プロが教えるわが家の防犯対策術!

通州虐殺事件が、支那事変のそもそもの原因だと言う人がいます。
つまり、日中戦争は日本の侵略ではなく、自衛だったと・・・
しかし、多くの首相は、過去日中戦争を侵略戦争としてお詫びしています。
近衛首相の優柔不断さが支那事変を起こしたという人もいます。
これはどういう意味でしょうか?

実際は、侵略戦争なのでしょうか?
それとも自衛戦争だったのでしょうか?
そして、侵略戦争だったとすれば、その理由、
そして近衛首相の責任はありますか?
以上よろしく「本当の正解」をお願い致します。

A 回答 (20件中1~10件)

 誰もコメントしていないのに、質問が締め切られないのは私のコメントを求めているということと理解して、この参考意見を最後とします。



 教えてGooのサイト運営の方針に従って、私は質問にお答えしますし、私の回答に大きな誤解があると思われる点については、「回答」がきちんと伝わっていないということで、コメントさせていただいています。

 私自身が質問者として、あなたの意見・見解を求めているのではありません。
「不快な気持」は持っていませんが、このサイトの運営趣旨から離れた質問者の意見展開に「当惑」しています。 
    • good
    • 0
この回答へのお礼

どうも有り難うございました。
済みませんでした。今後は気を付けて活用したいと思います。
どうもいろいろと有り難うございました。感謝です。
大変参考になりました。

お礼日時:2008/10/29 23:37

 キリスト者としての立場から物事を考えるのでしたら、もっと聖書に基本を置いたほうがいいと思います。


 私の認識とあなたの認識の相違点を以下に記載します。
(私は論争するつもりはありませんし、あなたの認識に変更を求めているのでもありません。。論争はこのサイトでの禁止事項です。私の回答の重要な点に理解の違いがあるようなので、その点について明確にするために、記載します。)

1.政教分離について
<人類歴史とは、そういう「政教分離」というような最近できた理論理屈でのお話では無理があると思うのですね。>

 マタイ伝に「カエサルの物はカエサルに、神の物は神に納めよ。」という有名な言葉があります。使徒行伝に記されている弟子の行動も、「政治にかかわらない」という姿勢が強く、政教分離はキリスト教団成立時の重要な要素と思います。

 後に、キリスト教団がローマ帝国社会の中で大きくなって大きな存在となったとき、政教分離であった教団がローマ帝国の崩壊とともに、政治的要素が強くなっていったと私は考えています。

2.民主主義精神の成立
 民主政治の基本は、ギリシャ・ローマ時代に作られ、千年近い間にその精神が育てられました。(当然、キリスト教成立以前です。)ですから、民主主義はキリスト教とは基本的に関連なく生まれています。

 現在の西欧民主主義は、ルネッサンスによる自由な考え方や人間重視の姿勢がその底流にあります。
 ルネッサンスは、中世キリスト教規範からの解放によって、人間の文化的活動が活発化したのですが、そのときキリスト教の影響を受けていないギリシャ・ローマの文化が再び脚光を浴びよみがえったのです。(ルネッサンス=再生)
 この自由な文化活動を許容する時代精神のもとで、民主主義の精神も人々に再び知られることとなりました。

3.宗教は「道具」であると言っているのではありません。

 政治の世界に宗教倫理を持ち込むのは、宗教を政治の道具にする行為だととらえています。(もしくは、政治を宗教の道具にする行為)
 宗教倫理をを政治の世界に持ち込むという、宗教を道具にする行為をすべきでないと言っているのです。そのために、宗教を政治の道具にした過去の例(=結局失敗に至る)を列記したのです。
 
 カエサルのものである政治の世界に宗教倫理を持ち込むのは「神の名前をむやみに口にする」行為であると考えています。

この回答への補足

どうもご丁寧に有り難うございました。
私も論争を何もするつもりで書いたのではありませんので、
もし少しでも不快なお気持ちになられたのでしたらどうか
ご容赦下さいませ。ついつい力が入ってしまうもので・・・
貴殿が最初に書いてくださった内容は私にはとても価値ある
内容で為になりましたことを、改めてここでお礼申し上げます。

私は、宗教は「心」の立場、政治は「体」の立場だと思っています。
かつてアインシュタインがそのようなことを言われたと記憶しています。
正確には覚えていませんが、宗教なき科学は不具であり、科学なき
宗教は盲目である・・・だったでしょうか?
間違っていたらごめんなさい。

つまり、科学と宗教または政治と宗教がからみあうとろくな事がないから、
政教分離なんでしょうね。しかし、本当はね・・・
宗教と政治が一つにならないといけないんですよ。
心と体が分裂したのは、堕落の結果なのです。
人間が堕落したので、分離しているのです。
対立関係になっているのです。
自然界は堕落していないので、民主主義的な集団は一つもありません。
そのような社会は動植物界には、まったく存在しません。
なぜでしょうか?本然の姿ではないからです。
王国体制なのです。本当は・・・・これが理想なのです。
人間世界も。しかし、ローマンカトリックが腐敗し、共産主義の
温床と化し、神様の立場で親の立場でなければならないはずの
国王が法王に屈服できず、国民を虐げてきたので、専制君主体制が
崩壊して、苦肉の策として、神様は、民主主義という過渡的な
体制を取りあえず人類に与えて、主権を国民に置いてあるのです。

ですので、宗教と科学 また、宗教と政治 外交と軍隊
何でも当てはまりますが、とにかく、それらは、対立関係ではなく、
相対的関係としていつかは神様の創造目的を中心として
一つにならないといけないと私は信じております。
なぜなら、神様は実在するからです。

>キリスト者としての立場から物事を考えるのでしたら、
>もっと聖書に基本を置いたほうがいいと思います。
と貴殿は仰ってくださいました。確かにそうでしょう。
そのように思われるかも知れません。しかし、それは、
神様が実在していると信じていらっしゃらない方のご発言なのですね。
あなたは、神様が実在すると思われますか??
信じる信じないの前に、実在するか実在しないかいずれか一方
でしかないのです。それが科学であり、現実なのです。
神様が実在してこの森羅万象の宇宙を創造されたのが事実ならば、
宗教は科学なのです。
そのことを是非どうか分っていただきたいのです。
もし、神様がDNAの暗号レシピをお作りになられたのなら、
神様は最高の科学者なのです!!!

もう少しまた過激に言いましょうか?(笑)

もし、神様が実在していらっしゃると仮定して下さい。
そうだとして、神様を信じない自由を認めていては、
それは、「人を殺すのも自由である」というのとほぼ同じなのです。
分りますよねっ?自由には責任があるのです。
貴殿は、人を殺すことは善だと思いますか?悪だと思いますか?
ここで、もし、どちらでも無いと貴殿が言われるのならば、
貴殿は、無神論者なのです。
責任のない自由はないのです。神様を信じない自由は無いのです。
本当は・・・人を殺す自由が悪であるのと同様にです。
だから、共産主義は「悪」だと私は断言しているのです。
なぜなら、神様は実在していらっしゃるからです。
悪は滅びなければなりません。
それは「勝てば官軍」「勝った方が善!」みたいな
無責任なお話では決してないのですね。
それでは、どうも失礼いたしました。感謝です!
もうそろそろこの質問も勝手ながら
閉じさせていただきますね・・・!

補足日時:2008/10/23 23:04
    • good
    • 0
この回答へのお礼

どうも有り難うございました。
貴殿は相当いろいろなことをお勉強されていますね。
大変勉強になりました。どうも本当有り難うございました。

お礼日時:2008/10/23 23:06

 歴史的に政治を見る場合、その当時の社会をしっかりと知らなければなりません。


 特に「宗教」と政治が絡む場合、特に注意をしなければなりません。(宗教の信じるという大前提が、政治の道具になりやすいからです。)
 深い信仰心のあるあなたの場合、「宗教」を離れて、物事を見るということは、かなり大変かもしれませんが、宗教を離れて以下の文を読んでください。

A. 歴史における宗教と国家の一般論とその例
 ある国家で、特定の宗教が国民の大多数を信者にしていて、政治的な立場が複数ある場合、政治家が国家の政治的統一を演出する時には、国民共通の倫理基盤である「宗教」を利用するケースが多いのです。
(民族国家が基準になっている現代の世界政治体制では、同一民族の大多数が同じ宗教を信じていることが多く、よく見られるケースです。)

例1. キリスト教が社会の心的基盤を形成していた西欧の場合、支配層は王権をサポートするために国民の宗教心を利用し、「王権神授説」を流布しました。
 市民革命が起きて王様を排除した共和制ができても、依然として「王党派」がある一定の力を持っている状況で、新しくできた不安定な政権が、政権の存立基盤をいまから確立していく過程で、「教会」を否定することがありえたかどうか、考えてみてください。
 宗教的には、キリスト教を積極的に肯定して、王権神授説と対等な立場なのです。教会を敵に回して政権は存続しません。

例2. アメリカの中でも、昔からのヨーロッパ系移民が社会の大多数を占めている中部諸州では、キリスト教の信仰と相いれないという理由で
・妊娠中絶手術を認めない
・学校で「進化論」を教えることに反対
という人が、5割程度います。

 現在よりはるかに宗教心の強かった時代の独立当時のアメリカの人に受け入れられる様に作られた合衆国憲法には、当然キリスト教的精神が反映されています。

例3.イランや中近東のようにイスラム教が社会の大きな規範でそれ以外の規範が脆弱な場合、とりあえずイスラム教的なものを基盤に政治システムを構築するしかありません。イスラム国にキリスト教倫理に基づいた政権を構築することは、困難を極めます。

例4.日本の明治維新の場合とドイツ
 江戸時代を終わらせる内戦を行った上、ともに戦った諸藩でも別の国の人間(薩摩人・長州人・土佐人・・・西南の役や佐賀の乱など地域の反乱もありました。)という意識が蔓延していた明治初期、欧米列強の弱肉強食国際社会にさらされることとなった日本では、ナショナリズムを演出し「日本人」という意識を国民に根付かせ、心理的にも統一国家としなければなりませんでした。

 ドイツ帝国成立(1871年:明治4年)
 プロイセン王国を中心に、ばらばらだったドイツ諸国が集まり、1866年に北ドイツ連邦をつくりました。そして、それが帝国として一体化し、強い皇帝権と強力な軍事態勢でもとで、先発のイギリス・フランスを追い上げ急速に国力を増しました。

 この分裂国家から強国への変身という「ドイツの成功」を、伊藤博文は分析して帰国したのです。

 ドイツが強国になれたのは、国民の心の統一が短期間にできたからで、それにはもともと「キリスト教」という統一された心の基盤があったからであると理解したのです。

B. 現代政治と宗教の関係
 民族統一国家が出来上がるまでは、その民族に普遍的な宗教というのは、国家統一の非常に有効な手段として機能しました。
 ところが、現代社会においては、経済が世界規模で一体化(第二次世界大戦までは、広大な支配地を持つ欧米列強の場合、経済システムを一国の政治支配圏の中でほぼ完結させる「ブロック経済」が可能だった。)したため、どのような政治体制も宗教も、全体を統一する道具としては不適当となっています。

 もし今の日本のように、卓越した宗教信仰が存在しない社会において、宗教的倫理を普遍化する場合、「どの宗教を基本にするか」という問題が存在し、かえって政治的混乱を招くでしょう。
 欧米の憲法よりはるかに新しい、「日本国憲法」に規定された国家と宗教の関係は、今の日本社会にとっては妥当と思います。

 第20条 
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
 
 社会一般に通用する倫理がないからと言って、今すぐそれを作り上げるために誰かがそれを決めて、トップダウンで作ろうというのは問題が多発するでしょう。
 個人が、その信じるところによって活動し、普遍的なものが多くの人に受け入れられて、ボトムアップで社会の規範となるしかありません。 各個人が個人の考えのもとに実践する一つに、宗教的実践があっても、もしそれがボトムアップで多くの人に受け入れられるなら問題はありません。

 アメリカがイラクで、民主主義の実践を唱えても、現地に住む多くの人がキリスト教国のイスラム支配ととらえるケースと、マザー=テレサが異教徒の国でキリスト者として実践して受け入れられることを比べてみてください。

 過去に宗教がボトムアップで何百年もかけて地域社会に根付いていったように、数世代・100年以上かけて実践を通して新しいものが出来てくることを、私は期待します。

 新しい社会倫理が育つまでの空白期の不安定さから、古いものを強力にしてトップダウンで支えようという思いは、過去の歴史でも多く見られました。(結果論でいえば、ほとんど失敗しています。)
 
 私には、普遍的倫理不在の現在の日本に、「キリスト教的倫理」や「民族主義的倫理」を普遍的なものにしようという主張も、その人の信じる倫理を普遍化するべき最良のものと規定して、トップダウンで日本の倫理基盤しにようと言っているように見えます。

(社会変化が激しすぎて、新しいものが出来ても、育つ前に別の社会環境に変わってしまい、新しいものが古くなって別の新しいものが生まれてくるという繰り返しで、今のところどのようなものが育っていくのか全く見えないようですが・・・)

<参考>中国・韓国
 分裂国家である韓国=北朝鮮、中国=台湾の場合、国家統一を目指すなら、内戦を戦ったという記憶を封印し、共通の認識を現実のものとして強調して、国境を越えて意識統一を図らなければなりません。

 中国・朝鮮に普遍的既存宗教があって、国境を越えた意識統一を演出するだけの力があれば、国教として宗教を利用することも可能でしょう。
 しかし、現実にはそのような宗教はありません。中国の仏教はかなり有力ですが、国家に普遍的な倫理規範となるほどの広がりまではないようです。(また、仏教は平和的すぎて利用した後の対応に困ることもあるようです。)

 そのため、中国・韓国では民族共通の「最近の支配された歴史」を客観的過去の歴史とせずに、最近あった「現実のような生々しさ」を演出して、「統一された民族国家の時代」と対比し、民族統一の感情を作り出す民族主義政策を取っています。

 このようなトップダウンは、目先の目的に対して使用する「劇薬」(外交より内政を固定的に優先する政策。日本と外交問題を引き起こしても、統一を優先する。)で、国家統一後は使用しないほうが得策であることは言うまでもありません。
 経済がグローバル化している現在では、「民族主義」は他国との関係を強化する上で、障害になりかねません。

この回答への補足

どうもです。制限があるので、単刀直入です。
貴殿の話を聞いていると、国家を維持するために宗教を利用してきたと言う観点
からのお話が多いようなのですが、人類歴史とは、そういう「政教分離」という
ような最近できた理論理屈でのお話では無理があると思うのですね。民主主義に
おいて、政教分離は常識です。私が、申しておりますのは、それでも、猶、キリ
スト教的な宗教が無かったら民主主義は育たなかったということなんでございま
す。「「基本的に民主主義政治と宗教は相容れない」というものです。」とおっ
しゃられたので、腑に落ちなかっただけです。つまり、民主政治は、宗教的基盤
がなければ衆愚政治に陥るだけだと言いたいのです!!今の日本の政治のように
です。おそらくは、多分、貴殿は、宗教は、国家的指導者や、時の為政者達が、
上手く国家を統治する為に意識統一に利用するのには必要であった・・・しかし、
今のグローバルな世界では、それはむしろ邪魔である・・・というくらいの重要
度でしかお考えに成られてないのかも知れませんね。政治理論・政治哲学では、
そもそも限界があります。
「道具」としてしか宗教を考えないとすれば、とんでもないことです。申しまし
たように、民主主義の要諦は、「基本的人権」です。人権という概念なくし
て、民主主義なし。国民主権よりも大事なのが、基本的人権です。その概念は、
特にプロテスタントのキリスト教的思想が顕れない限りは、起こりえなかったも
のだと言えます。キリスト教が、民主主義の生みの親です。ですから、「相容れ
ない」という考え方は少し違うと思います・・・国家権力が特定の宗教を支持し
てはいけないということであって、民主主義と宗教が水と油だという意味ではな
いはずです。
そして、神様は実在します。それが分からないと人類歴史が分からないです。
なぜなら、人類歴史は、神様の復帰摂理歴史だからです。人類救済の歴史だから
です。「善悪闘争」の歴史なのです。つまり、歴史には目的があるのです。その
ような、歴史に目的があるというような歴史観を持っている思想は、聖書と、唯
物史観だけです。だから、共産主義は恐ろしいのです。手強いのです。では、な
ぜ、歴史には目的があるのでしょうか?それは、人間に「創造された目的」があ
るからです。もし、人間に創造された目的がないのでしたら、「生まれながらに
持っている人権」なんていうものもありません。擬制でしかないです。尊厳もな
にもないのです。存在している価値が生来無いのですから・・・
当然ですね。このことがなにより大事なのです。

世界は、キリスト教を中心に2000年間動いてきたのです。なぜなら、歴史は、
神様の復帰摂理歴史だからです。つまり、堕落して、人類が、自己中心的な邪
心を持つに至り、良心(本心)と邪心が闘争するといういわゆる「自己矛盾」
した状態に陥ったのです。これを宗教では、堕落と言います。つまり、ホッブ
スは、自然状態を闘争状態と定義しましたが、それは、堕落後の自然状態なの
です。ホッブスはそれが分からなかったのです。堕落する前の状態があるので
す!堕落後が闘争状態で堕落前は平和な状態だったのです。つまり、神様の真の
愛を中心として、全てが為に生きるというような「相対的関係」になっていたは
ずなのです。アダムとエバが完成すれば・・・
完成する前に堕落したのです。そして、心と体が分裂し、そこから、夫婦・家
庭、氏族、民族、国家、世界・・・すべてがおかしくなりました。
本来の創造理想である人類一家族世界ではなくなったのです。
地上地獄になりました。四苦八苦の「苦海」となりました。

堕落したことにより、邪心により心がまず利己的になったので、心と体が、対立
闘争状態になり、さらには、すべてが対立関係になってしまうようになったので、
歴史は、常にその矛盾した心の現れとして、「善悪闘争の歴史」になってしまっ
たのです。それが、個人・家庭・氏族・民族を超えて国家次元にまでなった時、
「戦争」と言うのです。社会が矛盾しているのではなく、人間の心が実は、矛盾
していたのです。矛盾とは、本来の状態からはずれているから矛盾というのです。
そのような罪悪歴史の中で、神様は、善と悪を分立する摂理をなして来られまし
たので、戦争は、必ず、そのような形で行われます。すなわち、神様から見て、
より善の側とより悪の側とでです。長い目で見たら、キリスト教国家が勝利する
のはそのためです。そして、最終的には、世界的に善と悪を分立する摂理、すな
わちキリスト教的民主主義と唯物的共産主義との両陣営に分立するようになって
いるのです。これが歴史の必然です。トインビーが示唆したように、歴史は神の
摂理歴史なのです。(お礼につづく)

補足日時:2008/10/22 13:39
    • good
    • 0
この回答へのお礼

民主主義は、あくまで過渡的な体制です。歴史の目的は、創造理想である人類一
大家族世界まで到達しないとならないので、そのようなレベルまで、人類の心霊
基準が上がってこなければなりません。公共的な世界政府を模索するような良心
基準まで人類全体のレベルがようやく今や上がってきたのです。あと少しです。
神様の真の愛を中心とする絶対的な善の基準が、国家主権レベルで建つ迄は、戦
争は歴史の方向性をより善なる方向へ変える為「必要悪」として起こらざるを得
ないのです。これが戦争の本当の意味なのです。「国家主権」が問題なのです。
人類最後のリヴァイアサンです。ですので国家エゴを超えることが出来ない国家
主権は、神様から見たら、やはり、絶対的な善ではないと言わざるを得ないので
あります。だから、2000年前、イエス様は、まず神の国と神の義を求めなさいと
言われたのです。ではいつまで戦争は続くのでしょう?それは、絶対的な新しい
真理が再臨のメシアによりもたらされて「神観」が統一する時迄です。つまり民
族はそれぞれ自己中心的な自分達に都合の良い「神観」を今まで造ってきたので
す。なぜなら人類は、堕落により本当の神様が分からなくなったので信じるしか
ないのです。堕落しなければ親を信じる必要がどうしてありましょうか?ですの
で神観がバラバラなので宗教戦争も起こるのです。要は神がいかなるお方なのか
を完全に知っている方がこの世に現れない限り、「神観」の統一は有り得ないと
いうことなのです。その方こそすなわち創造本然の人間=再臨のメシア(第3の
アダム)なのです。完成したアダムです。聖書でイエスのことを「第2のアダム」
と書かれているのはそのためです。その方によりもたらされる絶対的な最終的な
真理により神観・歴史観が統一されたとき世界は統一されて人類一家族世界になっ
ていくのです。本来の状態にまで復帰されて行くのです。そのような神様の復帰
摂理歴史上、より善なる側として必然的に顕れてきたのが、キリスト教的民主主
義世界なのです。ですので、宗教を擁護してきた国家は常に長いこと栄えてきた
のです。逆に宗教を迫害してきた国家は遅かれ早かれ滅亡しています。これが歴
史の真実なんです。ですのでそういう意味で私は、民主主義は宗教なくして有り
得ないと申しております。よろしくです!どうも大変有り難うございました。

お礼日時:2008/10/22 14:07

>実際は、侵略戦争なのでしょうか?


>それとも自衛戦争だったのでしょうか?
>そして、侵略戦争だったとすれば、その理由

日本が敗戦国なので、侵略戦争。
もし日本が戦勝国だったら、自衛戦争。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

どうも有り難うございました。感謝です。
確かにそういうところはありますね。
勝てば善というような・・・そういう正戦論・・・!
勝てば官軍というような、国際法というような
最低限の秩序さえもない、懐疑主義も確かに考えられますが、
正義の条件としての最低限の秩序は当時もあったのではないか
と言う気もなきにしもあらずですね・・・
けど、東京裁判なんか観ていると確かにそういうとこありますね。

お礼日時:2008/10/20 13:08

 No.13、No15です。

質問者さんのNo15の補足について述べたいと思いますが、かなり微妙な問題で文章の推敲に時間がかかりそうですが、ここ数日は十分な時間がとれません。

 25日ごろまで質問の締め切りをしないで、回答する時間の余裕を与えていただければ幸いです。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

はい・・・了解ですっ! どうも感謝です!

お礼日時:2008/10/17 23:03

 No13です。

私の質問に対する補足に対して。

<政治と宗教について>
 私の持論としては、「基本的に民主主義政治と宗教は相容れない」というものです。(民主政治でなければ、宗教と政治の一致点はあるでしょう。今の日本国憲法は民主主義を理念としているので、その視点から見ます。)

 宗教は『信じる』ことを前提に成り立っています。つまり、「間違わない」というところから始まっています。

 民主政治は基本的には人間のやることを『信じない』という前提で成り立っています。
 三権分立・相互の罷免権・リコールなど、現在の民主主義の法は、政治は「必ず間違うことがある」との前提で、間違いを発見し排除することを常に行っていくというものです。

 何かを固定的に「信じる」価値観から、政治問題を扱えば黒は永久に黒です。しかし、政治問題は周りの状況次第で対応が変わります。

 多くの場合、戦争はいけないことですが、第一次世界大戦後ヒトラーがやったように、皆が戦争しないという状況の中で、一国だけが戦争をすることを利用すれば、他国をどんどん侵略できてしまいます。


 <宗教そのものと政治について>
 過去の歴史からみると、「絶対的な一つの神」を信じる一神教は、戦争の理由になりやすいと言えます。
( 反対に、巨大国家で多くの民族を融合して政治をおこない繁栄した国の場合、いろんな宗教を容認するケースが多い。たとえばローマという多神教の国家の場合、支配地の民族の族長をローマの元老院議員にするとともに、その民族の信仰していた神様もローマの神様としてお祭をする。これでは、宗教が戦争の重大な原因になりようがない。)

 絶対的な別の神を信じる民族同士は、「信仰」する神が違うこと自体が戦争の原因の一つになるのは明らかでしょう。
 また、同じ民族同じ宗教を信じているはずでありながら、神に対する信仰の解釈が違うと、それも異端排斥戦争の原因になります。

 日本の現在の社会倫理の欠如は、急速な核家族化・社会変化で子供の成長過程で、倫理育成を「実践」「体験」しなくなったこと。
 親の老人に対する敬意→核家族化でおじいちゃん・おばあちゃんがいない
 社会貢献を町内の日常的清掃や草刈り、道路・水路整備を自分たちで共同で行う→税金・町内会費による金銭化
 親の日々の勤労の大変さ(子供が手伝いすることで労働の大変さを実感し、毎日それをして育ててくれる親への感謝が生まれる)がわからない社会→住居と職場の分離。

 これらが基本にあるので、宗教倫理によるのも国家民族教育によるものも、生活体験から生まれた倫理感ではないので、観念論的倫理(黒は永久に黒)になりやすい欠点があります。

 実際問題として、宗教の場合は「実践」的に、老人ホームへの慰問や勤労奉仕など、この点を補う活動を行っていますが。

 私の実感として、倫理形成の主は「宗教」、「実践」は従というのは問題あり。逆に「実践」が主で「宗教」は従。
 「実践」を行うのが、NPO法人であっもいいし、社会福祉法人・自治会・任意のサークルであっても、単なるご近所の人・株式会社の非営利活動でもよいし、それが宗教であってもよいと考えています。

この回答への補足

どうも有り難うございました。
仰せの通りですね。チェンバレンのような宥和政策は勿論
私も否定します。
けど。
>基本的に民主主義政治と宗教は相容れない
というのは私はよく分かりません。
教育基本法でも第15条に宗教教育を貴重視しなければならないと
うたっていますね。相容れないというとちょっとニュアンスが私と
違いますんですね・・・

伊藤博文は確かに、民主主義には、精神的支柱としての
神様というような「機軸」が必要であると悟り帰国しました。
確か、枢密院でも議長の時、そのように発表しているはずです。
その視点はとても正鵠を射ていると思うのです。
アメリカの独立宣言がそうでしょ・・・・?

多くの国の憲法の前文を私は読みましたが、ほとんどの基本法・憲法の
前文には、創造主なる神 造物主・至高なる存在とかそういう言葉が
書かれています。お確かめ下さい。
なぜそうなのかと言うと、補足では字数が足りず書けませんでしたが、
人権と民主主義はセットなんです。って言うか、キリスト教が
なければ、民主主義はこの地上に生まれなかったのですね。
民主主義は、優曇華の花なんですって!その辺のことは、
小室直樹の「日本人のための憲法原論」に詳しく書かれております。
つまり、神の前に皆 王も貴族も諸侯も平民も平等なのです。
ここから人権という言葉が出てくるのです。
また、神様が与えた命でないと、偶然に生まれた存在が我々
人間だとすると、そもそもが存在目的がないので、存在価値が
ないのですね。だから、人権が擬制(フィクション)になってしまうのです。
そういうことなんです。創造目的=存在目的=存在価値です。
これさえ分かっていればどんな哲学にでも対応できますよ!!
尊厳性が在るためには、存在価値が生来なければならないのです。
それは、神によって造られた存在でなければならないという意味
以外のなにものでもないのですね。
無神論国家という意味では、共産主義の中国・北朝鮮となんら
変わりがないのです。だから、中国に対して弱腰外交になる理由の
一つなのかも知れませんよ。

ではでは。どうも感謝です!!!

補足日時:2008/10/17 13:49
    • good
    • 0
この回答へのお礼

<宗教そのものと政治について>以下の貴殿の
お話は凄く良く理解できます。しかし、
>絶対的な別の神を信じる民族同士は、「信仰」する神が違うこと自体が戦争の原因の一つになるのは明らかでしょう。
これも良く分かります。

要は、世界のコンセンサスがないのです。共有できる価値観が
ないんですね。それは、なぜかというと、文化・価値観が異なる
からに他なりません。そして、もっと突き詰めていくと、神観が
ちがうんです!!歴史観が違う。だから、正義と正義の戦いなんです。
これが問題なんです。聖戦なんて言ったんです。日本でも。支那事変
のことを・・・
だからと言って神様が存在しないという唯物論では世界は
救えないんです。なぜでしょうか?神様が実在する確率の方が
はるかに高いからです・・・(^^)
また、唯物的思想が根底にあっては、為に生きるという原理が
正当性があると主張することが出来ません。為に生きる実践こそが
大事なことなのです。それには、正当性が必要です。
唯物的な思想では、人を殺しても善でも悪でもないということに
なります。それは困るのです。そのような懐疑主義では無理があります。
その辺のことをどうかご理解下さいませ。
よろしくです。どうも大変有り難うございました。
貴殿のNO13の回答は、とてもわかりやすく為になるので、何回か
読ませていただいております。m(_ _ )m ではでは!

お礼日時:2008/10/17 14:16

> しかし、私は、実は、クリスチャンなんです。


> 神様を信じています。善悪を無視して戦争の話をすることは
> 私にとっては、あんまり意味がありません。

 意味が無いならあなたは戦争を論じてはいけません。

 そも、あなたがクリスチャンであろうが無かろうが、戦争に善悪を持ち込むとろくなことが無い、殺し合いが凄惨になる、という話は揺らぎません。歴史が証明しているのですから。

 敵もまた人間と思えばこそ戦士の魂は輝けるのです。
 しかし、戦争に善悪を持ち込んで敵を悪や悪魔だと認定すれば、人はどこまでも残酷になるのです。十字軍の兵士が面白半分にアラブ人の捕虜の腹を割いて立ち木に打ちつけ、その捕虜を死ぬまで木の周りを走らせたエピソードが、何を意味するか分かりますか。
 アブグレイブ刑務所での捕虜虐待事件の意味が、分かりますか。
 相手を尊厳のある人間だと認めないから、こういうことができるのです。

 あなたがやろうとしていることは、戦争をこのような単なる残虐な殺戮にしてしまうものです。

> そういう意味で、私は、正当性のある侵略戦争と言ったのです。

 どんな意味であっても、結局善悪に帰するつもりだったら、正当性などという概念を持ち出したところでろくな結果にならないのですから。


> 大東亜新秩序は、そのような理由から発表されたものではないと思いますが・・
> ただただ暴支鷹徴のためだったと思うのですが・・・違うのでしょうか??

 違います。
 そんな単純な話で済むほど政治は甘いものではありません。
 大東亜共栄圏は、当時本気で信じられた未来構想です。

> もし、アジアが日本を盟主とする新秩序を望んでいたのなら、どうして
> 蒋介石は賛同しないのか?どうして神社参拝を強制したキリスト教は
> 3.1独立運動を起こしたのか?毛沢東だけが、後に社会党が中国を訪問したと
> き、日本が戦争を起こしてくれたことで中国が共産化できたと感謝しているでは
> ないですか??

 軍閥が、私が言う「アジア」に含まれて居ないから、がその答えです。
 シナの軍閥なんてのは、馬賊のようなもので、現在の北朝鮮と変わりません。
 その感謝した毛沢東の国の後継者の江沢民は、「日本に対しては永遠に過去の歴史について言い立てろ」と江沢民文選に残しています。
 特定アジアと、私が言ったアジアは、別物です。

> 予防の方が治療より大事だと思いますが・・・

 比較する話ではありません。両方大事で両方必要なんです。
 ここでそれを言うということが、軍事を捨てろと言っているということになる自覚があるのですか?
 もしあるなら、平和ボケです。
 もし無いなら、論理性が足りません。

> 戦争を行うことを、善でも悪でもないという考えでは、何も反省にも
> なりませんね。有事法制は、戦争ありきの法律ですからね。貴方は、
> 戦争があることはしょうがないという立場で反省をしようとしている
> のです。それは私にとっては何の反省でもありません!

 あなたの独自定義の「反省」でなかろうと、世の中では何の問題も無いのですが。
 戦争が過去起きて、今も起きているのは単なる事実です。
 将来も起きるであろうことは、ほぼ確実に言えることです。
 その確実な事態に対して対応できる状態に自らを置くことは、国家というヒトの集団の最大最強のセキュリティシステムであれば当たり前のことです。むしろ、それをしないのは責任放棄。
 現代日本ですら、自主的に思考しないだけで、アメリカの実力に縋るというみっともない他力本願防衛戦略を持っています。

 あなたは、この単なる事実が分かっていないようです。
 この点からは、間違いなく平和ボケと言えるでしょう。
 そこを、反省しましょう。単なる事実は単なる事実として認めることが、平和ボケから目覚める唯一の道です。

> 勿論そうです。しかし、私が申しておりますのは、外部に国際問題を起
> こした挑発的な国内問題のことなのです。張作霖爆殺事件 満州事変こ
> れらはすべて外部の国際問題にしてしまった国内問題が原因なのです。

 ああ、そういうケースはありますね。
 内部と外部が関わって、外交問題になるケースが。

> 全てはそうなのです。国内でそのような決定がなされたので、外部に
> 国際問題が生じるのではないですか???

 が、「全て」というのは単なる誤りです。
 実際、ビン・ラディンの話について、あなたは一言も反論できていませんね。これは、あなたが「外部起因」を認めているということです。それを自覚しましょう。

> 外部の動きとは何ですか? それは日本以外の他国内での動きが
> 外部に出たのです。違いますか?

 上述の通り、違います。
 日本の外の方が、日本の内よりはるかに広いのです。世界の全ての事件に日本が影で意図を引いているなどというあり得ない陰謀史観はやめましょう。それもまた、蛸壺史観です。

> 国際社会とは何ですか? 国と国との相互関係でしょう? その国がどの
> ような判断をして他国へ働きかけるのかが国際社会なのです。「国際社
> 会」などいう主体的な動きをする国以外の組織的存在はありません。

 「国と国」というときに、あなたの中ではかならず日本が噛んでいるようですね。
 上述の通り、そんなこと、あり得ません。

>> 内部の問題があり、両方です。
> 外部の問題も常に内部からなのです。両方というよりも。
> そして、それは、蛸壺史観ではありません。

 違います。まさに、「内部からのみ」と言い張ることが蛸壺史観の定義ですから、あなたはどんぴしゃですね。

 さて、あなたの発言を見るに、いろいろと断定するだけで、張作霖爆殺事件・満州事変の例外を除くと、全く論理も証拠も出しませんよね。
 そういう状態は、洗脳されている人が見せる反応です。
 洗脳内容に反するインプットがあると、無意識・無条件に反発する。
 そこに、論理も事実もありません。

 この点に自覚して、早めに洗脳からさめましょう。
 洗脳とは、War Guild Informatino Program です。GHQ が実施した、日本人から牙を抜く洗脳政策です。まあ、別にあなただけではなく、相当数がいまだに洗脳されている状態ですから、別に恥じることはありません。反省して、目を覚ます努力をしましょう。

> キリスト教的な罪観というものを私はいつも考えながら、思考を構築
> しておりますので、あなたが、もし唯物的で無神論者でクリスチャン
> でないとすれば、なかなか平行線かも知れませんね。キリスト教も蛸
> 壺史観ですかね。

 平行線になるのは、あなたが洗脳されているからですよ。

 私にとっての神は、敢えて言えば事実と論理ですから、それさえ正しく示されればいくらでも意見は修正しますし認識も改めます。私がそれをしないようにあなたに見えるとしたら、あなたが正しい論理も事実も提示しないからです。
 他方、洗脳されている人は、最初に自分が抱えているテーゼと反することは決して認めません。

 つまり、キリスト教とは全く関係ありません。
 あなた個人が、キリスト教とは関係なく、GHQ に洗脳され蛸壺史観に嵌ってる平和ボケだというだけです。キリスト教を巻き込まないようにしましょう。

この回答への補足

>例えば、CIA がビン・ラディンを育て、やがて捨てられたビン・ラディンが
9.11 事件を起こし、それへの報復としてアメリカがイラク攻撃を行い、日本は
それを支援するはめになりました。この流れのどこに国内問題があるのでしょう?

これも国内問題ですね。アメリカと言う国家が、ビン・ラディンを
育てたのであり、また捨てたのです。それが原因です。アメリカの問題が
国際問題=外部問題に発展したのです。
そして、ビン・ラディンが、捨てられたからと言って、9.11を復讐心に燃えて
起こしたのなら、それは、ビン・ラディンの心の内部の問題でもあるのです。
そういう意味で、常に内部の問題と言うのです。
罪と言う問題意識もそういう意味でございます。

> 敵もまた人間と思えばこそ戦士の魂は輝けるのです。
このようなことを言われる方とはおろらく私は感性が違うのだと思います。
残念ながら、このような掲示板では、コミュニケーションが出来ないと思います。
お逢いすればまた違うのかも知れませんが・・・

>意味が無いならあなたは戦争を論じてはいけません。

などと、どこの誰だかも分らない貴殿に言われる筋合いはございません。
この掲示板は自由です。

戦争はいけないことだとパリ不戦条約でも言われているではありませんか?
悪いことだと思わないのですね。むしろ貴殿は、戦争は良いことだと思っている
のですか?それとも、戦争は、どうせ将来起こるのだから、それに対応できるよ
うにして自国が守れるシステムさえあればそれで良いというお考えでしょうか?

私は、何も平和ボケしている左翼ではありませんし、自主憲法を制定すべきだと
思いますし、日本も核を持つべきだと思っています。それは、戦争をするという
決意だけが戦争を抑止できると思っているからです。
自衛権を憲法が認めているか認めていないかなどというお話も当然、
私は、ケロッグ・ブリアンpactの文章と同じなのですから、自衛権ありと
解釈しております。国家の固有の生存権として、自衛権を認めなければ
それこそ、国民の生命と財産を国家が守ることを放棄したのですから、
憲法違反でしょう・・・
私が核を持つべきだと言うのは、それは戦争は悪だと思って
いるからであって、戦争をしてはいけないと思っているからです。
戦争が始まれば核を使用すれば良いなどという意味では決してありません。

日本が噛んでいるなんて一言も言っていませんが・・・
なんか勘違いされてますね!!!?

貴殿の言われていることはどうも良く分りません。
あなたは、どうも「有事の為の防衛システム」のこと、安全保障のことに
ご関心がおありみたいですね。
私には、難しすぎるのでしょうね・・・きっと。

私の持論は、No13の方の補足欄をお借りして書かせていただいております。
それが私の結論です。

ではでは。どうも有り難うございました。

補足日時:2008/10/15 01:05
    • good
    • 0
この回答へのお礼

私は、この質問で、
「支那事変は侵略戦争ですか?」とただ聞いているだけです。
なのに、貴殿は、
侵略は悪事だと2回目の回答で言われながら、戦争に善悪を持ち込んでは
なりませんと言う。

戦争を善だ悪だと議論をする人は、議論する資格なしと決めつけ、
なおかつ、私が蛸壺史観等々に洗脳されているとまで言い切る。
いったいあなた様はどれほど偉いのですか??

お礼日時:2008/10/15 01:16

 近衛首相が首相として徹頭徹尾、陸軍を抑えることをしなかったという意味でしょう。

当然首相として責任ありです。(どの程度かというのは、歴史の見方ですね。)
 国際政治を歴史として見る場合、善悪という見方や、自衛戦争・侵略戦争というラベルを貼るよりも、何がどうして起こったかということを知ることが重要です。

 当時、世界経済はブロック経済と言って、有力国が世界の中でそれぞれ自国の経済圏を作っていました。

 日本はその生産力に対して、商品を売りさばく地域が狭く、当時一等国(政治・経済ともに他国からの影響を最小限にできる完全な独立国。当時の日本は一等国と呼ぶには、経済的基盤がまだ弱かった。)と呼ばれていたアメリカやイギリス・フランスの政治・経済支配地域では商品販売を大幅に増やすことができない状況でした。
 
 そのような状況のもとに、欧米各国・日本は、まだ欧米諸国の支配地となっていない最後の巨大市場「中国」を舞台に経済戦争(=自国の工業製品を売り込む)を行っていました。

 日本がこの経済戦争に負ければ、欧米諸国の経済圏に属さない国家(=政治的に独立できる)として生き残ることができません。
注:結局のところ歴史的には、日本はアメリカの経済圏に組み込まれ、アメリカ経済圏の下で国家運営をすることとなり、現在に至っています。=現在、政治的にアメリカの強い影響下にあります。 
 
 当時、日本の工業製品の品質は、アメリカやヨーロッパ諸国に比べてはっきり劣っており、日本の選択肢は大きく二つにわかれていました
1.製品の品質を格段に向上させ、生産力を上げて、経済戦争に勝つ。
2.製品生産の技術力・生産力ではすぐには勝てないので、中国に近いという地の利を活かして、軍事的に欧米諸国を中国から締め出す。

 昭和に入って、政治家が明確な方針を打ち出さないままに、軍人が主導して1.の方向を目指して行われたのが満州事変、2.の方向を目指したのが日華事変です。

<日本の政権構造と満州事変・日華事変・太平洋戦争(=対米戦争)の詳細経緯>
 長いですが、ご勘弁ください。

 戦前の政治体制では、軍(皇軍=天皇の軍隊。陸軍=参謀本部、海軍=軍令部)と内閣(=行政府)は同格の存在として、天皇の下に並立しています。(統帥権の独立、首相は軍隊を直接コントロールできない。)
 明治・大正時代までは、枢密院が天皇の補佐として実質的に日本の政治・軍事を統括した国政の主導機関として機能していましたから、並立する軍・内閣を統合するシステムが存在・機能していました。

 ところが、昭和になると枢密院の権威の低下と(枢密院は事実上、その構成員の個人的力によって動いていました。明治時代の枢密院のメンバーは、明治維新の立役者であり、倒幕軍の指揮官を経て新政府の高官となった人が多く、軍・政両方に幅広い人脈を持ち、両者を統括する力を持っていました。)、天皇自身のリベラルな考え方(美濃部達吉の天皇機関説とほぼ同じ考えを持っており、御前会議では、ほとんど異議を唱えませんでした。例外は2・26事件と終戦の決断の二つといわれています。)の結果、軍と行政を統合した国際的視野を持った政治判断が失われてていきます。

 この、政治(=外交・内政)と軍事を統合する視野を欠いたまま、満州事変・支那事変(日華事変・日中戦争)が起こっていきます。
 ですから、中国本土への介入が日本と言う国家にプラスかと言う国家としての戦略的判断なしに、支那事変が起こり継続されたと私は考えています。

・満州事変
 「石原莞爾」という特異な才能の元で、演出されました。

 上に述べたような政治状況の中で、政府・参謀本部ともに「満州では、張学良と極力事を構えない。」方針でした。(満州の軍閥、張学良の兵力は、満州に駐留している日本軍の10倍あるといわれていたからです。)
 ところが、満州派遣日本軍(=関東軍)の参謀であった石原莞爾・板垣征四郎が、この方針を無視して軍事行動を起こし、張学良軍を電撃作戦で圧倒、軍事作戦としては大成功をおさめ、満州を占領してしまったのです。
 この大戦果に、参謀本部・日本政府ともに関東軍の軍事行動を追認し、満州国建国に至ったのです。(ここまでは、石原莞爾の戦略通りの展開となりました。)

 その結果、石原は陸軍同期の中で最も早く大佐となり、陸軍内部で「軍参謀は中央の方針に反しても、作戦で戦果を挙げれば、出世する。」という認識が生まれることとなりました。

 石原莞爾は、満州を取って「日本・朝鮮・台湾・満州を日本の経済圏として開発することに専念すれば、アメリカに対抗できる。」との見方を持っており、そのための戦略として、満州を勢力下に置いた後は、他国との軍事衝突は外交力を総動員して回避し、軍事費を抑え経済開発に専念するというものでした。

 日本は、当時一等国と呼ばれたイギリス・アメリカ・フランスに比べて支配地域が遥かに小さいため、イギリスなどのように植民地を未開発のまま薄く搾取する政策を取るのでは、これらの国に対抗できませんでした。
 そのため、支配民族のレベル向上による独立運動激化のリスクを知りつつも、占領地を徹底的に開発して国力向上を目指しました。

 国際連盟では、リットン調査団の報告にもかかわらず、常任理事国である日本の行動を容認する意見も強く(第一次大戦後の国際的な厭戦気分が影響しています。当初、ドイツもこの傾向を利用して、英・仏と戦うことなく国土の拡大を行ないました。)、石原莞爾の思惑通り事態は進むかと思えました。
 ところが、国際連盟で討議している最中に、日本軍が満州から中国に侵攻を開始(熱河作戦)し、面子をつぶされた国際連盟の諸国の態度が一変します。

・支那事変(日華事変・日中戦争)
 石原莞爾は、1937年の日中戦争開始時には参謀本部作戦部長となり、内蒙古での戦線拡大(熱河作戦以後)に作戦本部長として、中央の統制に服するよう現地にまで出かけていって現地軍指揮官の説得に勤めましたが、かえって現地参謀であった武藤章に「石原閣下が満州事変当時にされた行動を見習っている」と嘲笑される結果となりました。
 戦線が泥沼化することを予見して、石原は不拡大方針を唱え戦線の拡大を抑えようとしましたが、当時関東軍司令長官東條英機ら陸軍中枢と対立し、1937年9月には参謀本部から関東軍に左遷され、支那事変は継続していきます。

 日中戦争を開始した中国派遣軍参謀を評して、石原は「鵜の真似をする烏」と言ったらしのですが、過去の自分の行動が影響を与え、石原の戦略は崩壊することとなって行きます。

・満州事変の性格と支那事変の性格
 高校の日本史の資料・年表程度のものに目を通せば、その実態が分かります。

 満州事変(1931年)当時の日本陸軍の総兵力は45万程度で、「電撃戦での勝利」であったため、兵力・日本経済には大きな影響を与えていません。

 支那事変が、1937年7月に起こり、在留邦人保護と言う名目で継続され、1941年12月には、真珠湾攻撃を行い、アメリカとの戦いに入っていくのですが、それらの時点での主な統計数字を見れば実態が見えてきます。

 真珠湾攻撃をする直前の、日本本土・満州・中国大陸にある兵力は約190万(支那事変後に急激に増え、満州事変前の4倍になっています。参考:現在の日本=人口12000万の陸上自衛隊約16万、中国=人口13億の人民解放軍陸上兵力170万{誤差は大きいかもしれません}程度。)は、とんでもない数字なのです。
 対米、南方作戦のために、その後も更に兵員の数だけは増えていき、終戦時には、更に増え650万だったそうです。女性・子供・老人を除外した成年男子に対する軍人の割合を考えれば、国家経済が維持できるはずもありません。

 これだけの兵士を、生産を行わない「軍人」として動員したため、日本の戦前の各種工業生産力は1937年をピークに減少・横ばいを始めます。
 さらに、1938年には国家総動員法・1940年には食料の配給制が国内で始まります。

 アメリカとの戦いを始める以前に、中国との泥沼の戦争で、国力の大きな消耗が起き、顕著に国民生活を圧迫しているのです。

 政治が「軍」をコントロールしていれば、工業生産力を低下させてまで長期に戦いを続けることは考えられません。国益に明らかに反していて、無意味な消耗ですから。

 そして、中国側の焦土戦術(決戦をしないでどんどん内陸部に主力を交代させる戦略)によって、 中国側は「負けなければ勝ち」なのに対し、日本側は「勝たなければ負け」という、抗戦側の理論と侵攻側の理論のギャップで、戦闘を中止して撤退すれば『負け』という状況となっていました。
 
 『負け』ないためには、戦い続けるほかに方法はなく、アメリカから石油禁輸をされた日本(当時の日本産業の動力源は石炭。輸入石油の半分は軍が艦船・飛行機・車両の燃料として消費していました。そして、その石油の90パーセントはアメリカから輸入していました。)は、結局、中国からの撤退か、西太平洋の制海権を手に入れて、オランダ(既にドイツによって占領され、独立国家として機能していませんでした)領インドシナの石油を手に入れるかの選択となったのです。

 中国からの撤退をしないなら、アメリカと事を構えるしかないという選択であったわけです。

付記:第二次世界大戦時の日本軍の人権問題について
 戦場では弱者に被害が続出します。特に補給能力が低かった日本軍の場合、アメリカ軍と日本軍が対峙した太平洋の島々では、弱者である日本兵に餓死・病死が続出しました。日本軍・中国軍と中国民間人が混在した中国戦線では、弱者である中国民間人に被害が続出しました。
 
 戦争は必ず経済を悪化させます。クリントン政権時代に財政黒字だったアメリカ国家財政も、今は日本を超える年間40兆円以上の赤字。この戦費赤字国債発行が国内バブル経済を作り出し、金融恐慌に。
 日本の株式市場では、資産価値が60兆円以上減少。世界各国が大騒ぎで、それぞれの国の国民の税金を使って、アメリカの作り出した不始末の尻拭いをする結果に。

この回答への補足

この場をお借りして、最後に私の持論を述べておきたいと思います。

太平洋戦争間近の頃、日本の陸軍省が、”たたかひは、創造の父 文化の母・・・”
ではじまる「国防の本義とその強化の提唱」と言う池田純久中佐を中心とする統制
派の中堅が著して公表した、陸軍パンフレット(陸パン)があるらしいのですが、
これが、全てを表しているのである。つまり、正反合の理論なのです。相手を敵と
みなし、相対的・相互関係ではなくて、対立関係を通して発展する。これはまさに
唯物史観であり暴力革命正当化理論にかなり近いのです。戦いを勝利することでの
み、理想を実現できるとした間違った考えなのです。理想は、確かに一人だけでは
実現できません。なぜなら、理想は愛であり、その愛は、一人では成就しないから
であります。しかし、そのために敵を倒して、自分たちだけで「新アジアの秩序を
建設」すると言う理論は、独善的であり自己中心的愛であり、世界から受け入れら
れるものでは決してなく、また新たな敵を生み、戦いを生じさせる闘争による発展
理論だと言わざるを得ないのです。マルクスの憎悪の「正反合の唯物弁証法」なの
です。

開戦が決定した12月1日最後の御前会議の直前、11月29日、天皇陛下は歴代のすべ
ての総理大臣を集められて「重臣会議」を開き、意見を伺った。

(引用文)
「・・・・このとき反対意見を述べたのは、若槻礼次郎 岡田啓介 米内光政の三
重臣だった。とくに若槻さんと東条さんの論戦は歴史に残るものだと思います。若
槻さんが言います。『自存自衛ならともかく、戦争目的にある八紘一宇といった理
想に目をくらましてはならぬ』東条さんは反発して答えました。『理想を追うて現
実を離れるようなことはしない。が、理想をもつことは必要だ。』『理想の為に国
を滅ぼしてはならない』若槻さんは、満州事変の時、『もう(朝鮮からの援軍が)
出てしまったものは仕方がない』と言って昭和史の方向を最初に間違えさせた当の
首相なのですが、その人が最後になって正論を吐き、そして実際、日本は、その言
葉通り、「理想のため国を滅ぼす」ことになるのです。・・・」
(「昭和史」半藤一利著 p377)

ここにその「本性」を見るのであります。つまり、本音は、誰も「自衛戦争」だなど
と考えていなかったということなのです。東条英機は勿論のことです。そして、戦争
をするようになっていくその仕掛けは、まさしく、八紘一宇・大東亜共栄圏構想とい
うような、国家神道の皇国史観による神観、歴史観をもった一つの共産主義思想的な
過激思想に基づき、皇民化政策による一大王道楽土を建設するというその目的観に従
い、刻一刻、「ねじ」が否が応にも巻かれていく・・・というものであったわけであ
ります。もはや、それを誰も止めることができなかったと言わざるを得ないのです。
そのような戦争目的にある思想に従い、軍国主義的なカルト国家と化していったので
あります。最近の国内の事例を見れば、「オウム真理教」がそれにかなり近い形態で
はなかったかと思われます。教祖は、宗教の仮面をかぶった暴力革命正当化理論を携
えた共産主義者でありました。このような「過激思想」を持ってしまった背景にある
ものは、実は、当時の憲法にあるとも言わざるを得ません・・・。伊藤博文が帰国後、
憲法草案に際し、一番、肝に銘じたことは何でありましたでしょうか?それは、「精
神的支柱をなす”機軸”とすべきものが国民には絶対に必要である。」ということで
した。それはただ独り皇室在るのみ と・・・

そうして、毀釈廃仏運動等を通じて国家神道を根付かせ、天皇を神様の立場へと祭り
上げることに見事成功したのであります。しかし、その天皇が神聖不可侵にして無答
責でありながら、軍の全統帥権を握り、また、政治に対しては、慣習に従い、立憲君
主という立場で拒否権を行使できなかったのでありますから、一旦、軍が政権を握り
しめれば後は、政治と軍が混然一体と化し、天皇はただただその軍事内閣が一致して
決めたことを許諾なさるのみという、軍国主義的体制が容易にできあがる寸法であり
ました。そのような天皇の許可さえ頂ければ、我々も無答責であるというような、ご
都合主義の「無責任体質」がはびこってしまい、開戦直前には皆が皆、責任放棄、責
任転嫁のオンパレードだったのも否めません。
これを悲劇と言わずして何と言い得ましょうか・・・。
私は、今の日本が自虐史観の呪縛から解放されない根本理由は、無神論国家だからだと思うのですね。
機軸(精神的支柱)を戦後、日本人は、失ってしまったのです。
目に見える神様では奪い合いがまた始まります。目に見えない神様
を今度こそ、我々は求めていかなければならないのではないでしょうか?

補足日時:2008/10/14 16:59
    • good
    • 0
この回答へのお礼

どうも大変有り難うございました。
とても参考になりました。
経済的な戦略上、仕方がないところはありましたね。
それは、分かります。資本主義の運命だとも言えます。
人口も増えてきた。広田弘毅内閣なども、20年間百万戸移住計画
なんていうのもありましたね。
先帝が、後に今上天皇に戦争の原因の一つが、元老がいなくなってしまったこと
だよと言われたのも同じですね。

> 日本は、当時一等国と呼ばれたイギリス・アメリカ・フランスに比べて支配
> 地域が遥かに小さいため、イギリスなどのように植民地を未開発のまま薄く
> 搾取する政策を取るのでは、これらの国に対抗できませんでした。 そのた
> め、支配民族のレベル向上による独立運動激化のリスクを知りつつも、占領
> 地を徹底的に開発して国力向上を目指しました。

勉強になりました。やはり、経済的な面から説明されると
思わず納得ですね。とてもわかりやすい説明で大変参考になりました!
それにしても、やはり、軍人の傲りと政府の無策を感ぜざるを得ませんね。感謝!!

お礼日時:2008/10/14 16:42

> 私としては、ハリマン協定の破棄が日本を間違った方向へ


> 向かわせてしまったということに対して一理あると言われ
> たので、感謝していたのですが・・・

 ハリマンの件では、それはあるでしょうね。
 ちなみに、それ以外は、No ということですか? 蛸壺史観については Yes のようですが、自覚はありますか?

> いずれにいたしましても・・・私は、戦争は全て自衛(自
> 国の利益を守る)為に行うので自己中心だと思っているの
> です。

 そらそうでしょう。自己中心でなければ、相手を殺してまで自己の主張を通したりしません。
 そして、国家とはそうして自国民を守るものなんです。
 一応確認ですが、こういう話題において、国家とは国民を守る最大最強のセキュリティシステムであるという点は、理解していますよね。マッカーサーの認めた「日本の自衛」も、この範疇。

> 戦争はいくら決闘の法理で国際法上合法的に認められてい
> ると言われても、「悪」だと言うのです。なぜなら、自己
> 中心的だからです。即、侵略だらか悪 自衛だから善では
> ないと思うのですね。

 即、だろうと間が開こうと、戦争に対して善悪なんて概念を持ち込むのは誤りです。というか、それをしてろくなことがありません。実際、アメリカはそれで中東でハマっているでしょう。
 そもそも、十字軍の頃にはヨーロッパでも聖戦などと言って戦争に善悪を持ち込みつつ実のところ金目当てなんてことがよく行われていました。が、その結果殺し合いが凄惨になりすぎた反省から、「そういうことは止めようよ」という知恵を付けてきた歴史があります。
 そういう歴史を踏まえないアメリカが、第二次世界大戦で有色人種に痛い目に合わされたもので復讐心の滾るまま持ち出したのが、東京裁判における「人道に対する罪」などの戦争に対する善悪概念導入です。
 今も超大国であるアメリカが言い出していまだに信じている故にデファクトスンタンダードになってしまっていますが、そも戦争と善悪は関係の無い話でした。木に竹を接いだものをアメリカのスーパーパワーが無理やり接着しているに過ぎません。

 まずは、このことを認識してください。

> 私の戦争に対する定義はこうです。
(中略)
> これでは駄目でしょうか??

 中身が似ているので気が付きましたが、あなたはアメリカについても質問を投げている方ですね。
 で、回答も同じで、戦争に「正当」などという概念を持ち込むのも誤りです。しかも、あなたの頭の中でどうなっているかは分かりませんが、「正当」=「善」、「不当」=「悪」という構造であなたは文章を書いていますから、誤りの理由は善悪の導入と全く同じものになります。

 ケロッグ・ブリアン条約に言及している人もいますが、あれは死文です。
 国際法とはその性質上慣習法にならざるを得ず、従って条文を慣習が破ったら期限があろうが無かろうが自動的に無効になります。それを死文化と言います。
 慣習法にならざるを得ないのは、国家に対して無理やり遵守を強制するシステムが存在しないからです。つまり、国家群が自主的に守り続けないと存続できない、ひ弱なものなんです。
 ちなみに、ふと思いついてケロッグ・ブリアン条約についてウィキペディアを見ると、「国際法としては有効だが、実効性は乏しい」なんて噴飯ものの解説がありました。こんな言葉を書いて「アホか」といわれないのは、自衛隊に対して言葉遊びをしている日本くらいでしょう。実効性が乏しかったら無効やほぼ無効に決まっています。
 もっとも、19世紀においてすら「俺たちは侵略するぜ、おー!」などと言って戦争を始める国家はありませんでしたから、自衛権を保留しての署名の時点で死文化していたと言ってもいいでしょうね。

> その「正当性」を吟味・評価しなければならないのだと考え
> るのです。
> その正当性を評価する機関が国連でなければならないと思う
> のです・・・が。

 国連の正式名を知っていますか? United Nations で正しく訳せば「連合国」ですよ。第二次世界大戦の連合国と全く同じ。で、日本の位置づけも変わらず、敵国条項により敵扱いです。
 にも関わらず、日本以外は供託金を滞納し続け、実質日本が支えているような組織です。しかし、実質的権限は日本は持たず、紛争解決の実績も強国の関わりの無かった1件のみ。
 こんな組織に何を期待しているのでしょう。

 私見を言えば、さっさと供託金を止めるか、供託金を盾に権限を要求するなどのネゴシエートに使わない限り、日本にとっては寄生虫のようなものです。

> このことが軍人の傲慢さの表れだと言いたいのです。

 「軍人の」ではありません。「官僚の」です。

 陸軍海軍と述べましたが、その動きを実際にしたのは軍官僚であり、全く同じ動きを現代日本の官僚もしています。
 軍人だったからダメで、という方に思考を向かせては、正しい反省はできません。実際、あなたは結論を誤っています。

> 外交の力でなんとてもなったはずなんです・・・

 それは無理というものです。外交の力で出した結論どおりに軍が動かなかったのですから。
 そして、これは現代日本人がそっくり過去に戻っても同じです。
 要するに、現代日本は過去の反省をできていないということですよ。

> 大東亜新秩序などといきまいて日本を盟主とする新アジア秩
> 序の建設など自己正当化もいいところではないですか?他国
> の侮辱してませんか?

 あなたは、大日本帝国の人々を侮辱していますが、その自覚はありますか?

 しかも、東亜新秩序は自己正当化でも何でもなく、当時のアジアにメリットをもたらすものでした。だから、チャンドラ・ボースなども大東亜会議に出席したのです。

 事実として、当時有色人種は欧米人から人間とは看做されておらず、ペットや家畜扱いでした。大半の有色人種自身が、自分でもそう思うように躾けられていたのです。それを打ち破った有色人種のヒーローが日本だったのです。そのヒーローが盟主を担うのは当然でしょう。
 もっとも、当の大日本帝国はそういう構造にされると欧米列強からよってたかって叩き潰されかねませんから、必死でその構造を避けていたくらいで、アジアのリーダーの方がその構造を望んでいました。侮辱なんて、正反対です。

 そもそも、毛沢東に引きずり込まれた支那事変ですから、最初からそんな構想など用意しているわけもなし。走りながらでも東亜新秩序というコンセプトを立てた日本人を、なぜ褒めようという発想が出ないのでしょうか。
 ちなみにそういう発想が出ない理由は分かっていて、あなたが蛸壺史観から脱却できていないからです。

> 我々の国は有事になれば逃げ場などない細長い国です。有事に
> なった時のことも大事かも知れませんが、それよりも、有事に
> ならないようにする事の方がもっと大事なのです。だから日本
> 外交の過誤を反省して正すべきなのだと思います。反省するだ
> けでなく、そして正せば良いのです。

 細長いのは単なる事実として、どっちが大事という話ではありません。
 防火活動の方が消防システムの整備より大事とは言わないでしょう。病気予防の方が治療より大事とは言わないでしょう。防犯の方が犯罪摘発より大事とは言わないでしょう。両方が大事なんです。
 特に軍事は、犯罪同様相手が人間ですから、相手に「これやったらまずい」と思わせることでの抑止がもっとも有効であることは、歴史が証明しています。言い換えると、「両方大事」どころか、一方が無ければ他方も成り立たないくらいに密接に依存して重要なんです。
 実力(=軍事力)無き言葉(=外交)は無力です。言葉無き実力は暴力です。

> 謝罪ばかりしていないで反省して要は、正せば良いのです。それ
> は外交の問題です。そのことを私は言いたいのですね。

 外交だけでなく、軍事とセットになった外交です。

> 日米開戦はあくまでも結果です。原因は、それまでの外交のまず
> さと外交が従となり、軍部が主となって主客転倒した体制になっ
> てしまったことなのだと思うのです。
> シビリアンコントロールが効かなくなってしまった・・・・

 大筋その通りですね。
 その構造としては、軍部大臣現役武官制ですが。

> それは軍部の過激思想にかぶれた上層部の傲りであり、政治の腐
> 敗であり、国民の無自覚です。軍部だけのせいではないですよね。

 傲りなんて個人集団の感情論に帰結させていては、正しい反省に至りません。
 現代でも、自省の権限を強化するために官僚はさまざま策謀しています。天下り先の確保もそうですし、金融庁と財務省の再統合への動きもそうです。全く同じ動機に基づいて、軍官僚は軍部大臣現役武官制を復活させたわけです。
 既に述べたとおり、現代の官僚も全く同じことをしている以上、それは「過激思想」だの「傲り」だのの問題ではなく官僚が省益のみを追及してしまう現行の官僚制度における構造的問題です。

> 私は自虐史観おおいに結構です。それが歴史的事実ならば・・
> です。

 あの、自虐史観と事実とは、対立概念なんですが…

> 常に問題は内部にあります。己自身の中にあります。国内問題に
> あると思うのです。

 違います。
 例えば制御可能なのは内部に限定されるというのなら正しいのですが、国際問題においては外部起因の問題だって山ほどあります。というか、外部起因の問題への対処が国際問題でしょう。
 例えば、CIA がビン・ラディンを育て、やがて捨てられたビン・ラディンが 9.11 事件を起こし、それへの報復としてアメリカがイラク攻撃を行い、日本はそれを支援するはめになりました。この流れのどこに国内問題があるのでしょう?
 あなたがそう感じてしまうのは、単に蛸壺史観に嵌っているからですよ。

> アメリカやスターリンやルーズベルトのせいにするのは簡単です。

 そう簡単ではありませんよ。ホワイトと KGB の関係は、最近の情報公開でようやく判明して確定したわけですし。誰かが執念深く調べ、公開請求し、世に問うたから知られるようになったわけです。口を開けていたら誰かが教えてくれたという情報ではありません。
 しかも、単なる事実です。

> けど、そうではなくて、内部の問題として捕えるべきだと思うの
> です。内部に争い・矛盾・為体があったので、外部への争いが結
> 果として出たと・・・

 それは蛸壺史観に基づく誤りです。
 外部(=国際社会)の動きによる日本への影響という問題があり、それを適切にキャッチ・分析し、適切な対応をするという内部の問題があり、両方です。

この回答への補足

どうも何度も済みません。
実は、私は、この言葉「蛸壺史観」の意味が分からなったので、
yesでもnoでもなかったのです。
m(__;)m いまさっき調べて分かりました。
どうも失礼致しました。

なるほど、貴殿の言われることは良く分かりました。
誰もがおっしゃっていることなのです。戦争に善悪もない。
決闘の法理により認められたいわゆる一つの法的状態であると・・・・

しかし、私は、実は、クリスチャンなんです。
神様を信じています。善悪を無視して戦争の話をすることは
私にとっては、あんまり意味がありません。

正当性を評価するのは国連だということで、侵略の定義にも
第2条に担保してあります。
つまり、武力の最初の使用があれば、侵略の有効な証拠であると。
しかし、それだけでは侵略と正当に評価しないと・・・
瑕疵担保しているわけです。なぜなら、国連憲章に違反しない
侵略があり得るからだというわけです。
そういう意味で、私は、正当性のある侵略戦争と言ったのです。

> 要するに、現代日本は過去の反省をできていないということですよ。

ここだけは、一致してますね・・・
侮辱はしていませんが、あまりにも攻撃的、好戦的であったように思いますが。

大東亜新秩序は、そのような理由から発表されたものではないと思いますが・・
ただただ暴支鷹徴のためだったと思うのですが・・・違うのでしょうか??
もし、アジアが日本を盟主とする新秩序を望んでいたのなら、どうして
蒋介石は賛同しないのか?どうして神社参拝を強制したキリスト教は
3.1独立運動を起こしたのか?毛沢東だけが、後に社会党が中国を訪問したと
き、日本が戦争を起こしてくれたことで中国が共産化できたと感謝しているでは
ないですか??
予防の方が治療より大事だと思いますが・・・
つまり、犯罪の予防の方が、殺されてしまってからの「治療」よりも大事だと・
・・そういいたかっただけです。ことは戦争ですからね。
防火システムどころのお話ではありません。戦争を行うことを、善でも悪でもない
という考えでは、何も反省にもなりませんね。有事法制は、戦争ありきの法
律ですからね。貴方は、戦争があることはしょうがないという立場で反省をしよ
うとしているのです。それは私にとっては何の反省でもありません!

>外交だけでなく、軍事とセットになった外交です。
そうですね。これは確かに言われるとおりだと思いますが・・・
やはり、あなたは将来戦争があっても仕方がないというお立場なんですね。

> 全く同じ動機に基づいて、軍官僚は軍部大臣現役武官制を復活させたわけです。
なるほど。大変示唆に富んだお話です。

> 国際問題においては外部起因の問題だって山ほどあります。
>というか、外部起因の問題への対処が国際問題でしょう。
勿論そうです。しかし、私が申しておりますのは、外部に国際問題を起こした
挑発的な国内問題のことなのです。張作霖爆殺事件 満州事変
これらはすべて外部の国際問題にしてしまった国内問題が原因なのです。
全てはそうなのです。国内でそのような決定がなされたので、外部に
国際問題が生じるのではないですか???

外部の動きとは何ですか? それは日本以外の他国内での動きが
外部に出たのです。違いますか?国際社会とは何ですか?
国と国との相互関係でしょう? その国がどのような判断をして
他国へ働きかけるのかが国際社会なのです。「国際社会」などいう
主体的な動きをする国以外の組織的存在はありません。
> 内部の問題があり、両方です。
外部の問題も常に内部からなのです。両方というよりも。
そして、それは、蛸壺史観ではありません。

キリスト教的な罪観というものを私はいつも考えながら、思考を構築しておりま
すので、あなたが、もし唯物的で無神論者でクリスチャンでないとすれば、
なかなか平行線かも知れませんね。キリスト教も蛸壺史観ですかね。

どうも感謝でした。参考になりました。

補足日時:2008/10/14 15:52
    • good
    • 0

回答の文字数を少なくするため、「です・ます体」ではなく「だ・である体」で書くことにする。


ご質問者は「歴史的事実が正確であればあるほど」なんて言うもんだから、トリビアリズムの迷路に連れ出されて困ってるんじゃないかと思う。私は知識が足りないから、細部など論じない。代わりに先哲の言葉を想起する。パスカル(1623-62)は言った。
― 人間は、無限と虚無との間でおののく中間者である。 ― 『パンセ』
私は「国家も中間者だ」と思う。

(1) 当時でも侵略は違法だった

知らないかたが少なくないらしいのだが、1928年の「不戦条約」は戦争を原則的に禁止している。日本を含む主要国などがこれを批准したし、今日でも効力がある。有名な憲法第9条の、第1項はこの条約を取り入れたものだ。
しかし、その後も嫌になるくらい戦争は起きてるじゃないか? まず、この条約で「自衛戦争」は禁止されてないのだそうだ。また、違反に対する制裁規定もないから、いわゆるザル法である。
これを、パスカルの「中間者」に当てはめてみよう。不戦条約以後は「侵略は違法でも何でもない」などと言うことができなくなった。ただし、戦争放棄を貫くのでもない。その中間の「侵略戦争しつつ自衛戦争と強弁する」方法がとられた。
日本もそれを行なったが、たとえば満州事変を自衛戦争と言いくるめるのは無理だった。当時、主要国からほとんど認められなかった。ただし、リットン調査団の報告書を詳しく読むと、日本に対して妥協的な部分がある。その時点ではまだ、列強は中国権益をめぐって日本と決定的に対決したくなかったのだ。
しかし、日本はその妥協を受け容れず、国際連盟を脱退する。列強を激しく憎んだ。てめえらは植民地をたくさん持ってるくせに!
しかし、これも「中間」で考えてみよう。不戦条約のころから、新たな植民地獲得(のための戦争)はしにくくなったのである。ただし、すでに獲得済みの植民地はお咎めなしだった。そのような中間に(合法・不法の)基準線を引くならば、先進列強は有利である。遅れて植民地獲得に参戦した日本には不利だ。日本は憤慨し、行く先は破滅しかない孤立の道へ突き進んでいった。

(2) 「勝てば官軍」は幼稚

ほかでもない、私が叱られた思い出である。中学の時、授業で「官軍」が出てきたので「勝てば官軍、勝てば官軍」と歌ったら、先生が「幼稚だ!」と激怒した。今となっては懐かしい。
近頃イラクのニュースを見聞きするにつけ、先生を思い出す。つまり、イラク戦争で米国は圧勝したにもかかわらず、「勝った方がすべて正しい」ことにはならなかった。開戦理由の「大量破壊兵器」はイラクで見つからないらしく、対米非難は止まらない。アブグレイブ刑務所の虐待は言語道断で、イラク戦争全体の正当性まで疑わせる仕儀に立ち至った。
また、ベルサイユ体制とサンフランシスコ体制のことも思う。前者が第1次大戦後、後者が第2次大戦後の国際体制である(詳しく言うと、後者はその後変遷している)。ベルサイユ体制は「勝てば官軍」方式で、無惨に崩壊した。その反省もあって、サンフランシスコ体制は敗戦国に対して異例に寛大だった。この体制は長持ちして、日本も十分その恩恵にあずかっている。
あの先生にまたお会いして、「勝てば官軍ですよね」とわざと聞いてみよう。「日本は戦争に負けて、そんな幼稚なことしか学ばなかったの?」と、真剣に私を叱ってくれるだろうか。

(3) 「security = 自衛」ではない

security という語は幅広い意味で用いられ、「安全保障」などと訳される。「侵略ではなく自衛」と限定したくて使う言葉じゃないだろう。下記の質問のNo.12回答(拙文)をご覧いただければ幸いである。
マッカーサーの証言は、「多くの資源」の「供給が」途絶えるのは日本の「安全保障」にとって脅威だから、それら資源が「存在していた」「アジア海域」などを獲得しようと日本は「戦争を始めた」と読める。つまり侵略戦争ということになろう。原文を見もしない「ギブミーチョコレート根性」氏は困り者である。

自存自衛の戦争【太平洋戦争】
http://okwave.jp/qa1596912.html
対訳 マッカーサー証言(1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会)
http://www.chukai.ne.jp/~masago/macar.html

(4) 相対化すればこそ優劣がつく

「日本はいつでも絶対に正しい」という「絶対化」論者とは別に、一見公平な「相対化」論者がいる。「日本だけが悪いのか? 欧米こそ侵略していた」、「他の奴だってやってる」という論法である。
しかし、相対的であればこそ、「他の奴」より上手くやって出し抜かなければ意味がないだろう。皆、おののく中間者なのだ。さて、次に引用する加藤陽子は東大准教授で、伊藤隆の弟子である。伊藤は右寄りの人として知られている。

『日米関係史 開戦に至る十年』を読み直す(加藤陽子、日本近代史)
http://www.utp.or.jp/todai-club/2005/08/30/oaeue …
(引用開始)
ついで本書の強みは,日中戦争から太平洋戦争へのエスカレーションについての説明が論理的になされていることにある.通常この問題については,つぎのような答えが想定される.すなわち,アメリカ極東政策の二本の柱が「中国の領土保全」と「門戸開放」であり,日本の対中国政策が東亜新秩序であるならば,日米は中国をめぐって不可避的に対立せざるをえないというものである.
一見,これは正しく見える.しかし,この答えを正しいというためには,アメリカ極東政策が,1930年代を通じて,「中国の領土保全」と「門戸開放」をめざしていたことをまずは検証しなければならない.これは疑わしいだろう.
そうであれば,いかなる説明が可能だろうか.この本のなかで三谷太一郎氏は,東京帝国大学教授(行政学)で近衛のブレインでもあった蝋山政道の日中戦争観を分析することで,この問いに答えている.
蝋山は,東亜新秩序という地域主義理論を考案した.そして,日中戦争を戦う理由を,「日本の軍事力によって打破されねばならない二つの障害があったからである.一つは中国民族主義であり,一つは中国民族主義を利用し,そのためにこれと提携した西欧帝国主義である」(第4巻156ページ)と位置づけた.そのように考える蝋山にとっては,日中戦争は単なる日中戦争ではなく,必然的に日英または日米戦争へと発展していかざるをえなかったと,三谷氏は結論づける.
この説明は,深い真理をあまりにもさらりと述べたためだろうか,会議の席でも,その後の研究史においても,意外なほど注目されてこなかったように思われる.
(引用終り)

つまり、日本は自衛に留まるつもりなど、さらさらなく、中国を侵略して、さらに(中国と手を結んだ)先進列強まで打破しようとしたのである。日本帝国主義は、「中国民族主義」プラス「西欧帝国主義」を敵と定めた。しかし、そりゃあ勝ち目があるまい。中国民族主義と戦うためには西欧帝国主義と手を組むべきだし、西欧帝国主義と戦うためには中国民族主義を味方に付ける必要があったはずだ。
帝国主義は帝国主義でも、中国民族主義と手を結んだ先進列強の方が、日本より何枚も上手(うわて)だった。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ANo.7回答者:Roman0様への補足を書いた後、
貴殿のご回答を拝読しております。

あなたでいらっしゃましたですか・・・?
私はそのNo.12回答を見て感動したことがあります。
とても安心しならが読めるので至極感謝です。
同感するところ多多ありです。
確か、中国に原爆を落とすかどうかの議論でしたよね。

> 、「安全保障」などと訳される。「侵略ではなく自衛」と限定したくて使う言葉じゃないだろう。
この言葉、まさに言い得て妙です。

まさに、自己正当化の理論理屈をいくら並べても
自衛=自己中心としか思えません。
安全保障上戦争を始めたことがイコール、日本は
「自衛戦争であったと彼が擁護している」と言うことには
全然ならないですよね!私も同感です。
渡辺○○なんて言う著名人も喜んで主張してますが・・・

>「侵略戦争しつつ自衛戦争と強弁する」
仰せの通り、まさしく、これは自己正当化の戦争だと思いますね。
正当性を欠きますね・・・

NO7の補足にも書きましたが、
正当性がどれだけあるかどうかが問われているのだと思います。

侵略戦争にもし国際的な正当性が認められれば一概に
悪だとは言えないということです。
しかし、日中戦争は正当性に欠く侵略戦争だったと思います。
東亜新秩序など自己正当化スローガンもいいことろですね。

暴走してしまった以上、もやら紛れもない事実ですね。
侵略戦争であることは・・・どうも有り難うございました。

お礼日時:2008/10/13 17:21

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!