第一次世界大戦後に日本は輸出量が輸入量に上回ってお金がたくさん入ってきたため大戦景気になった、ということは理解できたんですが、でも一方で物価は上昇して労働者や農民の生活は苦しくなった、という部分がよく分かりません。経済の質問になるのかもしれませんが、好景気になったら物価は上昇するものなんでしょうか?よろしくお願いします。

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A 回答 (6件)

そもそも、基本的に、好景気は物価上昇の原因となります。

ご自分で需要曲線・供給曲線を書いて確認してみてください。好景気で人々の収入が増えると需要曲線が右に移動します。なぜなら、ある商品・サービスについて、それまで高くて手が出なかった人が買おうとするからです。

需要が増える、すなわち買いたい人が増えるとどうなるか。それまでの値段ならすぐ売り切れてしまいます。そうなると、供給側が値段を上げても売れることになります。また、需要側から見れば、それまでより高い値段でも買おうとします。よって物価は上昇します。

モノとカネとの関係を考えてもインフレになることが分ります。モノが売れてカネが入ってきたわけですから、カネのモノに対する比率が相対的に大きくなるわけです。
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この回答へのお礼

 どうもありがとうございました。
 需要曲線・供給曲線、とかはるか昔に習ったことなので忘れていましたが何となく思い出しました。好景気になると物価が上昇する、という基本的な原理についてはおかげさまで理解できました。というか当たり前のことだったようで、すみません。
 この大戦後の庶民の生活が苦しくなる、という状況は、賃金の上昇と物価の上昇が不釣り合いだったから、ということなのでしょうか。それとも一部の成金になった人たちが物価を勝手に上昇させていって、裕福な人とそうでない人の二極化が進んだと理解すればよいのでしょうか。
 もし機会があればまたお願いします。どうもありがとうございました。

お礼日時:2008/10/05 16:40

「お礼」に対する補足をします。



富は偏在するのですね。これは現在も同じ。すなわち、好景気の恩恵は一部の者が受け、プロレタリアは貧しいままです。よって、物価高は彼らの生活を圧迫します。

当時の歴史に直結した問題。米騒動。シベリア出兵を見越して(兵隊さんの食糧の需要が高まるだろうということで)、米の買占めが行われ、そのことにより米価が急騰しました。これがプロレタリアの生活を圧迫しました。
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この回答へのお礼

 度々ご回答して頂きありがとうございました。
 結局好景気になっても経営者という社会的な強者に優先的にお金が回るという、資本主義社会ならではの構図というか有り様に納得しました。庶民の暮らしは、単純に景気の転換の結果がダイレクトに反映されるものではないんですね。
 本当にどうもありがとうございました。。

お礼日時:2008/10/06 21:40

戦争になると軍需産業は盛んになりますがそれにつれてインフレも進行するものです。


資本主義社会では儲かる部分とそうでない部分の二極化が進行します。  インフレは一面これを平均化する役目もあります。

資本主義社会では投機という行動により人為的に物価が操作されることは現在の石油危機でもあきらかです。
この物価の上昇速度と賃金などの収入の上昇速度とは同一ではないところが生じるのが原因になります。
資本家は少しでも利益を増やそうとし、賃金を増やすことはどうしても後回しになります。  これは高利益が長続きしない恐れがあるからです。
したがって、物価は上昇しても収入の増加はどうしても遅れるのが通常になるのです。
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この回答へのお礼

 どうもありがとうございました。
 物価の上昇と賃金の上昇の仕方は異なる、というポイントが分かりました。物価や賃金の変動は経済的な原理に加えて人為的な操作も加わって起こるものだということも、当然のことながらも認識できました。

お礼日時:2008/10/06 21:32

景気の度合いや地域性にこだわらなければ、一般的に好景気または景気がよくなっていると言われる時代には、まずお金が大量に動き始め、またそのお金を使えるようにもなるため(消費、投資ともに)、欲しい物、やりたいこと、投資したいビジネスに競争が起こります。

それが継続すると、お金を多くはらった人に良いサービス、良い品物が速く届く、顧客は差別化してもらえる、などの好循環が始まります。
また逆にその競争の中で、資本家はコスト削減も忘れることはありません。好景気だから、景気の良い分給与や支払いを上げるとは、積極的に考えないものです。

このため、お金が回ってはいるが、給与が上がらない、転売価格が抑えられている、などの社員、労働者、業者、農家などは、生活や自分の事業のために払うコストは上がるものの、収入は上がらないため苦しくなります。

日本は全国民中流意識と、年功序列のシステムが長かったため、70~80年代の好景気のときは給料もそれなりに上がったり、また儲けた資本家や企業の役員が使うお金も多かったため(個人レベルでも白紙領収書などの現在では考えられいものもあった)、おこぼれに預かる人が多く、市場の末端へもお金がかなりまわっていました。
今でも憶えていますが、89年前後の東京の電車内の女性のファッションは、とてもカラフルで高価そうなアクセサリをつけている人も多く、また実際ブランド品が市場にあふれていました(今はブランドや金額にこだわらないファッション性も多くなったと思います)

西洋の多くは、資本家や企業は貧富の差など気にせず、コストカットにシビアです。このため、インフレと貧困はよくペアで、欧米の歴史や小説、映画などに見受けることができます。

日本の80年代のバブル期の様子は、映画「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」をごらんください。
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございました。
 なるほど。「景気がよくなる」とか「お金がよく回る」というとなんか皆が得をしてそれなりに裕福な生活を送ってるんだ、というイメージがありましたが、経済というのはそんな単純なものではないんですね。好景気の時こそ激しくなる競争の中で、経営者側がタイトな施策を講じることで労働者の生活が苦しくなるという、「インフレと貧困がペア」というのはとても分かりやすい構図で納得しました。ありがとうございました。

お礼日時:2008/10/06 21:18

これは経済学(マネー)の基礎の基礎なのですが、



戦争が起きるとインフレになります。
金はインフレに強いです。

世界的な戦争ですので、日本だけが得をする訳には参りません。
輸入する物資もインフレで価格が上昇すれば、売値も上昇させねばなりません。
この状態ですと、安い国の商品(植民地のある国)に負けてしまいますので割安で売る必要が出てきます。

当時の映画なのですが、(資料的価値はないです。あくまで参考に)

はじめは工女はおやつと三度の食事付で優遇されていました。
100円工女にもなると食事の内容も違って条件を良くした上、他へ行かないように親元に借金を斡旋したり、物を持って行ったり、早々と契約を結ぶような真似までしていました。

所が、売っても売っても利益が上がらない状態になりました。
朝時計を7時に8時にする。
夕刻、5時に4時に巻き直し、2時間多く働かせました。
食事も質が落ち、約束が違うと不平不満が出てきました。

原料から食事まで何から何まで値上がりし、他は安いと売値は叩かれ、
100円工女が作る量で100円を支払う事が出来なくなっていたのです。
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この回答へのお礼

 どうもありがとうございました。
 世界的な戦争が起こると国家間でいろんな駆け引きが生じて、その結果庶民たちは右往左往させられてしまうんですね。労働者の視点から当時の経済状況を捉える視点も興味深いと思いました。具体的な事例まで紹介して頂き、参考になりました。

お礼日時:2008/10/06 21:01

好景気になる→購買力が上がる→物価が上がる



不景気になればその反対ですから物価は上げられません。しかしその逆はあります。すなわち石油がなんらかの理由で値上げされる→それがために不景気になる。
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この回答へのお礼

 どうもありがとうございました。
 なるほど。現在の石油のことも考えてみると、経済の仕組みの面白さが分かりました。単純明快で納得しました。

お礼日時:2008/10/05 16:43

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Q●第一次大戦中の日本『大戦景気』になった理由について(中学レベルです)

僕は中学2年生の男子なんですが、今期末テストの勉強に追われています。
塾などには行っていないし、親も勉強はあまり詳しくないので、ここでちょっと質問させてください。

第一次世界大戦中の日本は、日本の商品が欧米諸国の品物にかわり、アジア、アフリカ地域に進出した。
ということですが、なぜ輸出が増えたのか?と聞かれたら何と答えればいいのでしょうか?

授業中に先生が言っていたのですが、メモを取っていなくて忘れてしまいました・・・。
その先生は「1度言ったことはもう言わない!」みたいなことをいつも言ってるんで、怖くて聞けません。

何となくは分かるのですが、テストの解答欄に書く用の文章にはできません。なので、詳しい方はぜひお願いします。

Aベストアンサー

No,1の方の回答でもう事足りていると思いますが、気が向いたら読んで下さい。

大戦景気とは三国協商vs三国同盟という形で起こった第一次世界大戦の折、戦争をしているヨーロッパ勢がアジアに目を向ける暇が無いのをいいことに日本がアジア・中国市場の独占を図ったこと、そして戦争による需要の増加という2つのことから生じたものです。

「なぜ輸出が増えたか?」と聞かれたら、「戦争している国は輸出用の商品を作っている暇は無く、むしろ戦争に必要な物資をひたすら輸入する側に回ることになるので供給は減り需要は増えることになる。そうして生まれた超需要に目を付けた日本が率先して輸出をしたので結果として輸出量が大幅に増加した。」みたいに答えればいいかなと思います。

なにやら怖い先生みたいですが勉強する意思のある生徒の質問に答えないというのは職務怠慢な感じがするので、友達と一緒に教頭や校長に報告し注意してもらうのもいいかもしれませんね。

Q原敬の内閣が日本初の本格的な政党内閣と言われるのはなぜ?

米騒動を経て内閣を組閣した原敬ですが、その内閣は本格的な政党内閣と言われています。これはなぜですか?原敬は党首から首相に選ばれたわけですが、この内閣以前はどうやって首相を選んでいたのでしょうか?天皇が勝手に首相を選んで良かったのでしょうか?大日本帝国憲法下における組閣の仕組みが良くわかりません。選挙によって選ばれた与党の党首が首相になるということはなかったのでしょうか?

Aベストアンサー

ごきげんよう。



【回 答】
大日本帝国憲法(明治憲法)下では、現在の日本国憲法で定められているように内閣総理大臣が選ばれていたわけではありません。明治憲法が出来た最初の頃は、明治政府を作った「元勲」と呼ばれる人々が交代で内閣総理大臣に就任していました。その後「元勲」のうちの何名かが「元老」として、「次の内閣総理大臣はこの人に」と天皇に推薦し、天皇が任命するのが慣例でした。別に、議会で与党の党首が選ばれていたわけではありません。

さて、そうやって選ばれる内閣総理大臣ですが、予算案や法律案を通して政治を円滑に進めるため、衆議院の多数を占める政党と仲良くする人が出てきます。そういう意味で「政党内閣」の原形は原敬以前に成立していました。

原敬内閣が『初の本格的政党内閣』と呼ばれるのは、原敬が「爵位をもたない」「選挙によって選ばれる衆議院に議席をもつ」「政党『政友会』の党首」であり、原内閣が「陸軍大臣・海軍大臣・外務大臣以外の閣僚はすべて政友会員が就任した」内閣であったことが、「選挙によって選ばれた多数党の党首が内閣総理大臣に選ばれ、閣僚の多数が政党の党員(政党所属の議員)である」という『政党内閣』の定義にほぼ近かったことによるものです。

(上記の「政党内閣」の定義は完全に正確ではない可能性がありますが、だいたいこのような内容だったかと思います)


以下、詳細な説明です。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

■ 大日本帝国憲法(明治憲法)下での首相の選定方法

大日本帝国憲法(明治憲法)には、内閣総理大臣の決定方法は記載されていません。

大日本帝国憲法第10条に、「(統治権を有する)天皇が行政を行なう官僚を任免する」ということが書かれています。かといって、天皇が内閣総理大臣を勝手に選んでいたわけでもありません。「宮中・府中の別」という慣例がありまして、天皇は政治の世界には関与せず、行政機関である内閣の決めた方針にもとづいて「YES」と言うだけでした。内閣総理大臣を決める時にも、天皇は、誰かが選んだ内閣総理大臣をそのまま任命するのです。

大日本帝国憲法(明治憲法)
http://www.edogawa-u.ac.jp/~kiuchih/home/statutes/teikokukenpou.html


では、内閣総理大臣の決定方法ですが、

歴代内閣総理大臣一覧
http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/ichiran.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E9%96%A3%E7%B7%8F%E7%90%86%E5%A4%A7%E8%87%A3%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7
http://www.promised-factory.com/100years_after/pm/pm-list.html


上の一覧をご覧になればわかりますように、最初は明治維新の功労者であった人々が協議の上、内閣総理大臣や各国務大臣を務めていました。「明治政府を作ったのは俺たちなんだ!」ということでもあり、内閣総理大臣や各国務大臣として明治初期~中期の政治を引っ張っていけるのは、この人々しかいなかったのだと推測されます。

明治維新の功労者達は、明治初期から後期にいたるまで第一線で政治を動かし続け、その後も「元老」という立場で、天皇の諮問に答える形で、国家の政策決定に関与しました。
伊藤博文、黒田清隆、山縣有朋、松方正義、井上馨、西郷従道、大山巌、桂太郎、西園寺公望の九人です。

その主な仕事のひとつが、内閣総理大臣が辞めた場合、次の内閣総理大臣を選ぶことです(ちなみに、法的な根拠はまったくありません)。彼らが選んだ内閣総理大臣を、天皇が任命していました。

元老 - wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E8%80%81

ちなみに、昭和に入って、最後の元老の西園寺公望が死んでからは、天皇の側近で天皇の仕事を助ける役職であった「内大臣」が中心となって「重臣会議」を開いて、内閣総理大臣を選んでいました。

内大臣 - wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E5%A4%A7%E8%87%A3


■ 内角総理大臣と、議会や政党との関係

内閣総理大臣は、別に議会での選挙で選ばれているわけではないので、議会を無視して勝手に政策を決めて政治を行なっていくことができる、・・・というわけではありませんでした。

選挙で選ばれた政党系議員が多数を占める衆議院は、予算案を貴族院より先に審議するので、内閣が政党と対立してしまうと、予算案が議会を通らず、政治が一気に止まってしまうのです(政党を無視して独自に政治を行なおうとす『超然主義』の方針をとる内閣と、衆議院で多数を占める政党が対立して混乱したのが、1890年代の『初期議会』と呼ばれる時期です)。

そういうシステムの中で、内閣総理大臣のなかには、政党に理解を示して協力してもらい政治を行なおうとする人が出てきました。代表的なのは、伊藤博文、西園寺公望、大隈重信などの人物達です。彼らは政党の党首も兼ねていたので、一応、「政党内閣」と言えなくもありません。


では、原敬とその内閣の場合は、彼らと何が違うのでしょうか?

「原敬」個人に対する注目点は3つ
  ○爵位をもたない
  ○選挙によって選ばれる衆議院に議席をもつ
  ○政党「政友会」の党首

「原内閣」のポイント
 ○陸軍大臣・海軍大臣・外務大臣以外の閣僚はすべて政友会員が就任

つまり、「選挙によって選ばれた多数党の党首(衆議院議員)が内閣総理大臣に選ばれ、内閣閣僚の多数が政党の党員(政党所属の議員)である」というところが、『本格的な政党内閣』と呼ばれる意味です。


ですが上で述べた通り、原敬は議会で選ばれたわけではなく、やはり「元老」による推挙によって天皇から任命されています。

原敬が内閣総理大臣に選ばれた理由としては、その前の寺内正毅内閣が米騒動の対応に失敗して総辞職して、政府に対する国民の不満が高まっており、「元老」としても国民の意見を反映した内閣を作らないといけなかったこと、原敬がもともと官僚出身で、内務大臣も務めたこともあって、内閣総理大臣に任命しても行政を行なうのに問題がないこと、そして、原敬は元老や貴族院の勢力とも対立しないで上手くやれる政治家であったこと、などがあげられます。

原敬 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E6%95%AC

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E6%95%AC

ごきげんよう。



【回 答】
大日本帝国憲法(明治憲法)下では、現在の日本国憲法で定められているように内閣総理大臣が選ばれていたわけではありません。明治憲法が出来た最初の頃は、明治政府を作った「元勲」と呼ばれる人々が交代で内閣総理大臣に就任していました。その後「元勲」のうちの何名かが「元老」として、「次の内閣総理大臣はこの人に」と天皇に推薦し、天皇が任命するのが慣例でした。別に、議会で与党の党首が選ばれていたわけではありません。

さて、そうやって選ばれる内閣総理大臣...続きを読む

Q債務国と債権国

カテ違いかもしれないのですが・・・。
債務国と債権国の意味を教えてください。
辞書引いてみたのですが、よくわからなくて・・・。

Aベストアンサー

債務国とは、他国から借りているお金の方が他国に貸しているお金より多い国です。
債権国はその逆、他国に貸しているお金の方が他国から借りているお金より多い国です。

たとえば我が国の場合、大量の国債を発行していますが、そのほとんどを自国内で持っていて、外国人が持っている分は僅かです。
逆に、米国債権の保有(米国にお金を貸していることになる)や円借款などで他国に貸しているお金は大量にあります。
ですから、日本は債権国、となります。

Q白樺派、とはなんですか?

久しぶりに小説でも読んでみようかな、と思いました。
中学生の時読んだ、武者小路実篤の「友情」が、
とても好きだったので、実篤について調べたところ、
彼は、白樺派の作家であることが分かったのですが、
その白樺派とはいったいなんですか?
調べてはみたのですが、難しい言葉ばかりで、
ちょっと理解できませんでした。
簡単な言葉で、説明してもらえると嬉しいです。
また、同じ白樺派の同人作家たちの作品は、
実篤の作品に共通するところがあるのでしょうか?
「友情」のような作品に再び出会いたいので、
もし良ければ、本の紹介、してもらえると嬉しいです。
アドバイス、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

白樺派は、みもふたもない言い方をしてしまえば、金持ちの子で、いつまでもニート的生活を大学で送っていた、おめでたい人たちの集まりです。だから、彼らの作品は楽観的すぎるとか社会性がないという批判が出てくるのですね。Wikipediaにある、白樺派が「自然主義にかわって大正時代の文学の中心となった」とは、自然主義文学が人間の暗い側面や社会悪などをも描く傾向があるのに対し、白樺派はおおらかな人間賛歌だという対比構造になっていることを指摘しているのです。

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白樺派が好きな人には、「告白」はお奨めです。「告白」こそが、白樺派の私小説というスタイルの原点です。ただし、白樺派は、ルソーが単なる文学者ではなく万能の人であり、フランス革命を支えた社会思想家でもあることは、ほとんど意識しているように見えません。逆に明治までさかのぼると、社会思想家としてのルソーを正当に評価している人もいます。いずれにせよ、ルソーは「告白」を世に放った文学者であり、「むすんでひらいて」を作った音楽家であり、「エミール」を書いた教育論者であり、かつ、フランス革命の理念を作り上げた社会思想家でもあるのです。その影響の一部が、思いもかけないところで白樺派に及んでいるというわけです。

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