『ボヘミアン・ラプソディ』はなぜこれほど人々を魅了するのか

1999年~2000年はプロレス界にいろいろあったと聞きましたが、実際にはどのようなことがあったのでしょうか。
その二年間の変遷を教えてください。
よろしくお願いいたします。

1999年 7月 ○○ といった感じで教えていただけると嬉しいです。

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A 回答 (1件)

一つの時代が終わって、新しい時代が始まる・・・という感じですね。



1999年
1月<親日>東京ドーム・小川-橋本戦が、小川の暴走で無効試合となる。ここから橋本とフロントの確執が広がる。
  <新日>平成維震軍が解散。蝶野正洋が武藤nWoと対立し、TEAM 2000を結成。nwoは翌年消滅。
  <全日>G馬場、死去。
4月<新日>東京ドームで、蝶野対大仁田のノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ開催 。FMW離脱の大仁田、初のメジャー参戦。
  <闘龍門>メキシコの本体が日本上陸。WAR参戦の岡村、TARUらを加え、闘龍門JAPAN発足。のちのドラゴンゲートの土台。
5月<FMW>大仁田なきあとの実権を冬木が掌握し、日本初のエンタメ路線にシフトチェンジ。
6月<新日>藤波辰爾が代表取締役社長に就任。前社長の坂口征二は代表取締役会長に就任する。

2000年
1月<新日>米WCWの経営悪化に伴い提携解消。 WCWは翌年WWEに買収合併。
  <PRIDE!>藤田和之が総合デビュー。ハンス・ナイマンに勝利。
4月<新日>橋本真也が「負けたら引退」の試合で小川に敗れ、引退。
5月<PRIDE!>桜庭がホイス・グレーシーをTKOで破る快挙。  
  <新日>福田雅一が、柴田勝頼との試合中に意識不明となり緊急入院するも死去。試合中の死亡事故は、日本の男子プロレスでは初。
6月<全日>三沢らほぼすべての選手が離脱表明。翌月、プロレスリングNOAH結成。残留選手が3名となり、存亡の危機に。
7月<新日>長州が現役復帰。大仁田とノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチで対戦。
  <全日>天竜が、SWS参戦のための離脱以来の全日本復帰を発表
  <WAR>プロモーション活動を休止。事実上の消滅。
8月<新日>全日本の渕が両国のリング登場。新日本対全日本の対抗戦が開戦を宣言。
10<新日>橋本が復帰するも、フロント、長州との関係の悪化から、社内独立。「新日本プロレスリングZERO」を設立。 だが、11月には解雇となり、翌年ZERO-ONE旗揚げ。

まあ、この後、新日は格闘技路線と猪木の強権に翻弄され、迷走し、冬の時代へと転がり落ちていくわけです。ただ、その中で団体再編というか、三沢らがZERO-ONEに乗り込む形で、ついに橋本、永田、小川といった新日、総合系選手と絡む事態が起き、武藤は全日本に移籍、ハヤブサのリング上でのアクシデントによる大けが、FMW倒産、後にハッスルにつながるレッスル-1開催、猪木と総合の合体(Dinamayte!、猪木祭り)へと繋がっていくのです。
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この回答へのお礼

大変お詳しくありがとうございました。
満足です。

お礼日時:2008/09/26 00:22

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