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どの賞状にも、句読点が入っていません。
なぜですか?

A 回答 (10件)

回答というより、感想です。


ANo.5さんご紹介のURLを読ましていただきました。
そのなかで、「相手を敬って」というところが、チョッと気になりました。
賞状は、エライ人が下の者をほめて渡すものです。「ほめてつかわす」です。ですから「相手を敬って」というのは、ヘンな感じがします。

明治以前の人が、今の句読点入りの文章を見れば、「なんじゃ、こりゃ」でしょうね。
江戸時代以前でも、句読点や振り仮名入りのものは存在します。しかしそれは、学生(武士の子弟など)などが勉強のために書き入れたもので、今のノートのようなものです。
明治に入って、西洋の真似で句読点を入れるようになるまでは、チャンとしたものには句読点はありませんでした。
昔の人が、今の句読点入りのビジネスレターを読めば、随分失礼な手紙だと思うでしょうね。
まあ、われわれが「!」や「?」や「(^-^ 」や「(爆)」入りのビジネスレターを読むようなものだと思います。

日本で一番権威のある書類と言えば天皇の詔でしょう。

終戦詔書
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/syuusenn …
天皇が臣民に対して「戦争を止めろ」と命令したわけです。
このような文書にも句読点も濁点もありません。
天皇から見ればみんな目下(メシタ)ばっかりです。
要するに明治以降も、正式文書には句読点がないのが慣例であったわけです。
現在でも、上奏文、証書、辞令、転勤の挨拶状(^-^ などが、その伝統を引き継いでいます。

民主的な世の中になりましたので、「相手を敬って」という見方ができるのでしょうが、「句読点入りのものなんて文書とは言えん、メモの類だ、そんなものは恰好が悪くて出せん。」・・・チョッと強烈に書きすぎましたが、そのような出す側の都合の方が優先しているような気がしています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2008/09/22 09:16

詔書に句読点が入るようになったことについて、昭和21年(1946)5月7日の議会召集の詔書よりも早いのがあります(中野文庫から引用↓)。


有名な年頭の人間宣言です。

年頭、国運振興ノ詔書(昭和21年1月1日)
==============================================
茲ニ新年ヲ迎フ。顧ミレバ明治天皇明治ノ初国是トシテ五箇条ノ御誓文ヲ下シ給ヘリ。曰ク、
 一、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ
 一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ
 一、官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメンコトヲ要ス
 一、旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
 一、智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ
叡旨公明正大、又何ヲカ加ヘン。朕ハ茲ニ誓ヲ新ニシテ国運ヲ開カント欲ス。須ラク此ノ御趣旨ニ則リ、旧来ノ陋習ヲ去リ、民意ヲ暢達シ、官民挙ゲテ平和主義ニ徹シ、教養豊カニ文化ヲ築キ、以テ民生ノ向上ヲ図リ、新日本ヲ建設スベシ。
大小都市ノ蒙リタル戦禍、罹災者ノ艱苦、産業ノ停頓、食糧ノ不足、失業者増加ノ趨勢等ハ真ニ心ヲ痛マシムルモノアリ。然リト雖モ、我カ国民ガ現在ノ試煉ニ直面シ、且徹頭徹尾文明ヲ平和ニ求ムルノ決意固ク、克ク其ノ結束ヲ全ウセバ、独リ我国ノミナラズ全人類ノ為ニ、輝カシキ前途ノ展開セラルルコトヲ疑ハズ。
夫レ家ヲ愛スル心ト国ヲ愛スル心トハ我国ニ於テ特ニ熱烈ナルヲ見ル、今ヤ実ニ此ノ心ヲ拡充シ、人類愛ノ完成ニ向ヒ、献身的努力ヲ効スベキノ秋ナリ。
惟フニ長キニ亙レル戦争ノ敗北ニ終リタル結果、我国民ハ動モスレバ焦燥ニ流レ、失意ノ淵ニ沈淪セントスルノ傾キアリ。詭激ノ風漸ク長ジテ道義ノ念頗ル衰ヘ、為ニ思想混乱ノ兆アルハ洵ニ深憂ニ堪ヘズ。
然レドモ朕ハ爾等臣民ト共ニアリ、常ニ利害ヲ同ジウシ休戚ヲ分タント欲ス。朕ト爾等臣民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニ非ズ。
朕ノ政府ハ国民ノ試煉ト苦難トヲ緩和センガ為、アラユル施策ト経営トニ万全ノ方途ヲ講ズベシ。同時ニ朕ハ我国民ガ時艱ニ蹶起シ、当面ノ困苦克服ノ為ニ、又産業及文運振興ノ為ニ勇往センコトヲ希念ス。我国民ガ其ノ公民生活ニ於テ団結シ、相倚リ相扶ケ、寛容相許スノ気風ヲ作興スルニ於テハ、能ク我至高ノ伝統ニ恥ヂザル真価ヲ発揮スルニ至ラン。斯ノ如キハ実ニ我国民ガ人類ノ福祉ト向上トノ為、絶大ナル貢献ヲ為ス所以ナルヲ疑ハザルナリ。
一年ノ計ハ年頭ニ在リ、倫ハ朕ノ信頼スル国民ガ朕ト其ノ心ヲ一ニシテ、自ラ奮ヒ、自ラ励マシ、以テ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ。
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濁点や句読点が文体と合わず妙(ヘン)な感じですね。珍品です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2008/09/23 18:49

なぜ句読点がないか・・・


答えは簡単です。その方が “賞状らしい” からです(墨の使用量を減らすためではありません)。

例えば盆踊りは洋服でも踊れますし、振付けさえ考案すれば曲は『おさかな天国』でも『星条旗よ永遠なれ』でも全然差支えないはずです。しかし、実際には多くの人が着慣れない浴衣を着て、近年作られた『○○音頭』なる民謡風のご当地ソングに合わせて踊ります。それは、そうしなければ気分が出ないからに他なりません。賞状の表記も理屈はそれと似たようなもので、句読点を用いない伝統的な記述様式に加え、敢えて古めかしく筆書きすることにより重厚感や威厳といった価値感を演出しているわけです。
もちろん、そういうものにまったく価値を見出さない人は、「そんなの今時流行らん」と思うのでしょうけれど‥ ( ^^;

賞状等に限らず、役所が発行する証明書の文言もかつては句読点が打たれていないものが一般的だったと思いますが、例えば法務局が発行する法人の印鑑証明書や登記簿の謄・抄本は、電算化に伴って句読点が入るようになりました。また、やはり句読点なしが普通だった会葬礼状についても今や下記のような意見が‥

表現文化社 雑誌SOGI Q&A
http://www.sogi.co.jp/sub/jituyou/qa/qa1_4.htm#q3

文書における時代の流れは、明らかに格好重視から読み易さ(気配り)重視に移りつつあると言えそうです。この調子で行くと、いずれは賞状や学校の卒業証書なども活字&句読点入りが当たり前になるかもしれませんね。

なお、詔書の話題が出ているのでちょっと補足しますと、これは昭和21年(1946)5月7日の議会召集の詔書から表記が文語体から口語体に改められ、句読点も付けられるようになっています(下記参照)。

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◇ 貴族院男爵議員補欠選挙施行ノ詔書(昭和21年5月2日)
朕貴族院伯子男爵議員選挙規則第十六条第二項ニ依リ貴族院男爵議員六名闕員ノ為ニスル補闕選挙ヲ昭和二十一年五月十一日ヲ以テ行フ貴族院男爵議員七名闕員ノ為ノ補闕選挙ニ合併シテ行フヘキコトヲ命ス

◇ 第九十臨時議会召集の詔書(昭和21年5月7日)
朕は、帝国憲法第七条及び第四十三条によつて、本年五月十六日に、帝国議会を東京に召集し、その会期を四十日とすることを命ずる。
------------------------------------

【以下余談】
1906年に文部大臣官房で『句読法案』を策定し、以後国定教科書においては文末に「。」が、文中の切って読むべき場所に「、」がそれぞれ使われるようになりました。しかし、その方式は必ずしも徹底されていたわけではないようです。
ちなみに私自身今日知って驚いたのですが、昔の新聞では社説等のコラム記事を除けば、記事本文中に「。」は一切使われず、文末にもすべて「、」が打たれていました。で、手元にある毎日新聞のコピーを日付を追って調べてみたところ、現在のようにすべての記事文に句読点が打たれるようになったのは何と昭和26年(1951)以降で、それまでは戦前と同じスタイルだったことが判りました。これはちょっと意外でしたね ( ^^
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2008/09/23 18:48

こんにちは。



ダブりますが、
ここの最後のところに理由が書かれています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A5%E8%AA%AD% …

冠婚葬祭、挨拶状の類は、句読点無しで書く人が多いとは思います。
私自身も、喪中葉書や年賀状などは、句読点無しで書きます。
しかしながら、
NTTの電話帳に書かれている電報の文例集では、句読点ありが標準になっています。
時代の流れでしょうか。


以上、ご参考になりましたら。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2008/09/22 09:16

直接の答えではありませんが。


結婚式の招待状、年賀状、冠婚葬祭の礼状、転勤の挨拶状なども句読点は使いません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2008/09/22 09:15

他の方の回答と重なりますが以下のURLの下の方に詳細が記されています。



http://www.taka.co.jp/sp/diploma/knowledge.html

こちらを引用されてる方がいるようで恐縮ですが
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2008/09/22 09:14

毛筆を用いる文化に発祥し、あらゆる書きものの文面には句読点を付ず、文脈が理解しがたい部分は字間を一字空けたり、改行していました。


明治時代に入って外国の文化や習慣から「,(カンマ)」「.(ピリオド)」の導入が検討され、日本式の句読点である「、(点)」「。(丸)」が統一表記が決定されましたが、表彰状や感謝状は本来は表彰する相手を敬って手渡すものなので、以後も従来通り句読点は付けないことになりました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2008/09/22 09:13

文章ではありませんから。



 何かを証明する物ですから。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2008/09/22 09:12

古文にも句読点はありません


教養のある人は句読点がなくても理解できるという考えです
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2008/09/22 09:11

句読点は目下の人に読みやすくするために入れるものという考えから表彰を受けるような人に対してこういう句読点を入れるのは失礼ということです。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2008/09/22 09:10

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