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こんにちは、宗教的な神様やその宗教の英雄というのは善良でなければいけないと私は思うのですか、、、故意かそうでないかは謎として、必ず普通の人なら「ぞっと」する事をすのは何故なんでしょうか?

例:

(1)旧約聖書の神様は大量虐殺をモーセを通じて民に命じました。

  ダビデは特にその言葉を信じてか、大量虐殺を行いました。

  しかし、ダビデは「聖ダビデ」として敬われ、けっして悪者扱いされていません。

(2)コーランの中で、モハメットは、神さまから「思いっきり手荒に扱って良い」という命令を侵略者だかなにかに対して受けています。

(3)ガンジーも愛読したというヒンズー教の経典「バカバットギータ」に出てくる神様クリシュナは、川で水浴び中の女性の服を盗みました。

これも、不思議な事に、信者たちの間では尊い行いとされています。(その後ガンジス川の沐浴には服を着て行う事になったとか、、、。)

そして、その神様クリシュナの親友アルジュナは、自分が天下一の弓使いになる為に修行しましたが、、、それでもアルジュナの上を行く弓使いが現れると自分の身分を利用して「相手の親指を切り落とさせました」。(マハバーラタより)

それでもアルジュナは尊敬されています。

また、ヒンズー教のナルジンガーという神様は悪魔あつかいされた人の腹を掻っ捌き腸を首に巻くという行為をしています。 それでも、崇拝されています。

もちろん悪いこと以上に良いことをしたかも知れませんが、、、、。

とにかく、『例を挙げたらきりがありません。』

しかし、何故わざわざ経典に神や英雄の「残虐な逸話」を載せてあるのでしょうか?

宗教には何か残虐性が必要なのでしょうか?

どうしても私には宗教には不必要に思えてしまうのですが、、。

ご教示、よろしくお願い致します。

A 回答 (8件)

1です。

たびたびの回答で申し訳ありません。

>いえ、その、新興宗教がやってるからって言ったら、もう『なんでもアリ』じゃないですか!
キリスト教だって仏教だってその中の各宗派だって出来たときは新興宗教です。
そういった宗教が勢力を伸ばしたのには政治と結びつき、実際に飢饉や戦争などが続き世情が良くない状況のときに自分の宗教を信じればすくわれると教えるんです。
良い宗教は不安を煽ることなく、救われるのに金や労働を必要としない。しかしこれでっ広まりにくく勢力が弱くなるが敵を作りにくい。
一気に広まる宗教は不安をあおりお金や労働を強制して、そのお金や労働でさらに信者を獲得する。この方法は広まるのが速いが敵も作りやすい。

悪い言い方ですが不安に付け込み信者にするという意味では民間信仰以外の宗教は同じともいえますね。

>う~ん、しかし、テロリストとアメリカの関係と同じでで、、、たまに悪魔よりも、神様の方が悪者だったりして、、、。

その考え通りですよ。
ある宗教の悪魔の多くは敵対する宗教の神様だったりします。
結局、ヤクザの縄張り争いと同じようなもので、自分達の信じる宗教の勢力争いに神様と悪魔を利用しているだけです。
十字軍の遠征など宗教という名を借りた残虐行為はかなりありますからね。

日本なんかはかなりましで外国の神様が来てもそのまま受け入れたり、名前や性質が日本古来の神様と似ているとその神様と一体化させたりしちゃっています。
なので対立とかそういうのに違和感を感じるのだと思います。

>私が無宗教なのは
日本に広まっている仏教の宗派の中にはお寺に定期的に行ったり、仏教を広めるような労働をすることを求めないで、南無阿弥陀佛と唱えればいいという教えのため、実際には宗教心を持っている(先祖のお墓参りをしたり、葬式をしたり初詣に行ったり、何かあったら神頼みをするなどは宗教心のある証拠です。)のに無宗教と勘違いしているんですよね。
また日本人のもともとの信仰に八百万の神があり、外国から来る神々も拒まなく複数の神や仏を信仰出来るという独自の宗教観が外国の方々には理解できないようで、そのために日本人を無宗教と感じているようですね。
またそういわれるので自分は無宗教なんだとさらに感じてしまう。
実際は日本人の多くは神道と仏教と民間信仰が交じり合った宗教観を持っている場合がほとんどですね。

宗教心が無いという意味の無宗教でなく、特定の宗教法人には属していないという意味で無宗教という人も多く居ますが、無宗教というと外国の方からは奇異に見られる(祖先を大事にしてないなどにもつながるので)こともあるのであまりそういう表現は使わないほうがいいかもしれません。

ちょっと最後は余計なことでした。

所詮人間が俗物である以上、本当に神様がいてその神様が素晴らしい存在だとしても、それを利用するのが俗物である人間なのでその素晴らしさをすべて伝えられないんだとおもいます。
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この回答へのお礼

何度もご回答ありがとうございます。

<そういった宗教が勢力を伸ばしたのには政治と結びつき、実際に飢饉や戦争などが続き世情が良くない状況のときに自分の宗教を信じればすくわれると教えるんです。~。
一気に広まる宗教は不安をあおりお金や労働を強制して、そのお金や労働でさらに信者を獲得する。この方法は広まるのが速いが敵も作りやすい。>

なるほど、そういう見方もありますね。

そういう宗教がだんだんと風格を伴ってくると、過去の不安を煽っていた教えの部分をひたかくしにするとか、『とても深い教えで常人には理解できん』とか説明をつけて消滅させるんですね!

それで、ふだん信者が見ない、、、実行もしない、、、何のためにあるのか分からない、、残酷な逸話が残っているのでしょうね。

<悪い言い方ですが不安に付け込み信者にするという意味では民間信仰以外の宗教は同じともいえますね。>

確かにそうかも。

<無宗教というと外国の方からは奇異に見られる(祖先を大事にしてないなどにもつながるので)こともあるのであまりそういう表現は使わないほうがいいかもしれません。>

よく本などでも、そういう話は聞くのですが、、、私は嘘をつかない主義なので自分が無宗教だと思ったら、無宗教と答えます。

<所詮人間が俗物である以上、本当に神様がいてその神様が素晴らしい存在だとしても、それを利用するのが俗物である人間なのでその素晴らしさをすべて伝えられないんだとおもいます。>

そうですね、どの宗教の神様も、実際にこんな神様だったら困る神様ばかりですね。 私も本物の神様は素晴しい存在だと思います。

なんとなく、存在価値がなくなっている残酷な逸話の存在理由も分かってきたので、2,3日待って締め切ります。

ご多忙の中、ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/10/19 06:34

日本は島国ということもあり、歴史的に植民地になったことが無い(占領されたことはあるが)ので、日本文化以外の文化との摩擦が、他の国に比べて少ないといわれています。


大陸続きで、隣の国から攻め込まれる危機感の中で育った人は、自分のアイデンティティーを明確にする為に宗教を必要としてきたのではないかと思っています。残虐性についても、残虐性が常に隣り合わせの環境であれば、尊さや尊厳性を表現するために使ったとしても不思議ではないとも考えられます。

ちなみに、戦時中の日本も、敵国の人間を数多く殺した人が、英雄として新聞で報道されていました。
それを考えると、聖書が書かれた(編集された)当時の英雄の条件と今の時代の条件が全く180度違ったとしてもおかしくは無いのではないかと考えることも出来そうです。
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この回答へのお礼

こんにちは、ご回答ありがとうございます。

<日本は島国ということもあり、歴史的に植民地になったことが無い(占領されたことはあるが)ので、日本文化以外の文化との摩擦が、他の国に比べて少ないといわれています。>

やっぱそうなんでしょうね! しかし、これが幸か不幸なのかは分りませんが。

<大陸続きで、隣の国から攻め込まれる危機感の中で育った人は、自分のアイデンティティーを明確にする為に宗教を必要としてきたのではないかと思っています。>

もしくは、「~~教どうしだから、仲間」という理由で他国と仲良くする為かも知れませんね。

<残虐性についても、残虐性が常に隣り合わせの環境であれば、尊さや尊厳性を表現するために使ったとしても不思議ではないとも考えられます。>

う~ん、しかし、政治や、歴史書なら兎も角、なんで宗教書でなんでしょうかね?

私も歴史書で、○○軍とXX軍が大激突してその時に○○将軍が鬼神のごとき働きをして「○○人を血祭りにあげた」というのなら、心臓をバクバクさせながら読むのですが、、、。

ちょっと今思い出せないんですが、、、「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出せ」的な考えは旧約聖書の時代からあったような気がします。

どの箇所だったか、、今思い出せませんが、、、。

キリストの言葉も大概は旧約聖書の中にある教えの要約ですから。

<それを考えると、聖書が書かれた(編集された)当時の英雄の条件と今の時代の条件が全く180度違ったとしてもおかしくは無いのではないかと考えることも出来そうです。>

旧約聖書の時代の正義感的感覚がどのようなものなのか? ちょっともう少し調べてみたいです。

ご多忙の中、ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/10/20 13:05

多くの残虐な話には、それがある種の裁きをあらわしていて、


神(あるいはその代理人など)が正義であるということがあらわされて
いると思います。(ヒンズー教などはちょっとそれにあてはまるか自信
ないですが)。

その前提には、
1)この世には悪があって、
2)それが解決されないところには救いもない
ということがあると思う。悪も善もない、という宗教もありますけど、
理屈としてはともかく、本当にそう信じて実際生きている人ってあまり
みたことありません。たとえば自分のか弱い赤子が凶悪犯罪者に無残に
殺されてしまったのをみて、どれくらいの人がそこに「救い」と共に
「正義」を要求せずにおらえるでしょうか?別なたとえでは、天国で
殺人がゆるされたら、そこはもはや天国ではないと思うのです。

何が正義であるかは宗教ごとに違うわけですが、正義のないところには
本当の意味で救いもないということを、神(の代理人)による悪人への
裁きの話を通して示しているものが多いと思います。逆にいうと、
残虐な裁きの話をとおして、その宗教がもつ正義観や救い観の
一端がうかがい知れると思います。
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この回答へのお礼

こんにちは、ご回答ありがとうございます。

<多くの残虐な話には、それがある種の裁きをあらわしていて、
神(あるいはその代理人など)が正義であるということがあらわされて
いると思います。>

そうですね! 「裁き」の場合もありますが、、、

<その前提には、
1)この世には悪があって、
2)それが解決されないところには救いもない
ということがあると思う。>

要するに解決の仕方が残酷だったり、いい加減だったりし過ぎる場合もありませんか?

モーセを通して完全虐殺のターゲットとなった人達は、エジプトに居たモーセ達一行には面識も全くない筈です。

それを殺す。 これは裁きなんでしょうか? 

それが、
<たとえば自分のか弱い赤子が凶悪犯罪者に無残に
殺されてしまったのをみて、>

だったら、それは死刑だろうが、何刑だろうが理解できます。

<別なたとえでは、天国で
殺人がゆるされたら、そこはもはや天国ではないと思うのです。>

いや、許す、許さない、誰が天国に行き、誰が地獄に行こうとそれは、運命の赴くままに、ご自由に、なのですが、

この世で、何々教の信条にそった生活をしていないから、と突然引っ越してきた人に言われて、まった無しで殺されるのは、、。

<逆にいうと、
残虐な裁きの話をとおして、その宗教がもつ正義観や救い観の
一端がうかがい知れると思います。>

う~ん、でも、キリスト教の人もイスラム教も、ヒンズー教の人も良い人が多いんだけどな~。

あれが彼らの正義感とは、、、思えません。 『原理主義の人は別として』、誰も実生活に応用していないような気がしますし(応用されたら原理主義の人達と同様テロリストに、、、)、そもそも「臭い物に蓋」扱いされているような、、、。 それなのに、何故どこの宗教にも残酷な話が、、、。 なぞです。 

ご多忙の中、ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/10/18 14:32

殺されるのは悪い人間、神の民ではないからです。

神の民に対する掟が申命記に延々と書かれています。現代社会では至る所で死刑が起こるであろう厳しいものです。例えば休日に家で使う薪を拾っていただけで死刑(安息日は働いてはいけない)、淫行、不倫はもちろん死刑、など神の掟に逆らった者は、家族の手により死刑だったのです。彼らは神の民として、小さな頃から掟を教え込まれていたので再教育するのではなく、問答無用死刑という厳しさだったのです。その厳しさに耐えている民族と、現代同様、淫行、同性愛、盗み、殺人などひどく荒れている民族とを比べれば、神から見れば死刑で当然なのです。また、神の存在を相手にも、自分の民にも示すためだ、とも書かれています。
しかし、その後があります。死者すべてを復活させることを、聖書では力説しています。これはキリストが生前死んだ人を生き返らせ、また自分が死んだ後、地上に人間として現れたことでも証明しました。弟子達に自分を触らせ、食事をしたりして、本当に生きた人間である事を確認させました。聖書の中でも「魂は神の元に返る」と肉体は無くなっても心は死んでいない、と書かれています。間もなく起こるこれらの事柄を考えても、神の人間に対する深い愛を感じられると思います。
宗教は、病気や死の恐怖を取り除く効果があります。自分が死んでもまた地上で再生される、と信じれば、死も大したことではない、と感じませんか?真偽はその後あらゆる文献で調べるのも良く、信じていた方が人生楽に生きられると思います。

この回答への補足

こんにちは、ご回答ありがとうございます。

つまり、彼らは殺されて当然だったというわけですか?(←いや、そんなご回答をいただく筈がないか、、、。)

「自分に厳しく、他人に優しく」「信仰の自由」等等、、、とかいう概念が無いと、そうなっちゃうかも知れませんね。

<しかし、その後があります。~間もなく起こるこれらの事柄を考えても、神の人間に対する深い愛を感じられると思います。>

いや、たとえ復活があるとしても、殺すんだったら、何の為にこの地上にその殺される運命の人たちを送ってきたの? 

もし、その考えだと飛行機をハイジャックしてどこかのビルに突っ込んだ人達は非常に良い行いをした事に成りますが、、、。

もしかして、回答者様のご回答を全く私は理解していないのかも知れません。 補足欄にとりあえず返信しておきますが、、、後々回答者様の言いたかったことに気がついて、お礼欄に返信するかも知れません。

<宗教は、病気や死の恐怖を取り除く効果があります。自分が死んでもまた地上で再生される、と信じれば、死も大したことではない、と感じませんか?>

私には無理です。

<信じていた方が人生楽に生きられると思います。>

確かにそうですね、、、しかし、堂々と残酷な逸話を聞かされると、私は信じる事よりも、尊敬する事が、、、。

どうも、だいぶ誤解して返信したのではないかと思いますが、、、。

ご多忙の中、ご回答ありがとうございました。

補足日時:2008/10/18 11:20
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多くの宗教に観られる性質として


(1)神秘的物語
(2)論理的に詰められていない不完全な道徳論
(3)煩悩(欲怒無知)を刺激するような話
(4)根拠の不明な脅しで操ろうとする

で構成されているものが観られますね。

<<宗教には何か残虐性が必要なのでしょうか?どうしても私には宗教には不必要に思えてしまうのですが、、。>>

僕にもそのように思います。なぞですよね。
何とか力を誇示したいのかもしれませんね…


なかなかパーリ語の仏典のようにスッキリと現実的、論理的に道徳的に実証的にバランスよく詰められているものは私にはなかなかみつけられません。
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この回答へのお礼

こんにちは、ご回答ありがとうございます。

確かに、不思議なくらい(1)~(4)に当てはまる宗教がたくさんありますね。

しかし、何よりも不思議なのは、そんな教えを聞いているからどんな変人かと思うと、『どの宗教の人も教えほど悪い人はいない』。

何故?

<僕にもそのように思います。なぞですよね。
何とか力を誇示したいのかもしれませんね…>

やっぱり、なぞですね!

<なかなかパーリ語の仏典のようにスッキリと現実的、論理的に道徳的に実証的にバランスよく詰められているものは私にはなかなかみつけられません。>

あんまりパーリー語の仏典には詳しくないのですが、、、詳しくないので、、、分かりません。

ご多忙の中、ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/10/18 11:13

#1です。



>なるほど、しかし、脅しによって教えるなんて恥ずかしい行為だとその時代の人は思わなかったんでしょうかね。
これって今の宗教も多く使われていますよ。
よく新興宗教でご先祖の行いが悪いとか霊がついているとか言って壷を買わないともっと良くない事があるといって信者を増やしていますよね。

信じるものってそういう恐怖心に支配されたがっている人も多くいるんですよ。

>しかし、「敵に対しての酷い仕打ち」は、「心が狭い」、「寛容性が無い」、「残酷」等等、、普通の人にはやっぱり理解できない行為のような気がします。
戦争のときは相手の兵士を殺しますよね。
善悪の戦いは戦争状態と同じなんですから。
それにプラスして悪魔は存在自体が悪なので刑罰で言う死刑を与えるしかない存在ということになります。
今の日本だって死刑がありますよね。
それと同じですよ。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。

<これって今の宗教も多く使われていますよ。
よく新興宗教でご先祖の行いが悪いとか霊がついているとか言って壷を買わないともっと良くない事があるといって信者を増やしていますよね。>

いえ、その、新興宗教がやってるからって言ったら、もう『なんでもアリ』じゃないですか!

<信じるものってそういう恐怖心に支配されたがっている人も多くいるんですよ。>

え? そうなんですか!?

あ! でも、確かにそういう人もいるかも知れませんね。

もしかして、私が無宗教なのは恐怖心に支配されたくないから・・・?

う~ん、難しい。

<戦争のときは相手の兵士を殺しますよね。
善悪の戦いは戦争状態と同じなんですから。>

それでも、ガンジーのような良い人を神様は超えて欲しい!

世の中には、経典の神様よりもずっと、良い人が沢山いますね。

やっぱり、所詮は人間の想像力が生み出した神様なので、それを超える人間がいてもしょうがないのですが、、、。

<それにプラスして悪魔は存在自体が悪なので刑罰で言う死刑を与えるしかない存在ということになります。
今の日本だって死刑がありますよね。>

う~ん、しかし、テロリストとアメリカの関係と同じでで、、、たまに悪魔よりも、神様の方が悪者だったりして、、、。

<それと同じですよ。>

俗世間と、宗教の世界も同じという事ですね。

やっぱり、真面目に考えると宗教には入れないということになるんでしょうか?(別に入りたいわけじゃないですが、、、。)

ご多忙の中、ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/10/18 06:02

「我のするところでなく、我の言うところをなせ」という言葉がありますが、これが統治者の本質です。


強大な力を見せつけておいて、自分の言うことを他人に服従させる、ワンマン社長と似たところを「神」ももっています。
言行不一致、これがリアリティです。

因みに、冒頭の言葉は、井坂幸太郎さんの『陽気なギャングの日常と犯罪』の中の響野の言動です  (^^ゞ
どっかに出典はあるんでしょうけどね。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。 補足質問ではありません。あとあと書き忘れなどがあった場合を考えて、補足欄から書き始めています。

<「我のするところでなく、我の言うところをなせ」という言葉がありますが、これが統治者の本質です。>

う~ん、しかし、俗世から離れて、話をするのが宗教だと思っていたのですが、、、。

<強大な力を見せつけておいて、自分の言うことを他人に服従させる、ワンマン社長と似たところを「神」ももっています。
言行不一致、これがリアリティです。>

宗教にリアリティは必要なのでしょうか? 
私には、どうも頭が悪くて分かりません。

<因みに、冒頭の言葉は、井坂幸太郎さんの『陽気なギャングの日常と犯罪』の中の響野の言動です  (^^ゞ
どっかに出典はあるんでしょうけどね。>

偶然ですが、以前に外国人から、

「今日孔子の言葉を勉強しました。

「我のするところでなく、我の言うところをなせ」と言って、親が子供を教育する時に、自分がどれだけ好き勝手に行動しても、いう事だけはまともな事言うから、お前だけはまともな子供になって、というか格言だそうです。」

と言われたことがあります、、、。

本当に孔子の言葉かどうか知りませんが、、、。

かなり混乱気味、、、こんな返信無いほうがましか、、、という返信になってしまいました。

ご多忙の中、ご回答ありがとうございます。

補足日時:2008/10/17 18:17
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元々神って民間信仰から生まれてそれを宗教が利用している場合が多くあります。


民間信仰の神って洪水や火山噴火などの天災や日食月食のような当時はその理屈がわからなかった事柄などに対する恐怖から生まれている場合も多くあります。
だから神々の行為に残酷なエピソードが多く存在してしまいます。

また、善と悪が別れている宗教に関しては悪の存在は徹底的に痛めつけて滅ぼす存在になっています。
だから敵に対しての酷い仕打ちは問題ないどころか素晴らしい行為になります。

一神教になればその神を信じない者はこんなに恐ろしい目に逢うぞという脅しの意味もこめられています。

だからそういったエピソードは不要なのでなく必然なんです。

今の時代に宗教をつくろうと思えば計算して作り出すので不要になるかもしれません。
しかしそうやって出来た宗教には現実味が欠けている宗教になると思いますよ。
なぜならば現実は不条理なことが多く時には残酷な結末が待っていることがあるからです。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。 補足質問ではありません。 私はお礼欄に『書き忘れ』常習犯なので、始めは補足欄から書き始めます。

<元々神って民間信仰から生まれてそれを宗教が利用している場合が多くあります。
民間信仰の神って洪水や火山噴火などの天災や日食月食のような当時はその理屈がわからなかった事柄などに対する恐怖から生まれている場合も多くあります。
だから神々の行為に残酷なエピソードが多く存在してしまいます。>

なるほど! 「森羅万象に対する畏敬と恐怖→神」が始めにあったのですね!

<また、善と悪が別れている宗教に関しては悪の存在は徹底的に痛めつけて滅ぼす存在になっています。
だから敵に対しての酷い仕打ちは問題ないどころか素晴らしい行為になります。>

しかし、「敵に対しての酷い仕打ち」は、「心が狭い」、「寛容性が無い」、「残酷」等等、、普通の人にはやっぱり理解できない行為のような気がします。 そこら辺の感覚が無い人が信者になるか、『これは比喩なんだよ!』と言って、もっともらしい解釈を付け足す、、等、、となるのでしょうかね。

<一神教になればその神を信じない者はこんなに恐ろしい目に逢うぞという脅しの意味もこめられています。>

なるほど、しかし、脅しによって教えるなんて恥ずかしい行為だとその時代の人は思わなかったんでしょうかね。

<だからそういったエピソードは不要なのでなく必然なんです。>

う~ん、私は昔の人が現代人よりもアホだったとは思はないのですが、ご回答をいただいた限りでは、古代人はすこしアホだったのかな? という感想を持ちました。

<今の時代に宗教をつくろうと思えば計算して作り出すので不要になるかもしれません。
しかしそうやって出来た宗教には現実味が欠けている宗教になると思いますよ。>

そういえば宗教ってどういう人が作るんでしょうかね?

謙遜にして、自分の考えたこの教えこそ世界を救うと考える、、、。

う~ん、私にはサッパリ想像できません。

<なぜならば現実は不条理なことが多く時には残酷な結末が待っていることがあるからです。>

あれ、でも宗教って、現実に不条理があるかどうかは兎も角として、悟りやへの方法だとか、天国への行き方の方法を教えたり、人格の完成を目的として、いる事になっているんじゃありませんか?

う~ん不思議です。 

ご多忙の中、ご回答ありがとうございました。

補足日時:2008/10/17 16:59
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