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宗教についてお聞きしたいのですが。

天国、浄土へ生まれること。悟りを得ること。など。
各宗教、各宗派によって目的は様々だと思うのですが。

目的を達成するに当たってどのような信仰をしているのかを「ざっくりと」知りたいです。

私が本・インターネットで調べられたものは2点しかなかったのですが、
お詳しい方がいらっしゃいましたら、回答していただけるとありがたいです。

■仏教・浄土真宗
1.目的
(1)死後
(2)悟りを開く
=浄土に生まれる

2.手段
信心を得る→念仏する
(信じてただ念仏)

3.禁忌・してはいけないこと

五逆・誹謗正法

■仏教・曹洞宗や臨済宗などの禅宗系

1.目的
(1)この世で
(2)悟りを開く

2.手段
座禅


・解りやすくこの形式で答えていただけると嬉しいです。

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A 回答 (4件)

各宗教・宗派の信仰についてというご質問ですが、宗教ということになる世界三大宗教のキリスト教・イスラム教・仏教のほかにヒンドゥー教や道教などいろいろありますし、


さらにその中での宗派となると、無数にありすぎてとてもいちいちは説明しきれません。
それぞれの概要はウィキペディアなどでざっと見た方が早いと思います。

ですが、基本的な三つのポイントをおさえてそれぞれを見ていけば良いと思います。
つまり、世界の宗教は、一神教か多神教か無神論かの三つに大別されるということです。

キリスト教・イスラム教は一神教。
ヒンドゥー教や土着的な道教は多神教。
仏教や老荘思想に基いた道教は無神論。

大雑把にみるとこのくくりで良いと思います。
そういう基本的なことをおさえた上でそれぞれ見ていくとわかりやすいと思います。

一神教は最終的には主となる神のみこころにかなうことをめざします。
多神教は万物のありように敬いと畏れをもって接することによって成り立っています。
無神論は一切の真実を見極めることをもってその教えが成り立っています。

キリスト教・イスラム教は主となる神のみこころから人が離れてしまったがゆえに、そこに回帰することが目的です。
そのために、預言者があらわれて主となる神のみこころを伝えることによって、宗教が成り立っています。
つまり大切なことは、主となる神のみこころを知ることなのです。

ヒンドゥー教や土着的な道教は万物にはその万物を司る存在を認めて、その存在を受け入れて調和をもっていかに世界で暮らしていくのか。
一般的な日本神道もその中に入れて良いと思います。

仏教や老荘思想に基いた道教は本来は人格神的な特定の超越したものの想定はしません。
ただ、この世界が成り立っている道理を深く追究していきます。

では、仏教で仏に対して様々な信仰があるのは、という疑問がおこりますが。
もともと仏とは悟れる者という意味です。
つまり先に真理を得た者に教えを請うという形で教えが成り立っています。
つまり我々が学校などで先生に学問を学ぶように、仏に教えを説いてもらって真理を学んでいくのが仏教なのです。
ですから浄土の門で極楽浄土に往生するのも、それが最終目的ではありません。
最終的には仏と成るための修行をするために、極楽浄土に往生するのです。
仏教に様々な宗門があるのも、すべてそのためです。
そこに至り成するための方法が違っているだけです。
東京から大阪に行くのに、新幹線で行くか、飛行機で行くかの違いのようなものですね。

こうして見ていくと、宗教というのはつまるところ世界を学ぶということなのです。
一神教においては、世界の創造主である主なる神のみこころにかなうということにより、世界を知り、
多神教においては、万物を司る存在を通して、世界を知り、
無神論においては、一切の真実を見極めることをもって、世界を知るのです。

つまり我々が、ふだん社会を学ぶのに似ていますね。
一神教は親を通して社会というものをおそわり、
多神教は近所のおじさんやおばさんを通して社会というものをおそわり、
無神論は本を読んだり学校で先生にならって社会というものをおそわる。

質問者のいった形式と違いますが、このような視点で宗教一般を見ていくと、どのような宗教であってもわかりやすいと思います。
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質問文の訂正も必要なようなので、それを書きます。



■仏教・浄土真宗
1.目的
(1)死後
(2)悟りを開く=浄土に生まれる
死後、浄土で修行し(悟って)仏になるのは、他の浄土門諸宗です。
浄土真宗では、現生で信心を得れば仏になる身が確定するので、浄土での修行(悟り)は要しません。往生即成仏なので、直ちに衆生救済を始めます。

2.手段
信心を得る→念仏する(信じてただ念仏)
念仏は手段ではなく、仏になる身が確定したことに対する感謝のはずです。報恩感謝の行です。自力の念仏は否定しているはずです。

3.禁忌・してはいけないこと
五逆・誹謗正法
部外者なので、ここは知りません。

■仏教・曹洞宗や臨済宗などの禅宗系
1.目的
(1)この世で
(2)悟りを開く
曹洞宗では、悟りを求めないと言われています。悟るという打算の修行では、打算の悟りとなるのです。無所得・無所求・無所悟の行のはずです。仏になるのではないのです。作仏を期待しないのです。
臨済宗では、不立文字・教外別伝・直指人心・見性成仏・偶像否定の特徴があります。悟りに基づく生活を重視します。

2.手段
座禅
曹洞宗では、座禅に執着するわけではありませんが、座禅(黙照禅)が第一の修行です。仏になる・悟る手段ではないのです。手段という設定が間違いです。
臨済宗では、公案禅を修行し、悟りを実現するので、手段という設定が間違いではないようですが、悟後の修行の方が大事だとされているので、悟りは通過点のようです。
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 まず、仏教の根本の目的ですが、それはすべての人々の生命の中にいかなる難題に直面しようとも、それを悠々と打開していけるだけの力、つまり、気づいていないすばらしい能力(これを仏性という)を誰もがその内に秘めているということを教え、気づかせ、発揮させて、その人生を幸福な方向へと向かわせることが本来の目的なのです。

このことを説き明かしたものが、実は法華経なのです。
 つまり、他力本願のおすがり信仰や単なる精神修養などは本来の目的から逸脱したもので、仏教を説いた祖師である釈尊の真意に反するものなのです。
 確かに念仏にしろ、真言、禅等の宗派の拠り所としているものが、釈尊の説いた教経を基にしていることは事実ですが、これは当初、法華経を説こうとしたら、当時の人々の機根(きこん:受け入れる能力)がかなり低く、いきなり法華経を説いても理解不能ということがわかったので、いわゆる方便として様々な例えや架空の話を織り交ぜ、仏教のイロハから説いていったのです。
 これはちょうど教育を受けていない人間にいきなり大学の講義をしても無理で、やはり、それなりの手順を踏んでその理解力を高めていかなければ何ともならないようなものだったのです。
 そのために釈尊は法華経を説くまでに40年近くも方便の教経を説いて、その数が八万とも言われるほどの膨大なものとなってしまったのです。それらでよく聞く代表的なものが、華厳経、阿含経、無量寿経、大日経、般若心経等で、それらはあくまで法華経へと導くための仮の教えに過ぎませんから、それらを信仰の対象として観るのは馬鹿げてますから、当方は仏教の本義である法華経を拠り所にして、そのことに気づくまでは宝の持ち腐れとなっていた希望と勇気の源泉と言ってもいい、秘めた自らの内なる力を大いに発揮して、仏教本来の目的を達成しているのではないかと思っています。
 もし、仏教をもっと調べられるのであれば、個々の宗派だけでなく、仏教の全体も俯瞰されて、その経緯を学ばれるのが良いかと思われます。『木を見て、森を見ず』では、やはり、偏頗な本義に外れたものとなるので、木を見て森を見て、森を見て木を見るの往還が大切かと思われます。
 簡素な形式とはなりませんでしたが、一応、ざっくりとは述べてみました。
 
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パーリ語の仏典を学んでいます。



■パーリ語の仏典の私なりの解釈

1・目的
(1)今この瞬間に
(2)八正道を歩む

2・手段
<八正道>
・戒(身口意・善心所を育てる)
・定(サマタ冥想)
・慧(ヴィパッサナー)

理性を重んずる。

論理的に道徳的に理性的なものか検証し、実践しても問題ないか納得したことを何度も検証し柔軟な見解を持つことを勧める。

ブッダの言ったことでも信じる必要は無い。検証しなさい。と言う態度。最後まで相手の自由を守る。

天界や梵天界に生まれるのも良い事だが、その後の輪廻がどこにいくかわからないし、存在自体が苦なのだから、智慧を磨くことを熱心にしたらどうだろう。智慧が無ければ次ぎの生で何をするかわからんでしょ?

と言った印象を受けています。

何か参考になれば幸いです。
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