江戸初期のことを学ぶためにいい本をご存じでしたら教えてください。
葵徳川三代とかの本ですかね・・・・。
この本は面白かった!
とか言うのがあったら教えて欲しいです。
お願いします。

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A 回答 (5件)

初期というのがどの辺りになるかは分かりませんが、小説でしたら司馬遼太郎さんの『城塞』という本が面白いし分かりやすいと思います。

大阪の役を題材にはしてますが、関ヶ原の戦い後から幕府政治の初期の流れもふまえて書かれています。
葵徳川三代の頃だったら、十分この時期に相当すると思いますし、何にせよ小説としても大変面白いので飽きずに最後まで読めるのではないかと思います。
特に、開幕したての頃の徳川政権VS豊臣政権の複雑な背景がとても分かりやすいです。
司馬遼太郎さんは大変有名な方ですが、どの作品も地理・人間関係・歴史的背景などについての分析が細かいので参考になるような気がします。
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ハードカバーでもあるかどうかわからないのですが、文春文庫の海音寺潮五郎の「武将列伝」という本があります。

何冊かのシリーズもの(たしか6冊)の中に家康や家光の章があります。これは小説ではなく(海音寺潮五郎自身は小説家ですが)、中国の史記の列伝の手法を日本史に応用したものです。あらゆる文献や学説を軸に、極力総合的な視点から一人の人物像を復元しつつ、同時に当時の時代の特徴(人々の考え方や人間関係、社会環境、風俗慣習、等々)をも浮き上がらせていく手法をとっています。肩肘はらず気軽に読め、意外な情報も多く、面白かった記憶があります。また同じ筆者の「悪人列伝」(文春文庫)には、江戸初期だと、金山の開発絡みの利権問題で事件になった、大久保、んー、下の名前が思い出せない、、、などが入っていた記憶があります。
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以下の参考URLサイトは参考になりますでしょうか?


「日本の古書籍一覧表」

ちょっと専門的(?)過ぎますでしょうか?

ご参考まで。

参考URL:http://homepage1.nifty.com/kitabatake/rekishi13. …
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 私も、一般の人が江戸時代初期について、手短に学習するのには、小説が一番いいと思います。

それは、それ自体で完結していますし、自分の好きなテーマにしぼって、楽しめるわけです。この時代には、宮本武蔵、由比小雪、天草の乱、浅井三姉妹などのテーマで小説がたくさんあります。
 小説を除きますと、歴史は時の流れですから、江戸時代初期だけにしぼるとなるとかなり、専門的な本になります。たとえば、徳富蘇峰の近世日本国民史(織田時代から江戸終りまで100巻ぐらいあります)など。
 一般的なものになると、日本の歴史として、発行されている小学館、中央公論社、講談社などの全集物です。小学館と中央公論社版については、文庫版でも出ていますので、分冊で買うことができます。これらの本は、各巻かなり独立していますので、それ相応に知識欲を満足させます。近所の図書館にもあることでしょう。
 また、歴史の本を見るのでしたら、歴史辞典と歴史地図があった方が便利です。一般用は高いですので、高等学校歴史の参考書のコーナーに行けば、手ごろなのがあります。
 参考
http://homepage1.nifty.com/t-kubo/Shoko/sub5-1.h …
http://www.hiro.org/rekishi/shoin/index.htm

参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~me4k-skri/han/hantop …
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歴史的事実をありのままに知りたいというわけではありませんよね。


江戸初期の文化や市井の状況をしりたいのであれば、やはり時代小説でしょう。
それも、歴史的事実をふまえた読み物ということでは天下一品の小説家、『池波正太郎』の一連のシリーズをお勧め致します。
『真田太平記』は戦国の混乱期から江戸初期にかけて真田昌幸、信幸、幸村親子の人生をとおしたスペクタル時代小説です。もちろん、ちゃんとその時代背景も克明に記載されています。
『侠客』という小説は、武士から人いれ屋(いまでいう人材派遣業)になった幡随院長兵衛と直参旗本水野十郎左衛門の生涯を3代家光の時代を背景にかかれています。
そのほか、ほんとにたくさんあって書ききれません。
一度よんでみてください。
もちろん、大人気シリーズ『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人梅安』もいいですよ。

この回答への補足

ありがとうございます。
でもできれば、歴史的事実の方がいいです(^_^;)
時代小説も好きなんですが、できれば学術的に(と言っても小難しくはなく)、
幕藩体制の始まりから確立期のあたりを取り上げているハードカバーの本はありませんでしょうか。
うるさい要望で申し訳ないのですが、もしご存じでしたら教えてください。

補足日時:2001/02/21 15:16
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元号は現在、天皇陛下が代わられると元号を変える事ですが、江戸時代やそれ以前の時代では、どのタイミングで変わっていたのでしょうかか?

Aベストアンサー

今のように、天皇の代替わりのときにだけ元号を変える制度になったのは、明治からです。その結果、天皇と年号が1対1に対応するようになりました(ということと関係があると思いますが、明治以降の天皇は、明治天皇のように年号で呼ばれています)。
それ以前は、めでたい事があった、天変地異、疫病がはやったとか、いろいろの理由で年号を変えていました。

Q葵 徳川三代で・・

 自分も詳しくは覚えてないんですが、家康と秀忠とのシーンで家康が「徳川、幕府の天敵になりゆる大名はおるか?」と聞いたら、秀忠は「福島正則、吉川広家、黒田如水、加藤清正・・ 北は伊達政宗、上杉景勝」
 そして家康が「身内はどうじゃ?」と問い、秀忠は「・・・・・」と沈黙し、家康が「秀康はどうじゃ?太閤殿下の養子故、淀殿にそそのかされて謀反になるとは?」

 仮にこの話が現実に起きた場合、西軍→東軍に寝返った諸侯達が揺らいで波乱が起きたでしょうか?それとも婚儀等で諸侯と縁を結んでいる為に、そういう波乱は起きなかったと思いますか?

Aベストアンサー

幕府の天敵 黒田如水
とあるからには、1603年の将軍任官から如水死亡の1604年の間の発言と見ます。

この段階ですと
福島正則、吉川広家、黒田如水、加藤清正・・ 北は伊達政宗、上杉景勝 そして秀康
全員、領地が変わったばかりで、領地の仕置きで大変だったんじゃないかな。西日本のいわゆる豊臣恩顧系だと、領地が二倍、三倍されて、家臣も二倍 三倍。実際の戦闘する 揃 の単位を指揮する指揮官不足じゃないのかな。当時の戦争は現代の戦争のように統合されたものではなく、揃の指揮官の戦闘能力の総和みたいなものだったからまだ練度がたりないかも。
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秀康の配下も実態は徳川本家からの出向組だから、トップの個人レベルの判断では本家、特に家康には逆らえないような気がします。

婚儀の拘束力よりも、戦国武将達のリアリズムが強いかと。
あと、婚儀でどんな人が付いていったんでしょうかね?不明です。
宇喜多家には、前田家から豪姫が入っています。関ヶ原の直前に、豪姫と一緒に宇喜多家に入った人物が実権を握り、それまでの宇喜多家の家臣と内紛を起こしていますよね。そのくらいのレベルの人間が婚儀で相手方の家に入っていると、反抗もしづらいだろうな。

幕府の天敵 黒田如水
とあるからには、1603年の将軍任官から如水死亡の1604年の間の発言と見ます。

この段階ですと
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全員、領地が変わったばかりで、領地の仕置きで大変だったんじゃないかな。西日本のいわゆる豊臣恩顧系だと、領地が二倍、三倍されて、家臣も二倍 三倍。実際の戦闘する 揃 の単位を指揮する指揮官不足じゃないのかな。当時の戦争は現代の戦争のように統合されたものではなく、揃の指揮官の戦闘能力の総...続きを読む

Q江戸時代の人は元号を言えたか

 
 以前どこかで前世療法というものの動画を見た際、前世にもどったひとに「年号は何年ですか」と質問すると、「安永○年」とか「天明○年」と、“前世”の人が答えていました。

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 知っていたとすると、元号が変わったときはどのようにしてその情報が伝わったのでしょう?

 ちょっと不思議に思いました。
 ざっくりしていますがお答えいただければ幸いです。

Aベストアンサー

>江戸時代の人は元号を言えたか?
その人がどの階層(身分)に属して居たかで大きく変わりますが…99.99%の江戸時代の日本人は元号はおろか、何月と言う概念すらありませんでした。従って基本的には「江戸時代の人は元号を言え無かった」と言う答えでOKなはず。従ってその「前世に戻った人」はどこか遠い星の "EieDoo(我々に理解出来る言葉で発音すると「エド」と聞こえる)" と言う時代から来た異星人かと思われます。

P.S.
日本では明治5年の改暦詔書までは、一部の学者や政府高官以外には元号はおろか、何月何日と言う概念すらありませんでした。そもそも日本では中国由来の暦が数百年に渡って使われており。年号では無く「今年は甲子(きのえね)の年」と言った風に考えていました。いわゆる「干支暦」と呼ばれる暦です。

>Wikipediaによる解説:干支 - http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B2%E6%94%AF

江戸時代以前と明治以降の現代文明社会とでは時間の流れ方が全く違います。江戸時代では手紙を送って、その返事が来るのを1ヶ月以上も待って、それからまた返事を送って相互確認を取り、それで互いに了解して~と言った風に物事が運ぶ時間感覚です。厳密に何月何日の何時までに返信を!~みたいな感覚は一切ありません。また個人で時計を所有してる人も居ません。1日は朝昼晩で良かったし、1週間と言う区分も明治以降に西洋文明と共に入ってきた制度です。

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>江戸時代の人は元号を言えたか?
その人がどの階層(身分)に属して居たかで大きく変わりますが…99.99%の江戸時代の日本人は元号はおろか、何月と言う概念すらありませんでした。従って基本的には「江戸時代の人は元号を言え無かった」と言う答えでOKなはず。従ってその「前世に戻った人」はどこか遠い星の "EieDoo(我々に理解出来る言葉で発音すると「エド」と聞こえる)" と言う時代から来た異星人かと思われます。

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Q江戸時代の元号の文字 画像あり

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その寺からの許容書の実際の画像です。
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八良衛門 は 私の先祖の名前です

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Aベストアンサー

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【日本史・家紋の謎の続き】「江戸時代は特定な家紋(例えば徳川の葵だとか)以外は何を使っても自由だったそうです」

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参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~me4k-skri/han/hantop.html

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Aベストアンサー

世羅田東照宮では
http://www7a.biglobe.ne.jp/~mkun/nazo/mystery.htm
http://blogs.yahoo.co.jp/rise38it/49604890.html


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