『ボヘミアン・ラプソディ』はなぜ人々を魅了したのか >>

伊達といいますと、90%?の方が仙台といいますが、仙台へ移る前の話は、あまり話題になりません。
初代から16代までの苦労があればこその政宗と思います。
どうぞ、その辺を教えてください。

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A 回答 (4件)

割り込みます。

手持ちの雑記帳をコピペします。雑多な情報ご寛恕

@ 暦仁元年(1238)大江時広 長井庄を得,長井氏と改名。主に中央で活躍
@ 天授2年(1376)北朝方9代伊達政宗は父8代伊達宗遠とともに米沢周辺を一夜で攻め取る。9代政宗(儀山政宗)に対し,17代政宗は(貞山政宗→貞山堀)
@ 天授3年(1377)8代伊達宗遠54歳で隠居。9代伊達政宗27歳で家督相続
@ 天授6年(1380)北朝方9代伊達政宗は父8代伊達宗遠とともに 南朝方長井広房の守る長井を攻め取る。長井氏滅亡  このとき,七が宿から侵入→高畠城拠点化→各地攻略(旧米沢市史?に載っていたらしい)
@ さらに,亘理・刈田,奥州探題大崎氏の2郡柴田・伊具(宮城南部),信夫(福島)攻め取る。足利に服属し,知行地として公認。
@ 川西町上小松では,長井の残将・田沢城主(現米沢市口田沢)新田氏誅殺
@ 元中3年(1386) 川西町上小松諏訪峠下(現置賜公園) 原田家(後の原田甲斐輩出)の防備館,下小松(現新山中)の長井氏の枝城跡に桑折家の防備館配置。他に,片倉家(後に小十郎輩出)も,ここの出身「嵐山」という酒は原田家の指導(「小松郷土史」小形仁兵衛著)
@ その後の儀山政宗戦
@ 明徳2年(1391) 足利幕府(義満)の命により,大崎氏の加美・黒川郡(二本松畑山国詮氏の分領)侵攻阻止。葛西陸奥守と共闘
@ 応永4年(1397) 上洛。足利幕府(義満)に謁見。妻は義満の生母と姉妹
@ 応永6年(1399) 領地問題で鎌倉公方・関東管領足利満兼の子満貞に背く。
@ 足利幕府と鎌倉公方(足利氏)の抗争の狭間で,伊達は足利幕府側で画策?
@ 応永9年(1412) 赤館城(福島県梁川町西山城)の上杉氏憲(禅秀)と闘う。
@ 春は勝利。秋は和議降伏後刈田郡湯原(七ヶ宿)か高畠城に引いた(らしい)
@ 応永12年(1415) 死去
@ 夏刈と,湯原に東光寺があり,ともに伝儀山の墓あり。法号は東光寺殿儀山円孝。3カ所墓がある。
@ 10代氏宗 湯原に東光寺を建立。夏刈りから父の墓を移したとの説あり。鎌倉より鎌倉管領足利氏満より「氏」の字を賜る。親子で北朝方の別々の勢力 に荷担?その他,あまり記録無し。応永19年(1422) 死去(在7年)
@ 11代持宗 足利方。
   応永20年(1423)福島市大仏城で挙兵鎌倉に抗す。当時 秦宗
   鎌倉方 二本松城主畠山国詮に命じ鎮圧。
   応永30年(1433)上洛。義持に拝謁 秦宗→持宗 大量に献納→安堵以後伊達家の支配
 この頃から山形の高畠を本拠地とします。彼らは現在地元の人が上杉氏が開発したと信じていらっしゃる,唐戸屋・二井宿・川樋・大洞・鳥越・萩(北条郷)・漆山・多くの鉱山(主に金)を開発していました。
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この回答へのお礼

地元の方にしか手に入らないような詳しい回答をありがとうございます。特に小松地方の回答は貴重な回答と思います。
そちらの方でしょうか?
ただ、儀山政宗の墓は、夏刈ではなく、竹の森と思います。
高畠城(屋代城)、高畑・・・の情報とこの周りの館についても
教えてください。
ありがとうございました。
* 鉱山の御回答ありがとございます。

お礼日時:2008/09/05 09:13

少しはお役に立ったようで幸いでした。

ちなみに地元ではありません
文系とはかけ離れた畑のものですが,現場を歩くと共に,
いろいろ見えてきます。彼の移封前の行動・後の活動など,
生々しく感じられます。埋め坑・無理境・宮床火打石・茶・産金
他事ながら国道13号線大陥没・蒼い地底湖物語…(埋め坑関連?)

 ちなみに,秋田氏が田村に移封・改易された?事情も
気になっています。愛姫(めごひめ?)輿入れルートは伊達
9代までの侵攻(というより簒奪?浸食?)ルートとだいぶ
似ているので,たまたま思うだけですが・・・
< 竹の森と思います。
 3つある墓のひとつですね。畑違いの者に,お考えを
お教えください。尚,わたしはそちらは全く歩いておりません。

<高畠城(屋代城)、高畑・・・の情報とこの周りの館についても
 私の地元での情報源の半分は,世間話です。なぜお知りになりた
いか,ご披露いただければ,再訪したとき取材も膨らむかも
しれません。ちなみに,片倉さん方がいらっしゃった上小松の
奥は,鉱山と,沈殿池がありました。長さ40センチ程の硅石の
石棒もダム下から拾ったのですが,当時は前々無学で散逸させて
しまいました。材質形とも鉱石を擂り潰し粉となすには逸品でした。
偶然かもしれませんが・・・

この回答への補足

御礼の続きになりますが、当方の田舎にも伊達に関して口伝があります。
お答え頂いた現場をぜひ見てみたいですね。
竹の森の墓については、「高畠町史」にあります。

補足日時:2008/09/09 12:25
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この回答へのお礼

何か、うらやましいお仕事のように見受けられます。
またまたの回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/09/09 10:06

宮城県のかたとお話していると、多くのかたが、残り10%で、あることが、わかります。


政宗公は、中興の祖であり、始祖ではないため、伊達家の歴史は、それ以前をふまえていないと、語れないのですってね。
収める地が変わると、文化が、融合していくのが普通だそうですが、伊達家は、独自の文化を守り通していると、熱く語ってくれたりします。
歴史は、かなり好きなほうなんですが、90%のほうに、属しています。
それだけ、政宗公が出色の魅力ある英雄なんでしょう。
せめて、私からでも、考えを改めていきます。
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この回答へのお礼

わざわざ、ありがとうございました。
ご理解いただきまして、ホッとしております。

お礼日時:2008/09/04 14:00

仙台藩初代藩主、伊達政宗は永禄10年(1567年)山形県にある米沢城で生まれ25歳までの多感な青年期を過ごしたようです。


伊達家の歴史はこちらを参考にしてください。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E9%81%94% …
http://hb2.seikyou.ne.jp/home/fm/rekidai3.html
http://www.geocities.jp/toujirou888/date1.html
http://www.geocities.jp/toujirou888/date2.html
http://www.geocities.jp/toujirou888/date3.html
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この回答へのお礼

御返事のあまりの早さと、素晴らしい回答に、ただ、びっくりです。
本当にありがとうございます。
まだ、目を通しただけですが、全部を熟読するには2週間くらい掛かります。
まずは御礼まで、今後もよろしくお願いいたします。

お礼日時:2008/09/03 14:32

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