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江戸時代(得に後期ごろ)の江戸の一般庶民は能楽についてどの程度知っていたのでしょうか?
「能の謡」が流行したということは色んなところで解説されているのですが、
まず「のうがく」という言葉自体やどんな内容であるかということをそもそも知っていたのでしょうか?
とても気になっています。ご教授お願いします。

A 回答 (3件)

江戸時代の庶民は能楽(当時は猿楽といった、能学になったのは明治


より)自体より能楽の歌謡である謡曲を教養として学び(なぜ謡曲だけが独り立ちし武家 庶民まで流行し多くの謡本が出版されたかは不明)
かずかずの謡本が出版された、
しかしこの謡本の流行により庶民の関心が薄かった能本体への関心も広まり江戸城内で開かれた「町入り能」「勧進能」は庶民に開放され
盛況であったといわれています、
結論として庶民は謡曲 謡本に関心があったが能楽にはあまり関心が
なかったしよく理解していなかった、江戸では猿楽といっていましたが
もともと「散楽」といい滑稽芸であり「猿」を連想させ発音からも

7つのURLを総合するとこんな感じになりました、

お役に立てば幸いです
「散楽」が「猿楽」に変化していったのではないかといわれています、
もちろん庶民はこのような経緯はまったく知りませんでした、


に変化した

参考URL:http://www.fwu.ac.jp/la/Utaibon.htm
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この回答へのお礼

なるほど、こちらのURLを参考にすると本当に「謡」のみが広がっていたとよくわかりますね。
この回答を足がかりに自分でも調べる幅が広がりました。
適切なご意見有難うございました!

お礼日時:2008/10/11 14:47

江戸時代「御能拝見」がありました。


平常能を見る機会のない町方の者の為、江戸の古町の町人に限り江戸城内で将軍、大名の見る能を共に見る機会を与えたのです。
町人は朝と昼の2回に分けられ各約2500人と伝えられています。
町人でも中流以上の者は能に関心も知識もあった事は確かです。
ただ芝居や猿楽のようにふだんは見られなかっただけです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました!
きっと能を観劇できたということは一大イベントだったのでしょうね。

お礼日時:2008/10/13 14:30

能が世界遺産に指定されたことは、放置すれば衰亡の


危機にあること考えられた、からでもありましょう。

一般庶民は、能楽について、【知る】ではなく【楽しむ】が
適当な表現です。
物語の言葉の意味を理解しなければ、楽しむことが出来ません。

所詮、能楽は芸能ですから、観客が楽しめればよいことで、
観客が多くなれば、盛んになることです。

昔の一般庶民の知的水準を侮ってはいけません。現代より
遥かに高かったのではないかと思われます。特に言葉と
文字の水準は、現代を凌駕しているのではないでしょうか。

現在、高校全入がほぼ実現してからの一般庶民の知的水準が
急速に衰えてきたように感じます。

学校教育が、徒弟制度より、優れているとの錯覚の結果
でしょうか。
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この回答へのお礼

たしかに、「謡」が流行したということは
昔の一般庶民は内容をはっきり理解していたということで
能楽を「楽しめた」のでしょうね!
ただ実際に目にする機会が少なかっただけで…

こちらの回答で新しい切り口がみつかりました。有難うございました!

お礼日時:2008/10/11 14:50

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