出産前後の痔にはご注意!

なぜ柴田勝家が浅井長政の妻であったお市の方とその子供2人を養ったのでしょう。どなたかお教え下さい。

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A 回答 (5件)

お市の方が勝家に嫁いだ


理由は、織田信長が
本能寺の変で明智光秀に
謀反をおこされその後に
山崎の戦いで羽柴秀吉が
明智光秀を破り、
勢力をつけてきたため
お市の方は秀吉に対抗すべく
勝家に嫁いだとされてます。

分かりにくかったら
すみません(ノ_・。)
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今更感がありますが、お役な立てれば…





同時、信長の死後は織田家の正式な跡取りはなかなか決まりませんでした。
信孝(?)が烏帽子親の勝家を頼り、秀吉は以前に養子としていた信長の子を盾に権利を手に入れようとしたと言われています。
その時、信孝は市が長政死後に出家していなかった事に着目し、勝家に手土産のような扱いではありますが、市を与えたという説があります。 (戦国時代の頃の女性は主人亡き後は出家して夫を弔う場合が殆どでした)


秀吉は市を狙っていたらしいですが、市と長政の子を小谷城落城にあたり、秀吉に殺害されているので秀吉には靡かなかったと言われています。


だから、織田家存続をかけて勝家に嫁いだって見方もされています。
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政略的な理由は、先の回答者さんが答えていらっしゃる通りです。



ただ、ひょっとしたら質問者さんは、再婚・・・しかも「敵将のこぶつきのお古を・・・」というところに、引っかかってますか?
(違ってたらスミマセン)

もし、それなら・・・
日本人が、「バツイチがよくない事」という認識になるのは、江戸時代に入って儒教の教えが広まってからです。

それまでは、女性の結婚の回数はまったくリスクにはなりませんでした。(ルイス・フロイスが驚いたようすで、母国に報告してます)
むしろ、高貴な血筋の女性を嫁に取ることは名誉な事で、主君の愛人の女性を貰い受けるなんて事でさえ、人に自慢できるくらいでした。

勝家にとって、やはり、織田家の家臣から家族になる事のメリットのほうが大きかったんだと思います。
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この回答へのお礼

ご丁寧なご回答ありがとうございました。
よくわかりました。

お礼日時:2008/10/13 20:49

お市にしても濃姫にしても織田家の女性については詳しい記録がないため


後の時代に作られたいわゆるお話というのが今に伝わっているので
真実は分からないというのが答えでしょうか。
市は浅井長政没後、信長に庇護されていたとようですから、信長亡き後、
娘(3人います。徳川秀忠夫人、京極高次夫人、淀の方)たちを守るために
庇護者が必要だったのでしょう。織田家の跡取りが決まらない状況下で
織田家筆頭の老臣であった柴田勝家を頼ったのは妥当な線だと思います。
この時柴田勝家は60歳近く、市は40歳前ですから、再婚とはいえ
年齢的には結婚するような年齢ではないですよね。
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織田信孝の政略


織田家と柴田家との紐帯を強め、羽柴秀吉に対抗するため。
最近は、秀吉が勧めたという説もある。
勝家とすれば、婚姻によって主家である織田家の一員になれることにより、発言権が強まることが期待されます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/北条綱成
もともと養子に入っていましたが主君の娘をもらうことで一族扱いになっている人。このような例は戦国時代に多いようです。
毛利家では
http://ja.wikipedia.org/wiki/宍戸隆家
元就は、娘婿を一族扱いするようにと遺言し、江戸時代に入っても一門筆頭となっています。
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この回答へのお礼

ご丁寧なご回答ありがとうございました。
よくわかりました。

お礼日時:2008/10/13 20:48

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