
No.4ベストアンサー
- 回答日時:
国籍という点なら、簡単です。
ナポレオンには完全なフランス国籍があります。兄のジョセフは微妙な年数なんですが、それが問題になったことはほとんどありませんね。というのも、当時はあまり国籍による規制があまりなかったからです。またイタリアなる国家は存在しませんでした。フランスはブルボン王朝のころから、覇権国家としてならしてましたし、共和制移行後は国際国家として、来るものを拒まず、去るものは追わずというのが基本的な方針だったといえます。ちょうど、今のアメリカがさまざまな出身者の集まりであるように、フランスもまたさまざまな出自のひとが集まった国家で、彼らはフランス語を話すフランス人として、いわゆる人種のルツボとなっていたのです。ま、アメリカがそうであるように、ルツボは完全な同化ではなく、雑多な混在状態が現実なんですが。またナポレオンの父親カルロは、ちょっと書類をごまかして、フランス王に自分の家系を貴族として承認を得ました。コルシカには実際には貴族制がなかったのですが、王による承認があったということで経緯がどうあれ、公式なものとなり、ボナパルト一家はフランス王に仕えるコルシカの貴族という明確な立場を得て、ナポレオンが士官学校への公費入学ができたのもこのためです。
ボナパルト家は、もともとはフィレンツェとサルツァーナの血統貴族が出自で、これは要するに中部イタリア出身ということなんですが、彼のクランもトスカーナ言語を主に話していました。その一族がジェノバの傭兵隊長となって、ジェノバ領コルシカに来たのがコルシカのボナパルト家の始まりで、ナポレオンの母方のラモリーノ家の方が、コルシカに根ざした古い家ですが、古くさかのぼるとナポリなどの南部イタリア系の家が混ざっています。ま、コルシカというところは、外部からやってきた人々が順々に沿岸に住み着いて土着化したところで、中心部にしか原住民がいませんし、多産で家同士の結びつきは複雑で、もちろん混血が進んだんで、もうどれがナニ人だなんていうばかげたことを言ってられないわけです。クラン支配が島全体をおおって分断された社会だったので、コルシカは島としての団結に欠き、コルシカ人なるものの意識が島民に薄かったことも特徴的です。(コルシカ人である前に、所属クランへの忠誠がものをいった)
またついですが、コルシカ島では島の一部ではトスカーナ語が話し言葉で、書き言葉はラテン語というところがあり、それでナポレオンもイタリア語で話していたわけですが、ナポレオンは学校にコルシカ貴族として入学したので、イタリア語表記で名前を書くように学校で指導されていたわけです。しかし厳密にいうとコルシカ表記はイタリア語(トスカーナ)の表記法とは違うため、関係ないといえば関係ないのですが、ナポレオン自身が若い頃はコルシカ独立を夢見ていたので、この表記法で名前も書いていたわけです。しかし革命後にパオリ派と対立して島を追われたので、それを機にコルシカに戻らない覚悟で、フランス人として再出発したというわけで、別にイタリア人だったというわけではなくて、(いまだに存在しない)コルシカ人として自尊心だったというわけです。
ちなみにですが、ナポレオンは同時に、イタリア王でもありました。
実際に統一国家にはしませんでしたが、イタリアの統一が可能であることを身をもって示した最初の人物がナポレオンであって、サルディニア島以外のすべての領土はナポレオンの支配化にあり、衛星国家にで分割されていました。だから英雄の定義はおいておいくとしても、フランスだけでなく、イタリアの英雄であるともいえます。簡単にいって、両国(というか両地方)の国家元首、諸国民の王でしたから。
No.5
- 回答日時:
ナポレオンは コルシカ人(びと)
フランス人とかイタリア人とかそういった概念は市民革命を通じて作られたものです。
初っぱなとしてはフランス大革命となります。
フランス大革命を通じてフランス人が作られてきたということです。
前哨戦というか、概念的には百科全書派が18世紀半ば頃に「フランス語」で知識の記述をしたことから始まります。フランス語が分かることがフランス人の条件とも言われているのは、これが背景にあります。
しかし、文字に親しまない一般の人間的には、フランス革命を通じて、非フランス勢力と戦ったという体験が、その人間をフランス人にしていきました。この意味で、ナポレオンは「フランス人を作った」人間でもあります。
ちなみに人種的には(体型などの意味で)、現在の北フランスはアルプス人種、フランス南部やイタリアはアルプス人種と地中海人種の混交とも言われています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB% …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E4%B8%AD% …
No.3
- 回答日時:
フランス語版Wikiを参照しました。
1768年にコルシカ島はベルサイユ条約によりフランスに割譲、従って、1769年、フランス領になったコルシカ島で生まれたナポレオンはフランス国民です。イタリア人の血を引いているのでしばしば「イタリア人」と揶揄されることはあったようですが、法的にはフランス人で間違いないと思います。
http://fr.wikipedia.org/wiki/Napol%C3%A9on_Ier
今のフランスでもイタリア語が母国語のイタリア系フランス人がたくさんいます。フランス国籍を持っていればフランス人です。

No.2
- 回答日時:
どっちとも言えるからこそ、フランス本土の人から見るとちょっと別モノだったのではないでしょうか。
法的にはフランス人だが、フランス本土の人から見たら文化の違うコルシカ人だったのでは。
出身は問わないと言っても、あの人はどこそこの出身だから、というのはあるんじゃないでしょうか。
未だに一つの国の中でも、地方同士で「あの地方の奴らはああだこうだ」と言っている人々がいます。
(日本もそこまでではないけれど、薩摩藩なのに!とかあったのでは、、、)
そういう近隣の違いに敏感な一方で、親同士の出身地が違って祖父母も他民族の血を引いている「何系何々人」というのも多いし、王家もあちこちと姻戚関係を結んだりして、そこらじゅう親戚みたいな感じでもあります。
また、1つの国でも言語が複数あったり(現代でもある程度そうです)、元々の歴史は別路線を歩んでいたり、あっちに併合されたりこっちに組み入れられたり、というのが多いです。
地中海の島々もそうです。
イタリアと名の付く国家が出来たのは19世紀でしたっけ?
だから現代のような「イタリア人」という意識は、当時は無かったのでは。
フランスの前はジェノヴァが持っていたそうです。
ええと、ナポレオンが1769年生まれ、1768年にジェノヴァからフランスへコルシカ島の統治権が譲渡されたそうなので、フランスとしての歴史が浅かったのですね・・・・。
No.1
- 回答日時:
日本から見たら、結果的にはフランス人だし
フランスからみたら「イタリア系フランス人」。
イタリアからみたら「フランス野郎共の皇帝」でしょう。
現在のフランス大統領も、ハンガリー系移民です。
これに限らず、ヨーロッパの各国の王家は必ずしもその国の出身では
ないことが多々ありました。
ヨーロッパには、日本人には感覚的に理解しづらい考え方が
あるのでしょうね。
「自分が現在、どの社会に属しているか」を明確に言えるのならば
出身は問わない」という考え方が。
北京オリンピックでも欧米各国にケニヤ等アフリカやジャマイカ出身
の選手が多く代表として出ていました。
先のワールドカップでも三都主の代表選手入りには、さほど違和感が
なかったですから、ナポレオンを見るフランス人目線もそれに近かった
のでしょう。
ナポレオンはイタリア遠征の際、現地で略奪を黙認したのは
兵士たちに「俺はイタリア人ではない」事の静かなアピールだったの
かもしれません。
この回答へのお礼
お礼日時:2008/08/27 13:20
回答ありがとうございます。
確かに、ロシアの女帝エカチェリーナ2世は、ドイツ人ですし。
何人かこだわるのは、日本的な発想なんでしょうね。
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