第一次世界大戦後に日本は輸出量が輸入量に上回ってお金がたくさん入ってきたため大戦景気になった、ということは理解できたんですが、でも一方で物価は上昇して労働者や農民の生活は苦しくなった、という部分がよく分かりません。経済の質問になるのかもしれませんが、好景気になったら物価は上昇するものなんでしょうか?よろしくお願いします。

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A 回答 (6件)

そもそも、基本的に、好景気は物価上昇の原因となります。

ご自分で需要曲線・供給曲線を書いて確認してみてください。好景気で人々の収入が増えると需要曲線が右に移動します。なぜなら、ある商品・サービスについて、それまで高くて手が出なかった人が買おうとするからです。

需要が増える、すなわち買いたい人が増えるとどうなるか。それまでの値段ならすぐ売り切れてしまいます。そうなると、供給側が値段を上げても売れることになります。また、需要側から見れば、それまでより高い値段でも買おうとします。よって物価は上昇します。

モノとカネとの関係を考えてもインフレになることが分ります。モノが売れてカネが入ってきたわけですから、カネのモノに対する比率が相対的に大きくなるわけです。
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この回答へのお礼

 どうもありがとうございました。
 需要曲線・供給曲線、とかはるか昔に習ったことなので忘れていましたが何となく思い出しました。好景気になると物価が上昇する、という基本的な原理についてはおかげさまで理解できました。というか当たり前のことだったようで、すみません。
 この大戦後の庶民の生活が苦しくなる、という状況は、賃金の上昇と物価の上昇が不釣り合いだったから、ということなのでしょうか。それとも一部の成金になった人たちが物価を勝手に上昇させていって、裕福な人とそうでない人の二極化が進んだと理解すればよいのでしょうか。
 もし機会があればまたお願いします。どうもありがとうございました。

お礼日時:2008/10/05 16:40

「お礼」に対する補足をします。



富は偏在するのですね。これは現在も同じ。すなわち、好景気の恩恵は一部の者が受け、プロレタリアは貧しいままです。よって、物価高は彼らの生活を圧迫します。

当時の歴史に直結した問題。米騒動。シベリア出兵を見越して(兵隊さんの食糧の需要が高まるだろうということで)、米の買占めが行われ、そのことにより米価が急騰しました。これがプロレタリアの生活を圧迫しました。
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この回答へのお礼

 度々ご回答して頂きありがとうございました。
 結局好景気になっても経営者という社会的な強者に優先的にお金が回るという、資本主義社会ならではの構図というか有り様に納得しました。庶民の暮らしは、単純に景気の転換の結果がダイレクトに反映されるものではないんですね。
 本当にどうもありがとうございました。。

お礼日時:2008/10/06 21:40

戦争になると軍需産業は盛んになりますがそれにつれてインフレも進行するものです。


資本主義社会では儲かる部分とそうでない部分の二極化が進行します。  インフレは一面これを平均化する役目もあります。

資本主義社会では投機という行動により人為的に物価が操作されることは現在の石油危機でもあきらかです。
この物価の上昇速度と賃金などの収入の上昇速度とは同一ではないところが生じるのが原因になります。
資本家は少しでも利益を増やそうとし、賃金を増やすことはどうしても後回しになります。  これは高利益が長続きしない恐れがあるからです。
したがって、物価は上昇しても収入の増加はどうしても遅れるのが通常になるのです。
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この回答へのお礼

 どうもありがとうございました。
 物価の上昇と賃金の上昇の仕方は異なる、というポイントが分かりました。物価や賃金の変動は経済的な原理に加えて人為的な操作も加わって起こるものだということも、当然のことながらも認識できました。

お礼日時:2008/10/06 21:32

景気の度合いや地域性にこだわらなければ、一般的に好景気または景気がよくなっていると言われる時代には、まずお金が大量に動き始め、またそのお金を使えるようにもなるため(消費、投資ともに)、欲しい物、やりたいこと、投資したいビジネスに競争が起こります。

それが継続すると、お金を多くはらった人に良いサービス、良い品物が速く届く、顧客は差別化してもらえる、などの好循環が始まります。
また逆にその競争の中で、資本家はコスト削減も忘れることはありません。好景気だから、景気の良い分給与や支払いを上げるとは、積極的に考えないものです。

このため、お金が回ってはいるが、給与が上がらない、転売価格が抑えられている、などの社員、労働者、業者、農家などは、生活や自分の事業のために払うコストは上がるものの、収入は上がらないため苦しくなります。

日本は全国民中流意識と、年功序列のシステムが長かったため、70~80年代の好景気のときは給料もそれなりに上がったり、また儲けた資本家や企業の役員が使うお金も多かったため(個人レベルでも白紙領収書などの現在では考えられいものもあった)、おこぼれに預かる人が多く、市場の末端へもお金がかなりまわっていました。
今でも憶えていますが、89年前後の東京の電車内の女性のファッションは、とてもカラフルで高価そうなアクセサリをつけている人も多く、また実際ブランド品が市場にあふれていました(今はブランドや金額にこだわらないファッション性も多くなったと思います)

西洋の多くは、資本家や企業は貧富の差など気にせず、コストカットにシビアです。このため、インフレと貧困はよくペアで、欧米の歴史や小説、映画などに見受けることができます。

日本の80年代のバブル期の様子は、映画「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」をごらんください。
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございました。
 なるほど。「景気がよくなる」とか「お金がよく回る」というとなんか皆が得をしてそれなりに裕福な生活を送ってるんだ、というイメージがありましたが、経済というのはそんな単純なものではないんですね。好景気の時こそ激しくなる競争の中で、経営者側がタイトな施策を講じることで労働者の生活が苦しくなるという、「インフレと貧困がペア」というのはとても分かりやすい構図で納得しました。ありがとうございました。

お礼日時:2008/10/06 21:18

これは経済学(マネー)の基礎の基礎なのですが、



戦争が起きるとインフレになります。
金はインフレに強いです。

世界的な戦争ですので、日本だけが得をする訳には参りません。
輸入する物資もインフレで価格が上昇すれば、売値も上昇させねばなりません。
この状態ですと、安い国の商品(植民地のある国)に負けてしまいますので割安で売る必要が出てきます。

当時の映画なのですが、(資料的価値はないです。あくまで参考に)

はじめは工女はおやつと三度の食事付で優遇されていました。
100円工女にもなると食事の内容も違って条件を良くした上、他へ行かないように親元に借金を斡旋したり、物を持って行ったり、早々と契約を結ぶような真似までしていました。

所が、売っても売っても利益が上がらない状態になりました。
朝時計を7時に8時にする。
夕刻、5時に4時に巻き直し、2時間多く働かせました。
食事も質が落ち、約束が違うと不平不満が出てきました。

原料から食事まで何から何まで値上がりし、他は安いと売値は叩かれ、
100円工女が作る量で100円を支払う事が出来なくなっていたのです。
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この回答へのお礼

 どうもありがとうございました。
 世界的な戦争が起こると国家間でいろんな駆け引きが生じて、その結果庶民たちは右往左往させられてしまうんですね。労働者の視点から当時の経済状況を捉える視点も興味深いと思いました。具体的な事例まで紹介して頂き、参考になりました。

お礼日時:2008/10/06 21:01

好景気になる→購買力が上がる→物価が上がる



不景気になればその反対ですから物価は上げられません。しかしその逆はあります。すなわち石油がなんらかの理由で値上げされる→それがために不景気になる。
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この回答へのお礼

 どうもありがとうございました。
 なるほど。現在の石油のことも考えてみると、経済の仕組みの面白さが分かりました。単純明快で納得しました。

お礼日時:2008/10/05 16:43

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Q「第一次世界大戦」用語の発祥

用語の事について伺いたいのです。「第一次世界大戦」はいつから世界史の用語として定着したのでしょうか。当然第二次世界大戦が発生してからと思われます。しかし発生した時点ではこれが「世界大戦」と呼ぶにふさわしいか未定ですから、ある程度その様相が明らかになりつつある段階で、「第二次世界大戦」になったと思われ、ここで「第一次世界大戦」の語も生まれたのではと想像します。

Aベストアンサー

忘れたころの回答でスミマセン。締め切られてないので、一応…

先日たまたま古い『朝日年鑑』を見る機会がありました。
『朝日年鑑 昭和19年版』では、掲載されている年表の中に「大正3年 世界大戦勃発」とあります。ここでは単に「世界大戦」で、まだ「第一次世界大戦」の語は使われていません。第二次世界大戦については、「大東亜戦争」と「欧米戦争」に分けて記述されており、それをひとつの「世界大戦」として捉えてはいないようです。
いわゆる太平洋戦争は、日本では開戦後まもなく「大東亜戦争」と公式に命名され、敗戦までそれが使われています。
それが『朝日年鑑 昭和22年版』では、「第一次世界大戦」「第二次世界大戦」とも普通に使われており、このころまでにはすっかり一般に定着しているのがわかります。
国内では「第一次世界大戦」の語は、「第二次世界大戦」の語と同時に、戦後のわりに早い時期に生まれ、遅くとも昭和22年までには一般に定着したと考えてよいようです。あるいはGHQと一緒に入ってきた英語を訳した用語かもしれませんね。
ちなみに本のタイトルなどに「第一次世界大戦」「第二次世界大戦」を使ったものは、国会図書館の蔵書検索で見ると、昭和ヒトケタごろすでに何冊も出ていますが、これらは今「第三次世界大戦云々…」という本があるのと同様の近未来小説の類のようです。

忘れたころの回答でスミマセン。締め切られてないので、一応…

先日たまたま古い『朝日年鑑』を見る機会がありました。
『朝日年鑑 昭和19年版』では、掲載されている年表の中に「大正3年 世界大戦勃発」とあります。ここでは単に「世界大戦」で、まだ「第一次世界大戦」の語は使われていません。第二次世界大戦については、「大東亜戦争」と「欧米戦争」に分けて記述されており、それをひとつの「世界大戦」として捉えてはいないようです。
いわゆる太平洋戦争は、日本では開戦後まもなく「大東亜戦争」...続きを読む

Q第一次世界大戦と第二次世界大戦らへんのこと様ですが。。

↓↓↓の問題が分かりません・・・。

「1923年にフランスは、ドイツの賠償金支払い遅延を理由にどういう手段をとったのでしょう。また、フランスがこの手段を行ったことにより、ドイツ経済にどんな現象が起こったのでしょう。」

「ドイツが国際連盟に加入したのは何年ですか。」


急いでいるのでお願いします!!!

Aベストアンサー

>1923年にフランスは、ドイツの賠償金支払い遅延を理由にどういう手段
1月11日にベルギー軍とともにルール地方を占領
>ドイツが国際連盟に加入したのは何年
1926年9月8日

Q第一次世界大戦の日英同盟から、第二次世界大戦に至るまでについて質問させ

第一次世界大戦の日英同盟から、第二次世界大戦に至るまでについて質問させて下さい。
第一次世界大戦で共に連合国側で勝利を収めた日と英が、第二次世界では敵になったところまでの流れが知りたいです。日英同盟の中で、日本はイギリスからの兵力要請に応え、その活躍に感謝されたと何かで読んだのですが、関係が逆転した原因や背景を教えて下さい。

Aベストアンサー

補足説明として、

1)英国の国力の減退。
2)アングロサクソンの基準からはみ出した国家主義との対立。
3)両国の中国での利権が対立。
4)中国人の対外不満を日本に集中させるために日本を悪者化。

Q第一次世界大戦と第二次大戦

第一次世界大戦はどういう経緯でおきたのですか?
あと第二次では中国はアメリカ側だったのに、なんで日本より中国は発展が遅いんですか? 日本はアメリカに負けて戦争終わってからどんどん成長してきたけど、中国はもっとまえからアメリカとはそこそこの関係?(一方的かな?)だったのになぜですか?人口が多すぎるからですか? 教えてください。歴史の知識が薄いのでお願いします。

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>第一次世界大戦はどういう経緯でおきたのですか?
ぎりぎりの緊張した場所がひょこっと誕生し、どこも望んでもいない戦争が突然発生して、ヨーロッパ中を巻き込んでしまった、という雰囲気ですね。
>あと第二次では中国はアメリカ側だったのに、
>なんで日本より中国は発展が遅いんですか?
欧米以外で先進国になった国は日本だけです。中国が不思議なのではなく、日本にヨーロッパ的な要素がもともとあったということでしょう。日本がなぜ発展できたのか、米国のアフリカ系の社会学者とか大変興味をもって研究しているとか聞いたことがあります。そこはもう、社会学・経済学の奥深いところに答えがある気がします。

Q第一次世界大戦時のオーストリアとフランツ・ヨーゼフ1世について質問です。

第一次世界大戦でオーストリアは皇太子夫妻がサラエボで暗殺されると、オーストリアはセルビアに宣戦布告し、第一次世界大戦へと突入、結果オーストリア=ハンガリー帝国は崩壊してしまいましたが、結局のところオーストリアは列強扱いされていながらも弱かったのでしょうか?緒戦でセルビア相手に敗北し、その後はドイツ依存の状況が続きましたが言語もバラバラであったと言いますし、軍隊にも多民族国家のため統一性がなかったようなイメージがあります。また、オーストリアは第一次世界大戦のさなかである1916年11月に皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が崩御してしまいますが、オーストリアが戦争へと突入してしまったのは、オーストリア皇帝であるフランツ・ヨーゼフ1世が、ボスニア・ヘルツェゴヴィナを編入してしまったのが原因なのでしょうか?

Aベストアンサー

第一次世界大戦は、参戦した全ての国にとって「予想外」に発生した戦争です。
例えば、普仏戦争なんかでは、プロイセン(というかビスマルクかな)が、フランスとの戦争をしたがっていた(戦争を始める大義名分を探していた)わけです。
これに対して、第一次世界大戦は、1914年時点で、戦争をしたいと思っていた(戦争の機会を伺っていた)国は一つもありませんでした。

「なぜ第一次世界大戦が発生したのか?」、というのは歴史学上の大きな謎といってよいものでして、いまだに決まった学説はありません。
起こったことだけを単純に後から見れば、
・主に鉄道網などで決まる兵力動員にかかる物理的な時間などの要因で決まっていた、各国の軍の兵力動員計画が、互いに矛盾した状態になっていて、全ての国で動員計画が同時に実行されると、結果的に、戦争を「自動的に引き起こす」ようになっていた
ということですかね。この意味で第一次世界大戦を「時計仕掛けの戦争」なんて言ったりすることもあります。

とはいっても、普通は、各国の動員計画が互いに矛盾していたからって、それが本当に戦争につながるなんてことはないはずなんですが、第一次世界大戦の時には、さらに、各国の政治家が、相手国の政治家の意図を互いに誤解する、というアンラッキーも重なりました。

>オーストリアはセルビアに宣戦布告し、第一次世界大戦へと突入

と書いていますが、オーストリアはセルビアに宣戦布告しただけであって、第一次世界大戦なんてものを引き起こすつもりは全くありませんでした。
サラエボ事件は、第一次世界大戦勃発の「きっかけ」ではありますが、「原因」ではありません。

他の参戦国(ドイツ、ロシア、イギリス、フランスなど)にしても、オーストリアがセルビアに宣戦布告をしたからといって、自国とは基本的には何の関係もないわけで、めぐりめぐって結果的にに自国が他の列強相手に全面戦争に巻き込まれる、なんてことを想定していた国は一つもありませんでした。

第一次世界大戦は、参戦した全ての国にとって「予想外」に発生した戦争です。
例えば、普仏戦争なんかでは、プロイセン(というかビスマルクかな)が、フランスとの戦争をしたがっていた(戦争を始める大義名分を探していた)わけです。
これに対して、第一次世界大戦は、1914年時点で、戦争をしたいと思っていた(戦争の機会を伺っていた)国は一つもありませんでした。

「なぜ第一次世界大戦が発生したのか?」、というのは歴史学上の大きな謎といってよいものでして、いまだに決まった学説はありません。
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Q第一次、第二次世界大戦

課題で困っているので、教えてください!!!
第一次、第二次世界大戦はなぜ避けることができなかったのでしょうか?
そして、もし避けることができたならどのように避けることができたのでしょうか?

Aベストアンサー

根本的なところでは、他の方の回答は的を得ていると思います。各国が、軍事力を用いてまで領土を拡張するという意思を持たなかったならば、戦争は防げたというのは、基本だと思います。僕は、もうちょっと細かい技術的なところを書きます。

第1次世界大戦の場合、多分に偶発的な要素がありました。当事者たちも何がどうなっているのかよくわからいないまま、軍事同盟網を伝って戦火が全欧に広がっていったようなところがあります。軍事力の均衡による平和という考え方のもろさを第1次世界大戦は示した、ということもできます。
実は、1870-71年のプロイセン・フランス戦争の後は、第1次世界戦までヨーロッパで列強同士の大きな戦争は起こっていません。しかし、激しい軍拡競争は展開されていました。また、局地的武力衝突が起こったときに、前面戦争を回避するためのメカニズムが整備されておらず、電報で瞬時に情報が伝わっていくことにも不慣れなところがありました。

第2次世界大戦の場合は、先行して満州事変につづいて日中戦争が東アジアで起こっていたことはまず1つの前提となります。日本が、軍事力による領土拡張と国際連盟の脱退という点で、ドイツに先例を与えたことの意味は大きいと思います。
第2次大戦に先行する時期にも、ナチス・ドイツは戦争も覚悟の賭けを何回かしています(1935年のザールラント併合や徴兵制復活・再軍備宣言、36年のロカルノ条約破棄とラインラント進駐など)が、これを米英仏が容認したことが、ドイツの領土要求のエスカレートの直接の要因となっていて、ミュンヘン会談が有名ですが、英仏はその要求も認めます。この段階で、英仏がドイツに対してもっと強く出ていたならば、早期に戦争になっていたら、ドイツの軍備拡張が追いつかず、早々とドイツの敗北で終わっていたでしょうから、ドイツ側が戦争回避に動いた可能性があります。戦争が防げたかどうかはわかりませんが、もっと違った展開になっていたのは確かだと思います。
1939年9月のポーランド侵攻のときも、ドイツは英仏と全面戦争になるとは予想していませんでした。これに対して英仏は対独宣戦布告はしますが、ポーランドの独ソでの分割占領の段階では、ドイツと英仏の大規模な軍事力の衝突は起こっていません。それで、ドイツは英仏を恐れるに足らず、と考えるようになって、その後、北欧・ベネルクス3国・フランスを「電撃戦」で次々に占領下に起きますが、そこには英仏の油断があったことは否めません。英仏がドイツを甘く見たということです。これはソ連についても言えます。ドイツが、英仏やソ連に勝てないと思うような状況だったら、また違う歴史がありえたとは思います。

根本的なところでは、他の方の回答は的を得ていると思います。各国が、軍事力を用いてまで領土を拡張するという意思を持たなかったならば、戦争は防げたというのは、基本だと思います。僕は、もうちょっと細かい技術的なところを書きます。

第1次世界大戦の場合、多分に偶発的な要素がありました。当事者たちも何がどうなっているのかよくわからいないまま、軍事同盟網を伝って戦火が全欧に広がっていったようなところがあります。軍事力の均衡による平和という考え方のもろさを第1次世界大戦は示した、という...続きを読む

Q第一次世界大戦は当初何と呼ばれていたのでしょうか?

「第一次世界大戦」というのは、第二次世界大戦が起きてからの呼び方だと思います。それ以前は何と呼ばれていたのでしょうか?

Aベストアンサー

身に回りの史料等、探してみました。
明治大正時代の雑誌・・・『風俗画報』では対ドイツ宣戦布告に際し、数号に渡って「欧州戦乱号」を特集しています。
(アダルトの風俗ではなく大衆風俗の意味の風俗です。念のため)

宣戦布告に際し天皇の詔勅には
「朕ハ深ク現時欧洲戦乱ノ殃禍ヲ憂イ」
帝国議会開院の勅語にも
「欧洲戦乱ノ殃禍今ヤ東洋ニ波及シ」
と、欧州戦乱という表現を用いています。
日本が参戦する以前の時点では「欧州戦乱」という事でしょうか。

日本も参戦し、終結後・・・
直後の史料がなくどういった表現をされていたかは
わかりませんが、少し下って昭和に入り九年発行の三省堂の教科書用歴史地図には
「世界大戦」と表記されていました。
ご参考までに

Q第一次 第二次世界大戦について

第一次のときは日本はアメリカ側でドイツが敵だったのに第二次ではドイツが味方でアメリカが敵になっているのはなぜですか?

いずれも二つの陣営にわかれて戦ってますが、お互い味方の国を助けたりするのでしょうか?それとも味方同士は攻めないくらいで各国それぞれ単独でうごいていたのでしょうか?

Aベストアンサー

当時の外交は、まだ欧州中心で考えるべきですね。アメリカは当時原則的に「欧州不介入」ですから、まだ世界をアメリカ中心で捉えるべきではないのです。
質問者さんはどうもアメリカ中心で考えておられるようで・・・この見方は第2次大戦終結後ならば正しいのですが、それ以前はやはりまだ世界は欧州中心です。

さて、欧州では中世以降、外交的対立によって対立軸がまるきり変わるというのはしょっちゅうでした。

ナポレオン戦争ではフランス対イギリス、オーストリアとドイツ諸連邦(プロイセン含む)、ロシアといった各国が対立しました。
クリミア戦争ではロシア対イギリス、トルコ、フランス、イタリア(このころはまだサルディニアですけど)という対決軸となりました。

その後に行われた普墺戦争(とイタリア独立戦争)ではプロイセン、イタリア対オーストリアという構図です。もっともこの2つは2国間の戦争ですけどね。
その後の普仏戦争ではプロイセン対フランス、という構図です。まあ、これも2カ国間の対決ですけど。といってもこの3国(イタリア、ドイツ、オーストリア)、あとで共同歩調をとります。

また、中国利権に関するアロー戦争では、イギリスとフランスは共同歩調を取っています。


なお、日清戦争で勝利した日本は、中国での利害対立からフランス、ドイツ、ロシアの3国と対立します。いわゆる三国干渉です。つまりこの3国はこのときは共同歩調。

20世紀にはいってからは・・・
日露戦争では日本とイギリス(日英同盟)、フランスとロシア(露仏同盟)という対決軸を見ることができます。もっとも、イギリスとフランスの代理戦争とも見れますけどね。
この時代(20世紀初頭)の対立軸は英・露仏・独墺伊の3すくみです。

しかし、10年後には英仏露の三国協商と独墺伊の三国同盟という対決軸となっています。
しかし対戦直前、独墺伊からはイタリアが抜けてかわりにトルコが入り、英仏露伊、独墺土という構図に変わります。

このように19世紀以降の大規模な動きを見るだけでもめまぐるしく対決軸が変わるのが欧州情勢です。アメリカと日本は、第1次も第2次も、この軸に巻き込まれたと考えたほうが良いでしょう。

当時の外交は、まだ欧州中心で考えるべきですね。アメリカは当時原則的に「欧州不介入」ですから、まだ世界をアメリカ中心で捉えるべきではないのです。
質問者さんはどうもアメリカ中心で考えておられるようで・・・この見方は第2次大戦終結後ならば正しいのですが、それ以前はやはりまだ世界は欧州中心です。

さて、欧州では中世以降、外交的対立によって対立軸がまるきり変わるというのはしょっちゅうでした。

ナポレオン戦争ではフランス対イギリス、オーストリアとドイツ諸連邦(プロイセン含む)、...続きを読む

Qなぜ日本は第一次世界大戦に参戦したんですか?

なぜ日本は第一次世界大戦に参戦したんですか?

Aベストアンサー

第一次世界大戦は、オーストリア皇太子が殺害されたサラエボ事件を発端に

起きました。

ドイツ、イタリア、オーストリアからなる同盟国と、

イギリス、フランス、ロシアからなる連合国との戦いです。

1902年にイギリスと日本が結んだ日英同盟が日本が参戦した理由です。

この日英同盟は、同盟国であるイギリスが1ヶ国と戦争した場合、日本は中立を守り、

イギリスが2ヶ国と戦争した場合は、日本はイギリスを支持するという内容でしたから

参戦したのです。

が主戦場はヨーロッパでしたが、日本はヨーロッパに参戦した訳でなく、イギリスの敵に

なるドイツの東洋艦隊の基地であった青島と膠州湾を攻撃し、その後青島を支配下に

置いた、、という戦争です。

Q第一次大戦のときと第二次大戦の比較

ドイツ軍がより勝算があったのはどちらのときでしょうか?

Aベストアンサー

勝機というか、敗北しないですんだのは一次大戦の方でしょう。

まず、最大の懸念である東部戦線が革命で消滅します。
地中海方面はトルコがガリポリで勝利し安定し、ここもロシア正面が消滅するので安心です。

当時は洋上でUボートの攻撃を防ぐ手段が極めてお粗末なので(特に、航空機支援がありえないので)、早い段階で無制限潜水艦攻撃をし、Uボートの増産をすれば二次大戦より深刻な事態に英国は陥ります。
実際、ドイツが無制限潜水艦攻撃をはじめたときは、英国海軍省と植民省は本気でダメだと思っていたと、チャーチルが回顧しています。護送船団方式をとるまえに、徹底的にUボートを使うと、本当になにがおきたかわかりません。

で、ナチス・ドイツと講和する気になる国はそうそういないと思いますが、ドイツ王室の帝政ドイツとなら王室が縁戚関係の英国は講和にのれるとおもいます。
ドイツは「ウチが共産主義国になったらタイヘンだろ? 講和しよう」という、切り札がきれるからです。フランス単独ではドイツを押さえられないので、英国さえテーブルによびこめればいいのです。

これなら、ドイツの軍部はベルサイユ体制に組み込まれないですむから実質勝利だと思います。

でもこのあと、フランスにはおそらくドイツを恨み恨んだ政権ができるでしょうし、その政権が共産主義政権でない保証はありません。オーストリア・ハンガリー帝国もどうなるのかなあ。

勝機というか、敗北しないですんだのは一次大戦の方でしょう。

まず、最大の懸念である東部戦線が革命で消滅します。
地中海方面はトルコがガリポリで勝利し安定し、ここもロシア正面が消滅するので安心です。

当時は洋上でUボートの攻撃を防ぐ手段が極めてお粗末なので(特に、航空機支援がありえないので)、早い段階で無制限潜水艦攻撃をし、Uボートの増産をすれば二次大戦より深刻な事態に英国は陥ります。
実際、ドイツが無制限潜水艦攻撃をはじめたときは、英国海軍省と植民省は本気でダメだと思ってい...続きを読む


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