出産前後の痔にはご注意!

結婚相手や彼氏というものは、不幸、苦行、悲哀を味わってから、
やっと出来るのだ、と考えていますが、この考えをどう思いますか?

こういった究極の快というものは、
何かを犠牲にして、或いは何かを失って、苦しんで、悲しんだ末に
到来するものであると。

私は、彼氏がほしいと思っている30代前半の女ですが、
そういった喜びを得るには、
肉親が死ぬ、犯罪被害者になる、会社が倒産する、
乳がんになって乳房を切除する、交通事故にあって障害者になるとか、、
何かそれなりの苦や不幸を味わわないといけないような気がするんですが。


取りあえず、今から、リストカットをします。しないといけないので。

(自分磨きやキャリアアップは、出来る範囲で一応、私なりにやっておりますので悪しからず。独身で腐るほど時間はありましたので。。)

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (11件中11~11件)

仰ることはわからないでもないです。


例えば、志望する大学に受かるためにアソビも女もクリスマスもやめて、勉強に打ち込んだりすることの恋愛版のお考えですよね。

確かに、何かを犠牲にすることで得られるものも、ある場合があります。
だけど、何かを犠牲にすることで「確実に」欲しいなにかが得られるとは限りません。なぜなら、「何かを犠牲にした自分」に(無意識的にも)満足してしまうことが往々にしてあるからです。目的と手段が混ざってしまうというか。勉強する→学力が向上する、という確実な因果関係があるものと違って、犠牲の先にあるものは未知数だから余計に因果関係を構築しにくく、犠牲そのものに固執しまいがちになるためです。

不幸や悲哀を味わうことによって、寛容になれたり思い遣り深くなったり、洞察力が向上するかもしれません。それは恋愛にとって大きなプラスになります。でも、不幸や悲哀から何も得るものがなかったとしたら、単なる不幸損です。
ですから、不幸や悲哀というものは、人を成長させる可能性を大いに持ちますが、成長させなかったり、悪いときには卑屈にさせたりする可能性もある諸刃の剣です。誰しもそれを糧にできるとは限りません。
それを糧にして成長するのよ!という確固たる意志があれば別ですが、そのような強固な意志を持つ方は基本的にポジティブパワーで生きていますので(人生の幸・不幸とは別物です)、そもそも不幸を自ら望みません。

上記の理由で、質問者さまにとっては、挙げておられる方法は有効度が薄いと考えます。
ご参考になれば幸いですが。。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
幸福になったら怖い、或いは幸福になる価値と資格は自分にあるのか、という考えから。今日を限りの命ともがな、というやつです。
人間の不幸量、幸福量は一定だから、先に不幸や苦痛を味わわないと、幸福はやってこないという考えから。

お礼日時:2008/09/02 20:22

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!


人気Q&Aランキング