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江戸時代の物資運搬の主な手段は船でしたが、
船が川を遡って上流に行く場合は、どうしていましたか?
隅田川のように海に近くて、水面穏やかな川でしたら、手漕ぎで大丈夫と思いますが、
荒川、利根川などの中流、上流などは、そのようにはいきません。
人や馬が引いて登ったとすると川に沿ってそれ用の道があったと思いますが、そのような話は聞いたことがありません。

よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

川舟といえば、全国的に使われた高瀬舟ですね


基本的には人力で引上げていきます
高瀬川では一艘に3、4人の「曵き子」がついたようですが、
(綱道がありました)
たいていは船に乗っている人員で引上げました
最低編成では船頭(船)、中乗り(櫂でこぐ)、艫(とも=船尾)乗りは最後尾で櫓を操りるのですが、
瀬が早い場所になると船頭が船に残り、その他の人が岸に上がって船を引くのです
川によって、事情は少し異なり
風を利用したところもあります

◆高瀬川(運河)
9箇所の舟入り(船着場)があった
http://park23.wakwak.com/~hotaru2/ayu.html
◆富士川(帆掛け=風の利用)
4人一組の図や写真があります
(新しいものは帆かけ舟実演行事の写真)
◆岡山県の勝山
川沿いに石畳の船着場があります
こういうところはまだ引きやすいかと思います
http://4travel.jp/traveler/sansai_meijin/album/1 …
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他の方が書いていらっしゃるように,上流では人力で左右から引っ張るという方法が一般的でしたが,他にもありました。


例えば,浅草から川越まで遡上する「川越夜船」の場合,潮の干満と川風を利用した帆走,櫂も併用していました。もちろんこれも限度がありましたが,千住辺りまでは帆走ができたようです。上流に行くほど川幅が狭くなりますから,そこで人力で引っ張り上げる方法に変えるわけです。
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>そのような話は聞いたことがありません。


広い川原があれば作る必要がないから当然ありません
川原がないようなところには作りました

保津川
琵琶湖疎水には今でもあります

あなたが知らないからといってそれがすべてではありません
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わたしもこの問題には興味があり気になっていたところですが、


以前、保津川(京都)下りを楽しんだとき、船頭さんが
今のようにトラックで舟を運ぶ以前は、川に沿って舟を人が曳いていった、
との話を聞き、川沿いの引き上げ道も一部残っているとのことでした。
また、淀川(大阪)についてですが、これも昔三十石舟が行き交っていた
と聞いて、下りはいいが、上りはどうするのか気になっていますが、
私の最近の観察で、潮の干満がかなりありそうで、潮の具合によっては
かなりの所まで川を逆行できそうに見えます。
これももちろん人による曳船もあったでしょうが、大坂天満から京都の伏見までそんなとてつもない困難ではなさそうに感じています。
(素人の書き込みで申し訳ないです、専門家のご意見を私も伺いたいところです)
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京都の保津川下りにかかわるブログです。



>「綱道」と呼ばれる、舟の曳き上げ道を、どのようにして船頭さんたちは嵐山から亀岡まで引っ張って帰ったのか

聞き取り調査の様子が示されていますので、参考までに。

参考URL:http://hozugawa.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/4 …
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