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日本は、オランダやポルトガルと交流をしていました。およそ1400年代の話です。そこから、キリスト教や鉄砲などの新しい文化が入ってきたことは、日本史で勉強しました。そこで疑問に思ったのですが、その当時のオランダやポルトガルは、大変栄えていた国だったのでしょうか。今、ヨーロッパの大国と言えば、イギリス、フランス、ドイツなどが出てきます。(偏見かもしれませんが・・・)なぜ、オランダやポルトガルが日本に来るようになったのでしょうか。そのいきさつを教えていただきたいと思います。
 日本史の逆の対場から学習は、なかなか分からないのでぜひよろしくお願いします。

A 回答 (4件)

 偏見ではありませんが、1つには1400年代のヨーロッパ強国は、それも海外へ進出著しかった国のうちにはポルトガルとオランダがあったということですね。


 1400年代っていうか、1500年代?
 当時の海に面したヨーロッパ各国はインドや東洋への航海路を切り開くことに国力を傾けていたんです。原因は香辛料、それも胡椒や肉桂(シナモン)、丁子(クローブ)です。
 それまでのヨーロッパは厳しい冬に備え、食料を長期保存していました。
 いろんな知恵がありましたが、やはり時間には勝てません。長期保存したお肉がどうなったかというと、もちろん腐ってぬめぬめ緑の蛆虫がわいたわけです。
 また、乾燥させると大して美味しくないしかわりばえがしない。だんだん生活水準が向上しつつあった折り、胡椒というものがあれば肉の味がぱっと引き立つということがわかり、スパイス・ハーブは大変もてはやされました。
 胡椒は特に高額で取引され、一時は胡椒はその重さの黄金と同じ価格がついたそうです。金はいまだもって、全世界で過去の分も含めて50mプール二杯分しかない貴金属です。それと同等の価値があったという生ものはそうはないでしょうね。
 その他にも生活を潤すもの、シルクや紅茶・・・そういった要素、またマルコ=ポーロが書いた「世界の記述」(東方見聞録)の中の黄金の国ジパングがあり、ヨーロッパの人たちにはインド・アジア魅力的にうつったのでしょう。
 
 しかし、長期の航海に乗り出すには幾つかの要素が必要です。
 まず航海技術。これがなくては始まりません。この大航海時代がはじまった理由の一つには、羅針盤の改良がかなり良いところまできていたのもあるでしょう。
 ですが、こういった技術はやはり長年海に面してきた国が二歩も三歩もぬきんでていたんです。特にヴェネツィア、オランダ、ポルトガル、スペインですね。
 当時のこの4カ国は本当に強い国だったようです。オランダは今でこそ小さな平和な国ですが、17世紀まではヨーロッパ最強の国の一つだったんですよ。
 ポルトガルでは王子自身がインド航海路の発見を奨励していますし。
 しかしこれらの国が特に優れた航海技術を持っていた理由は、長いレコンキスタ(※)の結果、彼らの天文・地理や航海技術を学んだからといいます。
 そういうわけで、大航海時代の発端にはお金儲けがしたい(=戦争にはお金がかかるので切実)王様階級の要求と、台頭してきた富裕な市民層による商業活動(商人ですね)ルネッサンス期の科学技術の進歩などがありました。
 と、高校の世界史で習いました(^^;)。
 ちなみにスペインは西へ行き、オランダ・ポルトガルは東へ行きました。
 スペインが西に行った理由は、西へずーっと行けばきっと東のインドに行き着く!と主張した人間が一人いたから、ということになっていますが・・・それがどの程度真実かどうかはさておき、スペインが日本にこなくて良かったですね。
 当時南米に渡ったスペイン人は何をやったかというと、ネイティブの人間を片っ端から殺し、彼らの王様を人質に取って「黄金をよこさなければこいつを殺す」といい、黄金がほどよく集まったところで王様を殺してとんずらしてたんですよ。
 マヤでもアステカでもインカでも。
 そのあげくみんな捕まえて奴隷として銀山で働かせるとか、船に詰めて送るとかしちゃって、当時の南米の人口は激減(3分の1にまで減ったとか)したそうです。
 ・・・そんなことはさておき、オランダとポルトガルだけがずっと日本と貿易をしていた理由は、宗教的な理由からもあります。
 鎖国したのにも関わらず出島を作ってオランダ・ポルトガルのみ貿易を続けた理由、それは宣教師です。
 当時の日本の支配階級にとって、人類平等を訴えるキリスト教徒はうっとうしい以外の何者でもなかったようです。そんなもの広められちゃこまる。
 そこで、キリスト教をそれほどけんけん宣伝はしません、と約束した国がオランダとポルトガルだったんだそうです。
 と、中学の社会で習いましたが・・・。
 他の方の回答と違うところがあったらきっと私の覚え間違いでしょう。無視してくださいね。また、他にも疑問があったら補足してください。

※ 当時イベリア半島の一部はイスラムの国ナスル朝でした。アルハンブラ宮殿をはじめ一つの建築様式を作り上げた国でイスラムが強かった当時の名残の国みたいな国ですね。「この野蛮な異教徒をやっつけて追い出し、清く正しいキリスト教の手に国土を取り返そう!運動」=レコンキスタです。
 
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日本がいわゆる鎖国の前に南蛮諸国、ヨーロッパの国と貿易を行っていたのは15世紀から17世紀にかけてです。

つまり、1543年ポルトガル人が種子島へ漂着してから始まり、途中1623年にイギリスが極東貿易から撤退、1624年にイスパニア(スペイン)船の来航禁止、1639年にポルトガル船の来航禁止、1641年にオランダ人を長崎出島に移す(これが一応鎖国の完成)までの間です。
(betterdaysさん、日本史の立場としても年代は正しく覚えてくださいね。)

さて、これにヨーロッパ側で対応するのが大航海時代です。大雑把に言うと、15世紀から16世紀にかけてポルトガルとスペインが先行し、16世紀末ぐらいからスペインから独立したオランダと新興国であったイギリスがあとを追うという展開になり、この4国はいずれも日本に来ています。もう少しあとにはフランスも参加、この5カ国がヨーロッパの主要海軍国となります(一度詳しく書きかけたのですが膨大な量になりそうなので割愛しました)。

このうち、ポルトガルは一時スペインに吸収され、スペインも南アメリカに広大な植民地を所有したこととオランダの独立により東洋貿易は植民地としたフィリピンを中心としたものに限定されていきます。いずれにしろこの両国は旧教国であったため、それを理由とした徳川幕府の禁教令により日本貿易からは排除されます。

オランダは実はスペイン・ハプスブルク家の領土であり、毛織物工業が発達していたためスペインの貿易船はオランダを中心としていましたが、ここで富を蓄えた階層がハプスブルクの圧政に反抗して独立戦争を起こして独立に成功します。イギリスもエリザベス一世女王の頃に中央集権化を果たし、国力を増すために海軍に力を入れ、スペインと対抗しようとして同じ新教国オランダを支援。1588年無敵艦隊との戦いなどを起こします。結局この両国は東洋貿易の後進国ですが、これにフランスを加えて17世紀にはいずれも「東インド会社」を作って貿易拡大をはかるとともに植民地獲得競争を繰り広げます。

この争いは1623年のアンボイナ事件でオランダがイギリスに勝ち、これによってイギリスは極東(中国・日本など)貿易をあきらめてインドに向かいます。勝ったオランダはジャワ・スマトラなどを植民地化オランダ領東インド(今のインドネシア)を形成し、対日貿易を独占します。英仏はインドでの貿易権益を求めて激しく争いますが結局イギリスが勝利、18~19世紀にインドを植民地化していきます。敗れたフランスは結局ヴェトナムを植民地化します。

さて、最後になりますが、ポルトガルやオランダと並べて書いておられますがこの両国の最盛期は異なっています。上にも書いた様に、15~16世紀に大航海時代を引っ張ったのはポルトガルとスベインでこの両国は先行利益を得て、栄えます。特にスペインは強国となりこの後、少しずつ衰退するもののナポレオンの時代でも強国として認識されています。ポルトガルは一時スペインに併合されたこともあってやや落ち目となります。

オランダ・イギリスは16世紀末ごろから繁栄しだした新興国で特にイギリスはこのあとインドを獲得して飛躍的な強国となり世界の覇権を持つようになります。産業構造の違いと3度にわたる英蘭戦争によってオランダは結局イギリスに負けていくわけですが、それでも17世紀初頭にはヨーロッパ最強の経済を誇っていました。ちょうど、ポルトガル・スペイン・オランダ・イギリスの4カ国が日本にやってきたころは新旧勢力の交代期であったとも言えます。

また、これらの国が日本にくるようになったいきさつについては、大航海時代を解説しなければなりませんが、これまた膨大な量となりそうなので割愛します。
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詳しい…とはどれくらいのことか判別つかねますが、おおまかに書きます。


大航海時代にポルトガルはスペインと争って新航路開拓をすすめ、新大陸における植民地を拡大し、大量の金銀を手に入れ力をつけます。そもそも大航海の目的は香辛料・胡椒の直接入手でしたので、ポルトガルはインド領ゴアに総督府を置き、セイロン等の香辛料生産地域を占領、明よりマラッカの居留権を手に入れ、やがてポルトガル人をのせた明の船が種子島に漂着したことをきっかけに対日貿易がはじまります(1543年)。その後ポルトガルはスペインに併呑されます。
このスペインの1州だったのがネーデルランド(オランダ)です。
ネーデルランドは商工業の盛んな州で、フランスで新教徒の追放が行われるとこの勢力も受け入れて力をつけ、ポルトガルより香辛料の貿易の拠点を奪います。やがてオレンジ公ウィリアムの指導のもと、イギリスの助力を得てスペインからの独立戦争をおこします。(イギリスとの戦いに敗れて海上権を失ったスペインは以後衰退)。新興勢力のネーデルランドはアジアの商品をヨーロッパに売る中継貿易で繁栄、日本との貿易も一時独占します。ネーデルランドの都市アムステルダムは世界の商業・金融の中心となるほどでしたが、やがてイギリスとの戦争に敗れ、海上権を失い衰退します。

以上、教科書通りですが、この辺はヨーロッパの勢力争いが活発な時で、中々面白い時代です。無敵艦隊(アルマダ)なんかもこの時ですね。一般歴史書でも必ず取り上げられているので(世界の歴史シリーズ等)、是非調べてみてください。
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はっきりと覚えていませんが、いくつか理由はありますが、まず、日本はマルコポーロの東方見聞録によって「ジパング」と紹介され、新しい貿易国としていた。


次に、日本に来た宣教師は皆カトリック教徒である。実はこの頃ヨーロッパではカトリック教と対立していたプロテスタント(カトリックと同じキリスト教)の勢力が増大したため、新たな布教の地を求めた。これが、日本だった。
こんな感じでしか覚えていませんがよろしいでしょうか??
あっ!あとその頃の両国は非常に栄えていましたよ。
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