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先日、京都の秋元神社の赦免地踊りを見にいってきました。
女装した少年が切り絵をはった燈篭(みごとです!)を頭にのせて練り歩くのですが
お祭では少年が女装することが多いと思います。
鞍馬の火祭りでは少年も少女も女物の着物をきて
小さな松明を担いでいました。
他にも少年が白粉をつけ紅をさして
布団太鼓の太鼓台に載っているのを見たことがあります。
お祭で少年が女装するのはなぜなのでしょう。
個人的にこうじゃないかと思う、という意見でも結構ですので
お答えいただければ嬉しいです。
よろしくお願いします。

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A 回答 (9件)

 ヒンドゥの瞑想ヨガについての、先駆け的な方、関口野薔薇さんだったか、酒呑童子はシューテン・ジョウジという難破の水夫のことである、とかありました。


 でも、白川静さんになると。
 童子とは職業で髪をザンバラにしている巫祝集団であると、孔子の出自の中で触れていました。
 多分そういう集団の装いは異常な状況にふさわしいものであったと存じます。
 女性は巫女に、覡たる男性は童子としてザンバラ髪と異様な風体をしていたのではないかと存じます。
 後醍醐天皇でしたか、いわゆるそういう異形の流れが女装の少年であるのかも知れません。
 つまり巫覡の方式の伝統から来ていないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

>酒呑童子はシューテン・ジョウジという難破の水夫のことである
面白そうな話ですね。
本に書かれていたのでしょうか。
もしそうならタイトルを教えていただけませんか。

>童子とは職業で髪をザンバラにしている巫祝集団であると、孔子の出自の中で触れていました。

赦免地踊が行われる八瀬の人々は八瀬童子と呼ばれていました。
日本における童子とは寺社に仕える神人のことであったようです。
童子は結髪することが許されなかったため、童形(ザンバラ頭)であったようです。
酒呑童子や茨木童子などの鬼が童子と呼ばれたのは神人であったからだといいますね。

>後醍醐天皇でしたか、いわゆるそういう異形の流れが女装の少年であるのかも知れません
勉強不足でよくわからないのですが、具体的にはどういうことなのでしょう?

巫女のほかに巫覡という存在があったことは知りませんでした。

確かに、少年が女装するのは巫覡からくるという説もありえますね。

お礼日時:2008/10/21 11:58

神様が「女性だから」ではないですか。


自分の土地に関係ない女が入り込むと機嫌が悪くなり(嫉妬する?)、
災いを起こすから。
そこで、女装した男の子を神事に使うようになったのではないかと。

昔は、奥さんを指して「うちの山の神は・・・」なんていっていたのは、
その名残では?
女人禁制の山の神様は「女性」だし、土俵の神様も「女性」だから、
立ち入った女性に災いを与えるから、ご遠慮ください、という事でしょう。

この回答への補足

ありがとうございます!
そういうこともあるかも、と思いました。
宗像大社の沖津宮は女人禁制ですが、宗像三女神という女性の神様を祭っていますしね。

でも、秋元神社の御祭神の秋元但馬守喬知って男なんです。
鞍馬の火祭りは由岐神社の祭りですが、由岐神社の祭神は大己貴命
少彦名命と男神です。

ただ少彦名命って和歌山県の淡嶋神社の御祭神でもあり
淡嶋神社は雛祭り発祥の地であるなどともいいますが
雛祭の語源は少彦名命祭が祀ったものだとも伝わっているようです。
雛祭って女の子の祭のはずなのに、少彦名命祭って?

神様は性別を超える存在で、情況に応じて男になったり
女になったりするのな、とも思います。

記紀神話では「うけいの子産み」において
スサノオの物実である剣から宗像三女神が産まれています。
そのときスサノオは自分の心に邪心がないから女神が生まれた、
と言っています。

それはすなわち女神とは和魂、男神とは荒魂をあらわすのかなあ
と思えるのです。

でも山の神って女神だけど、嫉妬深いなどとされていて
そうすると女神=和魂ともいえなくなってくる。

神の世界は難しいですね~

補足日時:2008/10/18 11:39
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私も違う視点から



祭には「神様を楽しませる」というタイプがあります。
このため、滑稽な化粧・仮装や動作をするイベントも多いです。
で、男の女装も芸の内で・・・
 
 「日本トンデモ祭り」
 http://www.sugikoto.com/maturi1.htm

この回答への補足

あはは、面白いページを紹介してくれてありがとう。
さっきまで読んでいて、大笑いしてました。
鞍馬の火祭りもありましたね。
紹介されていた飛鳥坐神社の御田祭にも行ったことがあるんですが
この狂言のおかめ役も男性でした。
しかもかなりがっちりした体つきの。
最後にはティッシュペーパーみたいのを撒き
参拝者が「福(拭く)の神」として持ち帰ります(汗~)。
女性がおかめ役やったら生なましすぎるかも!

私なんかはこのようなお祭見てると楽しいですが
神様も楽しんでらっしゃるのかも。
とっても人間的で親近感わきますね!

補足日時:2008/10/15 20:16
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じゃ まるっきり違う視点から



日本のみならず中国でもそうですが男の子はある一定の年齢まで 女の子として育てた方が丈夫に育つという風習があちらこちらに有ります

もちろん実際に女の子の方が丈夫なのは事実ですが
暗殺や戦に負けた時等世継は殺されてしまうため ある程度の戦闘能力がつくまでは女の子として育てたのではないでしょうか?

当然祭りごとには地域の有力者の子供は参加するのが当たり前で 女の子として育てられている男の子が参加してたのでは?

この回答への補足

ありがとうございます!
なるほど、そういうこともあるかもしれません。

秋元神社は元禄年間に幕府の老中であった秋元但馬守喬知を祀る神社で
1707年、八瀬童子と叡山との結界訴訟が起こった際、
八瀬童子が後醍醐天皇の御世から駕輿の警護等を勤めてきたことから
喬知は年貢諸役一切免除を認めたとかで
以来、この報恩のため「赦免地踊り」を奉納しているとのことです。

しかも女装するのは13歳から14歳の少年ということで
成人式的な要素もあるのかな、と思いました。

重税や兵役をさけるために女装していたことのなごりなのかもしれません。

また鞍馬といえば源義経を思い出しますが
五條大橋で弁慶にであったとき、義経はたしか女装をしていましたね。

平治の乱の際には後白河法皇が女装して仁和寺へ脱出していますが、
男のみなりをしていると襲われることが多かったのかもしれません。

鬼の茨木童子は老女に化けて夜な夜な平安京の羅生門・戻り橋辺りに出没したといいますが
これも警戒心をもたせないようにするためでしょうか。

いただいたご意見をまとめさせていただくと
(1)女性は穢れた存在であるから→Hardy様・hzm214様・leman様
(2)天照大神は女神ではなく男神であることを示唆するため→furupai様
(3)通常と異なる状況とする→krya1998様
(4)女の子として育てたほうが丈夫に育つと考えられたから→m41様
となると思いますが、どの説もなるほど、と思えます。

答えはひとつではなく、複数の要因が絡み合っているのかもしれません。
また、それぞれのお祭によって理由は異なっているのかもしれませんね。

補足日時:2008/10/15 15:01
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 お側にお仕えするお稚児の装束ではないですか?


 女の子は巫女(みこ)でお使えですよね。
 お稚児は、やはり少女の装束と昔からあまり変わりませんから、その発展ではないですか?
 お側を華やかにする、通常と異なる状況とする、通常ではない原則とする。
 そんな方式からの発展形式ではないですか?
 かわいい男・童(おとこ・わらべ)がお使えする、ということも思いもあるかも知れませんね。

この回答への補足

ありがとうございます!

現代の稚児の装束は一応、少年と少女では違っているようです。
昔はどうだったのでしょうか?

巫女について御指摘いただきましたが
確かに巫女って女性ですね。

八卦では、乾は父、坤は母、艮は少男、兌は少女などとされているようですが
そういうことと関係あるかな?と思ったりもします。

ちなみに艮(うしとら)は方角では鬼門の東北で
吉備津彦に退治された鬼の温羅は別名を丑寅御前などともいうそうです。
 

補足日時:2008/10/15 09:56
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女神とされている天照大神(アマテラス)は、実はアマテルという男神であるということを示唆するため。

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この回答へのお礼

ありがとうございます!
天照大神が男神であるという話は各地に伝わっているようですね。

神の本性は御魂・和魂・荒魂のみっつに分けられるといいます。
記紀を読むと
荒魂・・・男神
和魂・・・女神
のように書き分けられてるのかなあ、と思ったりします。
男神の天照大神は荒魂、女神の天照大神は和魂
だから女装するのかな?と思ったり。

お礼日時:2008/10/15 09:55

これは太古からの信仰からくるものですね。



古くから女性はけがれている言われています。それはなぜかといえば女性のは生理というものがありますよね。そのときに血のようなものが出てきます。古来日本の神々は血を意味嫌います。だから女性の代わりに男性が女装して神事をおこなうのです。けして差別でやっているわけはないのです。

だから生理の来る前の女の子は”稚児”として神事に参加することができるのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!
確かに日本には血を穢れとみる風習があったようですね。
数年前のことですが、節分の日の火渡りの行事で山伏さんが
「生理中の女性はご遠慮ください」と言っていました。

稚児には確かに女の子もいます。
ウィキペディアによれば、稚児は
(1)よりまし型
(2)舞踊・芸能型
(3)行列型
があり、(1)よりまし型は少年に限られるそうです。
稚児のもともとの形ってよりまし型なのではないかなあと思うのですが
どうでしょう?

お礼日時:2008/10/15 09:43

私の地元の祭礼では、山車が出ますが、25年前には、女の子が山車を引くことさえだめでした。

現在ではOKのようです。

日本古来の女性を穢れと見る風習の名残なのでしょうか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます!
山車が出るお祭がある土地にお住まいだなんていいですね!

女性は穢れがあるという考えは古よりあったようですね。
でも、それならなぜ天照大神とか玉津島姫とか宗像三女神など
女性の神様がいるのでしょうね。謎です~

お礼日時:2008/10/15 09:31

おそらく、女子禁制、だからでしょう。


ヨーロッパに、ウィーン少年合唱団みたいな合唱団っていっぱいありますよね。あれは、女子が教会の神事(?)に女子参加が禁止されているからで、しかし女子の歌声(ソプラノ)が必要…ということで変声期前の男子で代用しているわけです。
日本も、相撲の土俵の上は女子はダメって言いますよね。何年か前、大阪府知事がどうのこうのって問題になったのはご記憶に新しいかと思います。
お祭りは、神様に祈りを捧げて豊作を祈ったり、つまり今でこそ出店で何か食べたりエンターテイメントになってますが、もともとは神事ですよね。だから、女子は参加できず、男子が女装しているのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!
このごろのお祭ではギャル神輿があったり、
女性が地車をひいたりすることもあるので忘れてましたが
そういえばかつては女性が祭に参加するのは禁忌とされていたのでしたね。

お礼日時:2008/10/15 09:27

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のようなことを本で読んだことがあるような気がするのですが、確かではありません。どなたか何でもいいので(聞いたことがある、とか文献等)教えてください。

Aベストアンサー

こんにちは。

私の従兄弟たちがそうでしたね。
実家が社家でしたので、古いしきたりも結構残っていました。昔、祖父に聞いたところによると、平安時代頃から、こう言った護法はあると言われました。皆さんが仰るように、弱くて育ちにくいとされる男児乳幼児は、男児のみに病を得さす荒神がいるのだと考えられていたため、その神から守るために、女児の姿で数え七つまで育てるのだそうです。他にも、人の家の間口に生まれたての子を一旦捨てて、改めて拾いに行くと言う方法も、同じように「捨て子」を認識させて荒神を遠ざけさせると言う理由なのだそうです。
さすがに従兄弟達は、普段からそんな格好はしていませんでしたが、髪型はかむろで、正式な式(七五三とかお正月とか・・・)の写真には、きれいな振袖で写っています。

女の子を男の子のように育てると言うのは、多分、家督の問題からではないでしょうか。世界を見渡しても男権社会が多く、男性が家を継ぐ事を慣わしとしているところが多い為、男性として育てて周囲を欺き、家督を継がせる為とか・・・日本ではさすがに男装は聞きませんが、家を継がせる女の子に男性名をつけるのは聞いた事があります。(例えば「晶」とか「嘉」とか「豪」とか・・・)でも、そう言えば宮尾登美子の「蔵」でも、子宝がなかなか育たない為、やっと生まれた主人公の女の子に、強くあれと「烈」と言う名前をつけていました。もしかしたら女の子でも、そう言う風習があったかもしれませんね。

ご参考になれば幸いです。

こんにちは。

私の従兄弟たちがそうでしたね。
実家が社家でしたので、古いしきたりも結構残っていました。昔、祖父に聞いたところによると、平安時代頃から、こう言った護法はあると言われました。皆さんが仰るように、弱くて育ちにくいとされる男児乳幼児は、男児のみに病を得さす荒神がいるのだと考えられていたため、その神から守るために、女児の姿で数え七つまで育てるのだそうです。他にも、人の家の間口に生まれたての子を一旦捨てて、改めて拾いに行くと言う方法も、同じように「捨て子」を認識させ...続きを読む


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