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芥川龍之介の舞踏会に
我々の生のような花火
とありますが、これは何を意味しているんですか?

学校の教師のヒント
・パリの舞踏会について話すあたりでフランス人将校が
今までと表情が変わったところ

・フランス人将校が見たもの

・第二章については関係ない

・根拠箇所を指定して答える

・花火は今見ている花火のことではない

考えてもいまいちわからないのでどなたか至急解説してください。

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A 回答 (5件)

これは宿題の「丸投げ」じゃねえかよ! 「日曜日まで」と期限まで切りやがって、ど厚かましい。

宿題の代行なんか、誰がしてくれると思ってんだ!
すみません、取り乱しました。この『舞踏会』は私も読んだことがあるので、ご質問を勝手に読み換えて、答にはなりそうもない浅はかな感想を書いてみます。あとはご自分の頭で考えてね……。

「我々の生(ヴイ)のやうな花火」
これは、そのまんまじゃないですか。何が難しいんですか? 「多少長かろうと短かろうと、我々の人生も、花火の一瞬の閃光のようなもの」という意味だと考えられます。日本語で言うなら「無常」でしょうか。フランス人でもイギリス人でも分かってることです。イギリス人のシェークスピアの『マクベス』から引用してみましょう。

シェークスピア『マクベス』(プロジェクト・グーテンベルク)
http://www.gutenberg.org/dirs/etext00/0ws3410.txt
(引用開始)
Life's but a walking Shadow, a poore Player,
That struts and frets his houre vpon the Stage,
And then is heard no more. It is a Tale
Told by an Ideot, full of sound and fury
Signifying nothing.
(引用終り)
人生は歩く影法師、哀れな役者に過ぎぬ。持ち時間は舞台の上で、 身振りよろしく動き回ってみるが、出番が終われば消えるのみ。白痴の語る物語、ひどく騒々しいだけで、何の意味もありはしない。

さて、芥川の『舞踏会』に戻って、
「いえ、巴里の舞踏会も全くこれと同じ事です。」
「巴里ばかりではありません。舞踏会は何処でも同じ事です。」

打ち上げ花火もまた、東京でもパリでも同じことです。「全く同じじゃないだろ」という混ぜっ返しは要りません。中国の古典でいうなら、

年年歳歳花相似たり
歳歳年年人同じからず

ですね。舞踏会や花火はどこでも大同小異だが、人は誰でも似たようなものとは言えない。しかし、その一人一人かけがえのない人生も、花火に似た一瞬のきらめきに過ぎない。フランスの海軍将校が見ていたのは花火ではなく、人の生(せい)の無常です。この小説の舞台の鹿鳴館も、文明開化期に短期間華やいだ官製のあだ花でした。
明子の生もまた、一瞬のきらめきだったことが暗示されています。「第二章については関係ない」というのは誤りだと思います(私は人の宿題の代行なんかいたしません。このご質問を勝手に読み換えます)。
『舞踏会』の「一」すなわち「明治十九年十一月三日の夜」の後、明子はある意味空虚な人生を送ったのではないでしょうか。少しはフランス語教育も受けたのだから、その後、西洋で評判を取った『お菊夫人』(1887、明治20年)くらい読んでいてもよさそうなものです。そして作者の「ピエル・ロテイ」に関心を持てば、その本名が「Julien Viaud」であること、あの海軍将校だったことにも気づいたでしょう。しかし、「二」で「明子――今のH老夫人」は、
不思議さうに青年の顔を見ながら何度もかう呟(つぶや)くばかりであつた。
「いえ、ロテイと仰有る方ではございませんよ。ジュリアン・ヴイオと仰有る方でございますよ。」

明治から大正まで、明子もいろいろ忙しくて長い人生を送ったでしょうが、それはマクベスの台詞の「sound and fury」のようなもの、芥川はそう言いたいのかも知れません(マクベスにこだわらなくてもいいんですが、芥川は東大英文科出の英語の先生でした)。
しかし逆に言うと、「二」の「青年は愉快な興奮を感じた。」は、この青年小説家の知的軽薄さを示しているとも考えられます。ジュリアン・ヴイオがロテイであることなぞ、明子にとって意味はなく、明治十九年十一月三日の夜、彼女の人生が花火のように輝いたことこそ意味があるのです。
「一」の「ワツトオの画」は、のちの世までも残るでしょう。しかし、その絵の中の御姫様にたとえられた明子の、「開化の日本の少女の美」は、「一瞬の後には名残りなく消え失せてしま」うものです。
それでも、この掌編の主人公は、何といっても明子です。芥川はワツトオの名画よりも、生きている明子を尊んだのかも知れません。ワツトオもロテイも知らない明子を哀れんでいるのではなく、憂鬱で知的なロテイや青年小説家(芥川自身の投影)を皮肉っているのかも知れません。
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この回答へのお礼

長文ありがとうございます。
>我々の人生も、花火の一瞬の閃光のようなもの
これは最初に思いましたが 「人生のような花火」ではなく「花火のような人生」になるので違うそうです。
ひとつの解釈としてこういうのがあるんだとわかりました。

自分で考えたり友達と考えたりしましたがわからないのでここに書きましたがそれでも自分で考えろというのが結論らしいので後は自力でがんばります。できなくても。

答えよりも考えるほうが大切だということがよくわかりました。
皆さんありがとうございました。

お礼日時:2008/09/07 04:10

ウエルズのタイムマシンの世界がここにもあるな エ~ン。

・゜・(ノД`)
与える者と与えられる者に二極化した世界
何も考えることなく与えられたものを無批判に受け入れていると「イーロイ」になってしまうぞ
答えは自分で捜そう
本を見るのはいい
友達と話し合って答えを見つけ出してもいい
指先に頼るのは止めろ
芥川龍之介の舞踏会、を何度も読めば分かる
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丸々の回答はさしあげられませんが、ヒントを少し。



「花火」~「舞踏会」~「我々の生」

この共通点を比較してみればわかるのではないでしょうか?
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