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中学校の授業での宿題です。
江戸幕府はなぜ開国したか
について教えてください。
よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

中学での宿題ということを考慮して回答します。


まず、ペリー来航以前の状況をしらべてください。イギリス船が長崎にはいってきたり、ロシアが着ていたりします。
 また、漂流民の帰還ということで外国の事情がわかり始めてきたのでしょう。そこで時代の趨勢として鎖国は難しいという判断があったのは当然でいつかは開国になったとおもいます。
 ここらあたりは誰でも回答してくるのでちょっと違った側面から調べてみてはどうでしょうか?それは航海技術の進歩です。鎖国が行われた当時太平洋、大西洋を安全に一気に渡るのは不可能でした。しかし、ペリーはやすやすと太平洋を横断しており、それぞれの国も補給をしながらでも日本に直行しています。このように高度な航海技術が発達するとそれまで日本を守っていた海というのが、今度はどこから外国船が来るかわからない状況になってしまいます。(日露戦争のころでもバルチック艦隊の位置を知ることが日本海海戦の重要なポイントになりました)
 以前なら東南アジアを拠点として九州ぐらいまで着ていたのが一気に日本の海岸どこでも来航できる状況になったのです。
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アメリカ人が鯨を殺す手伝いをする為です。



米国の捕鯨船の水や燃料の補給基地(港)を用意しなければ
江戸城に大砲をぶち込むぞ!と脅されたので、しかたなく。
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鎖国・開国となりますが鎖国で一切の耳を塞いでいたのではありません。


一部の国とは細々とやっていました。
それらの国からの情報で危機を悟りました。

幕府が頂上です。
幕府が鎖国継続しても各藩がそれぞれ外国と大々的に取引をしそうだったのです。
幕府が生き残っているうちに開国することで幕府の人員の未来もあるのです。
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1例の説ですが、幕末のころは、ヨーロッパ、アメリカ等が、


アジアの諸国を植民地をどんどん進めていきました、インドだと
イギリス(オーストラリア周辺の小国の島国も)。
ペリーの黒船の来航も、その考えが有った。
植民地化を防ぐのと、諸外国の武器・ノウハウを導入したいとの考えで
開国を進めた。(もちろん反対派も多かった、井伊直弼の暗殺!)
開国直前に、アメリカ、イギリス、フランス等と、不均一な金と銀の交換取引が行われた為、外国へ小判(金)の流出が激しくなった。その為に幕末のには、金の含有量を1/3に減らした小判の改鋳を進めた。(古い小判をどんどん潰した。)諸外国と正当な金取引を進めるため、開国を決意した。
一部の商人は、内部情報のリークで、金の含有量の多い、古い小判を
大量に換金するために、財産を処分して古い小判に交換した。
古い小判は金の含有量が多いため、のちのちに小判の価値が3倍に
なり、莫大な財産になった。(当時は金で物の取引をしていたから)
そのひとつが、「三井」で開国以後に、商取引で大きな利益を得て
財閥を作った。

江戸中期の小判と、幕末の小判の金の含有量調べてみて。
かなり金の含有量が違うのが判るはず。 両方とも、一両は一両だが
古い小判を潰して、両替商に持ち込むと、価値が倍増するのです。
金の含有量と重さで、決まりますからね。
今でも、18金より24金の方が、価格が高いでしょ。

最近の文献で記載が有ったので、内容を部分転記しました。
植民地化の阻止と、貿易の拡大をしたかったのが理由のひとつ。
開国前の、外国人が持ち込む銀と、日本の小判の価値が、
世界水準と、2から3倍違っていたので、外国人は銀を金に交換して
ぼろ儲けしてたのです。 鎖国していたので情報不足だった。
その為に、外国は開国を薦めて 貿易で大儲けしたかった。
その為日本も、金の含有量の低い小判に改鋳して対抗したけどね。
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