プロが教えるわが家の防犯対策術!

母親がプロテスタントだったこともあって、信仰は殆どといっていい程ありませんでしたがクリスチャンとして育てられました。

そんな私ですが、ノンクリスチャンの彼氏と結婚の話が持ち上がり、勿論私も彼もお互い強く愛し合っているので、母親にそのことを告げると想像はしていましたが「クリスチャンではない人との結婚はダメ」と猛反対されてしまいました。
その他にも、一度彼が仕事の事で鬱になった時に母に相談をしたことがあったのですが、その時のイメージで「鬱は悪霊からだから、悪霊の影響を受けた人なんて言語道断だ」と言われてショックでした。
私は一生懸命彼の為に祈ったし、母をクリスチャンとして人生の先輩として信用して打ち明けたのに、そんな風に彼を見ていたのかと思うと悲しいです。

その後、教会に連れて行かれ、教会の人たちにも「この結婚は神様が望んでいないものだから今すぐ別れなさい」と迫られましたが、その場で彼に連絡を取ったけれどどうしても別れる事ができませんでした。
後から彼には「二人の問題なのに、勝手に話を決めないでくれ」と怒られ、深く反省しました。


父にはまだ、このことは何も言っていません。(父はクリスチャンではないので、どんな反応するか分からないと母から口止めされていました)
彼は家に挨拶に来たいと言っているので、母ではなく父にこの事を相談しようと思っています。

ただ、行動に出た場合に母親と、通っている教会の人達に不信仰のレッテルを貼られるのが怖いです。
私自身、人生は自分の力だけでは成り立たないな、と思い今更ですが教会にちゃんと通い聖書を勉強しようと思っていた矢先の出来事で、「神様の御心に従わない者は呪いを受ける」とまで言われてしまうと恐怖心でいっぱいになってしまいました。
彼はそんな私の様子を見て、ますますキリスト教への不信感を募らせています。
私は、彼に対しても神様に対しても不誠実なんだと思うと、涙が出てきます。
それでも彼とは絶対に別れたくないのです。
こんな人間はもう教会に行かないほうがいいんでしょうか。
そんなにノンクリスチャンと結婚するのはいけないことなのでしょうか?

A 回答 (17件中1~10件)

私もあなたと同じ悩みを抱えています。


母との確執から5年前に一人暮らしをしています。

私の彼はノンクリスチャンの一人っ子です。

彼が春に挨拶に実家へ行ってくれましたが母は逃げて家にいませんでした。父だけが応対しました。

彼は「結婚したいです」と父に意志を伝えました。彼と付き合って4年半です。彼はその間ずっと教会に通い、聖書の学びをして理解しようと頑張っています。彼の母にもそのことを理解してもらえるまでになりました。
私にとってはその課程こそが大切だと思っています。

すべて「時」があります。

でも、女の人には「リミット」があることも事実です。
正直あせっています(笑)

その後母に会ったとき「クリスチャンの人、さらに次男との結婚を祈ってこなかったあんたが悪い」と一蹴されました。

母はいまだに彼に会おうとしません。ひどいなと感じています。
母の目線で物事を判断されてきてばかりでした。気に入らないと口を利いてくれなくなったり、すごく子供じみているのに、それでも立派なクリスチャンなのか?と問いたくなりますが、母は鬱持ちなので、強く言えないのが現実です。
母は教会で後ろ指をさされるのが嫌だからとも言っていました。自分のことばかりです。

親が死んでからようやく結婚したって知人がいます。でも子供は望めない年齢になっていました。

ノンクリスチャンとの結婚はしていいと思います。
誠実に愛し合うこと、それが一番神様が望まれた形なのではないでしょうか?
そこから先の生活が、神様とともに歩むものであれば、自然に「証し」になると思います。

神様とだけ向き合う人生を神様が望まれているなら、なぜ神様は男と女を作ったのでしょうか?
この日本で、どれだけのクリスチャンがいるのでしょう。

キリスト教を信じるようにと、決して強制しないでくださいね。母に価値観を強制された私たちだから、苦しさはわかると思いますが・・・。

ノンクリスチャンをよそ者扱いして、受け入れない保守派の教会は、愛のない教会です。
自分たちに都合のいい人間関係を教会の中で築き上げています。あなたのお母さんの教会もそれに近いですね。

ちなみに、お父さんをキリストの道に導けないお母さんに、娘の結婚をどうのこうのと言えるのか疑問です。

教会も、違う教会に通ったほうがいいですよ。

あたたかく迎え入れてくれたら、彼もきっと不信感がなかったでしょうにね。

この回答への補足

今更ですがよく考えたら自分の話だけに終始してしまってましたね、すみません。

rinngokko5さんも、できれば周囲の方々からも祝福された幸せな結婚ができるようにささやかながらお祈りしてます。

補足日時:2008/09/21 23:53
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この回答へのお礼

同じ状況の方がいると知って、少しだけ荷が軽くなった気がします。

rinngokko5さんのお母様と私の母は、失礼かもしれませんがよく似ているのかもしれませんね(^^;)
私の母も、非常に人目を気にする人です。
彼が鬱の経験者であることが世間への恥、そしてノンクリスチャンであることが教会への引け目。
「絶対反対ではない、最後の決断はあんたが自由に決めればいい」と聞こえのいい事を言っていましたが、影で着々と反対派を増やして外堀を埋めようとしています。

最初は私の彼もちょっとずつ聖書を勉強してもいいと言っていましたが、あまりにも母が頑なに反対を通そうとしているので、なぜここまで拒否されるのか理解できず非常にショックを受けています。
我が親の事ながら本当に申し訳ないなと思っています。

頼みの父も鬱の話を聞いて反対派に回ってしまったので、彼とはもう会っても貰えないかもしれません。
この事を彼に告げるのは正直辛いですが・・・でも私自身、彼と出会ったことで自分の過去と向き合えたので、感謝してますし、そして心から愛しているので別れる選択肢は絶対にありえません。
どうしてもダメだったら、おっしゃられている様にすべてを受け入れてくれる他の教会を探そうと考えています。

暖かいお言葉、本当にありがとうございました。

お礼日時:2008/09/04 21:13

こんにちは、momokan55さま。



周りの見解に圧迫され苦しんでいるのですね。辛いだろうと思いますが何とか巧みに生きれるようにいろいろ工夫していくしかなさそうですね。

僕なりの見解のなかから思いついたことを述べたいと思います。何かしら苦しみの減少に役立ててもらえたら幸いです。

まず、信仰についてです。

『信仰=信じ仰ぐ=根拠は必要としないものを事実として受け入れる』
となると思います。根拠を必要とし事実と確認できるならば信じる必要も無いですからね。

経典・聖典なるものを、根拠も論拠も無くそこに書いてあることを(自分が読んで持った見解を)事実として受け入れると。が信仰なのでは?しかもお母様などを見て解るように、読む一人一人見解が違うものになりますね。その「自分の作った見解」を確固たる事実として他は間違っているとして受け入れるより、確固たる信仰を持つということは人間の性質上論理的に難しいと思います。柔軟に見解を変化させるなら、自分なりの根拠に基づくことになるので信仰とはならないのではと言う見解を持ってます。ただのぼくの見解ですよw

「勉強しようと思っていた矢先」とのことですので、まだ学び始めで「これこそ事実だ。他は間違っている」と言う状態ではないと憶測いたします。

何を思うか信じるかは個人の自由です。彼に信じさせる必要もあなた自身も「無理に」信じる必要も無いでしょう。

何からでも自分の悩み苦しみを減らす無くすために、論理的に道徳的に納得がいったことを実際に実証検証的に行ってみて、実際にそうなるか確認し、根拠に基づいて幸福になる道を確信していく道を勧めます。解らないことはとりあえず「解らない」と素直に認めて。

その立場なら彼も何の拒否感も無く一緒に幸福の道を歩んでいけると。そのように思います。

結局は貴方がいかに幸福になるか悩み苦しみがなくなるか、心が清らかになるかが自分にも他人にも全生命に対しても有意義なことでしょう。

その結果二人が幸せに明るく、頭脳明晰に幸福に暮らしているならば親族の方々も認めて下さるのではないでしょうか。

信じる信じないは個人の自由ですから。
文化風習を皆と仲良くやるために受け入れるぐらいに付き合うかして。

「こんなに幸せで暮らしているのだから、お母さんの言う神様も認めて祝福してくれてるんじゃない?」と

彼と別れたくないのだから。それでも駄目と言うなら、両親と出来るだけしこりを残さないように距離を取るのも、お互いのためになるでしょうね。

僕自身は論理的道徳的に自分なりに納得がいったことを、自分なりに実践し事実か確認していき、自己の見解を悩み苦しみの減少に役立つ見解(事実に近づくように)に更新していくという理性的な態度を取る、パーリ語の仏教(原始仏教)を学んでいます。

「慈悲の冥想」はどの宗教宗派でも文句は出ないだろうと思えるものです。試しに、この対象を母親の嫌なところを無視し、良いところだけを思いながら慈悲喜捨と、やってみてください(実験)。

良い結果が有るかもしれませんよ。

ヴィパッサナー(パーリ語でありのまま観る)もオススメです。


ともかく貴方と彼が平安安穏幸福な境地に自らを確立できますように。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように。
生きとし生けるものの願い事が叶えられますように。
生きとし生けるものに智慧が現れますように。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなってしまって申し訳ありません。
状況としては非常に厳しいものがありますが、なんとか前進するしかないと思ってます。
母や教会の人達の嫌な部分を見ないようにするのは難しいですが、家族に関しては私のことを心配してくれているのは理解してるつもりです。
本当はもう少しこちらに対しても理解する方向で考えて欲しいという気持ちはあるのですが、それは贅沢というものですね。

すべては私次第だと思うので、揺るがないように感謝の心を忘れず前向きに歩んで行こうと思います。

パーリ語の仏教、面白そうですね。
相手の良いところだけを思う、ちょっと実践してみようとます。

お礼日時:2008/09/22 00:58

クリスチャンでないから別れなさい、と言う教会は間違っています。

僕の家もプロテスタントですが、僕の行ってる教会ではそんな事は言いません。ノンクリスチャンとの結婚でも大歓迎です。『この結婚は神様が望んでいないものだから今すぐ別れなさい』そんな事を神は間違っても望みません。、それに「神様の御心に従わない者は呪いを受ける」と言うのは何か早とちりしているような気がします。神がこの世に姿を現せば皆クリスチャンになりますが、姿を現さない訳はクリスチャンがどれだけの人をキリスト教に誘えるかをを試しているからだと思います。あなたが望んでいる彼との結婚は、神があなたに与えられた試練だと思います。あなたが彼を信者に出来るかどうかを神は見ているのでしょう。例え信者に出来なかったと神が先を読んでも、その彼の中身が良い人であれば神はあなたと彼の結婚を『望む』に違いありません。神はこの世のいかなる人をも愛されているのですから。なので彼との結婚を周りが何と言おうと、あなたは彼と結婚すべきだと思います。諦めないで下さい。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなりました。回答ありがとうございます。
やはりこのような反対をする教会は珍しいのですね。
昨日、教会に話し合いに行ってきましたが、母の本音と教会の人達の言い分は彼がノンクリスチャンだからではなく「鬱の経験があるから」ということでした。
鬱は一生治らないから、私が不幸にならないように反対しているそうです。
もちろん、私は納得はしていません・・・結婚はノンクリスチャンでもいいけど鬱病患者だけはダメだというのは理解できません。今は治っていたとしても、ダメなんだそうです。
彼は家の近くの教会へ行って分からないなりにキリスト教を理解しようと努力はしてくれていますが、このような状態なので2人で途方に暮れています。
今は非常に苦しい状況ですが、神様の本当の真意を知るためにも他の教会にも足を運みつつ前に進んでいこうと思っています。

お礼日時:2008/09/22 00:41

No.10 No.12で回答させてもらった者です。

貴女からのお礼文を読ませて頂きまして、最初の質問だけからはわからなかった真相がわかりました。「おお、何ということでしょう!!」お母様の心理状態といい、教会の信徒の皆さんの邪悪さといい、このままでは貴女だけが孤立化し、犠牲となってしまいかねません。貴女のような純粋な人が通る時には狭いはずの門が門自ら間口を広げてくれるのが本当であることでしょう。
しかしながら、貴女が通ろうとしていた門は差し詰め神ではなく悪魔が狭くしていたようなイメージに思えます。
貴女の気持ちしっかりと受け止めさせて頂きます。貴女はこれだけは弁解させて下さいとおっしゃいましたが、実情を知ってみれば貴女が一番まともではありませんか。貴女の言うことは弁解ではなく、正論です。
とすれば、私の回答は貴女を益々追い込んでしまったことでしょうね。
知らぬこととはいえ貴女を寂しい孤独に追い込んでしまったことをお許し下さい。きっと貴女はお強い方ですね。貴女の意志が最も尊重されます。貴女がおっしゃるようにやるだけのことをやってもだめなら別の教会をどうかお見つけ下さい。そして貴女と彼とが一番幸せになる道を・・・
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この回答へのお礼

お返事が遅くなってしまい、本当に申し訳ありません。
何度も回答してくださってありがとうございます。
hyuuma8579さんのおっしゃられる、
 > 貴女が通ろうとしていた門は差し詰め神ではなく悪魔が狭くしていたようなイメージに思えます。
このお言葉には、ハッとさせられました。
やはりこの目で見ている事をそのまま受け止めるのでなく、多角的に物事を見なければいけませんね。

今は正直まだ私も親も冷静になれてはいないです。
先週、彼が両親に会いに来てくれましたが、やはり反対の姿勢は変わりませんでしたし、むしろ悪化してしまっているので暫くはこの状態が続くのだと思います。
毎日、信仰を投げ出してしまいたい気持ちにかられますが、これも試練なのだろうと前向きに考えることで自分を奮い立たせています。

お礼日時:2008/09/22 00:25

NO6 です


お悩みが多く大変な時期だと思いますので、レスは結構ですよ。
ゆっくり休まれる事を優先してくださいね。

宗教的な話で言えば前回の長々とした文章ですが、まとめてしまえば
>大義名分を貫く理由を「神様の教え」にすりかえてコントロールする「人間」が介在してません?
この部分に集約いたします。

持論ですが「悩んだら一回単純に考える」ってのがあります。
年齢なりに困難な状況には数多く遭遇しましたが、難しい事ほど、一度単純に考えます。多くのことは単純な事の答えと同時に解決します。
重要な事を優先して考えると言い換えても良いと思います。
尾ひれが思考を邪魔するからです。
拝見すると悩みに 尾ひれ が多いような印象を受けます。

あくまで無宗教の人間から見ての話ですが、唯一神教ですので神が絶対的な立場です。
よく言われる事ですが「一神教は命がけの宗教」ってのがあります。
日常生活・結婚・死生観、ありとあらゆる事を「神の言葉」に従う訳です。つまり判断(命)をゆだねる。
言い換えれば「それは違う」の一言も”神が言った”で口を閉ざす訳です。
問題は「神が言った」ではなく、本当は「言ったのは人」だった場合です。
この場合は「言った人」に「命をゆだねる」事になります。

神を信じるなら神を信じる。
単純な話です。
>教会内でも地位は高い人
この人は「人」ですよね。

もっと、単純にします。
失礼な言い方をすれば、教会から出れば「教会の人」なだけです。
世間に出れば下手すれば「どっかの宗教のおっちゃん」です。
(尊敬は別の話)
これは「どっかの会社の社長さん」と一緒ですよ。
「どっかの会社の社長さん」が結婚に反対してきても誰も聞きません。
自分の会社の社長だとしても、結婚に反対しても聞きません。
そこまで干渉される必要がないからです。

質問者さんと質問者さんのお母様が「神を信じ」「神の言葉」を元にしての悩みなら何も書きません。
無宗教者が「神」を信じる方に「神」に対して口を挟む事は失礼だからです。
書いた理由は失礼ながら「どっかの宗教のおっちゃん」と「どっかの宗教のおっちゃん、おばちゃん」に振り回されているように見えるからです。
神ではなく「教会と教会の人」を信仰しているように見えます。

悩まれる点は親子間だけの宗教の話だけで十分だと思うのですが。

最後に質問者さんが書き込まれています「愛」について自分なりの考えを書き込ませていただきます。
前回の書き込みで書きましたが、友人の結婚式で教会で聞かせて頂きました。よく聞く言葉ですが、本当に良い言葉だと思います。

健やかなる時も病める時も、富める時も貧しき時も、順境の時も逆境の時も、愛し、敬い、慰め、助けることを誓います

結婚の本質だと思います。
遠藤周作氏の小説からの受け売りですが
愛=捨てない 事だと読みました。個人的にも全面的に同意できる言葉でした。
「病める時」「貧しき時」「逆境の時」
こういった時、しかも最悪の状況でも「捨てない」って愛がないと出来ません。

「病める時」ちょっと想像力を働かせますね。
自分は体も健康。40歳になったところ。
けれど、配偶者が若年性痴呆症にかかった。もう自分の事も認識してくれていない。
愛=捨てない事だとしたら。
捨てないって、ものすごい事だと思います。
命がけで取り組むべき事だと思います。

同時に
「健やかなる時」「富める時」「順境の時」
こんな時があるから愛してよかったと思えるし、人生楽しいんだと思います。
質問者さま、彼氏さま、もちろんご家族様も、こうなるために悩まれている時期だと思います。
人は幸せになる事を諦めなければ幸せになれます。
幸せになってください。お祈りいたします。
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この回答へのお礼

随分と時間が経ってしまってごめんなさい。
あれから彼が私の両親に挨拶に来てくれたのですが、結局うまいように賛成ともいかず強行に話を進めてしまった為に教会の人達からもめちゃめちゃに言われてしまって、情けない事に暫く凹んでいました・・・(汗)

結論で言えば、母の言い分も教会の人達の言い分も、ノンクリスチャンだからというのは上辺の言葉であって、彼の「鬱であったこと」が本当の反対理由だとはっきり言われました。
キリスト教の考え方では(というより私には彼等だけの考え方に見えますが)、鬱は一生治らないので、どうせ結婚するのなら「ノンクリスチャンでも鬱になった事がない人にしなさい」との事です。
私にはその言い分が理解できません。

その他にも、ひとつひとつ言葉じりを取っては難癖をつけてきているという感じで・・・
おっしゃるように、大義名分を貫く理由を「神様の教え」にすりかえてコントロールしようとしているようにしか思えなくなりました。
なにより、私の話に一切耳を貸してもらえない有様なので・・・

「どこかの宗教のおじさん」だけが反対ならまだいいのですが、今は家族中が反対しているのが辛いところです。
ある意味「愛」が試されているのかなと、くじけそうではありますが今はただ彼への愛だけで踏ん張っている状態です。
何度も回答してくださって、本当にありがとうございました。

お礼日時:2008/09/22 00:12

No.10の回答者です。

貴女の質問を何度も読み直してみまして・・・
どうもピントはずれな難しい答えを出してしまったようです。
なので、仕切りなおさせて頂きます。
問題を整理するために、それぞれの立場を考えてみます。
クリスチャンのお母様、ノンクリスチャンのお父様、信仰はないが、これからしっかり学ぼうとしていた貴女、そしてノンクリスチャンの彼氏・・・言葉の過激さ、不適切さはどうあれ、クリスチャンであるお母様ははっきりした立場を宣言しておられます。その立場にある者がその立場を守って発言するのは、今の世の中自分可愛さにあっちによいしょこっちによいしょで簡単に妥協したり、信念のかけらもない八方美人さんが増えているだけに、逆に清清しさを感じてしまいます。
逆に考えてみたらわかりますが、そんなお母様が、できれば同じ道を歩んで欲しいと願う愛娘にノンクリスチャンの彼氏との結婚話が出た時、簡単に「はい、どうぞ、お前の好きなようにしなさい!」と言ったとしたら、私のような信仰を持たない第三者からみてもお母様に対して「あんた、それでもクリスチャンなの?」とか「あんた、娘を愛していないの?」、あるいは、「あんたの信仰って何なの?」などなど、もっと根幹に関わる疑問が出てしまうはずです。ですから「悪霊発言」も教義上の発言なのか、あえて過激な言葉を選んだのかはわかりませんが、要はクリスチャンなら当然反対するという当たり前の立場に立っているだけなのです。それはわかりますよね?
一方、彼が言った「二人の問題なのに、勝手に話を決めないでくれ」という発言も問題ありです。確かに二人の問題であることは言うまでもありませんが、二人だけの問題ではないのです。この世に生み出してくれ、育ててくれた両親はもとより、周囲の人達の中にも貴女や彼の幸せを願う人達がいたからこそのこれまでの人生であったことでしょう。
特に最も身近な親の気持ちは貴女にせよ彼にせよ無私はできないはずです。 しかし彼がキリスト教への不信感を募らせた原因の一つは貴女の態度にもよるのです。今ある信仰者はかつては無信仰者でした。したがって、信仰者側からは無信仰者の気持ちがよくわかったとしても、無信仰者側が信仰者を理解するのは難しいことと思います。ですから、状況から考えて、貴女はその中間的な立場として、両者間をつなぐパイプ役としての使命があるともいえるのです。信仰ワールドの言葉を無信仰ワールドに伝える時にも、言われた言葉をそのまま伝えたのでは誤解や不信を招く場合もありますから、真意は変えずに言葉を変換したりしなければならないのです。その逆も同じです。例えば、貴女は彼のことをお母様に伝えた時に仕事上で「鬱」になったと話したようですが、貴女は鬱と聞いてどんな気がしますか?信仰者ならずとも、決していいイメージに取る人は少ないと思います。例えば「あの人どうやら鬱みたい」などという情報が入れば一般社会では下手すると人権無私のレッテル張りにつながり兼ねません。そういったことが事実以上の過剰な情報として出回れば当の本人は生きずらいではありませんか?嘘を報告せよと言っているのではありません。ストレートに伝えるだけでなくその立場立場に応じた表現や段階的手法も必要だということです。
貴女は仮にもこれからしっかりと教会にも足を運び聖書を学ぼうとしていた矢先の出来事だとおっしゃいました。ですから信仰を持つお母様のことを少しでも理解したいという気持ちがあったのだと思います。
彼のことは好きで好きで別れることは考えられないともおっしゃっています。そうであるなら・・・どうして両者間に溝がはいるようなことをしてしまったのですか?貴女は最初からそうなることを望んでいたのですか? ではないはずですよね?だからこそ悩んでいる・・・
まずはわざわざ誤解させる要因をつくってしまった自分自身の態度を反省して下さい。たとえ遅ればせながらでも、これからは信仰と非信仰の間にある目に見えぬ壁というか距離の大きさを知ってデリケートに仲介して下さいね。まだ泥沼や修羅場を迎えたわけではないのでだいじょうぶですよ。
それとやってみる価値があるのは、お父様にも意見を聞いてみることです。しかしどちらかに偏った意見ではなく、両者を思いやった上での参考意見が聞けるならです。ただ、信仰をもっていない立場だけからすれば、お母様が心配しているようにやはり偏ってしまうかもしれません。この場合でも夫婦関係に溝が入ることのないような段取りや言葉を選ぶことが必要になってきます。
貴女はどっちか一つを取るしかないように自分が追い込まれている立場に立っているように言われていますが、何度もいいますが、貴女が種を蒔いたともいえるのです。もし、自分なら、どっちも否定しません。
どちらも必要な人生上の大きなテーマだからです。
貴女のように少し試練がつらいからといって全部を否定してしまう態度は人としてどうかな?と思います。お母様のような信念・・・貴女の心のどこかにはないのですか?
貴女は「私自身、人生は自分の力だけでは成り立たないな、と思い今更ですが教会にちゃんと通い聖書を勉強しようと思っていた」とあるように、誰かから言われてそうしょうとしたのではなく、自らの主体的自由意志でそうしようと・・・。誰かの目を気にしたり、恐怖心にかられて嫌々やろうとしたのではないのです。そこにこそ本来の貴女の原点がある気がします。今回の件では、ことが悪い方に向いてしまっため貴女には動揺もあり、混乱してしまったのですね。あるいは始めて本当に真剣に学ぼうとしたので、神が貴女を試練したのかもしれません。「それでも学ぶのか?」と。
いずれにしてもこの段階で教会に行ったり、聖書を学ぶこと全部を否定するのは早すぎます。
最善策は、学ぼうとした気持ちに嘘はないのですから、その初心を思い出して行動して下さい。そして今回の問題を逆手に取るのです。貴女が学ぶのは一番ですが、どうせなら彼にも学ぶことは働きかけてみてはいかがですか?「私と一緒に教会に行って聖書学んで見ない?だって貴方には不信感や不快感というとんでもない誤解を与えてしまったのですもの・・・」つまり彼の不信感を逆手に取って、積極的に学ぶための口実にしてしまうのです。もし本当に悪いものなら不信感や不快感は解けませんが、誤解によるものなら、きっと解けないはずはありませんよ。お母様の発言や一連に関わったある一部分がたまたま悪く取られたのであって、全部が全部悪いことなどありえません。悪人の中にさえも良い部分があるのですから・・・人を善に導く使命の宗教、まして天下のキリスト教に至っては・・・
たとえ彼が学ぶことを拒否したとしても貴方が学び続ける中で貴女の心も豊かになっていくでしょうから、彼から見た貴女の魅力も増すはずです。そんな中で少しずつでも誤解や不信が解けたらいいではありませんか? ことを急いではいけません。特にパニくっている状態の貴女には冷静さが必要です。立場が違っていただけのことで誰も悪い人はいません。彼も お母様も お父様も 教会の人達も!! 自分で自分を追い込まないように!!
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この回答へのお礼

No.10でもご回答頂いたようで、何度もありがとうございます。

確かに私が母に鬱の事を相談したのは早まった判断だったかもしれません。
普通だったら、私も言わなかったと思います。今とは違い、まだ鬱に偏見の強い世代であるのは知ってますから。
ただ、母自身も若い頃に鬱までいかなくともノイローゼを経験したこと、教会に通っている間にその様な人とも触れ合う機会があったそうで、救われて神様に癒された人もいたそうです。
そういった、「経験者」としての母を信用して彼の事を相談しました。
今回は、不本意ながらそれが母が彼を否定する材料になってしまったわけですが。
また、私も鬱の経験者です。
偏見があろうとなかろうと母はその当時の私の様子をよく知っており、そのうえであえて私を見てみないふりをしていました。
私が長い間、教会に行く事を拒んでいたのはその為でした。

また、彼に宗教のニュアンスをそのまま伝えてしまったのも確かに失敗でした。
彼に対しては自分がもう少し聖書を学んだうえで、ゆっくりと伝えていくつもりだったんです。
ですが、こういうのは分かりにくいかもしれませんが、「彼は絶対に貴方を捨てる」「絶対に不幸になるよ」とネガティブな言葉を言われたうえで「今すぐ彼に別れると電話しなさい」と大勢の中で迫られて冷静でいられるのは、今考えてもちょっと難しいです。これだけは弁解させてください。

「彼と会おう」と言っていた父も、今では母から彼の鬱の話を聞いて反対に回っています。
現状は非常に辛いものですが、それでも聖書は学んでいきたいと今でも思っています。
ですが、彼と別れるつもりもありません。
どちらも選んで良いのだと信じています。

最後まで粘って粘って、どうしても両親からも教会からも許して貰えないのなら、私は彼と一緒に過しながら全てを受け入れてくれる教会を探すつもりです。

お礼日時:2008/09/04 20:09

失礼を承知でいいますが、あなたの母上はカルトにはまってる典型的な例ですねー。

宗派はなんですか?教会の人間もおかしいようですが、直ちにそれらと関係を絶つことをすすめますよ。

少なくともまともじゃありません。
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この回答へのお礼

お返事おそくなってすみません。

この数日で、カルトというより母のアタマそのものがおかしいと実感しました。
宗派は分かりません。上の方の質問者さんに書いたように、純福音だと思いますが。
宗教云々ではなく、私と母の関係が異常だったようです。

お礼日時:2008/09/04 19:36

古今東西、宗教の如何にかかわらず、今の貴女のような信仰と恋愛の狭間で悩んだ人は決して少なくはないと思いますよ。


もし、貴女に信仰がなければ、これから言うアドバイスとは全く違った方向の話になるのでしたがね・・・
それにしてもお母様の言葉「鬱は悪霊からだから、悪霊の影響を受けた人なんて言語道断だ」・・・ここまではっきり言えるとするなら狂人か信仰者しかいないと思いますね。貴女をここまで育ててこられたお母様が狂人であるはずもなく、とするならやはり強い信仰者なのだと思います。しかし、ここから感じられるのは、篤実な信仰もそうですが、親として貴女のことを真に愛しておられるのだなということです。
私は特定の宗教はまだ持つにいたっていない者ですが、人間にとって信仰や宗教は最も人間らしさを発揮できるフィールドだと思っています。どんな宗教でもいいのです。宗教的世界で自己を確立できてこそ初めて世俗でも通用するのだと思います。しかし、現実の人間は何をそんなに恐れてかいろんな理由を持ち出しては宗教に近ずくことを良しとしていないようです。
前置きはそれぐらいにして本題ですが、一番大きな問題は、貴女の信仰が自分自身の中で確立する前に恋愛というより刺激の強い問題をかかえてしまったことに尽きますね。
もしこれが、貴女がしっかりと信仰の基盤の上に立っていての恋愛なら、問題は超簡単でした。すなわち、彼を自分と同じく絶対にクリスチャンにするという覚悟でお付き合いしていけば良かったのです。
もちろん、今からそう決意しても遅すぎるということはありません。
キリスト教に限らず、仏教、ユダヤ教、ヒンズー教、イスラム教、ゾロアスター教などを持つ人が無信仰の異性との恋愛関係を持ってしまった場合、力関係(ちょっと不適切な表現ですが・・・)は当然、信仰を持ってる人が上になりますね。したがって、どちらも救われなければならない人間であっても、両者間では、信仰者側がより主体的な立場に立って無信仰者を救うという形がベストになります。
彼は貴女の様子を見てますますキリスト教への不信感を募らせているとのことですが、ことの経緯上しかたないことと思います。
この問題の解決ははっきりしています。
お母様の信仰レベルに負けないぐらいの縦(神と)の関係を確立することが第一です。縦が弱くて横(恋愛)へ流されても、うまくいきません。下手すると、横も縦も失敗してしまいます。
仏教でも、お釈迦様が菩提樹の下で修行中に二つの試練があったのです。通常、人の心が動かされるのはふたつです。甘い誘惑か死の恐怖です。お釈迦様があまりに強く信仰を究めようとした時、そうはさせじと魔がやってきて、命を奪うような試練と裸の美しい女性達が誘惑の試練で迫ったのです。しかし釈迦は心を売り渡しませんでした。例でいえば、こういう姿勢のことを縦が強いというのです。
もっと言えば、男と女の関係を始める前に、心と体がしっかり確立できているかが問題なのです。だから、今の貴女では極論ともいえるお母様のような言葉は出てこないのではと思います。確かにお母様の言葉には普通の感覚では極端に捉えられる面があることは否めません。しかし、言葉自体にとらわれる以上に、言いすぎと誤解されることも恐れずにそこまでの言葉を使ってまで伝えたい心情があるのだということはもっと重要な気がします。むしろその言葉や未熟ながら信仰者としての貴女の態度を見て、簡単に不信してしまう彼の方も問題ありです。そんな不寛容なことでは、人間的にまだまだあかちゃんレベルだと言わざるをえないですね。このぐらいの問題で不信しかできなければ、これから先のさまざまな男女の問題には挫折してしまうことでしょう。
そういう意味で彼は貴女の未熟の比ではありませんが、幸いなことに貴女がそんな彼を愛しているということです。
彼のためにも信仰による自己の確立を第一にしていって下さい。
もし、神がいるなら貴女にとっての最善の道が備えられることでしょう。
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この回答へのお礼

お返事遅くなりまして、すみませんでした。
丁寧に回答してくださってありがとうございます。

ただ一見、私の母はしっかりした信仰をもっているように映るかもしれませんが、教会に連れていかれて皆から反対を受けるまでは、母もまだ冷静に私の話を聞いていたんです。
ですが、その後は一転して私の意見は受け付けなくなりました。
小さい頃から見てきた母の印象は、自分では物事を決められない優柔不断な人で、他人の(特に教会の人達の)意見に虎の威を借りればまるで巨大な石像のように頑なになってしまうというだけです。
今回の問題も、私と一切向き合おうとせず、こそこそ逃げ回って他人を巻き込んで私に彼と付き合うのをやめるように言わせてきます。卑怯です。
信仰以前に、もう母を信用することが出来ないのです。

逆に母の態度ひとつで信仰そのものもどうでもよくなってしまう私です。
昔からずっとそうでしたが、やはり私の中でのキリスト教というものがそうものでしかないのかもしれません。
宗教の重要性はよくよく分かっているつもりです。
天国への道は「狭き門」と言われていて、この件もそうなもかもしれませんが、それにしてもあまりにも狭すぎると新たに通ろうとする人間はいなくなってしまうんじゃないでしょうか・・・。

お礼日時:2008/09/04 19:32

??お母様の通ってらっしゃる教会、ホントにまっとうなプロテスタントですか?


話だけですとどうもカルト宗教のかおりがするのですが・・・
自分の彼女がクリスチャンで私が無宗教、
また過去にプロテスタントの学校に通ってもいましたが、普通の信者の方は皆さんとても優しくて、
「呪い」とか「悪魔」という言葉を使うとは、まじであり得ません。
なんなんですか、その人たちは・・・

その前に、あなた、しっかりしましょうよ。
お母さんとその取り巻きが独断で、あなたと彼の間に生まれた愛の花の芽を摘み取るような仕打ちをしたのに、
なぜ激怒しなかったのですか? 
それどころか、彼に電話までして別れようとしたとは・・・
母親にコントロールされすぎです。
もうお母さんの小さな子から、彼の妻になるべく、母親のコントロールの元から脱却しないと、彼を幸せには出来ません。
宗教の問題以前に、親子依存の関係に問題がありそうです。

それから、一度お父様に打ち明けてみてください。
へんな宗教にはまるお母様に、お父様は苦しまれているのではないかな?
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この回答へのお礼

プロテスタントという事以外、詳しい宗派は分かりません。
少し複雑な環境のようで、プロテスタント以外にもカトリックから改宗して来てる人や、シスターが話を聞きにきていることもあります。(宗派に拘らないスタンスは良いと思います)
ただ韓国の方がよく来られるし、韓国からよく牧師が来て説教しているので、純福音派になるのかもしれません。

おっしゃる通り、確かに依存性の高い親子関係だと思います。
ほぼ母からの一方通行ですが・・・。
今までうまくいってなかった関係を取り戻したくて、彼との関係を祝福して貰いたくて、すべてが正常に戻るようにキリスト教も真剣に信じてみようと思ったのに、こんなことになるとは思いもよらなかったんです・・・。

父には話をして、本当は再来週に彼が挨拶にくる予定だったんですが、母が彼の鬱病のことを話したようで「諦めろ」と頼みの父にさえそっぽを向かれてしまいました。(もう鬱は治っているのですが)
本当は祝福されて結婚したかったのですが・・・私はやはり彼と別れる気はないので、最終的には駆け落ちになるかもしれません。

お礼日時:2008/09/04 19:14

宗教は特に持っていない(無宗教となるのでしょうか・・)ので


もしかしたらご気分ご機嫌を損なうかもしれませんが、
ご了承ください。
ローマンカトリック、プロテスタント、オーソドックス、ロシア正教、イギリス国教会。さまざまな宗派があると思います。それは仏教も同じで禅宗や真言宗などあります。
自分でそれなりに宗教に興味を持った時期もありました。
人間関係に悩んだからです。まあ、そのあと鬱になったので説得力がないかもしれませんが。まるで中世のヨーロッパのようなかんじですね。確かにコミュニティは大切だと思いますが、なんだか干渉しすぎだと思います。これ以上の干渉はカルトに近くなってしまうように思います。かのチャーリー・チャップリンは映画で「神の国は汝の心の中にあり」ともいってます。人を愛する心が大切なのだと思いませんか?
法・秩序も必要かもしれません。ですが、心無き法・秩序がはたして本当の神の御心でしょうか?それは神の名において行われた中世の魔女裁判とまったく変わらないように思います。
それにうつ病が悪魔憑きだなんて、まさに中世そのものに感じます。
じゃあ、私にもまだ悪魔がついているのでしょうか?それとも堕天使?
神は善き者にも悪しき者にも平等に雨を降らせると先輩の奥さんのお葬式のときに神父さんから伺いました。わたしは少なくともこの言葉を信じたいですね。
ちょっと気になったので無礼承知で書きました。
事態が好転することを祈念します。異教の祈念はいらないかもしれませんが、そこはそれ、人としてということで。
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この回答へのお礼

お返事おそくなってすみません。
毎日この問題で母と喧嘩になっていて、疲れ果てていたのでレスできませんでした・・・。ごめんなさい。

私も鬱経験者です。原因はまさに宗教による母との確執でした。
悪魔という概念はキリスト教からは切り離せないものだと思います。現に小さい頃は親の言う事を聞かないと、悪魔払いさせられてましたね。(苦笑)
思えば母の口から出るのは「神」よりも「悪魔」の方が多かった気がします。
神ってなんなんでしょう?
愛って一体、なんなんでしょうね?
私も、すべての人間に対して神の愛は平等であって欲しいと願います。
でも彼を「鬱だったから」「今は治っていても、いつか再発するかもしれない」、それだけで会ってもいないのに母は毛嫌いしています。
娘が鬱で苦しんでいたときは、知らないふりしていたのに・・・。

異教であろうと、祈念して頂けるのは嬉しいことです。本当にありがとうございます。

お礼日時:2008/09/04 18:59

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