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「ジレンマ」、「板挟み」は前両者も両立できないものが同時に立ったことですね。
私の考えは 仮名字はヒトの境地で、二番はヒトに関する物事を指すですが、みんなさんはどのように使い分けてするですか?教えてください

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A 回答 (3件)

はじめまして。



ご質問1:
<私の考えは 仮名字はヒトの境地で>

ヒトに限定されません。


ご質問2:
<二番はヒトに関する物事を指すですが>

ヒトのみ、というわけではありません。


ご質問3:
<「ジレンマ」、「板挟み」は前両者も両立できないものが同時に立ったことですね。>

その通りです。

1.「ジレンマ」:

(1)英語からの借用語でdilemmaからきています。

(2)この英語は元々は、ギリシャ語→ラテン語からの借用語です。

(3)原義はdi+lemmaに意味が分かれます。

(4)di=two、twice「2つの」 + lemma=assumption「前提」「仮説」からなる語です。

(5)つまり、ジレンマとは、「2つの異なる解釈」という意味で使われる名詞です。

(6)従って、ご質問にあるような「異なるヒト」とは直接関係なく、「ヒトの考える解釈」「ヒトの考え方(意見)」に言及しているのです。

(7)なお語法は以下の通りです。
「ジレンマに遭う」(X)
「ジレンマに陥る」(O)

2.「板挟み」:

(1)意味は「両立し得ない2つの間の立場にたって、どちらにつくこともできずに悩む状態」を言います。

(2)つまり、必ずしもヒトに言及せず、その「立場」「意見」「考え方」などの間で板ばさみに遭うのです。

(3)なお語法は以下の通りです。
「板挟みに遭う」(O)
「板挟みに陥る」(X)

(4)ただ、こちらの用法の方が、直接的な「考え」「解釈」よりも、その考えをする「人」に焦点をあてた場合によく使われるのは確かです。
例:
「AさんとBさんの板挟みに遭う」(O)
=異なる考えを持つAさんとBさんの板挟みに遭う

「AさんとBさんのジレンマに陥る」(X)

(5)これを正しい文にするには、ジレンマに陥る原因の対象を「ヒト」ではなく「考え」「意見」などと直接的に具体化すると意味が通じます。
例:
「AさんとBさんのジレンマに陥る」(X)
→「Aさんの考えとBさんの考えの間で、ジレンマに陥る」(O)


ご質問3:
<どのように使い分けてするですか?>

1.ジレンマに陥る原因は「ヒト」そのものではなく、ヒトの持つ「異なる考え方・解釈」にあると言えます。

2.板挟みに遭う原因は「ヒトの持つ異なる意見」だったり、「異なる意見を持つヒト」どちらにも使えます。

以上ご参考までに。
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この回答へのお礼

お答え、ありがとうございました
すてきな解説です。すっきり分かりました。今後ともよろしくお願いします!!

お礼日時:2008/08/27 01:34

「ジレンマ」は自分でしでかしたことが原因で


陥った窮地という感じ、
「板挟み」は 他者の圧力が働いて追い込まれた
という感じ、
で使っています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました
とてもわかりやすいです

お礼日時:2008/08/26 22:07

日本語か外来語かの違いですので


特に使い分けていません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました
違いがあるですけど、やはり同じに使いますね

お礼日時:2008/08/26 22:06

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Q『ラディカル』という言葉の使い方について

『ラディカル』という言葉の解釈に迷っています。
辞書などでは「根本的な」「基礎的な」また、「過激な」や「急進的な」などと載っていて、意味そのものはよく理解できるのです。
しかし、社会、歴史、美術、建築などでは、それぞれの分野で意味や解釈のニュアンスが違っているような気がしてなりません。
考えすぎなのでしょうか?
『ラディカル』という言葉の意味や解釈の基礎知識や良い本などありましたら教えてください。

Aベストアンサー

「ラディカル」と聞いて私がイメージするのは、物事を根本的に、
底の底から変えてしまうような、鮮烈で強力な力です。何よりも、
「我々の既成概念を根本から変えてしまうこと」を含意している
ことが、重要だと思います。胸躍る言葉でもありながら、危険と
隣り合わせのニュアンスも感じます。
政治であれ美術や建築であれ、ラディカリズムを標榜する思想は、
急激で落差の大きい変化を求めるでしょう。既成概念を覆すこと
が目的ですから、より戦闘的であり、挑戦的でもあります。

先進資本主義国では、社会が安定化し、規制のシステムが固定化
する中で、「ラディカルであること」は徐々に力を失っているの
だと思います。それは、政治的であれ哲学・文学・美術・建築、
その他あらゆる分野で。
現在、おそらく「ラディカルな」という形容詞をつけた場合に、
程度の問題として変化の度合いが大きいことを指し示している
だけで、本当に根本的な意味での変革を指していることは稀で
しょう。それ以外では、単に政治的な意味での「過激派」を指
している場合のみに使われているのでしょう。後者の場合は、
もはやイスラム過激派のような、全く我々には理解不可能な「他
者」を指す言葉でしかなくなっているのかもしれませんね。

(このような答えで質問者様の要望にあっているか疑問なのですが、
 もし「意味や解釈のニュアンス」が違っているような例を教えて
 いただければ、もう少しまともな答えができるかもしれません。)
 

「ラディカル」と聞いて私がイメージするのは、物事を根本的に、
底の底から変えてしまうような、鮮烈で強力な力です。何よりも、
「我々の既成概念を根本から変えてしまうこと」を含意している
ことが、重要だと思います。胸躍る言葉でもありながら、危険と
隣り合わせのニュアンスも感じます。
政治であれ美術や建築であれ、ラディカリズムを標榜する思想は、
急激で落差の大きい変化を求めるでしょう。既成概念を覆すこと
が目的ですから、より戦闘的であり、挑戦的でもあります。

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