勝手に仮定していた事を謝罪します。ウリの違いのよく分からない国語辞書が世に氾濫してる時点で気付くべきでした。

理工学系の辞典でも、そうですね・・英和辞書でも、こういうかなり文章の似たような説明はあまり見ませんし(英和辞書などはかなり説明方法にバラエティがありますね)、まして複数の辞典で、なんて事は無いです。
大辞泉と明鏡に問題があるのではなく、国語辞書を作成する業界が怠慢なのだという理解に至りました。

補足日時:2008/08/23 12:04
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この回答へのお礼

国語辞書を手に取る時に色々参考になりそうです。ありがとうございました。

お礼日時:2008/08/23 12:47

なんでもかんでもパクリととらえるのは今日の悪習としか思えないのですが…。



文学関係の資料(辞典・事典・古典などの注釈)などは基本的に選考資料をふまえた上でつくられます。
同じ言葉を使う際に、前出の資料にちょうどいい言葉があったらそれを使うのは業界の常識です。
良いものは再利用、間違っているところは修正。その作業の繰り返しで辞書も何もかも版を重ねていくんです。
同じ文章がでてくるのなんて当たり前。
質問者様が引用されている箇所なんかは、私から観るとまったくちがう日本語にしか見えませんが…。これで悪質なぱくりと言われてしまうなら、編集者に同情を禁じ得ません。

「すべての言葉が前の辞書と同じではいけない。すべてをオリジナルに満ちあふれたもので作り替えろ」

なんて要望にこたえていたら、辞書はいつまでも時代に追いつけませんよ…。


結論
辞書にオリジナリティを期待しないで下さい。

この回答への補足

自分はクレーマー気質でこういう質問をしてるわけじゃなくて、電子辞書で全辞書検索機能をよく使っていて、この二冊がかなりの頻度でこういう単語の順番やら助詞だけ変えたような説明を書いているので質問した次第です。2年間電子辞書を毎日使っていて、疑問・疑念が溜まってたんですよ。
和製英語を検索しても、この二冊はほぼ同じ文面でカタカナ語辞典は別の説明、熟語を検索しても、この二冊はほぼ同じ文面で漢語林は別の説明、「当たり前」とか仰ってますけど、当たり前には全然思えません。

というか、これが全く違う日本語に見える人間がいる以上、誰でも時間をかけたら見栄えのいい辞書が作れてそれなりに売れそうですね^^;
そういう風に仰られるなら、辞書なんてものは国定で詳細さの段階や分野別に各一冊ずつ作成すればそれでいい気がします。
同じ参考資料から同じ文面を利用してるだけの同じ収録レベルの辞書が巷に溢れている事が理解出来ないですし、簡単に是とするのは生理的に気持ち悪いです。

補足日時:2008/08/23 11:47
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