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日本では未だに始業式や終業式で国旗を掲揚を拒んだり、国歌斉唱の際に着席したままの生徒や教師がいるそうです。

途上国には始業式や終業式がないところや国旗国歌の扱いの判断が地域の独断によって決まるところも多いですが、
ほとんどの先進国では信教や思想の自由を保障していても、国公立の式典では必ず掲揚が義務付けられていますし、国歌を歌わなければ何らかの罰のある国が大多数です。

どうして日本は国旗国歌に甘いんですか?

A 回答 (15件中1~10件)

国旗や国歌を国家権力の象徴と見てしまう心の狭い、他国を物まねしてしまう思想家もどきが多いからとも言えます 国旗や国歌を見て権力を本当に感じますかね?全国民の共通のしるし程度ではないかといもいますよ だから火で燃やされたりすると日本人全体を否定されているようで良い気持ちにはなりません



日本人が麺類を食するとき音をたてて食べることが国際的にどうか?というのとまったく同じ。日本人が式典で国旗に礼をする=国家権力に礼をするのではないのです

近々米国は世界の中心から手を引く可能性もあり、そのときわが国は自力で国土を防衛するしかなく、国旗のもと団結せざるを得ないとおもいます EU諸国と環境が違うのです
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全国民の共通のしるしである国歌国旗を認めない教師は、ある意味自国の国旗を燃やしているのと同じ感覚ではないでしょうか 教える立場のものは、税金にせよ授業料にせよ日本国民からいただいていますしたがって国民のために教えるしかないのです つまり国民のしるしを粗末に扱うと罰則、解雇 は最低限必要とおもいます



尊重すべき国民のしるしを無視して国民からカネだけは出してもらい
その正当性を主張するのは詐欺に近いのではないでしょうか
ボランティアなら別ですが・・
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>全国民の共通のしるし程度ではないかといもいますよ



「その程度」なら何故強制したり罰則が必要?

個人的には日の丸(だけでなくどの国の国旗であっても)を燃やしたりする事に不快感を覚えるのは確かに有る。
しかし日の丸にも君が代にも思想的な考えは全く無いが「強制」「罰則」というところが引っかかる。
http://www.afpbb.com/article/life-culture/cultur …
正直これと同じ匂いがするから嫌なのです。

余談だが、以前からWGP(現MotoGP)の日本人ライダーが各クラスで活躍していて、絶好調な時期なんて日本人がポディウム独占なんてこともあった。
当然日の丸が掲げられ君が代が演奏される。
これが年間を通して何度も国際映像として世界中に配信されている。
人生を賭け日の丸、君が代を世界に知らしめる(まぁそれが目的では無いが)彼等をもっと称賛しても良いのでは無いかと私は思っているのだが。
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> ほとんどの先進国では信教や思想の自由を保障していても、


> 国公立の式典では必ず掲揚が義務付けられていますし、
> 国歌を歌わなければ何らかの罰のある国が大多数です。

ご質問文には、いいかげんなウソが書いてありますね。この際、日本政府がまとめた資料で勉強してみるのはいかがでしょうか。また、既出質問も挙げておきます。

内閣総理大臣官房審議室および外務大臣官房儀典官室1985年作製「諸外国における国旗国歌について」(改革長老教会 日本中会による転載)
http://www.rpjapan.org/Japanese/Problems/letter_ …
諸外国における国旗,国歌の取扱い(文科省)
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/11/09/990906 …
私の父親は国語の教師です・・・
http://okwave.jp/qa4384598.html
国歌
http://okwave.jp/qa4272340.html?ans_count_asc=0
バーネット事件連邦最高裁判決(福岡県教育法研究会 訳)
http://osaka.cool.ne.jp/kohoken/lib/khk195a2.htm

(a) 「大人(教委・校長)」 →通達・命令→ 「大人(先生がた)」
(b) 「大人(先生がた)」 →指導→ 「生徒」

論理的な思考ができる人なら、「信教や思想の自由を保障していても」、「国歌を歌わなければ何らかの罰のある」というのは矛盾ではないか、と疑うはずです。
これについて、米国では連邦最高裁で「退学などの罰を科してはならない」とする判決が確定しました。ただし、このバーネット判決が、その数年前のゴビティス判決を棄却した上での判決だったことからも分かるように、紆余曲折を経ての結論でした。米国は国旗・国歌がたいそう好きなお国柄なのです。
バーネット判決は今も判例となっています。しかしその後、星条旗に敬礼しないどころか、もっと過激な燃やしたりする者が出て、再び国論を二分する争いとなります。まず、それを処罰する法律が作られました。しかし、「星条旗を燃やして国家社会に異議を申し立てるのも、表現の自由」と反論されます。そして、この主張が裁判所で認められ、処罰する法律は廃止されました。ただし、「表現」するときは場所や対象をよく選ばないと、別の罪、すなわち(日本で言えば)器物損壊や業務妨害や道交法違反や消防法違反などに触れてしまいます。
さて、回答を短くするため、あと4点だけ箇条書きで書いて終わりとします。

(1) 軍隊なんかだったら話は別だが、学校で国旗に敬意を示さないからと言って、国歌を歌わないからと言って、罰するのは愚劣である。罰しないにもかかわらず、生徒たちの多くが国旗に敬意を払い、国歌を歌う。そんな状態こそ意味がある。強制は、発展途上国の抑圧的な政府などがすることだ。

(2) つまり、少数派を尊重してこそ、「思想及び良心の自由」、「国旗・国歌を通しての国民統合」の二つは両立するのである。もっとも、「国旗も国歌もクソ食らえ」が多数派になっては困る。少しは国旗・国歌教育も要るだろう。バーネット判決は、(b)に従わなくても罰せられないとしたが、(a)に従わなくてもよいとは言ってない。マサチューセッツ州では、バーネット判決で認められた生徒の権利を教師にも適用するという判決が出たが、他の州はそうではないようだ。

(3) だからと言って、(a)の命令権の濫用や、重すぎる処分などは認められない。なぜ、日本ではムキになって学校に押し付けるのか? また、過剰なまでに迎撃するのか? それは、国旗・国歌そのものの論議というより、保守と左翼の代理戦争になっていたからだ。また、学校に対する管理強化と、それに対する抵抗の象徴となっていたからだ。

(4) 双方に節度が求められるだろう。日の丸・君が代に反対する側も、静かに整然と不服従で行くべきで、学校で日の丸を引き剥がし君が代を中止させるような活動は、認められない。結局、学校行事で国旗・国歌をあまりフィーチャー(feature)しないというヨーロッパの方式が、妥当だと思う。
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国歌や国旗に対して色々な思想や考えがあっても良いのではないかと思いますけどね。


強制されたり罰則が有るなんて「思想信条の自由」に完全違反していると考えられませんか?

逆に国歌や国旗に敬意を払わない事に憤るのなら、もっと小さな単位=家族に対してはどうですか?
一生懸命働いて育ててくれてありがとうと毎日のように父母に感謝の意を表していますか?
普段から「愛している」と伴侶に対して愛情の表現をしていますか?
最小単位(人、家族)には尊敬や愛情を表さないのに、その集合体である国(否、只の象徴である旗や歌)には敬意を表さないと罰則があって当然と考えるのは何故でしょう?
欧米先進国は伴侶や家族に対して普段から「愛している」と表現しています。
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こんにちは。

一応「国旗・国家否定派=まともじゃない人」という認識が多いことに安心しました。

まず前提を誤解しない必要があります。
国旗・国家が礼賛する対象は「日本政府」ではありません。富士山や日光などをはじめ、北海道(本当は南樺太・千島)から沖縄までの津々浦々の国土全体とそこで育まれた文化伝統、そしてそこに暮らす自分の家族を含めた人民の総体こそが国旗・国家の礼賛対象なのです。
今の政府や自民党がだらしないからと言って、尊敬が損なわれてはいけないのです。
かのアメリカでもフランスでもロシアでも、日本以上に残虐な殺戮の歴史を繰り返してきたくせに国民は国旗・国家への忠誠を決して忘れません。欧米どころかアジアを見渡しても自国の国旗・国家を貶める人民はいないといっていいでしょう(アチェやチベットなど民族独立問題で例外はありますが)。
私としては国旗・国家に敬意を払えない人は社会的地位云々以前に人間として半人前だと思います。日本が嫌いならとっとと他国へ亡命して欲しいですが、どこの国でも自国を愛せない人など一人前として認められません。つまり「どこの国へ行っても役立たず」な人が日本には少数ながら存在するということです。

ではどうしてこんな欠陥国民が生まれたかというと、由来的には「アメリカが大日本帝国臣民の忠誠心が自国に対して脅威なので削ぐためにやった」説、「シベリア帰りの抑留兵が共産教育を広めるためにやった」説など有効かと思います。加えて「学園紛争の連中がお上に反逆するツールとして行った」説もあげられましょう。但しこれは先述の通り「国旗・国家=日本政府」と誤解しているおバカなケースです。

今はむしろ思想的なものではなく、「おバカ」が恥と思われない時代ですから、興味がない・そもそも知識が無いという辺りも原因となっていると思われます。政府は戦前の教訓から国旗・国家に対してこれからも有効な手段は打てないと思われますが、国旗・国家への尊敬は本来は政府から強制されるものではなく我々国民の間から湧き出すものです。
私たちの周囲に、もし国旗・国家へ批判的な人がいたら、どんどんその誤りを正して教唆あるいはまともな社会から排斥していけば必ず良い国になっていくと思います。
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普通に国を尊敬出来ないからじゃないですか?



自分の事ばかりで国民を無視してる政治家とか
管理の甘いのをいい事に税金を着服する公務員とか

とにかくイメージが悪過ぎますよね。
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2004年に・・・


国歌を歌わない人に罰を与えていた東京都教育委員(米長邦雄永世棋聖)を
天皇陛下が自らの言葉で叱責する場面が報道されています。
http://www.asyura2.com/0411/senkyo6/msg/437.html

やっぱり敬意は、義務や罰で強制することでは得られませんよね。
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敬意の話でしょうか、それとも強制力の話でしょうか?


掲揚が義務付けられたり、罰がある・・・というのは敬意ではなく、強制力の話ですよね?国歌・国旗に対して強制的に行動を取らせる政策があるかどうかで、敬意の問題ではないと思います。

後者だと、先進国などでカテゴライズするのはおかしいと思います。むしろ、途上国の独裁国では国歌・国旗への義務付けが強く、先進国はやや弱い。つまり、さらに弱い日本はさらに先を行っているのかもしれません。


敬意の話であれば、日本は大日本帝国時代の反省から信仰が薄れていることも大きいのでは。国家というものがただの枠組みに過ぎず、自分のものと感じる意識が弱いのでしょう。先進国のご都合で国境を引かれて国家とされたアフリカなどでも国家への帰属意識が低くなっています。
日本人も、自分が所属している国に対して帰属意識が持てない国ということだと思います。
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第二次大戦の末期に、日本が神風特攻隊など日の丸を付けて米艦に突撃してきたのを見た米国が、再び愛国心や復讐心を起し、米国に歯向かう国民になるのではないかと考えたのです。


これを恐れたマカーサーGHQの方針で、日本国民から国旗・国歌に対する忠誠心をそぎ取るために方針転換を行ったのです。

これに加えて、日教組も、国旗・国歌は侵略戦争の象徴であるとして、敬意を表する必要が無いと言い、これら全てが悪いのだと言う自虐教育方針を執ってきたのです。

また当時、在日三国人たちは我々は戦勝国民だ、日本人は敗戦国民だといって威張り散らしていたので、日本人は小さくなり敗戦国家の宿命を背負って、自虐的な教育にも後押しされ、国旗・国歌を否定するような人達が生じてしまったのです。
その後、国力が回復した日本は独立国として国旗・国歌に敬意を表すべきだと言う国民が増えてきました。

しかし、未だに教育の歪によって生じた国旗・国歌を否定することに同調する人達が存在するのも事実です。
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