ついに夏本番!さぁ、家族でキャンプに行くぞ! >>

インターネットを調べていると、
いろいろ全くの正反対の考えがあり、混乱しております。
どなたか、はっきり本当のことを教えて下さい。

東条英機は、日米開戦を積極的に願っていたのでしょうか?
彼は統制派だと聞いております。
統制派は中国への一撃を主張し、英米を敵とし、
ソ連との不可侵条約の締結を推進した。とあります。

実際問題、東条英機は日米開戦を元より
支持していたのでしょうか??よろしくお願いします。

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A 回答 (8件)

ANo.5です。

補足いただきましたので。

>けど、東条が、開戦をためらっていた近衛に
清水の舞台から飛び降りることもまた
必要であると忠言したのはどういうことなのでしょうか?

アメリカが条件を軟化させない以上は、開戦も仕方が
ないところまでいっていたという事です。
くるとこまでくれば、東条でなくても戦争を支持する
しかなくなるわけです。

何度でも言う様に、東条は別にアメリカと戦争をしたい
わけではありませんが、ここまでアメリカとの関係が
悪化すれば仕方がないような流れになるのです。
最終的には、ハルノートで皆が戦争を支持したわけですから。

近衛は優柔不断で、あまり褒められた総理ではありません。
日中戦争を泥沼化にしてしまったのも、近衛が元凶だと思います。
それに近衛はどちらかというと反英米派です。

私は東条英機はあまり好きではないのですが、仮に開戦に対して
誰か責任があるとすれば、ここまで日米関係を悪化させた人が
悪いのではないでしょうか。

もう東条内閣のときは開戦も仕方がないと思いますね。
作家の半藤一利さんに言わせれば、服部卓四郎、辻政信あたりが
日本を戦争に導いたと批判をしていましたが、私は個人的には
近衛文麿、松岡洋右あたりが、責任的には大きいような気がします。
確かに東条英機も責任はあるとはいえ、同情する面も多いです。
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この回答へのお礼

なるほど。時既に遅しですね。
良く分かりました。どうも大変有り難うございました。
私も、広田弘毅内閣とか近衛文麿内閣とか松岡洋右
あたりが重責だと思います。

お礼日時:2008/10/12 12:40

ANo.5です。



>消極的であったのに、開戦を回避しようとしていた近衛内閣を
潰したのはどうしてなのでしょう?

開戦を回避しようとしていたのは、近衛内閣も登場内閣も同じです。
しかし第二回御前会議の近衛内閣の時にはすでに、戦争のシナリオが
出来上がっていました。
戦争準備をしながら、交渉もするという事です。

結局近衛さんは、残念ながら責任をのがれるように辞職されました。
要は近衛内閣を潰したのではなく、近衛さん自身が海軍、陸軍を
押さえたり、まとめあげたるする能力がないのです。

戦争を主で考えるというのは天皇陛下の意思にも背き、最初から
基本的な事を検討しなくてはいけないと言う事で、木戸内務大臣
が東条英機を総理大臣に推薦したのです。
東条は天皇に非常に忠節であるため、軍部を押さえられるし、宮廷
グループのコントロールも利くのではないかという判断です。

東条英機がアメリカとの開戦を支持したと、誤解されやすいのは、
近衛内閣のときに、東条が中国に対しては主戦論者であったため、
アメリカの要求する中国撤退に断固として反対していたからです。

しかしながらアメリカと戦争をしたいという事ではありません。
アメリカの命令に服従するのか、それとも交渉を続けるかの話です。
戦争回避のため、もう少し交渉期間を伸ばそうと、軍部ら強硬派を
説得したのは東条さんです。
まして、天皇が戦争に反対であるのに支持するわけはありません。

結局日本はハルノートにより開戦に及ぶわけですが、ハルノートの
要求というのは、アメリカが最初から日本に要求していた事です。
要はアメリカは日本と交渉するつもりも、譲歩するつもりも最初
からなかったという事です。

この回答への補足

けど、東条が、開戦をためらっていた近衛に
清水の舞台から飛び降りることもまた
必要であると忠言したのはどういうことなのでしょうか?

補足日時:2008/10/11 23:39
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この回答へのお礼

どうも有り難うございました。大変よく分りまして
だいぶん整理されました。感謝です!
なるほど・・・しかし、そこまでアメリカの態度を硬直させて
しまった責任は日本の外交にもあると思います。
仏印南駐が致命的であったような気も致しますが、
アメリカの大統領がルーズベルトでなかったら、
また違っていたのかも知れませんね。歴史にイフはタブーだと
言われますが・・・
残念でまた悲しくて仕方がないのです。昭和天皇があまりにも
お気の毒で・・・ただそれだけなんです。
あとは、日本の外交の過誤を反省せずしてなにをか況や
という境地ではありますが・・・
大変参考になりました・・・どうもです!

お礼日時:2008/10/11 23:36

支持したと思います。


燃料を止められた恨みはアメリカに向けるしかないです。
関東軍特殊演習で独ソ開戦直後に挟撃狙い満ソ国境に70とも80とも集めたのに取りやめてます。
3ヶ月前の中立条約に完全にすがります。
一方的に負けた、とノモンハンの捏造報告に騙されてソ連よりアメリカの方がまた勝てると可能性にすがったのです。

この回答への補足

訂正:燃料を止められたから・・???ですか?

補足日時:2008/10/11 10:10
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この回答へのお礼

どうも詳しい解説有り難うございます。
そうですか・・・凄い詳しい情報感謝です。

どうして開戦を回避しようとしていた近衛内閣を潰したのか
少し分かってきたような・・・?その辺詳しい情報があれば
是非お聞かせ願えませんか?

アメリカの方がまだ勝てると思ったということは
中国かアメリカかどちらかといずれは戦争をしようと考えていた
ということでしょうか?
燃料と止められたから・・???ですか?

お礼日時:2008/10/11 10:09

当時の日本にとって、敵国はどこか、脅威はどこかで


統制派と皇道派は意見が分かれ、「中国一撃論」を主張
したのが、統制派です。

皇道派はソ連のほうを叩くように主張していました。
中国には英米が権益を持っているので、英米と衝突する
恐れがあると、中国への攻撃は反対していました。

もちろん統制派も英米と戦争がしたいわけではありません。
中国を攻撃するということは、そういう可能性もあるという
ことです。

東条英機は中国に対しては主戦論者ですが、対アメリカとなると
そうではありません。
軍部の強硬論者に対し日米開戦には消極的であり、できる限り
戦争にならぬよう、アメリカとの交渉を外相等にさせようと
しました。
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この回答へのお礼

どうも有り難うございます。
統制派と皇道派の詳しい説明感謝です。大変参考になりました。
消極的であったのに、開戦を回避しようとしていた近衛内閣を
潰したのはどうしてなのでしょう?

ここが今ひとつ良く分かりません。

お礼日時:2008/10/11 10:05

首相としてはダメ。

軍官僚としては優秀、というのが真相だと思います。東条は日米開戦を回避する方向だった3次近衛内閣をつぶしています。が、周囲が黙認したのは天皇に忠実な(狂信的に崇拝していた)東条が、戦争などしないだろう、という読みがあったわけです。事実本人は陛下のためにも開戦したくなかった、けど、大陸の陸軍を撤兵させるのは反対だったため交渉が不調におわり、結果として開戦してしまった、というのが大体の流れでしょう。開戦のとき、宮城に向かって土下座して号泣したといいます。

総理兼内務兼陸軍大臣を兼任し(警察と憲兵を支配下においたことになる)、5年中将をやらなければ大将になれない内規を変えて大将になる、ということもやりました。そして、生きて虜囚の辱しめを受けることなかれ、という戦陣訓をだして、日本軍から降伏と言う選択肢を奪ってしまいます。あと、なんでも自分でしたがる。憲兵の報告を鵜呑みにする、という悪評がありました。

戦時中は憲兵と特別高等警察を駆使して、自分に反対の意見を開陳した人間、記事にした新聞記者、軍人を招集したり予備役にいれたりと、やりたい放題でした。また、鈴木貫太郎内閣が終戦工作内閣と察すると、組閣を妨害したりしています。海軍と一部官僚の手で暗殺計画が立てられたりしました。一方皇室・皇族から罷免の声が大きくでなかったのは、彼が自由にできる多額の陸軍機密費(大陸のアヘン栽培の利益)で、常に付け届けをしていたから、といいます。

ただ、軍人としては師団長時代の師団掌握の巧さ、軍規を厳格に護らせる信念、またメモ魔といわれるほど勉強家で、政治さえやらなかったら、政府の方針の元で軍のマネージャー的活躍をしたら、という声はあります。
家庭人として、私人としては、海軍の山本五十六がいろいろ醜聞があったのと対照的に、自己を律した生活ぶりであったといいます。

首相になってしまったのがマチガイであった、というのが本当のところでしょう。かといって、あの時点で他に人がいたのか、というのも微妙です。帝国陸軍と言う怪物の頭を首相にすれば、怪物もなんとかなる、とみんな期待した故の悲劇ではないでしょうか。

この回答への補足

>大陸の陸軍を撤兵させるのは反対だったため交渉が不調におわり、
結果として開戦してしまった

ここをもう少し詳しく話ししていただけませんでしょうか?
天皇の為に開戦に消極的であったはずの東条がどうして
開戦回避を考えていた近衛内閣を潰したのか?

ここが今ひとつ分かりません。

補足日時:2008/10/11 11:33
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この回答へのお礼

なるほど。今、順番にNO1の方からお礼を述べていますが、
貴殿の回答が一番事実に忠実のような気がしています。
竹槍と書いた新聞記者に対して懲罰を加えたとか言う話を
聞いたことがあります。

道理でシビリアンコントロールが出来ないわけですね。
外交と軍隊は心と体の関係だと思います。が、
その心が体をコントロールできなくなれば、体は暴走するしかない。
その良心に逆らって体が無駄死にすれば、敗戦に対して
後顧の憂いを残し、何十年も悔いるしかない・・・
日本外交の過誤を反省しなければなりませんね。

リヴァイアサンを退治するために、東条英機を起用したが、
彼もまたリヴァイアサンに飲み込まれてしまったのですね。
それは、たぶんに憲法のせいかも知れませんね。
軍の統帥権が天皇にあったにも拘らず、天皇には拒否権がない。
しかも、彼は天皇に対して公的無私なほどに忠信を尽くす人であった。
大変参考になりました。どうも有り難うございました。

お礼日時:2008/10/11 09:59

わたしは東条英機を支持します。


彼がもし戦後生まれていたら有能な官僚になっていたことでしょう。時代が悪かった。時代の流れに巻き込まれて悲劇の将軍になってしまった。家族を愛する良きパパでした。決して好戦的な人物ではありませんでした。
東条英機の最大の功績は戦争責任を自らがかぶって「陛下は開戦を望まなかったが、われわれ軍部の強硬な発言にしかたなく承諾した」という旨の証言を東京裁判で行い、天皇を裁判に巻き込むのを防いだことです。忠臣でありながら逆臣の汚名を着せられ世界から、そして日本国民からも恨まれ絞首台の露と消えた。
歴代総理の運転手を勤めたあるベテラン運転手が戦後、新聞記者のインタビューを受けました。「歴代総理の中でどなたが一番立派でしたか?」
すると運転手は突然起立し、
「はい、それは東條閣下であります!」
と胸を張って答えたそうです。立派な人だったんです。わたしは誰が何と言おうと、東条大将を支持します。回答になっていなくて済みません。ちょっとこの場を借りて自説を述べさせていただきました。
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この回答へのお礼

とても心情的な回答どうも感謝です。
辞世の句などを拝見すると、私も感動したりします。
とてもすごい人格者だなと・・・
どうも有り難うございました。

ただ悲しいかな。戦争は、常に自国の正義と他国の正義との
ぶつかり合いだと言うことです。善と善との闘いです。
しかし、その善が争いを生じさせるからには、不完全な善だと
言わざるを得ないのです。
しかし、それは、人間中心の善だからなのです。
つまり、利己的な善。人本主義では戦争はなくならないということです。
神本主義でないと・・・
ですから、人間創造の神様を中心とした絶対的な善を基準とした
世界を築かない限り、戦争はなくならないと思います。

どうも感謝でした。

お礼日時:2008/10/11 09:46

今晩は。


本当のところは本人しか解らないと思います。
ただ、参考までに。
http://1gen.jp/GDOH/ISYO.HTM
http://1gen.jp/GDOH/TOUJYOU.HTM

これで、少しは答えになるかと思います。
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この回答へのお礼

どうも有り難うございました。だいたい読みました。
敗戦の翌年、天皇が人間宣言をされたにも拘らず、

>皇祖皇宗の神霊は畏れ多くも我々を照らし出して見ておられるのである。

言われているところをみると、どうも国家神道という似非宗教に
マインドコントロールされていたのか・・・という思いを否定
することはできません。晩年は、妻の信仰していた浄土真宗に帰依したらしいで
すが・・・

つまり東条英機は、天皇にあまりに忠実であったのではないかと・・・
そういう意味では公的無私の立派な人であったと思われます。
ただあまりにも戦争を合理的なゲームと考える欧米人とは違い
狂信的にまで勝利を信じてやまなかったカルト国家と化していたことは
否定できないと思います。そのような諸外国から見れば「キチガイ沙汰」の
国家に原爆しかなかったのかと・・・・という思いも致します。
ただし、東条英機が言うように原爆は確かに交戦法規違反だと私も思います。
どうも有り難うございました。感謝!

お礼日時:2008/10/11 09:39

開戦を決めたのは東條内閣の御前会議ですが、天皇の意思が平和にある


と知った東條は、陸軍に裏切り者と言われる覚悟で、対米交渉に臨んでいます。 確かに旦開戦後は積極的に戦争を推進しましたが、勝つことを前提に戦っていた以上当然のことでしょう。 自身が言う通り、戦争に負けて日本人に塗炭の苦しみを味あわせた責任はあるでしょうが、やはり日本人全体の責任を負って、戦勝国の一方的な裁きで処刑された指導者との評価があってもよいと思います。
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この回答へのお礼

どうも有り難うございました。お礼が遅くなりまして済みません。
なるほど。そうですか。
最後まで対米交渉に臨んでいたのですか。
なのにどうして開戦になったのでしょうか? 
残念です。
総力戦研究所の結論は、確か、
「日本必敗 闘うべからず」だったのに・・・
その辺がどうしても分かりません。
あと、アメリカが原爆を投下したことは
ハーグ陸戦法規に違反しますか??
国際情勢は、常に「勝てば官軍」だから仕方がないのかな?
どうも感謝です。

お礼日時:2008/10/11 09:28

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Q日本がハルノートをを受け入れ戦争しなかったら?

歴史で”たら、れば”は持ち出す事は駄目なんですが、もし、太平洋戦争に突入しなかったら日本はどうなっていたでしょう? 戦争で余りにも多くの方がなくなりましたが、戦争しなかった方が日本の将来は明るくなる事が期待できたのでしょうか?

Aベストアンサー

戦争をしなかった、という選択肢は
無かったと思われます。
日本が例えハルノートを呑んでも、米国は
必ずや、日本を戦争に引きずり込んだと
思われます。
あのイラク戦争のようにです。
フセインは、米国相手に戦争などしても
勝てる道理がないことぐらい、百も承知していました。
それでも米国に無実の罪を着せられて戦争に
持ち込まれ、処刑されてしまいました。
米国とはああいう国なのです。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の失業者が
街に溢れ、あちこちで暴動が発生していました。
ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は
さっぱりです。
それでどうしても戦争をやる必要があったのです。
戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国
経済は見事な復活を遂げています。
その現れがハルノートです。

これは私の偏見ではありません。
米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は
公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きづり込んだ
過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分
にされてしまいました。

31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に
引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。
彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。


米西戦争では、 1898年 2/15 ハバナ湾で、
米国戦艦メイン号が謎の爆発沈没しています。
これで米兵266名が死亡し、スペインの仕業だ、
ということになり戦争が始まっています。

ベトナム戦争では有名なトンキン湾事件が発生しています。
1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の
哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射した
とされる事件です。
これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入しましたが、
その後、ニューヨークタイムズが、米国のやらせであることを暴露し
真実が明らかにされました。

湾岸戦争 1990年 では
アメリカの駐イラク特命全権大使のエイプリル・グラスピーが
イラクのクエート攻撃に対して
「介入するつもりはない」と発言しており
これを信じたフセインがクエートを侵略しましたが、
米国軍等により撃退されています。
米国は約束の存在を否定していますが、当の大使は、それ以後、公式の場には
一切姿を見せなくなりました。

その他にも怪しいのはいくらでもあります。
以上が、日本が戦争を拒んでも、ダメだったろうと思われる理由です。

戦争をしなかった、という選択肢は
無かったと思われます。
日本が例えハルノートを呑んでも、米国は
必ずや、日本を戦争に引きずり込んだと
思われます。
あのイラク戦争のようにです。
フセインは、米国相手に戦争などしても
勝てる道理がないことぐらい、百も承知していました。
それでも米国に無実の罪を着せられて戦争に
持ち込まれ、処刑されてしまいました。
米国とはああいう国なのです。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
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歴史のいろいろな書を読むにつれ、いかに東京裁判がデタラメで非正義の下に行われたかに憤りを感じ、犠牲になられた(死刑のみならず懲役等も)諸氏には哀悼・憐憫の念を禁じ得ません。

日本の起こした戦争の内幕に関しては、日本人が一番理解しているはずであり、国体を混乱させ疲弊させた国賊に対しては日本人が自浄するべきで、そもそもガイジンがガタガタ抜かす必要はないと思っています。

従いまして東条や広田等に関しては、私はさほど「悪人」という印象はありません。対して松岡洋右、牟田口廉也、武藤章のあたりこそ、国賊・極悪人だと思います。

みなさまは、誰が真の戦犯だと思いますか?

Aベストアンサー

大西瀧次郎は「発案者」じゃありませんよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%A5%BF%E7%80%A7%E6%B2%BB%E9%83%8E

私も冨永恭次(ノンフィクション小説『陸軍特別攻撃隊』参照)や牟田口廉也(同『インパール』などを参照)といった、敵に対してではなく味方に対しての罪が大きい無能な指揮官こそ責任を追及されるべき「戦犯」だと思います。大西みたいに弁明せず腹を切る潔さもありませんでしたし。

Q70年前の日本は、なぜ戦争を決断したのでしょうか?

お世話になります。

戦争は、外交手段の一つの方法でしかも最後の方法です。それでも、70年前に日本は世界大戦を決断しました。

(この世界大戦に至る序章として中国東北部の植民地化があったと考えます。この植民地化は、日本の勝手な解釈で「欧米列強のマネであることが権利」で錯覚していた様子です。この意味では、日本を含め中国を占領した国家は中国に謝罪は必要です。)

その延長で、連合国との全面戦争は開始されましたが、

●技術的
●生産力
●資源力
●人員力

から見ても、圧倒的に不利であったはずです。合理的に考えれば、国力の差は戦力に比例するはずですよね。

でも、70年前の日本は、なぜ戦争を決断したのでしょうか?その時の日本は、戦争をしなければならない 進退窮まる理由 があったのでしょうか?でも、敗戦は必定です。

Aベストアンサー

マクロ経済の観点から考察する対米開戦はまさに無謀の一言、一例を挙げれば一般会計と臨時軍事費に占める直接軍事費の割合が脅威の75.7%、これは対米開戦直前の数字ですが、当時の日本は日中戦争以来まさに食うや食わずで戦争を継続していた事がこの点に於いて明らか。
冷戦構造下のソビエト連邦が、アメリカとの軍拡競争で経済が破綻した際の同比率が50%強ですから、戦争突入以前の直接軍事費が70%を超える事の異常さが御理解頂けるかと思います。

更にはGDP比換算で1(日本):20(アメリカ)、質問者様が仰る通り近代戦は国家としての総力戦でありまさに大人と子供の喧嘩、そう形容するしかない戦争でした。

>70年前の日本は、なぜ戦争を決断したのでしょうか?

以上述べた前提はいかに当時の軍部主導下にあっても、大国アメリカとの戦争を想定した場合当然客観的判断材料として顧みられたはずであるが、では何故当時の大日本帝国首脳が対米開戦を決意したのか、その原因はそれこそ無数にあると思われますが、私なりの結論としては以下の2点。

1.本来日本の意図は対中権益の確保、本命である日中戦争を継続する為の石油・粗鋼の多くをアメリカに頼っており、その供給をストップされ且つ日本の対米資産凍結、更にはイギリス・オランダがそれに同調して所謂ABCD包囲網が構築された事で追い詰められていた事。

2.日露戦争の悪しき前例、即ち交戦期間2年程度を互角の戦いに持ち込み、ナチスドイツの欧州での勝利を希望的観測で織り込み、総力戦・消耗戦になる以前に仲介国を待つという戦略が可能であると甘く判断していた事。

但しドイツがソ連との不毛な戦争に突入した事で日本の思惑は大きく外れ、しかもアメリカの戦時経済が本格的に稼働しはじめた為、太平洋戦争開戦1年を過ぎた頃から国力相応の差が出始め、皆様御承知の通りの結果に終わってしまいましたが。

マクロ経済の観点から考察する対米開戦はまさに無謀の一言、一例を挙げれば一般会計と臨時軍事費に占める直接軍事費の割合が脅威の75.7%、これは対米開戦直前の数字ですが、当時の日本は日中戦争以来まさに食うや食わずで戦争を継続していた事がこの点に於いて明らか。
冷戦構造下のソビエト連邦が、アメリカとの軍拡競争で経済が破綻した際の同比率が50%強ですから、戦争突入以前の直接軍事費が70%を超える事の異常さが御理解頂けるかと思います。

更にはGDP比換算で1(日本):20(アメリカ)...続きを読む

Q太平洋戦争開戦の真相を教えてください。

学校では日本軍の真珠湾奇襲が開戦のきっかけとなったと習いますが、奇襲の理由は習いません。
インターネットで調べたところ、ハルノートなるもので日本が追い込まれ、仕方なく開戦したとありました。
実際のところどうなのでしょうか?
太平洋戦争開戦の責任は日米どちらのものですか?

Aベストアンサー

”太平洋戦争開戦の責任は日米どちらのものですか”
    ↑
米国です。考えても下さい。
誰が米国と戦争したいと思いますか。
当時の日本人は、それほど愚かだったのですか。
イラク戦争を見て下さい。
米国は戦争をやりたかったのです。
そうなったら、
イラクがいくら戦争を回避しようとしても、ダメだった
でしょう。

当時の米国は、大不況のまっただ中でした。
GDPは半分に落ち込み、株価は1/10
に下がりました。
1200万の失業者が街に溢れ、あちこちで
暴動が発生していました。
ルーズベルトは、ニューデールをやりましたが
効果はさっぱりです。
米国は戦争をやりたかったのです。
戦争は最大の公共事業です。
それで、ハルノートなどをつきつけ、日本を戦争に
追い込んだのです。
あの戦争のお陰で、戦後、米国経済は見事な復活を
遂げています。

フーバー第31代米大統領は、ルーズベルトを、
日本を戦争に追い込んだ狂気の男と批判しています。
このフーバーは、真珠湾攻撃に関しても、
ルーズベルトが対独戦に参戦する口実を作るため、攻
撃を事前に察知しながら放置した、という
メモを残しています。
大統領経験者のこの言葉は重いです。

米国の歴史学の権威、チャールズ・A・ビーアド
元コロンビア大教授は、ルーズベルトが巧みに
日本を追い込んで戦争に導いていた過程を明らかに
した本を出版しましたが、この本は事実上発禁処分
にされてしまいました。
「ルーズベルトの責任-日米戦争はなぜ始まったか」
という本です。

じゃあ、そんな策略に乗らず、米国のいいなりに
なっていれば、戦争は回避できたんじゃないか?
そうは行きません。
米国の戦争の歴史を観て下さい。
必ず何かを仕掛けてきたと思われます。

○米西戦争 1898年 2/15 ハバナ湾で、
米国戦艦メイン号が謎の爆発沈没。
米兵266名が死亡。
スペインの仕業だ、ということになり世論が激高。
これが戦争の直接の原因となった。
○第一次大戦
ルシタニア号事件が発生。
ドイツ潜水艦が沈没させ、128名のアメリカ人が死亡。
ドイツに対する世論が急速に悪化、これが2年後の
アメリカ参戦のひとつの伏線となった。
○ベトナム戦争
トンキン湾事件
1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の
哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射した
とされる事件。
これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入。
その後、ニューヨークタイムズが、米国のやらせであることを
暴露。
○湾岸戦争 1990年
アメリカの駐イラク特命全権大使のエイプリル・グラスピーは
イラクのクエート攻撃に対して
「介入するつもりはない」と発言。
これを信じたフセインがクエートを侵略したが
米国軍により撃退される。
氏は以後、公式の場には一切姿を見せなくなった。

”太平洋戦争開戦の責任は日米どちらのものですか”
    ↑
米国です。考えても下さい。
誰が米国と戦争したいと思いますか。
当時の日本人は、それほど愚かだったのですか。
イラク戦争を見て下さい。
米国は戦争をやりたかったのです。
そうなったら、
イラクがいくら戦争を回避しようとしても、ダメだった
でしょう。

当時の米国は、大不況のまっただ中でした。
GDPは半分に落ち込み、株価は1/10
に下がりました。
1200万の失業者が街に溢れ、あちこちで
暴動が発生していました。
ルーズベルトは...続きを読む

Q第二次大戦中に現代の自衛隊を投入したら

くだらない質問ですが、気になったので書いてみます。

第二次世界大戦末期の1945年1月1日時点に、現在の最新鋭の自衛隊(航空・海上・陸上)の全戦力を日本本土に投入したら、日本軍は勝てるのでしょうか?兵器の生産設備などは投入しないものとします。

いくら最新鋭の戦力を持っていても核と資源がないのでアメリカが多大な犠牲を出しながらも勝つだろうという見方もできるし、当時の日本はインドネシアを占領していたので資源不足を克服し日本の勝利という考え方もあると思います。

Aベストアンサー

戦争に「絶対」は無いですから必ず勝てるとは言いませんが、面白い勝負にはなるでしょう。

近代軍では補給が重要な要素を占めるので、どれだけの弾薬や燃料、整備、補給品を保持しているかで、戦い方も変わってきます。自衛隊のそうした物資の正確な保有量が不明なので、推測するのは困難なのですが、とりあえず・・・

1945年1月の時点なら、できるかどうかは分かりませんが、まずは自衛隊の戦力を秘匿します。
2月の米軍による硫黄島攻略あたりで航空自衛隊の全力出撃です。
この次期、米艦隊は正規空母12隻、護衛空母17隻を含む大艦隊を出撃させてきており、このうちの正規空母12隻、護衛空母4隻が日本近海に現れ本土空襲を行っています。これを狙います。ちなみに、この当時の米艦隊の正規空母の数は14隻ですから全部撃沈できれば、後がかなり楽になります。
F2攻撃機、約80機を中心とする対艦ミサイル攻撃で、空母を撃破します。現代の対艦ミサイルを当時の米軍艦艇がそれほど迎撃できるとは思えないので、うまくいけばかなりの空母を撃破できるのではないかと・・・
また、B29への迎撃にもF15を出撃させます。最大で4発のミサイルを別々の目標に連続発射できるF15の戦闘力に、B29の部隊は大打撃を受けるのではないかと・・・
さらに海上自衛隊の潜水艦部隊によるハワイの真珠湾攻撃を行います。ハープーン対艦ミサイルは対地攻撃にも転用可能とという事なので、ハープーンで真珠湾の燃料施設や艦艇補修設備などに攻撃を行い、打撃を加えます。
要は自衛隊の進んでいる兵器を一挙に出して大打撃を加えるとともに、米軍にショックを与えます。
これでうまくいけば、アメリカは空母艦隊とB29の部隊とハワイの後方施設に大打撃を受け、直ぐには大きな作戦をできなくなるのではないかと思います。

その後は、まずシーレーンの確保です。九州から中国沿岸、そして台湾海峡を通ってシンガポールへの海上交通路の守備に海上自衛隊のP3C対潜哨戒機の部隊や、一部航空自衛隊の戦闘機部隊を派遣します。輸送船団には海上自衛隊の護衛艦隊も付けます。航空部隊の根拠地の設営は大変でしょうが、部隊が稼動すれば米潜水艦隊の脅威へ大きな力になると思います。日本の輸送船の撃沈された半数は、米潜水艦隊の通商破壊戦によるものだそうですが、当時の旧式な潜水艦なら現代の対潜哨戒機と護衛艦でかなりの確率で防ぎ、逆に戦果をあげられるのではないかと思います。
日本本土の防空は航空自衛隊の戦闘機とPAC3ミサイル部隊と、陸上自衛隊の高射特科団(改良ホーク地対空ミサイル部隊)が守ります。
攻撃には海上自衛隊の16隻の潜水艦部隊を使います。潜水艦隊で通商破壊戦を行います。第二次大戦末期のドイツで建造されたUボート21型は連合軍の対戦哨戒部隊にも察知されにくかったそうです。それよりさらに技術の発展している現代の潜水艦なら数は少なくとも大きな戦果を期待できると思います。
未だフィリピンの日本軍の抵抗は続いており、米陸軍20万人が投入されている時点で、米空母艦隊が大打撃を受け、さらに通商破壊戦を仕掛けられたら・・・米軍は楽勝とはいかなくなるでしょう。

米軍としてはこうした進んだ技術の兵器対策に苦慮する筈です。簡単には有効な対抗策は出てこないのではないかと思います。まずは打撃を受けた艦隊の再編と、戦略爆撃部隊の戦術の見直し、フィリピンへの海上補給路の守備を固め、真珠湾の設備の再建をしなければなりません。
建造中のエセックス級空母の建造を急いでも、半年以内に戦闘に参加させる事ができるのは5隻です。
大西洋から部隊を回す必要も出てくるかもしれません。

一方、自衛隊を除く日本の連合艦隊の状態はよくありません。
戦闘可能な空母は小型の鳳翔1隻ですし、戦艦は2隻、巡洋艦も数隻、駆逐艦も二十数隻というありさまです。
南方から資源が入ってきたら、まずは艦隊の増強が急務でしょう。まずは空母で建造途中の伊吹、天城や損傷状態の龍鳳、準鷹、葛城を戦闘可能な状態にしなければなりません。
他にも損傷を受けている戦闘艦艇があるので、大至急修理が必要です。
また、輸送艦の建造も急務です。1945年1月から終戦時までに約180隻の輸送船が建造されています。
しかし、同じ期間に実に700隻が沈められているのです。
まあ、自衛隊の参戦で、その数は減るでしょうが、しかし、1944年だけでも約970隻の輸送船が撃沈されています。
日本の造船所はとにかくフル稼働しなくてはならないでしょう。
また、航空機パイロットの育成や、戦闘機などの生産も必要でしょう。
時間は幾らあっても足りないくらいです。

こうした中で、日本の潜水艦隊がどれだけアメリカに打撃を加えられるかが重要だと思います。
そしてフィリピンの米軍を孤立させ、ハワイを孤立させる事ができれば、新たな展望が開けるかもしれません。
時間が立てば、連合艦隊の戦力もある程度は回復してきます。そうなれば、新たな作戦を立てる事も可能となるでしょう。

なお、そのうち満州にソ連軍が侵攻してくるでしょうが、これについては航空自衛隊の支援を受け、東満山地で持久戦を行えば、かなりの機間、持ち堪える事ができるのではないかと思います。

戦争に「絶対」は無いですから必ず勝てるとは言いませんが、面白い勝負にはなるでしょう。

近代軍では補給が重要な要素を占めるので、どれだけの弾薬や燃料、整備、補給品を保持しているかで、戦い方も変わってきます。自衛隊のそうした物資の正確な保有量が不明なので、推測するのは困難なのですが、とりあえず・・・

1945年1月の時点なら、できるかどうかは分かりませんが、まずは自衛隊の戦力を秘匿します。
2月の米軍による硫黄島攻略あたりで航空自衛隊の全力出撃です。
この次期、米艦隊は正規空母12隻、...続きを読む

Qミッドウェー海戦の敗因を教えて下さい

ミッドウェー海戦の敗因を教えて下さい。なぜあんなに強かった日本軍が負けてしまったのですか?理由を教えて下さい。ちなみに僕は戦史に関してはド素人ですので、その辺はご了承ください。

余談ですけど、先日新聞を読んでいたら「アベノミクス第三の矢はミッドウェー」とかいう記事が載っていて、要するに第一、第二の矢(経済政策)はうまくいったが問題は第三の矢で、これが日本の今後の経済趨勢を決するという内容でした。

それで僕は、緒戦の快進撃から一転、大敗北を喫したミッドウェー海戦の敗因とやらをどうしても知りたくなった次第です。

Aベストアンサー

○日本には防衛研修所戦史室 (現在の防衛省防衛研究所戦史部の前身)が編纂した「戦史叢書」という全102巻にも及ぶ太平洋戦争について書かれた公刊戦史がありまして、ミッドウェー海戦について書かれたものは、その第43巻が「ミッドウェー海戦」として出されています。
「戦史叢書ミッドウェー海戦」・・・市立や県立図書館でも置いてるところは結構あります。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E6%B5%B7%E6%88%A6-1971%E5%B9%B4-%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%8F%A2%E6%9B%B8-%E9%98%B2%E8%A1%9B%E5%BA%81%E9%98%B2%E8%A1%9B%E7%A0%94%E4%BF%AE%E6%89%80%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%AE%A4/dp/B000J9GX1M

この本によると次の6項目が大きな日本軍の敗因として取り上げられています。

(1)情報戦の大敗。日本海軍の暗号が解読され、米軍は日本軍の計画を察知していたのに、日本軍は敵情がよくわかっていなかった。

(2)心のゆるみ。開戦以来の戦果から心にゆるみが生じ、作戦の計画と実行に慎重さを欠いた。

(3)山本長官の出撃。山本長官が戦艦に座乗して出撃したので、その位置を秘匿するため、無線の使用が制限され、作戦指導に支障を生じた。

(4)航空戦様相の事前研究、訓練の不足。索敵、偵察、報告などの地道な訓練及び、空母の被害局限対策の研究が足りなかった。

(5)5日の航空決戦の指導の誤り。二度の兵装転換によって弱点を作った。

(6)戦艦主兵思想の転換の不十分。戦艦部隊が後方遠く離れて航空決戦に寄与できなかった。


○ちなみに当時、敵であったニミッツ太平洋艦隊司令長官は戦後に出した著書の中で、「勝利は主として情報による。・・・日本軍は奇襲を試みようとして日本軍自体が奇襲された」と述べています。また日本軍が空母戦力を分散してアリューシャン作戦を行った事を批判し、その戦力分散が無ければ米艦隊が敗北していた可能性があると述べています。

○なお、アメリカ海軍公刊戦史を編纂したサミュエル・エリオット・モリソン少将はミッドウェー海戦について、日本の空母が最も脆弱な状態の時に、米爆撃隊が偶然に日本の空母を発見し攻撃できたという、幸運に恵まれた事から「100秒足らずの時間に起こった事実の相違で、日本軍はミッドウェイに勝ち、太平洋戦争にも勝利をおさめたかもしれない」と日本軍にも勝利の可能性が十分あったことを述べています。

○英国の著名な戦史家リデルハートはその著書で日本の敗因について、十分な数の索敵機を出さなかったこと、戦闘機の援護不足、空母の防火対策が不十分、空母での兵装転換時に敵に向かって航行したこと等、他にも色々指摘していますが、最後は「・・・これらの過失は自信過剰から生じたと言っても過言ではない」と述べており、日本軍の「自信過剰」を問題視しています。

○日本には防衛研修所戦史室 (現在の防衛省防衛研究所戦史部の前身)が編纂した「戦史叢書」という全102巻にも及ぶ太平洋戦争について書かれた公刊戦史がありまして、ミッドウェー海戦について書かれたものは、その第43巻が「ミッドウェー海戦」として出されています。
「戦史叢書ミッドウェー海戦」・・・市立や県立図書館でも置いてるところは結構あります。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E6%B5%B7%E6%88%A6-1971%E5%B9%B4-%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%8F%A2%E6%9...続きを読む

Q台湾は中国なの?

 率直に聞きますが、台湾は中国なんですか。 国際的に台湾は中国であると認めているんでしょうか。 ていうかそもそも台湾て国なんですか?国じゃないんですか? 台湾が中国なら、なんで台湾生まれの人は中国出身ではなくて台湾出身というのですか?
 
 非常にばかな質問かも知れませんが、誰に聞いてもあいまいな答えしか返ってこないのでよくわかりません。 はっきりとした答えをききたいです。 台湾の人は台湾を中国の一部だとは思ってないとか、ききますが実際はどうなんですか。 ていうか逆? 中国が認めてないの? 誰か分かりやすく説明してほしいです。 
 
 ちなみにこの疑問が生まれたのは、F4という台湾のアイドルグループが流行っていることを「華流」というのをきいたからです。 華は中華人民共和国の華ですよね? 

Aベストアンサー

他の方も言っておられますが、日本政府の立場を一言で言えば「台湾は中国の一部」となっています。これは日本だけではなく、中国と正式な国交を持っている全ての国がそうだったかと思います。逆に、中国と国交を持っていない国が台湾を独立国として認めています(世界中で二十~三十くらい)

ですが、実質的に現在の台湾は独立国のようなものです。独自の政体・軍隊・法体系をもっており、中国とは対立しています。また、2020年のオリンピック開催国に立候補もする話があるようです。

> 台湾の人は台湾を中国の一部だとは思ってないとか、ききますが実際はどうなんですか。

これは微妙な問題です。台湾人もこの問題に関しては一枚岩ではないからです。

現在の台湾の政権は「対中国・親日・親米」ですが、野党の中には「親中国・反日・反米」をスローガンとしている者もおり、またその意見も台湾の人たちの一定の支持を得ています。

極端な人たちの中には、すぐにでも中国と統一すべき、という意見もあります。
しかし、逆に「いや、中国は他国だ。戦争をしてでも我々は独立国家となるべきだ」という意見もあります。
まあ、こういう多様な意見が出る事自体、台湾は一党独裁・言論弾圧の中国とは一線を画した民主主義国家と言えます。

中国にとって、台湾は魅力的な土地ですから是が非でも欲しがります。ここが手に入れば、台湾島を軍事基地化して日本・米国・東南アジア諸国にかなりの圧力を加えられますから。

だから、日本は台湾が中国の一部とは認めていますが、米国との会談などで中国への台湾への圧力を問題視したりしています。米国もこれに同調しています。

本気で軍事力を行使された場合、日米両国は台湾側に付く可能性も否定できないなど、この地域は本当に紛争地帯の様相を呈しています。

他の方も言っておられますが、日本政府の立場を一言で言えば「台湾は中国の一部」となっています。これは日本だけではなく、中国と正式な国交を持っている全ての国がそうだったかと思います。逆に、中国と国交を持っていない国が台湾を独立国として認めています(世界中で二十~三十くらい)

ですが、実質的に現在の台湾は独立国のようなものです。独自の政体・軍隊・法体系をもっており、中国とは対立しています。また、2020年のオリンピック開催国に立候補もする話があるようです。

> 台湾の人は台湾を中...続きを読む

Qスターリンはなぜ自分の熱烈な支持者達までも粛清の対象としたのですか?

スターリンが粛清を行ったことは知っていましたが、それは自分の反対者達を抹殺したものだと思っていました。ところが『中公バックス 世界の歴史 15 ファシズムと第二次大戦』(中央公論社)を読むと、スターリン主義者やスターリンの右腕と目された人々をも粛清の対象としたことが分かり、驚きました。

まずトロツキー(1929年国外追放)、ジノヴィエフ、カーメネフ(いずれも1936年死刑)と争った時はブハーリン、トムスキー、ルイコフ(いずれも1938年銃殺)らと手を組みますが、用が済むと彼らもスターリンの右腕と目されたキーロフらの手によって粛清され、キーロフ自身、1934年に元共産党員の手にかかって暗殺されますが、これは秘密警察が裏で糸を引いていました。

1934年の第17回党大会は別名「勝利者たちの大会」とされていますが、ここでスターリンに賛辞を送ったスターリン主義者達1965名のうち1180名が「反革命の罪状」で逮捕され、あるいは銃殺または禁固刑に処せられ、結局、「犠牲者達の大会」となってしまいました。36年、ヤーコブに代わって、大粛清の代名詞ともなった「エジョフシチナ」のエジョフがスターリンによって内務人民委員(秘密警察の統括部門)に任命されると、36~38年にかけて党機関内部では上から下まで数千の犠牲者が出たとされています。

「エジョフシチナ」の手は軍にも伸び、トハチェフスキー元帥らも銃殺されます。これはWikipediaによればスターリンが軍功を欲したからだとされています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%B2%9B%E6%B8%85

そして「エジョフシチナ」の最後の犠牲者は「エジョフシチナ」を自ら行った秘密警察自身でした。

これを同じ全体主義国のナチス・ドイツと比べてみれば、大きな隔たりがあると思われます。初めにお断りしておきますが私は決してナチスを礼賛するつもりは全くありません。ホロコーストや侵略戦争は決して許されざる行為だと思われますが、単純にその党あるいは国家機関内部を見れば、確かにヒトラーと対立したレームを粛清したことはありましたが、少なくともヒトラー支持者達を抹殺するようなことはなかったと思われます。

スターリンの粛清は、非常に図式的に言うと、例えばAという人間を抹殺するために自分の配下のBを利用し、今度はCという人間にBを抹殺させるという、まるで人間を将棋の駒のように扱って、殺人をゲームの様に楽しんでいるような気がするのですが、なぜこのようなことをしたのでしょうか?粛清の真の狙いとは何だったのでしょうか?アガサ・クリスティーの小説ではありませんが、これでは「そして誰もいなくなった」(フルシチョフを除いて)になってしまったのではないでしょうか?

スターリンが粛清を行ったことは知っていましたが、それは自分の反対者達を抹殺したものだと思っていました。ところが『中公バックス 世界の歴史 15 ファシズムと第二次大戦』(中央公論社)を読むと、スターリン主義者やスターリンの右腕と目された人々をも粛清の対象としたことが分かり、驚きました。

まずトロツキー(1929年国外追放)、ジノヴィエフ、カーメネフ(いずれも1936年死刑)と争った時はブハーリン、トムスキー、ルイコフ(いずれも1938年銃殺)らと手を組みますが、用が済むと彼らもスター...続きを読む

Aベストアンサー

まず
礼賛者が本当に礼賛しているかどうかは証明できない。
No2は常にNo1の潜在的なライバルである。
というのが、一般的に言えます。

ここに、スターリンの個人的な体験が影響します。
ソ連成立時の圧倒的なNo1はレーニンであり、No2はトロツキーでした。スターリンの初期の目的は、トロツキーに替わってNo2になること。そのために手練手管を使ってトロツキーに追い出しを計ります。
※ この部分は、戦略の形成 下 より
この段階でスターリン自体が「礼賛者が本当に礼賛」していることはない、というのを実行しているわけです。これが自分にとっての真実になったのですから、自分上に上がるために何をやったかをよくわかるわけで、自分以外の人間はそうじゃない!と信じたのなら、それはそれで、おめでたいことになります。

Q日本はなぜ、米英に戦争を仕掛けたのでしょうか?

昭和16(1941)年12月、日本はアメリカ、イギリス、オランダに戦争を仕掛けました。日本はイギリスとオランダとの戦闘には圧倒的に強かったけれどもアメリカにはやられました。そもそも日本は、なぜアメリカに戦争を仕掛けたのでしょうか。

当時、日本は鉱物資源が不足しており、殊に石油の需給は逼迫していました。そのため、オランダ領東インド(現、インドネシア)から石油を輸入したかったのですが、オランダ政府が対日供給に消極的でした。そのため政府と統帥部は、武力を行使して当地方を支配下に置く方針だったのです。

しかし、それならば、オランダにのみ戦争を仕掛ければ良いはずで、アメリカとイギリスにも同時に戦争を仕掛けた理由が分かりません。

Aベストアンサー

#7です。

>北朝鮮の軍艦が対馬海峡や津軽海峡を航行したら、マスコミと国民は大騒ぎになるでしょう。しかし、だからと言って、日本政府は北朝鮮に抗議できるでしょうか。まして日本の軍隊(自衛隊)が北朝鮮の軍艦の航行を妨害できるでしょうか。その軍艦を攻撃できるでしょうか。両海峡とも国際海峡なのです。日本に危害を加えない限りは、我々は北朝鮮の軍艦を見物するほかないのです。

>蘭印(オランダ領東インド)の資源を積んだ日本の商船がフィリピンやマレーの近海を航行する際には日本海軍の軍艦が護衛しますが、その場合も、フィリピンの米軍もマレーの英軍も手が出せません。公海だからです。日本の軍艦を見物するほかないのです。

現代の方が例えとして分かり易かったと判断した私が間違っていました。例えとして出した、現代の、国連や国連安保理がその機能を如何なく発揮し、国際公法も遵守され仮に違反した場合には国際司法裁判所で裁かれる「平和な」時代と当時とでは、時代背景も国際関係も全く異なるのです。例として不適切なものを提示してしまい、申し訳ありませんでした。

確かに、現代であれば、質問者様の様に「日本の軍艦を見物するほかない」という結論に至ることに対して異議を差し挟む余地は全くありません。しかし、当時、既に日独伊三国軍事同盟(枢軸国)vs.ABCD包囲網(連合国)という国際関係上の対立の構図は出来上がっていました。ただ、そうした中でも「日米諒解案」はデリケートな国際関係の間隙を抜ってできた産物と言えましょう。

それを機能不全にしたのが松岡や近衛達であることは昨日ご説明した通りですが、さらにそれを追い討ちにかけるように決定的にした動きドイツのソ連侵攻(1941年6月22日)とアメリカの対独参戦及び対ソ援助の開始で、これによってもうアメリカは日本に対して宥和策に出ないと「腹を括った」わけです。

昨日書き落としてしまったことがあります。細かいことですが、もう少しこの後の日米関係をみていく上で重要ですのでお付き合い下さい。

アメリカの対独参戦の後、7月25日、アメリカが在米日本資産の凍結令を公布。7月28日、日本軍が南部仏印に進駐。8月1日、アメリカは直ちに対抗措置として対日石油禁輸に出る。これはもう今のアメリカの北朝鮮に対する制裁措置どころの話ではありません。既に日本は軍隊を南部仏印に進駐させており、南部仏印で軍事衝突の可能性がある。フランスには当時ナチスの傀儡のペタン率いるヴィシー政権とは別に、ロンドンにド・ゴールの亡命政府があり、フランス国内ではナチスに対する地下でのレジスタンスに必死という時代で、連合国側は当然ヴィシー政権を認めていませんから、これは連合国側領土に対する進駐と同様と映るでしょう。

アメリカの対日石油禁輸とは、要するに資源のない日本にとって艦隊や商戦を動かせる燃料の補給を断つ意味がありますから、それでも強引に日本の商船と護衛の艦隊をオランダ領東インドに差し向ければ、今度はアメリカは自衛のためという口実で日本の商船と護衛の艦隊を沈めにかかるでしょう。公海を航行していようと何だろうと最早関係ないわけです。

なぜ自衛目的でアメリカは日本の商船と護衛の艦隊を沈めることが認められるのか――。その理由は、当時、既に遠く大西洋で、アメリカからはイギリスへの援助物資を満載した輸送船が多数就航していました。各船団には駆逐艦の護衛がついており、これをコンボイと呼んでいました。もし輸送船団がドイツ潜水艦に攻撃されれば、護衛の駆逐艦と潜水艦は戦闘状態に入り、それは米独戦争の開始ということになります。アメリカは、そうした戦闘を「自衛権の発動」とみなしていたのです。全く同じことが太平洋にも当てはまるからです。

#7です。

>北朝鮮の軍艦が対馬海峡や津軽海峡を航行したら、マスコミと国民は大騒ぎになるでしょう。しかし、だからと言って、日本政府は北朝鮮に抗議できるでしょうか。まして日本の軍隊(自衛隊)が北朝鮮の軍艦の航行を妨害できるでしょうか。その軍艦を攻撃できるでしょうか。両海峡とも国際海峡なのです。日本に危害を加えない限りは、我々は北朝鮮の軍艦を見物するほかないのです。

>蘭印(オランダ領東インド)の資源を積んだ日本の商船がフィリピンやマレーの近海を航行する際には日本海軍の軍艦が...続きを読む

Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
・右派、保守
という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む


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