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(1)日本で即身仏となる習慣はいつごろから生じたのでしょうか。
(2)中国や韓国の影響はありますか。
(3)即身仏となるためには
 1.五穀断ち~十穀断ち
 2.木食
 などをするそうですが、どのくらいの期間行う必要があったのでしょ うか。

お分かりになる項目だけでもお答えくだされば嬉しいです。

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A 回答 (9件)

 ご参考:


http://www.fukimbara.com/jmb/jmb053.html http://www.town.tateshina.nagano.jp/b03_gyousei/ …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A5%E5%AE%9A
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C% …
http://p2223.nsk.ne.jp/~toramoto/rssb.htm
http://www.cablenet.ne.jp/~e-chan/unb/story1.htm …
http://pws.prserv.net/hosaka/mutsumi/mummy/mummy …
http://home.att.ne.jp/red/sronin/_koten/nyujo.htm
http://home.att.ne.jp/red/sronin/_koten/nyushu.htm
http://www.cablenet.ne.jp/~e-chan/unb/story1.html
http://home.att.ne.jp/red/sronin/_koten/nyujo.htm

木食、即身などで検索するとたくさんあります。
インドではマハラジャが発掘して、消えていった例もあります。
 Jada Yogaですね。インドが発祥のようです。
 大和屋さんの映画をみると、やり方が視覚的に判ります。彼は私と同じでしたが、50代で確かなくなっていると存じます。

 苦痛というより、恐怖と不安でしょうから、サマディに入っていれば、成就するでしょう。最初は五穀、だんだん減らしていき、水。
 そしてなくなるのですが、埋められるときは、腸内をからぽにして、最初から何もとらずに桶に結跏趺坐か、半跏趺坐をして、瞑想に入るのでしょう。
 自分のカルマを燃え尽きさせるため、消滅させるためですよね。
 その他、衆生の幸せを願うということもありました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
断食する期間や日本や中国の即身仏の歴史がよくわかりました。
大和屋さんの映画、見てみたいです。

日本の即身仏が、中国の即身仏の影響を受けているのかどうかが
まだよくわかりません。
遣隋使・遣唐使など何度も派遣していますし、受けていて当然とは
思うのですが、日本と中国では気候が違いますしね・・・

韓国には即身仏はないのでしょうか?

お礼日時:2008/10/09 11:29

 ANo.8補足:


 日本の現行法規では、どんな理由であれ、私法人にしろ、個人自然人にしろ遺体をそのまま安置しているなどとは、公序良俗の観点からばかりではなく、衛生法規からも許されないでしょうが、アメリカの法制度はこの点、どうなっているのでしょうか、判りません。
 白人と私たちの、死や遺体についての、気持ちの持ち方が違うのでしょうか。
 私はお会いしに赴きたいとは存じません。公開してはいないでしょうが、そんな気持ちには為りません。せいぜい、おん前で拝礼するくらいですね。日本人はどうも、いやだと存じます。現在の墓地にはそんな思いや感情はありませんが。むしろお名前や、戒名とやらを読むのは大好きで、よく侵入して散歩をしますが。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2008/10/11 11:13

 人工的に造成された、いわゆるエジプト型のミイラは又、別のお話になるようですね。


 瞑想の形で、(風習的手法で)埋葬されて、たまたまその死体がミイラ化しているものもあるようです。
 インドの幾つかの実例では、偶々発見されたそれがミイラ化しないでいて、甦生したということです。その他があります。
 先の大和屋竺(あつしだそうで、お互い高校時代に説明を本人から)の映画のものは、このインドの話に近いです。
 そういう風習もあったとのことです。
 即身成仏は、こういう生きながら、瞑想して埋葬されるというのとは違い、生きていて、仏様となっているお方でしょう。意味が違いますね。
 私の精進している団体のグルはもちろん、1953年マハ・サマディに入られ、肉体ではおられないが教えを通してお導き下さっていると存じます。ご自分がここの世を出ること、時期を(同意を以って)認識し、一定の方式でサマディに入られるのです。それは最後の呼気とともに、肉体から意識として出て行く行です。これをマハ・サマディと申しております。
 そうして残されたご遺体は今も地上でご生活のときの、ご様子のままだそうです。
 意識を以って生まれ、生き、出発することができることは人間としては、究極的、すばらしいと私は存じます。
 一種のミイラ化なのでしょうが、ご相貌も何も変わっていないそうです。本部にご安置申し上げておられるそうですが、私は飛行機も舟もいやなので、一度も拝しにいっていません。
 中村元というお方が、そんなことをまじめに信じている人がいるとはまことに珍妙だとか仰せらしいですが、別に皆さん信じる必要なく、拝することが可能だそうです。
 まぁご甦生のご意志はないと存じますけれども。
 http://www.yogananda-srf.org/
 (お話したグル(先生)はパラマハンサ・ヨガナンダです)

参考URL:http://www.yogananda-srf.org/
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
即身成仏という考えはインドあたりから日本に伝わったのかもしれませんね。
もちろん、中国を経由して、と言うことになるかと思いますが。

お礼日時:2008/10/11 11:11

多武峰の増賀は『本朝高僧伝』によれば、法華経を唱えたまま寂し、その遺体は荼毘にせず埋葬した。

遺言に従い三年後に廟を開くと生前そのまま姿だったとありますが、これは大師入定信仰と同じパターンの伝承で、死んだのではなく永遠なる瞑想に入ったという一種の人神信仰の形態です。
つまり概念が重要であって死体そのものは問題ではないのです。
空海は『続日本紀』に淳和上皇から使者を送ったが荼毘の手伝いに間に合わなかったことを惜しむ弔文があります。
>水銀で死体腐敗を防止して云々は所詮珍説妄説の域を出ないものです
というのは、上記の事実からして遺体を保存する意志があるのなら荼毘にする必要性はないことや、高野山の教授陣もそんな説を立てる人はいないし、おそらくは高野山の鎮守が丹生明神であるところから丹生=水銀から連想されたものでしょう。それも空海、真言宗のいうところの即身成仏思想と、江戸末期に作られた即身仏との混同より生まれたものかもしれません(高野山の丹生信仰は水銀ではなく、水神信仰の形態という説も学びました。水銀としても当時は朱塗りの原料としての需要でしょう)。
ただし、珍説というのは空海が水銀でミイラになったという説に対してのことですが、言葉足らずだったかもしれません。

ただし、全身舎利信仰といい、荼毘にした遺骨を砕身舎利というに対し、荼毘する前の聖者の遺体を全身舎利として信仰するというものもあります。高野山金堂裏には琳賢の全身舎利の肉眼が祭られています。

また山岳信仰では死の穢れを忌むところからも、死んだのではなく瞑想に入ったのだという概念が重視されたとも聞きました。かつての高野山では、僧侶の遺体は禅定の姿で納棺して埋葬するならいだったといいます。
ミイラに加工して即身仏として信仰対象にするというのも、これらの入定信仰、舎利信仰、捨身信仰のかなりグロテスクな展開でしょう。
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この回答へのお礼

何度もありがとうございます。
yuhkoh様のお考えは大体分ったと思います。

図々しいですが、あと2点聞いてもいいですか。

(1)即身仏という言葉は空海が入定したときにはなかったということですが
それでは即身成仏と言う言葉の初見はいつなのでしょうか。
(2)yuhkoh様は日本の即身仏の習慣はいつから生じたと思いますか。

お礼日時:2008/10/09 23:46

質問者さんは即身成仏と即身仏を混同している感があります。


即身成仏という密教の概念で、現世でこの肉体を持ったまま成仏する。つまり覚者(仏)となる。あるいは仏と合一するという考えです。
弘法大師空海のいう即身成仏とは、このような真言宗における成仏論です。

高野山奥之院は弘法大師の廟所であり、正史に基づけば荼毘に付した遺骨が安置されているでしょう(釈尊は荼毘されています。当時僧侶は釈尊に習い荼毘されることが多いです。大師も同様でしょうね)。大師は晩年に病気を煩い、穀絶ちなどの食事制限をして、高野山で静かに瞑想を行いながら死への準備に入っていたでしょう。
水銀で死体腐敗を防止して云々は所詮珍説妄説の域を出ないものです。

大師在世当時に(現在いわれるような)即身仏なるものは存在しませんし、そのような言葉もありません。

後世に弘法大師は奥之院で生前姿のまま瞑想されていたという伝説が生まれますが、これは山岳霊場を開いた者はその山の神霊と同格であるという、日本古来の神観念と融合した「信仰」です。よってこれを事実とするのはナンセンスなことです。重要なことはなぜ史実とは異なる信仰が生まれたかということです。

入定は「定に入る」、つまり瞑想状態となることですが、そこから転じて高僧や行者の死を、肉体は死んでも精神は永遠なる瞑想に入っているとする入定信仰が生まれ、また彼らの墓地も、石室形式で遺体を座らせる、あるいは遺骨を収めて埋葬します。別段、遺体を保存することは重要ではなく、瞑想しているという観念が大切なのです。中には偶然的にミイラ化したのもあったでしょう。ただし高温多湿な日本ではまれなことでしょうが

行者の中には滅罪や、他者の苦しみを自身が請け負うという代受苦の信仰から人身供養といい、一種の自殺ともいえる修行が行われます。火生三昧や入水往生、崖から飛び降りる捨身などで、その一つに断食もあります。こういった例は中世の説話や縁起などでもよく取り上げられますが、質問の「即身仏」は江戸末期の人工ミイラです。
つまり人工的に作り上げた行者の遺体を礼拝対象とするのは、極めて日本の信仰観とは異例なものです(日本では死の穢れから遺体は速く消滅させて、その霊魂を祭ることが重視されるからです)。

仏教民俗学を大成され、修験道・民間信仰研究の第一人者、五来重先生は『山の宗教』で、遺体の内蔵を取り、天井につるして煙でいぶすという燻製さながらの即身仏の作成方法を紹介した上で、このような猟奇的な見せ物を行わないともはや信者の心をつなぐことができなくなった、江戸末期当時の修験道の荒廃を指摘しています。

重ねますが、弘法大師空海や真言密教の即身成仏と、いわゆるミイラの即身仏は別物です。混同しないでください
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この回答へのお礼

丁寧な説明をありがとうございます。
おっしゃるような意見は聞いたことはあります。
なるほど、奥の院には遺骨が安置されているのかもしれませんね。
(1)>水銀で死体腐敗を防止して云々は所詮珍説妄説の域を出ないものです
についてですが、
なぜ珍説妄説の域を出ないといえるのですか。

(2)>大師在世当時に(現在いわれるような)即身仏なるものは存在しませんし、そのような言葉もありません。
はそうかもしれません。
しかし、そうであればANo.2さんがおっしゃるように
1003年の増賀、1096年の唯範などが即身仏となったのは
どこから影響を受けたものなのでしょうか?

お礼日時:2008/10/09 18:22

 寡聞にして、ANo.3の拙回答での、大陸や半島の伝説、また歴史学では聞き及んではおりません。


 彼らの宗教的ありようでは、そういう次元には意識があまりいっていないのではないかとも存じます。
 広い地域ですし、聊齋志異や志怪などには類似の話はあるかもしれもせん。
 それ以上の、回答が今は私にはできません。私も、自分の脇の関心でして。あまり深くはしておりません。
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この回答へのお礼

わざわざお返事を下さり、ありがとうございます。
そのあたりのことはよくわかっていないのかもしれませんね。
いろいろと教えて下さいまして感謝しております。
参考になりました。

お礼日時:2008/10/09 12:59

jada samadhiという記事は私の本にありました。


 それから、入定、禅定ということばでも検索になります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2008/10/09 11:30

横レスでごめんなさい。


空海が即身仏になった、もしくはなろうとしたというのは、「金剛峯寺建立修行縁起」にみえる記述が初めてで、これは968年に書かれた文献です。しかし空海はその133年も前、835年3月21日に死去しています。そしてなにより、その死んだ年の十月に弟子の真済が、「空海僧都伝」を著しており、病死したことが述べられています。また「続日本後紀」には火葬されたと考えられる記述もあります。空海は病死して火葬されたというのが実際のようで、即身仏うんぬんはあとから付会された妄説と考えてよいでしょう。最近は夢枕獏さんなどの小説に空海の即身仏が出てきますが、あくまでもあれはお話とかんがえるべきです。

なお、即身仏そのものは江戸時代以降のものしか現存していませんが、平安時代から(1003年の増賀、1096年の唯範など)あったことは確かなようです。このあたりは、法蔵館刊「日本のミイラ信仰」内藤正敏、1999、に詳細が載っています。
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この回答へのお礼

横レスなんてとんでもない。
とても役に立ちました。
確かに空海は火葬されたという話も聞いたことがあります。
では、奥の院には何が安置されているんでしょうね。
それとも何にもないのかな?
空海が高野山を欲したのは、高野山に水銀の鉱脈があるからで
木食するのは水銀土壌で育った木や木の実などは
高濃度の水銀を含む、それを摂取することで死後腐りにくい体に
なることを目指したのだと聞いたことがありますが
即身仏になろうとした、とは考えられないのでしょうか。
本の紹介も下さりありがとうございます。
読んでみることにします!

お礼日時:2008/10/08 09:47

(1) 「即身仏になること」が盛んになったのは江戸時代になってからのようです。



(2) 道教の概念である「仙人」というのは、人為的な餓死者である即身仏と似た性質を持ちます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%99%E4%BA%BA
江戸時代の宗教というのはゴチャマゼですから、道教の神仙思想が影響した可能性はあるでしょう。

即身仏については、
「日本のミイラ仏をたずねて」
http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/19780222
が詳しいです。

即身仏というのは
「宗教心が非常に高く、修行を積んだ高僧が、信仰の最終結果として即身仏になることを選んだもの」
と考えられがちですが、上記の本を読むと事実は違うことが分かります。

現存する、あるいは現存しないが詳細が伝わる即身仏は、ほぼ全てが正規の僧侶ではない「行人」のものです。行人というのは、簡単に言うと「山岳仏教の寺院の使用人」です。即身仏になった人の生前について読むと「一般人であったが、罪を犯したことを悔いて仏門に入り、即身仏になった」という例がほとんどなのですが、これは
「重く罰せられる犯罪を犯しても、寺院に逃げ込んで『いずれは即身仏になる』と約束すれば寺院に庇護される」
慣習があったことを示します。

そのような「仏門に帰依した元犯罪者」は、「行人」となり、寺院で雑用をしながら即身仏になるのを待つわけですが、実際問題として即身仏になるのは極めて苦しいことであり、「重罪人として処刑されるか、寺院に入って即身仏になるか」の二者択一が成立するくらいに苦しいことで、普通の僧侶は絶対やりたくない行為であったようです。

そして、即身仏が寺院にあるとないとでは、参詣人の数、お布施(寺院の収入)の額に大差があったため、今の山形県を中心とする地域の山岳仏教の寺院は、なるべくなら自らの寺院に即身仏を欲しいと願っていたようです。

即身仏になる手順を踏み、準備が整った段階で地中に埋められたが、あまりの苦しさに地中から脱出して逃亡した「即身仏になる寸前の行人」も存在したと上記の本に書かれています。

ただ、明治維新後は即身仏になることは新政府により禁止されたのですが、その禁を潜り抜けて即身仏になる「念願を果たした」人が確か1例だけ存在します。この人は、自らの強い信仰意志のみによって即身仏になったもので、上記のような「犯罪者が即身仏になる条件で寺院に庇護されていたもの」とは一線を画します。この人は「生前の写真が残っている」唯一の即身仏でもあります。

詳しくは、上記の本を読んで下さい。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!
とても興味深く読ませていただきました。
即身仏が広まったのは江戸時代とのことですが
空海は高野山の奥の院に入定したといわれていますね。
空海が即身仏になろうとした日本で最初の人物なのでしょうか?

お礼日時:2008/10/07 16:37

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まさか現在する人はいないとおもいますが、するとしたら違法になりますか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 密教では「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」を説きます。これは“この肉体を持つ一切の衆生が、この身、このままで、即座に成仏する”という思想です。ちなみに成仏というのは、「悟りを開く」という意味で、仏教の最終目標ともいうべきものです。密教以前の仏教は“生まれ変わり、死に変わりして、長い、長い時間をかけて成仏する(「三劫(さんごう)成仏」)”という考えです。
【『密教21フォーラム』「即身成仏」-「成仏」と「万人の救済」の両立】
http://www.mikkyo21f.gr.jp/concept_key_joubutu01.html

 ご質問の「即身仏」は、この即身成仏という教えを江戸時代の行者が誤解・曲解し、高徳の行者の遺体をミイラ化して“仏”としてお祀りしたものです。しかし、現代ではこの即身成仏と即身仏を混同し、“即身成仏はミイラになることだ”と勘違いしている節もあるように思いますので、誤解なさらないでください。

 即身仏が生まれた背景には、“弘法大師(空海)は死んだのではなく、高野山で永遠の禅定(ぜんじょう/瞑想のこと)に入り、人々を救済している”という「大師入定(だいしにゅうじょう)信仰」や、山岳信仰では“山で修行する行者は、厳しい行を積み重ねることにより神仏と等しくなる”という「人神(ひとがみ)信仰」などの影響が考えられます。
 古くから日本では、罪を犯すことにより災いが引き起こされる。だから災いを鎮め、幸いを望むためには、まず罪を償うことが必要であるという信仰があります。それらの古代日本のさまざまな信仰と神道や仏教、道教・陰陽道などが融合して「修験道」というひとつの体系化した教えが生まれました。
 修験道では苦行を重視しますが、これは自己の滅罪のためと、さらには他者が犯した罪によって受けるべき苦しみを、行者が成り代わって苦しみを受けるという、「代受苦(だいじゅく)」という信仰があります(ここでの「罪」とは社会的な罪だけでなく、倫理的・宗教的な罪が含まれます)。 つまり、行者が修行によって受ける苦しみは、本来は他者が罪の償いとして受けるべき苦しみであるが、それを行者が成り代わって苦しみを受けている。そのことにより、他者の罪が償われて幸せが訪れる。苦行にはそのような面があり、また信者も苦行を積んだ行者はそれだけ験力が大きいと見なしました。
 そのような自己の滅罪と代受苦から、最終的には“自らの命を絶つ”という「捨身(しゃしん)」という修行まで生まれました。この捨身には仏教で説く自己犠牲的な供養、つまり『法華経 薬王菩薩本事品』の焼身供養、
http://homepage2.nifty.com/honkoujipriv/mh_yakuoubosatuhonnjihon23.htm
『金光明経 捨身品』の捨身飼虎(サッタ王子が飢えた虎を救うために自らの肉を食わしたという故事)、『涅槃経 聖行品』の捨身羅刹(雪山童子が一切衆生を救う教えを聞くために、自らの肉を羅刹に食わせることを約束したという故事)などが知られていますが、この様な思想の影響も受け、大自然に己の生命を捧げるために投身、焼身、入水、断食などが行われました。
 ご質問の即身仏ですが、生きながら土に埋められるまでの過程は、それまであった捨身修行ですが、問題はその遺体をミイラにして祀るということです。仏教民俗学者の五来重先生は『山と宗教 修験道』(淡交社)で、出羽三山の即身仏は“病死した行者の遺体を、天井に吊して煙でいぶして作った”という当時の記録を紹介し(なお、それを記録した行者はあまりの恐ろしい光景に、「即身仏になることを止めた」と記しているそうです)、“こんなグロテスクなミイラを「仏」と称して見せなければ、信者の心をつなぎ止めることができなくなったという、修験道にとっては末期症状の信仰である”と厳しい意見を述べられています。

 密教では「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」を説きます。これは“この肉体を持つ一切の衆生が、この身、このままで、即座に成仏する”という思想です。ちなみに成仏というのは、「悟りを開く」という意味で、仏教の最終目標ともいうべきものです。密教以前の仏教は“生まれ変わり、死に変わりして、長い、長い時間をかけて成仏する(「三劫(さんごう)成仏」)”という考えです。
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