ナポレオン・ボナパルトについてレポートを書こうと思ってWikipediaで調べたのですが
項目が多すぎて用紙に収まりきらないと思うので、書く内容を絞りたいのですが、
「ナポレオン・ボナパルトといったらコレ!!」と思う出来事を3つ程度教えてくださいm(_ _)m

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A 回答 (5件)

ナポレオンについて書こうとしたら、レポートではなく本一冊余裕で書けます。


詳しく書いたら、シリーズ化も不可能ではありません。

下手な冒険小説の主人公より、よほど波乱万丈の生涯を送っています。
悪いことは言いません。別の人物に変更しましょう。
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宿題でしょうか?


宿題でしたら、まず「ナポレオン・ボナパルト」は選択ミスです。
なぜならば、「項目が多すぎて用紙に収まりきらない」ので。

冗談ではなく、短大で歴史を専門に学んだ経験からの真面目なアドヴァイスです。
「項目が多すぎて用紙に収まりきらない」ものについて、「内容を絞って」書いても、結果として、訳が分からないレポートしかでき上がらないんです。

まず、テーマを自体を、「ワーテルローの戦い」」「トラファルガー海戦」「ナポレオンのロシア遠征」「ナポレオン法典」「ティルジット条約」「皇帝としてのナポレオン」「2人の皇后~ジョゼフィーヌとマリー・ルイーズ~」「デジレ・クラリィ」などに絞られるべきだと思います。
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少年のころ、ナポレオンは万引きをした。


翌日その店に戻って主人に、自分が悪いことを
しましたと告白すると、主人は、若いときは
いろいろなことがあるよ、キミが出世してか
ら返してくれればいいから、といって、その
品物をナポレオンに上げました。
後年、肯定になったナポレオンは、このことを
印象深く覚えていて部下の閣僚に貧民院を創設
させ、また自分では万引きをした店にお忍びで
出向いて、まさかと驚く主人に向かって、
これが以前約束したものです、といってブルゴ
ーニュ地方の城と領地を与えました。
(「西洋故事ことはじめ」より)
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>項目が多すぎて用紙に収まりきらないと思うので、書く内容を絞りたいのですが



表現が正しくありません。
コピペしようとしたら、収まらないんでしょ?
レポート書くのに、コピペですか・・・

レポートにネット使うなとか、検索するななんてことは言いませんから
(用紙に収まり切れないほどの情報があるのですから)
せめて、重要と思える事柄を取捨選択するぐらい、脳みそ使ってください。
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我輩の辞書に不可能は無い


我輩は字が読めなかった
我輩は手がシモヤケなんで服の中にいつも入れていた
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Qナポレオン・ボナパルトは何をした人ですか?詳しくわかりやすく教えてくれたらありがたいです。

ナポレオン・ボナパルトは何をした人ですか?詳しくわかりやすく教えてくれたらありがたいです。

Aベストアンサー

革命期のフランスの軍人・政治家である。ナポレオン1世(フランス語: Napoléon I、在位:1804年 - 1814年、1815年)として、フランス第一帝政の皇帝にも即位した。 フランス革命後の混乱を収拾して、軍事独裁政権を樹立した。また、戦勝と婚姻政策によって、イギリス、ロシアとオスマン帝国の領土を除いたヨーロッパ大陸の大半を勢力下に置いた(これら一連の経過をナポレオン戦争という)が、最終的に敗北して失脚した。

Qレポートの書き方で、序論・本論・結論をどのように書いたらいいか分かりま

レポートの書き方で、序論・本論・結論をどのように書いたらいいか分かりません。
テーマは「琉球王国の歴史」なのですが、どのようにかいていったらいいのでしょうか?

Aベストアンサー

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

どれくらいの長さのレポートかは解りませんが・・・。

>>序論・本論・結論

序論・・・これから書こうとしていることの意味合い。もしくは、なぜ「琉球王国の歴史」を選んだかを書き出しとする。

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Qルイ・ナポレオン

今、受験生でして、世界史を勉強しててふと疑問に思ったのですが、
ルイ・ナポレオンという人物は、ナポレオン・ボナパルトの甥らしいのですが、どうして、ナポレオン・ボナパルトには[ナポレオン]という字が左側にあるのに、ルイ・ナポレオンには、[ナポレオン]という字が、右側にあるのでしょうか?
これは、つまり苗字、名前が入れ替わっているのでしょうか?
そうであるなら、何か、その時代の事情があって、このような名前になっているのでしょうか?
どなたか、教えてください。

Aベストアンサー

ま、「ナポレオンは苗字ではない」の一言で解決する疑問ですね。
あなたのように「・」を姓名と間違える場合があるので
「ルイ=ナポレオン」という風に書くほうを私は好みます。
(表記法は必ずしも決められてない)
その方がこれひとつで名(正確に通称ですが)だということがわかるでしょ。

有名なルイ=ナポレオンは、フルネームでは
シャルル=ルイ=ナポレオン・ボナパルト。
ただし皇帝に即位したために、通例としてはナポレオン3世と呼ぶか、
通称のルイ=ナポレオンで呼びます。
平凡な組み合わせの名前が多いのでヨーロッパでは通称がよくつかわれました。

ところでルイ=ナポレオンはナポレオンの甥というのは単に戸籍上のことで
実際には血縁関係は全くありません。彼はジョゼフィーヌの孫でしかありません。
彼はほぼ確実にルイ・ボナパルト(ナポレオンの弟)の子ではないので
ボナパルト家の血は一滴も流れていません。
母親のオルタンスはナポレオンの養女のため、ま、義理の孫ではあるけど。

それから20世紀に入って、ジェローム家系(ナポレオンの弟の一人で男系が残る唯一の家系)は
苗字をナポレオンに変更してナポレオン公(公とはプリンスの方です)と
名乗っています。しかしこれとルイ=ナポレオンとは関係ない、というか
当時、ルイ=ナポレオンが大統領や皇帝になるころは
(元ウェストファリア王)ジェローム・ボナパルトが生存していました。
その子の代で、ナポレオン3世失脚後のことです。
ナポレオン姓に変えたというか、新しくしたのはこの一家が政治家で
選挙などに出るからでしょう。

ま、「ナポレオンは苗字ではない」の一言で解決する疑問ですね。
あなたのように「・」を姓名と間違える場合があるので
「ルイ=ナポレオン」という風に書くほうを私は好みます。
(表記法は必ずしも決められてない)
その方がこれひとつで名(正確に通称ですが)だということがわかるでしょ。

有名なルイ=ナポレオンは、フルネームでは
シャルル=ルイ=ナポレオン・ボナパルト。
ただし皇帝に即位したために、通例としてはナポレオン3世と呼ぶか、
通称のルイ=ナポレオンで呼びます。
平凡な組み...続きを読む

Aベストアンサー

孤高の鷲―リンドバーグ第二次大戦参戦記 (文庫)
チャールズ リンドバーグ (著), Charles A. Lindbergh (原著),
新庄 哲夫 (翻訳)
リンドバーグの第二次大戦日記と同じ内容だったと思います。
こちらのほうが手に入りやすいと思います。
関係ないですが、アーロン収容所 (中公文庫) 会田 雄次 、というのが
大変面白いです。
第二次大戦中の連合軍と日本軍の違いとか、白人の日本人感とか。http://www.amazon.co.jp/gp/product/4059011142/sr=1-2/qid=1188372394/ref=olp_product_details/250-1564297-5970661?ie=UTF8&qid=1188372394&sr=1-2&seller=

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ナポレオン・ボナパルト
=ナポレオン一世。フランス。ヨーロッパ中世終末期の大風雲児。
は生涯独身だったの?
わかる方、教えて下さい。お願いします!

Aベストアンサー

結婚したようですよ。

参考URL:http://www.geocities.co.jp/Berkeley-Labo/1849/history/iman_franz2.html

Qナポレオン1世は、いつジャンヌ・ダルクを象徴としてとりあげたのですか?

最近ジャンヌダルクに少しばかりはまっています。
少しなのですが、本を読んだり映画を見たり。
色々な謎もあったりを、わくわくして楽しんでいます。

その中で今、一番気になるのが、
ナポレオン1世がいつオルレアンでジャンヌのお祭りに参加したのか?
と言う事なんです。

近年ジャンヌダルクを象徴として有名にしたのはナポレオン1世
であるとの事。(このサイトでも説明がありますが)
それがいつ頃の事なのか教えて頂きたいのです。

ジャンヌについての色々な推測まじりの謎と違って、ナポレオンが
オルレアンのジャンヌの祭りに参加した時期等ははっきりした事実
だと思うのですが、歴史的に特に重要な事でないからか、ジャンヌやナポレオンに関する本を図書館などで色々見てみたのですがよくわかりません。

もし、お詳しい方がおいでましたらお教えいただけたらと思います。
もし何かの本に書かれているようでしたらその図書もお教えいただければうれしいです。

なんだか、ジャンヌ自身の事でない部分にひっかかってしまって自分でも重要性低いなぁ、と思いつつ一度気になると抜け出せない状態になってしまって困っています。(笑)

おヒマな時で結構ですので、是非よろしくおねがいします。

最近ジャンヌダルクに少しばかりはまっています。
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Aベストアンサー

ジャンヌ・ダルクについてはさほど知りませんが
フランス語のwikiには1817年に刊行された本が
彼女の再評価の流れをきめたような感じで書いてありますね。
どの記述をみても、本格的な再評価はナポレオン統治時代に始まり、
その終わりごろにはだいたい流れが定着し、
第一次世界大戦のころに本格的な国民的スターになったというのが
基本的な路線のようです。
そして1920年に聖人に列せられるというわけ。
この顛末には、政治的作為と、大衆世論が大きくかかわっており
誰かがどうこうしたとかいうことではないです。
ナショナリズムを背景としたある種のムーブメントといえるかな。

私が知る限りですが、
ナポレオンはオルレアンの祭りなどには参加してないと思います。
というのも革命時期はカトリック関係の祝祭は禁止されてましたし
少なくともコンコルダートまでは、カトリックの宗教行事と
関わることは無理だったでしょう。
そもそもジャンヌはブルボン家を支持する王党派だったわけで
共和派の立場からは余り好ましい人物ではありません。
ただ貧しい生まれで、貴族ではないことから、
生まれは平等主義の観点からは評価もできたでしょう。

もともとジャンヌ・ダルクとはローカルヒロインであり、
歴史を振り返れば、パリ市民に破れ、オルレアン派に捕まっており、
要するにフランス人に対して負けて、捕まった人間。
宗教的な奇跡云々はおいておいても、歴史としては
君主擁護者だったという点以外ではフランスに名誉をもたらしたとは言いがたいのですが
ナポレオンは政治的意図をもって、この人物を
新しくイギリスを駆逐(しようとした)”フランスの英雄”という
新たな観点を与えたということろがナポレオンのジャンヌ像への影響の主な部分です。
しかしだからといって個人的に熱心に運動したわけでもないはずです。
その必要もありませんからね。
関心をもっていたわけでもないでしょう。
要するにメディア操作であり、言論統制、あるいは世論誘導です。
ナポレオンにとっては、ジャンヌはその材料に過ぎません。
歴史的にはジャンヌはフランスを救おうとしたわけではないし、
そもそも中世当時はフランスなる国民国家は存在しなかったわけですが、
ナポレオンそういう歴史的事実を若干捻じ曲げて偶像をつくりだす
きっかけをつくったというところでしょう。

1803年ごろに言及があったと調べたそうですが、その時期に
そういったことが行われたことは合理的といえるでしょう。
ナポレオンは皇帝を目指し、かつ宗教和解を進めていましたから、
ローカルな庶民の英雄に脚光を与えてることは好ましいです。
カトリック信仰深い人にとっては宗教的寛容であり、
カトリック信仰を捨てた人々にとっては非教会系のヒロインということで
折り合いが付けやすい。
ナポレオンは、シャルルマーニュの模倣を始め、その後継者を
自認するようになりますが、ジャンヌにしても、
国民的ヒーローの系譜のようなものを示して、
自分もそれに列する人物である、あるいはフランスにはそういうリーダーが
必要であるということを世論操作しよういうのでしょう。
彼が皇帝になる過程、あるいは動機のひとつには
政治的な安定というものがあって、革命によって分裂した国家を
制度的、精神的に再統合しようというもので、
かつ世襲によってそれを永続化しようと考えたわけです。
ジャンヌ自身はさっきいったようにナポレオンの時代には
反イギリスという以外には共通点はありませんが、
(もともとフランスなど国を擬人化するときは女性を用いたので)
フランスの守護者としてのイメージが
後年たかまっていって、広まっていったわけで、
振り返ってみて、ナポレオンのころに始まったんだなぁという程度です。
ま、この流れは、要するにナショナリズムの高揚とほぼ同義でしょうね。

ジャンヌ・ダルクについてはさほど知りませんが
フランス語のwikiには1817年に刊行された本が
彼女の再評価の流れをきめたような感じで書いてありますね。
どの記述をみても、本格的な再評価はナポレオン統治時代に始まり、
その終わりごろにはだいたい流れが定着し、
第一次世界大戦のころに本格的な国民的スターになったというのが
基本的な路線のようです。
そして1920年に聖人に列せられるというわけ。
この顛末には、政治的作為と、大衆世論が大きくかかわっており
誰かがどうこうしたとかいうこと...続きを読む

Qナポレオンのことについて

ナポレオン・ボナパルトの誕生日を教えてください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

1769.8.15ですね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%9D%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%8A%E3%83%91%E3%83%AB%E3%83%88

Q30年くらい前の出来事から今にかけての世界の出来事

イラン革命 ベルリンの壁崩壊 ソ連崩壊 イランイラク革命 湾岸戦争 イラク戦争と
色々語句だけ書いてますが、これすべてつながりがあるんですか?
何がつながりあるか教えてください

Aベストアンサー

×イランイラク革命 → イランイラク戦争(宗教的対立)
湾岸戦争(イラクによるクェート侵攻)
イラク戦争(アメリカによるフセイン大統領暗殺未遂)
この3つはいずれもフセイン大統領がらみという意味ではつながりが
ありますが、直接の関係は無いと見るべきでしょう。
イラン革命とイランイラク戦争には因果関係があると思います。
ベルリンの壁崩壊とソ連崩壊はいずれもペレストロイカから始まった
という意味ではつながりがあるでしょうね。

Qナポレオン戦争を描いた映画

19世紀の欧州を席巻したナポレオン・ボナパルト。
英雄との評価がありますが、私は単なる侵略者だと思っています。
彼を物語にした映画を探していますが、うまく見つかりません。
フランス革命を描いた映画にも強く関心があります。
また、ナポレオンそのものだけでなく、ロシア側からみた・描いた映画も観てみたいです。ロシアが どのようにしてナポレオン軍を破ったのか、興味が尽きません。
調べれば簡単ですが、それでは教科書のようで、やはり面白くありません。感情移入できる映画がいいな、と思います。

ご存知のかた よろしくお願いします!

Aベストアンサー

戦争と平和、は、サイレント以外ではハリウッドとソ連で映画化されています。が、まずハリウッド版をみてから、ソ連版をご覧になるといいとおもいます。ソ連版はお国のメンツをかけて作ったので、原作に忠実すぎて長いです。あと、ロシア・ソ連映画独特のゆったりとした進み方も楽しめないと、しんどいかもしれません。4時間以上あるはずですが、これ以上のナポレオン映画はないでしょう。特に、1812年に彗星がでるシーンでは、ハリウッドとロシア人の感覚がいかにちがうか、よーくわかります。

で、そのソ連版戦争と平和を撮った監督セルゲーイ・ボンダルチュークが、西側の俳優と映画作法で「ワーテルロー」をつくりました。これが今のところ、みた限りでは一番面白いナポレオン映画です。あと、アウステルリッツを扱った映画がありましたが、これは駄作でした。ただ、この作品だけ、当時最新の通信システムだった、フランス式腕木信号機が動いているシーンがあって、おっ、とおもいました。

アベル・ガンス監督の無声映画「ナポレオン」も独特でいいですが、ちょっとナポレオン万歳がすぎる感じがしますね。でも、時代がかっていて、私は好きです。

戦争と平和、は、サイレント以外ではハリウッドとソ連で映画化されています。が、まずハリウッド版をみてから、ソ連版をご覧になるといいとおもいます。ソ連版はお国のメンツをかけて作ったので、原作に忠実すぎて長いです。あと、ロシア・ソ連映画独特のゆったりとした進み方も楽しめないと、しんどいかもしれません。4時間以上あるはずですが、これ以上のナポレオン映画はないでしょう。特に、1812年に彗星がでるシーンでは、ハリウッドとロシア人の感覚がいかにちがうか、よーくわかります。

で、その...続きを読む

Qナポレオンの逸話・エピソードを教えてください。

ナポレオンには、様々な逸話があると思います。
何か彼にまつわる逸話を知っていれば教えてください。

Aベストアンサー

彼は実は馬に乗るのが下手だったと聞いたことがあります。
教科書などに載っている写真は、彼が無理やり馬に乗ったところを撮ったものだそうですよ。


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