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坂本龍馬が明治維新後も生き残っていたとしたら
どうなっていたと思いますか?

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A 回答 (8件)

多分、別の機会に物理的に排除されていたでしょう。



どこの国もどんな時代でも革命の功労者が権力を維持し続けられた例は極稀です。だからその極稀な事例は参考にはならないでしょう。彼が生き残るパターンとしては全ての権力を捨てて日本も離れて当時ならば香港・上海・シンガポール・ニューヨーク・ロンドン等で拠点を構え交易に従事するパターン位しか思いつきません。生前の彼の言動を考えると公算と安全面から考えて高いと思います。

仮に三菱等の会社を興して日本に留まったとしたら……権力は求めなかったとしても政府中枢に一定の発言力を求めざるを得ないでしょう。何故なら史実の日本は明治以降は財閥を育成する事で国力を強化する方向に進むからです。となると高官との癒着も避けられないと思います。
政治も経済も本音或いは建前だけでは進まない難儀な性格があるからなんですよ。大切なのはバランス感覚と目標を目指す明確な意思。そして少しばかりの人間洞察…言い換えれば空気読む事だと思います。
仮に彼が生き残ったとしても今日ほどの評価は無かったでしょうね。 高次元の構想を持つ者には実務能力が実務に長けた者には構想力が足りていない場合が多いです。世界を眺めれば多少は居ますが彼らは偉人とか英雄と呼ばれる人々です。今でこそ偉人・英雄と呼ばれていても生前には狸親父とか変態扱いされていたでしょう。一般人には理解されない程の能力を持てば必然的な扱いです。そうして不気味がられ危惧されてから物理的に排除されるか失脚するかに落ち着きます。竜馬もそうした一人かもしれませんね。
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失望させる回答かもしれませんが、竜馬は妻のお龍さんから梅毒をうつされており、幕末の活動中もオランダ人医師から治療を受けていました。


かなり進行してしまい、前頭部が禿げ上がり、うまくちょん髷が結えない状態でした。
平成になって発見された最新の写真でもそれが見て取れます。

中江兆民は竜馬の身の回りにいて、「中江のにいさん、煙草をこうて来ておおせ」と言われたら、喜んで買いに行っていた関係でしたが、後の兆民の記述にも竜馬は梅毒で前頭部が禿げ上がっていたとあります。

梅毒は最後は脳が冒される病気ですから、暗殺されていなくとも活動期間はそうは長くなかったと思います。その意味では大政奉還を実現させ、人生絶頂の時期に死んだことは晩節を汚さなかったという点において良いタイミングだったように思います。

また、病気に罹っておらず明治政権の中枢に入っいたとしてもいずれは排除されていたと思います。竜馬は先進的、個性的、自由主義的でありすぎたからです。第一、竜馬暗殺の黒幕は大久保のように思います。

岩崎弥太郎の三菱財閥は海援隊の船を後藤象二郎から安く買い取って、海運業からスタートしましたので、総合商社を作ったかもしれません。
また、板垣退助のように自由民権運動をやっていたかもしれません。
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坂本財閥が出来ていたと思います。


司馬遼太郎氏の「竜馬が行く」など政治家、革命家との
評価が多いですが、所詮土佐脱藩の田舎郷士。よほどの
運がないと新政府の中では生き残れません。西郷隆盛で
すらも下野しました。第一彼を引き立てる実力者はいま
せん。政治家というよりか実業家竜馬ならどうでしょう。

竜馬設立の亀山社中はグラバー氏の後ろ盾があった、
というよりかグラバー商店の子会社みたいなもので、
竜馬もよくわかって設立しました。時代うまく泳いだの
ですね。おいしい客は薩摩、長州。彼にとってはよい
お得意様です。逆に薩摩、長州からすると便利な政商が
竜馬だったわけです。グラバー氏も竜馬を利用して日本
での商いを増やした。三者両得、ウィンウィンです。
つまり、この時代も今も人間の考えることは変わりません。
社会の中で強く生きていくには、企業でも個人でも自分
のおかれた環境の中で、最適な方向を選択することが大切です。
「新しいニッポン」を構想する志士はありえない。行動力
の伴わない学者肌の方はおられましたが、大概は生きること
が精一杯で、大義名分に学者言葉を利用して「尊王攘夷」
「公武合体」などが叫ばれたのだと思います。
竜馬にとって、ニッポンはどうでもよく、自分の事業を
成功させることが大切です。大久保利通は武士として
出世競争に勝ち、岩倉具視は華族の面目保ち、それぞれが
勝ち組でした。竜馬は不運にも(そんな人たくさんいます)
殺されてしまいました。殺されれなかったた利通達と最後
までよい関係を保てた思います。
平成の時代にも亀山銀行が残っていたリーマンブラザーズ
の救済に乗り出していたかもしれません。
でも私は坂本竜馬が大好きです。行動力、先見力、リーダーシップ
現代人が見習うことたくさんあります。
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質問者様は司馬遼太郎という講談本作者を過大評価しています。


生き残ったとしても、坂本財閥が出来たろうというだけのことでしょう。
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>坂本龍馬が明治維新後も生き残っていたとしたら



司馬遼太郎が竜馬を主役に小説を書かなければ、竜馬は地方の活動家に過ぎません。
現在では、色々と脚色されている感があります。


で、本題。
明治新政府の権力によって、合法的に処刑されていたでしようね。
薩摩・長州の(どろどろした)裏側を全て知っている「生き証人」な訳です。
明治政府によって、都合の悪い事実は全て抹殺しています。

竜馬・慎太郎暗殺犯は「チェストー」との掛け声をかけた旨が記録にあります。
薩摩示現流又は示現流を修めた武士ですね。
犯人と目された人物は、明治政府で大出世しています。

もし、生き延びていれば・・・。
徳川幕府に代わって薩長幕府が誕生しただけですから、失望して海外へ移住したでしようね。
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 政府の役人になっていたとすれば、薩長出身者ではないですから、少なくとも大隈重信が失脚した時期までには、政府から排除されていたと思います。


 もっとも、個人的には、史実の岩崎弥太郎のような人生を送ったのではないかと考えています。彼の活躍は海援隊の遺産も元手になっていますから。
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坂本龍馬が明治維新後も生き残っている。

としても、大して違いはないでしょう。
正直、坂本龍馬は、過剰評価されています。
ひとつには、土佐藩出身者の運動がありました、もうひとつには、司馬遼太郎の竜馬が行くが、受けすぎです。
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歴史ってタラレバ言っても切りがないし、無意味なんですが、、



少なくともこの男がいて、今のロクな日本の礎を築いたとは思えません。
明治維新では一流が死に三流が生き残りその三流が明治政府を作ってます。

坂本竜馬という男は幕末時代の真の功労者とは誰でも知ってる人ですが
その時代誰もが彼の知恵を使ってました。
でもその後の新政府においての立身は望まなかった男です。

こういう男がつまらない国を作らないわけないでしょう。
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