プロが教えるわが家の防犯対策術!

これまで、格差社会などについて質問しました時に
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汗をかくということが頑張るということではない。
汗をかく「時間」「場所」「方向性」が正しい時に頑張っているといえる。
社会のテストで高得点を取る為に野球の練習をしても頑張ったとは言えない。
「頑張ったのに報われない」という発言はそれらの事を完全に無視して汗をかいているから報われるべきだという誤った主張である。
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生きる上で頑張るのは当たり前。
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3の頑張りで5の付加価値を生み出せる人が評価される。
10の頑張りで3の付加価値しか生み出せない人は評価されない。
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などのご意見を頂きました。
(回答者様の原文に私なりに加筆修正しております)

これについて、皆様は
「付加価値は低いが汗をかいて働く人」が報われる社会であるべきだと思われますか?
「汗をかかずに付加価値の高い働きが出来る人」が報われる社会であるべきだと思われますか?
ご意見をお聞かせください。

ただし、以上の件について
・生まれながらの障害を持って生まれた人
・家庭状況が極めて悪く、それによって人生に多大な影響を受けた人
・不慮の交通事故等の不運により人生に多大な影響を受けた人
等のような方は考慮せず
・それなり以上の家庭で、大きな不運に遭うことなく過ごしてきた方
について考えていただけると幸いです。よろしくお願いします。

A 回答 (17件中1~10件)

私は、貴方の投稿意見に概ね賛成です。



10の頑張りで10の成果を得るのが標準とすれば、それ以下は劣っている(要領が悪い)と判断をすべきでしょう。社会に出れば、結局「結果を求められる」訳だから、幾ら頑張りましたと言っても結果が出なくてはダメだと思います。

また、失敗が次に繋がる失敗なのか、全く的外れなのか…も、判断が必要かと思います。ミクロ的な物の見方では解らない部分も多々あるかとは思います。

それと、障害者を別枠呼ばわりする必要は無いと思います。音痴の人間にプロ歌手になれといっても無理なように、本人が出来得る10の事を10やって貰えれば健常者と同じ評価をするべきです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

いくら頑張ったといっても、要領が悪いのであれば評価はされない。
というご意見参考にさせていただきます。

また、マクロなものの見方をとるべきであるというご意見も参考になります。

>>障害者を別枠呼ばわりする必要は無いと思います。
これに関しては私自身も迷ったところなのですが
これまでの質問などにおいて、このようなローカルな事例についてのみについて言及され
一般的なことについての言及が無い意見などがあり
論拠が曖昧になってしまうことがありましたので
「とりあえずは」一般的な人だけについてどのように思われますでしょうか?
という形を取らさせていただきました。ご理解いただけると幸いです。

お礼日時:2008/09/14 21:47

> Roman0様には上記したもの以外にも貴重な抽象論を語ってい


> ただき、今のところ、私としては十分に満足のいく結果が得
> られています。

 だとしたら、あなたの目的はこれまで文章で述べてきたことには無いということですね。あなたの発言は論理として成立していないのに、それに満足しているのですから。

> Roman0様にとっての「立論としての大問題」

 「私にとって」などという卑小な話ではありません。論として成立しないということを言っています。
 まあ、それすら、あなたにとってはどうでもいい問題だということなのでしょう。であれば、もはや私から何かを言う話でもありません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/09/15 20:45

> 再度の回答ありがとうございます。



> 大問題の立論をしてしまい大変申し訳ありませんでした。

 あなたは何をしたいのですか?
 ここで述べるべきは私の指摘した点への回答でしょう。

 繰り返しますが、あなたの問いが意味を持つには、先に述べた2点の補足が、最低でも必要です。

この回答への補足

補足要求ですので補足欄にて失礼させていただきます。

>>あなたは何をしたいのですか?
これに関しては
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>「付加価値は低いが汗をかいて働く人」が報われる

 前半にあるとおり、「汗」の方向性や効率がダメなら、評価されません。そんな人が報われたら、むしろ逆に、方向性や効率をきちんと考える努力をしている人が報われません。
 「考える」ことの努力を、なぜそうも軽視するのでしょう。

>「汗をかかずに付加価値の高い働きが出来る人」が報われる

 これは当たり前ですね。努力しなくても、付加価値が高い働きができるなら、評価されて然るものです。
 でもね、「あなたには」努力していないように見えるケースだって、たいがいはそこまでの布石を打ったりする準備に、山ほどの努力をしているものなんですよ。
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このような抽象論程度の回答をいただければな程度の気持ちで質問させていただきました。
それについて「その程度の真剣さなんだな」という印象を取られても致し方ないと思います。

そして、Roman0様には上記したもの以外にも貴重な抽象論を語っていただき、今のところ、私としては十分に満足のいく結果が得られています。
Roman0様にとっての「立論としての大問題」が、このサイトにとっても「大問題」であるのであれば、管理者様よりこの質問を削除していただければと思います。

補足日時:2008/09/15 18:41
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若干、誤解がある様なので補足。



>みんなで家を建てようと頑張っているときに、大工が100m離れた
>場所で穴を掘っていたらいくら汗をかいてもそれは大間違いです。
>既に家の基礎が完成しているのにも関わらず一生懸命セメントを
>作っても遅いんです。

なんだろうなぁ・・・コレも有得んでしょ。実際に仕事でこういう
光景を目撃したなら、それは、その集まりの中のリーダー格が、私
的な理由で誤った命令を権力でもって強制してるんですよ。潰しと
いう奴ではないですか?家を建てるに当っての進行状況とか方針と
かの情報を渡さないとかね。

もしくは、同じ括りの大工グループと思っていたが、別の目的で
作業を行う大工姿の一般人をそう勘違いしたという所でしょう。

一見腑に落ちない現象も、紐解くと誰もが納得出来る理由があった
りします。想像力を働かせましょう。

まぁ・・・、まず、そんな光景を見たことあるんですか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

大工さんのくだりに関しては
ある回答者様の回答からの引用ですので、私が断言することは出来ませんが
これは「私が見たこんな光景」ではなく一つの比喩表現のようなものではないでしょうか。

お礼日時:2008/09/15 17:57

あるべき論で言えば確かにそうあるべき。


でもそうはならない

自分が自分に頑張った分の評価も出すと言うのなら、確かに頑張った分報われるかも知れない。
でも実際は評価を出すのは大抵他人。そして何を持って「報われた」と人が思うのかも大抵
他人からの評価が高くないと「報われた」なんて思わない。

そして他人は自分がどれだけ頑張ったかなんて、やっぱり実際の結果なくしては評価できない。

だからあるべき論や理想としては
「付加価値は低いが汗をかいて働く人」
なのだろうけど、実際や現実問題としては
「汗をかかずに付加価値の高い働きが出来る人」
が評価されるのだろうと思います。

私個人もそうです。理想は前者。現実を生き抜くには後者です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

「汗をかいて一生懸命働いた人」は報われるべきではあるが
現実問題としては「汗をかかずに付加価値の高い働きが出来る人」が評価される。
ということですね。

参考にさせていただきます。

お礼日時:2008/09/15 17:52

> そう言っていただけると長文を書いた甲斐がありました。



 巨大な保留点があることは明示したのですが。それが解決しないと所詮「大筋良い」でしかありませんよ。
 具体的には、下記の2点、補足が必要です。

 ・つまり、実体経済従事者とマネー経済従事者の対比を言っている
  ということですか?
  それであれば、他の例が整合しないのですが。
  違うのであれば、あなたがもっとも適切であると思う例を挙げる
  か、あなたが重視する肉体労働としての「汗」が共通要素となる
  複数の例をあげてください。
 ・確認ですが、管理職、企画職、設計職、研究職、これらは「汗を
  流して一生懸命働く」に含まれないということでいいですね。


> この質問は私自身が立ち上げたもので
> 私としては、ある程度のファジィな点や意見の発散や多少の矛
> 盾点があっても満足しておりますので
> このままの形で継続させていただきたいと思います。

 あなたが満足しているかどうかとはまったく関係なく、論理とデータが閉じていないことを私は指摘しています。別に論理的整合性が無くてもあなたが満足であるのは別に構いませんが、立論としてはそれでは大問題だということは、知っておきましょう。
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。

たしかに仰るとおりできっかけとなった石原氏の言葉と私の提示しました具体例との間には矛盾がありますよね。

Roman0様ほど論理的な思考が出来ず
大問題の立論をしてしまい大変申し訳ありませんでした。

お礼日時:2008/09/15 14:46

上に立つものにとって一番やっかいなのが、真面目だけど仕事が出来ない社員だそうです。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

これはNo.1様が例に挙げられたような「勤勉で馬鹿なものは即座に銃殺にしろ。」
と近いものを感じますね。

お礼日時:2008/09/15 14:45

 補足ありがとうございます。



> 特に定義が必要でなければ気にされずご自身の考える「汗」
> や「一生懸命さ」としてお答えいただいて結構です。

 一応指摘しておきますが、そんなことをすると話が発散するだけですよ。

> これについては石原伸晃さんが来る自民党総裁選の遊説中に
> 「一生懸命汗を流す人が報われず、マネーゲームをしている
> 人が肥えていく。そして、肥えた人だけが更に肥える社会で
> 本当にいいのですか?」というお話がひとつのきっかけです。

 つまり、実体経済従事者とマネー経済従事者の対比を言っているということですか?
 それであれば、他の例が整合しないのですが。
 違うのであれば、あなたがもっとも適切であると思う例を挙げるか、あなたが重視する肉体労働としての「汗」が共通要素となる複数の例をあげてください。
 仮にですが、これが複数上がらないとしたら、やはりあなたは、自分の経験に基づく思いが出発点であることを省みることをお勧めします。どんな立論にしろ、問題認識の出発点を自分で明確にしていなかったら、きちんとした結論は出ません。で、「自分の思いではない」という言い方をしながら自分の思いであるケースは、非常に多いのです。

> 「汗を流して一生懸命働く」…文字通り体を使って汗をか
> いて働くこととしたいと思います。
> 「何」を得られれば報われるなのか…「お金」を得られれ
> ばとします。(社会的な評価でも構いませんが…)

 確認ですが、管理職、企画職、設計職、研究職、これらは「汗を流して一生懸命働く」に含まれないということでいいですね。「Aさん」という例からしても、そう思われますし。
 なお、「社会的な評価」は、ここでは確認のしようが無いので外します。あなたが評価方式を示せたら、また検討の俎上に戻しますが。

> 皆様はBさんの意見についてどのように感じますか?

 社会の仕組みとして、肉体労働における汗と、対価は、比例しません。だから、おかしなことを言っていると感じますね。

 社会とは人間が群れてできるものであり、対価とは社会のメンバーが他のメンバーに対して価値を提供することや、今後も継続的に価値を提供してくれる期待に対して支払われるものです。払う対価以上の価値を生む役に立つ道具、おいしかったり栄養があったりお腹が膨れたりする食事、楽しい時間、そういうものに価値を認めるから、対価を払うのです。あなたも、お金を払うときは、そうでしょう?
 これは、社会構造がどんなものであっても変わりません。価値の評価や対価の提供の仕組みが変わるだけです。

 で、肉体労働における汗は、価値を作る一要素ではありますが、価値の全てでは無いどころか、寡占的な要素でもありません。従って、肉体労働における汗を対価と比例させる考え方は、理不尽です。

> というのではいかがでしょうか?お気に召しませんでしょうか?

 立論の構造としては、主要な点において具体例も定義も明確で、大筋良いと思います。出発点となる問題認識の掘下げが事例と合っていないので、そこは見直す必要があると思いますが。
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この回答へのお礼

3度の誠に回答ありがとうございます。

>>対価とは社会のメンバーが他のメンバーに対して価値を提供することや、今後も継続的に価値を提供してくれる期待に対して支払われるものです。
>>汗は、価値を作る一要素ではありますが、価値の全てでは無いどころか、寡占的な要素でもありません。従って、肉体労働における汗を対価と比例させる考え方は、理不尽です。
これも含めRoman0様からはいくつかのケースにおいて、その全てにおいて非常に興味深いご意見が多いですね。

>>立論の構造としては、主要な点において具体例も定義も明確で、大筋良いと思います。
そう言っていただけると長文を書いた甲斐がありました。

この質問は私自身が立ち上げたもので
私としては、ある程度のファジィな点や意見の発散や多少の矛盾点があっても満足しておりますので
このままの形で継続させていただきたいと思います。

お礼日時:2008/09/15 10:33

汗をかく人もかかない人も、仕事をしたらそれに見合った報酬を得られる社会であるべきだと思う。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

仕事をしたら。というと抽象的なので難しいところですが
かいた汗の量に関わらず、仕事の成果(付加価値)についてそれに見合った報酬を得られるべきであるという意味で捉えさせていただきますね。

お礼日時:2008/09/15 10:26

はじめまして><


「汗をかかずに付加価値の高い働きが出来る人」は報われるべきだと思います。
「付加価値は低いが汗をかいて働く人」も次に報われるべきだと思います。
既に家の基礎が完成しているのにも関わらず一生懸命セメントを作った人は、別に遊びでそうやったわけじゃないんだから。
努力は両方評価すべきかな。
ところで一番上のものはちょっと極端かな。正しい努力は報われると云う理想論が混じっているような。
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この回答へのお礼

はじめまして。

まず「汗をかかずに付加価値の高い働きが出来る人」が報われるべきで
「付加価値は低いが汗をかいて働く人」は次に報われるべきであるというご意見ですね。

>>努力は両方評価すべき
ということは「努力の評価」以外(例えば賃金による評価)では両方平等に評価すべきではない。
ということでしょうか。

>>ところで一番上のものはちょっと極端かな。正しい努力は報われると云う理想論が混じっているような。
というのは
>>汗をかくということが頑張るということではない。
以下4行についてのことでしょうか。
たしかに、「時間」「場所」「方向性」が正しい一生懸命さが全て報われるわけではないですよね。
参考にさせていただきます。

お礼日時:2008/09/15 10:23

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