出産前後の痔にはご注意!

私は大の「平家物語」好き、歴史マンガ(源平合戦&幕末もの)好きです。
でも読んでいると、首切りシーンが多くてゾッとしました。
挿絵つきの平家もの小説は、さらし首の挿絵があまりにリアルで、目を覆いたくなりました。
だったら読むなよ!って言われそうですが、感涙するシーンも数多くあり、
平家ものは捨てられません!
笛吹き美少年の平敦盛が泣く泣く殺された話や、
木曾の旭将軍が妾の巴を逃がして家来とともに死ぬエピソードはマジ感涙です。
幕末ものは、近代史の勉強になると友人に勧められて「るろうに剣心」にハマった時期がありましたが、
あれもバトルシーン、流血シーン満載…。
昔の人(少なくとも江戸末期の人)はどうして首切りなどためらわずできたのでしょうか?
(後の日本軍もかなりやばい事しましたが…。)
決定的な理由があってやってたのなら、その理由とやらを知りたいです。
  
PS.14歳で首切りをした酒鬼薔薇は頭狂ってる!もはや人間ではない!
  と思ってます。

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A 回答 (9件)

諸賢もおっしゃられていることに付け加えると、刀で首をおとすのは、実はむずかしい事なんです。

テレビドラマで切腹の介錯なんてやっていますが、あの介錯する人は例外なく剣の達人です。骨を切るわけですから、刀も3人で使い物にならなくなります(日本軍のやばいこと、なんて、大量生産の軍刀ではムリです。高い日本刀でもムリです)。三島由紀夫が楯の会事件をおこして割腹自殺したとき、介錯をした人がいたのですが、達人ではなかったらしく、三島の首には鉄棒でたたいたようなあとがいくつもあったそうです。逆に西南戦争で西郷隆盛を介錯した別府晋介は、一撃で西郷の首を落としています。
あと、えらい人の介錯役は名誉職でもありました。忠臣蔵の大石藏之助を介錯した安場一平は出世して熊本藩から江戸の幕府御歩使番になっています。そのときの刀が残っていますが、彼一人のために名刀を用意し、そのような刀ですら、真ん中はギザギザに刃がこぼれています。

すでに紹介のあるギロチンなどは、1930年代までパリで公開でやっていました(朝早くの時間)。イギリスの歴史は内戦の歴史でもありますが、わざわざフランスから腕のいい首切り役を呼び寄せたり、逆に下手に首切りをやらせて、苦痛を長引かせたりとかしています。オスマン・トルコでは首を切らないと約束して降伏した敵を、しばって、胴体切って処刑、なんてやってます
西洋では倒された相手の甲冑を、倒した騎士の従者がはぎとります。甲冑には家紋があるので、勝った騎士は指揮官にそれを見せ、日本の首実検と同じことをしました。そして、家紋確認がすんだら、戦場に古道具屋が必ず店を開くので、そこに売りつけます(家柄がいいほど高くなる)。そうして、負けた(死んだとは限らない)相手の従者に、コッソリと売ったことをつたえると、負けた側が高く買い戻す。これで、勝ったほうは名誉をえて、負けたほうは恥さらしをしないですむわけです(死んでいても自分の家紋が入った武具がさらし者になるのは家の恥になりますから)。この変形に、負けた人を生きたまま捕らえて、その実家に身代金を要求することもありました。3回十字軍のリチャード獅子心王は、うらみをいろいろ買っていてドイツで捕まり、15万マルクの身代金をイングランドが払う羽目となっています。西洋では身分の低い人は絞首刑、身分が高いほど斬首刑となり、ギロチンはフランス革命のとき死刑執行人の手が足りなくなったので高貴の人を効率的に処刑するために、内科医の国民議会議員ギヨタンが発案した、効率的かつ苦痛の少ない人道的機械でした。で、同様に平民の処刑にも効果的な、共和の精神に則した最新医学の成果だったのです。
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他の方も言って折られるように本人確認というのがまずあります。


その他に、信仰上の理由があったのではないかと私は考えています。

日本には即身仏になろうとして入定した人々が多数いました。
なぜ即身仏になろうとしたのか、その理由のひとつに弥勒信仰があったとのことです。

弥勒菩薩は56億7000万年後に現れるとされる未来仏です。
弥勒菩薩が現れたときに、聖業に参加するために生き返りたい、
そのためには魂の容れ物である肉体を残しておくことが必要だ、と
考えられたようです。

このような信仰がもとになって、生き返られては大変だということで
胴体と首を切り離したのという側面もあるのではないでしょうか。

奈良県明日香村の高松塚古墳の被葬者も頭蓋骨がなかったということです。

私も残酷なのは苦手です。
先日、拷問について調べていたのですが
イラストを見ただけで気分が悪くなりました。
こういうのは体質なんでしょうか。
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先の回答者さんとかぶるかも知れませんが・・・



大勢の兵士が敵味方入り乱れる戦場で、個々の兵士の働きぶりを大将が一人一人チェックをする事は、まず、不可能ですよね。
・・・なので、合戦でどんな功績をあげたか?というのは、皆、自己申告制なのです。

戦いが終って、「私は、こんな活躍をしました」というのを、自分で上司に報告して、それを認めてもらって出世につながるわけですが、そのためには、当然の事ながら、証拠か証人がいります。

今なら、討ち取った武将を写メで撮影して上司に送信!なんて事もできますが、それもできず、かと言って、遺体ごと運ぶわけにもいかないので、倒した敵が誰であるかが、一番よくわかる首で証明するのです。

さらし首は、今でいうところの、新聞やニュースで犯人の写真を出すのと同じです。
戦争は、地元住民に多大な迷惑をかけますから、敵のボスが死んだという証拠を見せながら、その終結を「終ったから安心してね」ってお知らせするのです。

そして、皆さん書いておられるように、これらの行為が、残酷かどうかというのは、時代による価値観の違いによって変わっていきます。

わかりやすく、説明しますと・・・

たとえば、あなたは鶏肉好きですか?
もし、あなた自身が好きじゃなくても、鶏肉を食べる人を「よく、食べれるな~残酷ね」とは思いませんよね。

しかし、鶏肉が、現在のように、切り身になってスーパーに並ぶようになったのは、戦後の事・・・
それまでは、各家庭で鶏を飼ったり、市場で生きたまま売られていました。

それを、食べる時に、殺して、軒先に吊るして血抜きをし、羽根をむしって調理するのです。
それを、普通の主婦がやったりします。

今、現在の主婦に「こうやって鶏を調理してください」と言ったら、ほとんどの人ができないし、残酷だって思う人もいるでしょう・・・なんせ、魚もさわれない人がたくさんいるのですから・・・

でも、その時代に生きていた人は、皆できます。
もちろん、今の時代も、どなたかがそれをやっていてくれている事を忘れてはいけません。

あなたも、その時代に生きていれば、また、違った考えを持っていると思いますよ。
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 先に回答されてきた方同様、残酷さというものは時代や地域によって大きく異なり、ゆるぎない普遍性といったものはないんです。



 戦場においての斬首-首実検については触れられたがいらっしゃるので言及はしませんが、斬首という刑罰はほんの百数十年前まで当たり前にこの国で行なわれており、しかも庶民にとってはちょっとした見世物(ま、タダってこともあったのでしょうが)でもあったのです。いまのわたしたちにとって相当キツいことであってもその時代の彼らにとってはフツーの日常というものだったのです。
 斬首つながりでいえば、おフラーンスのギロチンは受刑者の苦痛をできるだけ軽減するように考案された近代的な処刑法だったんです。それ以前は、手足を折って高く掲げた車輪に死ぬまで晒しておくなんて刑罰だったんです。また、同様にこれまた庶民の娯楽であったんです(ま、それよりずっと前には王族の公開出産なんていまの私たちからするととんでもないことをしていた国でもあるんですが)。
 さらには野蛮の代表選手の如くいわれるニューギニアなどの首狩り(人肉食)という習俗もまた、彼らにとっては敵の勇敢さを称える行為であって決して死体をおもちゃにするって目的でそうしていた訳じゃないんです。むしろ、彼らにとっては討ちとった敵の亡骸をそのままにしておくほうが余程敵に対して侮辱的であるように、一方の文化に属するものが他方の文化に対して正邪や優劣を判定することはもはやできないんです。と、いうか私たちが属している『近代』もまたそのうち、残酷とか野蛮とかいわれても不思議はないんです。

 で──別の視点から考えると、蘇りに対する恐怖が挙げられると思われます。太古の時代から人類は死者が蘇ってくることを大層恐れており、それを裏書きするように邪な不死者の伝説が残っています。そこで、絶対蘇らない殺し方として、わざわざ死者の首を斬ったり心臓を串刺しにしてきたことの地続きで、人は首を斬り落とさずにはいられないのでしょう。
 現代のばらばら殺人などでも、隠蔽を容易にするという合理的な目的だけではなく、絶対に蘇りのないような状態にしなくては怖くて仕方がない(DVの被害者女性などではそうですね)、という心理が働いたが故のものもあるようです。

 ともあれ、人というものは文化といういともあっさりと移ろうものを普遍的なものと勘違いしてしまいがちなもので、いまは非道く残酷で野蛮に思われる公開処刑なんてものも、やたらと死刑が大好きな昨今の世論なんかをみていると、あっさりと市中引き回しとか獄門打ち首や火あぶり釜茹でが復活しても不思議はないんじゃないか、って気もしますね。でも、それを求める彼らにとってはそれが当たり前であるように、残酷さというものは誰にとっても一様という訳でもないんです。
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幕末に


メリケン国では札入れでプレジデントなるものを選ぶと言うことだ。
と、言われても、ほとんどの日本人はちんぷんかんぷんでした。わけわかりませーん。と。

現代の日本人が、「ためらわずに」選挙投票できるのと同様に
幕末の日本人は、「ためらわずに」首切りができた。

そういう認識が時代で違うと言うことだと思います。
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当時は「残酷でも何でもなかった」だけです。



貴方や私が「残酷だなあ」と感じるのは「そう感じるように教育されただけに過ぎない」のです。

貴方や私が「我々の現代文明と接触してない、常識として斬首が普通に行われている部族が居る土地」に行って「残酷だ。そんな事はやめなさい」と言っても、現地人は「はぁ?何言ってのアンタ。これが一番苦しまずに死なせる方法でしょ?よそ者は黙ってろ」って言われるだけ。最悪の場合は「彼らの常識に従って」首を切られて殺されます。

>決定的な理由があってやってたのなら、その理由とやらを知りたいです。
決定的な理由なんかありません。それが「比較的、他の方法よりも合理的だっただけ」に過ぎません。

>PS.14歳で首切りをした酒鬼薔薇は頭狂ってる!もはや人間ではない!
「現代の我々の常識に照らし合わせれば」ですね。

「異なる時代、異なる国、我々と異なる常識をもつ、ここではないどこか」では、狂っているのは酒鬼薔薇ではなく貴方や私かも知れませんよ。
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昔ですからね。


「大将首」と言うぐらいで、首を切って頭を取る事が「絶命」+「本人確認」を最高の形で証明できる手段でもあった訳でしょう。
刀が最高かつ誇り高い武器だったのですし。

因みに、「首を切る事」と「鉛玉を何発もブチ込む事」や「爆弾で木っ端微塵にする事」が、どちらがより残酷でしょう? 
なんて言う質問は非常にナンセンスですから、現代の戦争も昔と変わらず残酷の極みだと思いますよ。 
そうそう毒ガスや核兵器だって使う現代の方が残酷?
いいえ。 
人を殺す行為はどんな方法であれ残酷という事なのです。
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戦場から名ある武将の首を持って帰らぬと雇い主(主人)から褒賞をもらえないことやその後の昇進ができないからです。

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首を切り落とすのは、相手を「完全に殺した」ことを明白にするためでしょう。


銃殺や絞首刑、電気イスよりも、遥かに決定的に、そして瞬時に「死んだ」ことが分かるので、争いの白黒をつけたり、後腐れのないようにするのに適していたのではないかと思います。

以上、勝手な推察でした。
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Q戦国時代における戦での遺体の取り扱いって?

近年の戦争の映画で戦死者の遺体を棺に収め、国旗などでくるんで本国に移送するという場面を見たことがあるのですが、日本の戦国時代はどうしていたのでしょうか?
大きな戦では大量の遺体が発生すると思うのですが、そのまま放置されたのでしょうか?それとも組織的に回収されたのでしょうか?
また、海外(中世の欧州など)でどうだったのかも分かれば教えてほしいです。

ご存知の方、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

現代の山の中の道を走っていると、タヌキなどの小動物が車に轢かれて死んでいるのを目にするのが珍しくありません。周りに人家もないようなところだと、近所の人が見かねて死体を処理することもないでしょう。保健所などの行政当局が通報(誰の?)を受けて死体を処理するのか?

実際は、タヌキの死体は直ちに他の動物(例:カラス)が寄って来て綺麗に食べてしまうそうです。
参考文献:カラスはどれほど賢いか 都市鳥の適応戦略 中公文庫
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31131995
山の中であれば、通行するクルマ以外に邪魔者はいません。効率よく死体処理(カラス等の食事)が進むでしょう。

ご質問ですが、戦国時代の戦いでの戦死者の遺体は、下記の経過を辿ったと思われます。

1. 戦死者は、首を取られた状態で戦場に残されている。
よほど大きな合戦、例えば武田信玄が徳川家康を完敗させた三方ヶ原の合戦でも、徳川軍の戦死者は1000人行かない計算のようですから、そんなに大きな数ではありません。普通の合戦なら「戦死者10人」とかの単位です。

2. 戦闘が終わって両軍が引き上げると、既に回答されているように農民たちが「戦場狩り」を行います。これは、「田畑を荒らしたことに対する補償」の意味も含まれていたようです。
この際は、我々の眼から見て価値がある鎧、刀、槍などはもちろん、着ているものもフンドシに至るまで全て剥ぎ取られます。戦国時代の日本は、今の北朝鮮のような「使えるものは全て使う」社会ですから、例えば「戦死者がつけていた、血に染まったフンドシ」でも洗えば価値があるので剥ぎ取られました。地位のある武士が着ていた服は、農民から見れば「超豪華な織物」ですから、血や泥を落として分解すれば高値で売れました。(和服は、縫った部分をほどけば長い反物に戻ります)

3. 農民が徹底的に戦場狩りを行った後、戦死体は、全て丸裸になったでしょう。即ち、冒頭で説明した「クルマに轢かれたタヌキ」と同じ状態です。この状態であれば、後は野生動物が死体を処理してくれたと想像できます。実際、合戦の後の戦場をカラスが徘徊している様子が、当時の手紙か何かで描写されている例があったと思います。

4. 現在も痕跡が残るように、地元の僧侶が穴を掘って死体を埋め、供養したと言う例もあったでしょう。これは、「戦場狩りで大儲けした農民たちが、罪滅ぼしの気持ちで供養を依頼」ということが多かったのではと思われます。

現代の山の中の道を走っていると、タヌキなどの小動物が車に轢かれて死んでいるのを目にするのが珍しくありません。周りに人家もないようなところだと、近所の人が見かねて死体を処理することもないでしょう。保健所などの行政当局が通報(誰の?)を受けて死体を処理するのか?

実際は、タヌキの死体は直ちに他の動物(例:カラス)が寄って来て綺麗に食べてしまうそうです。
参考文献:カラスはどれほど賢いか 都市鳥の適応戦略 中公文庫
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31131995
山の中であれば、...続きを読む

Q介錯人が首を切り落とすまでにかかる時間

切腹する際に、介錯人が首を切り落とすまでにかかる時間って、どのくらいなのでしょうか?
人参を切る用に一瞬じゃ切れないですよね?

切り始めてから切り落とすまで5分くらいかかるのでしょうか?

Aベストアンサー

>介錯人が首を切り落とすまでにかかる時間って、どのくらいなのでしょうか?

他にも回答がありますが、「一瞬」の出来事でした。
介錯人との事ですから、切腹時の介錯ですよね?
切腹は「神聖」なものですから、介錯人も「選ばれた人材」なんです。
決して、名誉職ではありません。
一度の太刀で一瞬に首を(皮一枚残して)落さないと、介錯人だけでなく所属する一族・上司も「不名誉」扱いされるのです。
※太平の世になると、皮一枚を残す技術が難しくなったのでギロチンの様に首を落します。
ですから、一の太刀で失敗して二の太刀・三の太刀と増えるに従って「武士としての面目まる潰れ」となり笑いもの。
当初は、介錯に失敗すると「介錯人も処刑」だったのですね。

>人参を切る用に一瞬じゃ切れないですよね?

嫌々、ニンジンを切るように一瞬です。
剣道(武術)家は、青竹に菰を巻いた「偽人間」を立てて日本刀でぶった切りをします。
芯になっている青竹を切る瞬間は、人間を切る瞬間と似ているのだそうです。^^;
質問者さまも、何かで見た事があるのでは?

余談ですが・・・。
犯罪者の死刑は、江戸時代には6種が存在しました。
「下手人」「斬首」「獄門」「磔」「火あぶり」「鋸ひき」
下手人は、(現在では容疑者の意味ですが)「首切りの後に、遺族に遺体・関係者を返還する処刑」です。
斬首は、首切り後に遺体を遺族・関係者に返還しないで「遺体を、お試し切り」などに用います。
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ここで、有名な介錯人「首切り山田浅右衛門(将軍家御試御用)」が明治14年まで襲名存在しました。
明治14年7月24目に、最後の首切りを行っています。
現在は、断絶しています。

>介錯人が首を切り落とすまでにかかる時間って、どのくらいなのでしょうか?

他にも回答がありますが、「一瞬」の出来事でした。
介錯人との事ですから、切腹時の介錯ですよね?
切腹は「神聖」なものですから、介錯人も「選ばれた人材」なんです。
決して、名誉職ではありません。
一度の太刀で一瞬に首を(皮一枚残して)落さないと、介錯人だけでなく所属する一族・上司も「不名誉」扱いされるのです。
※太平の世になると、皮一枚を残す技術が難しくなったのでギロチンの様に首を落します。
ですから、一の太...続きを読む

Q土日眠りっぱなし、これは病気なんでしょうか?

 週休2日制(土日休み)の仕事をしており、金曜日が来ると「よし、この2日はこんなことしよう!」と色々計画を立てるのですが、何一つ実行できません。
 まず、朝、起きることができません。昼、なんとか起きて食事を作るものの食べたら、次の行動を起こせないんです。例えば、友達と約束をしていても外出することができません。着替えたり、髪型を整えるのが“大きなハードル”となり、『もう10分ゴロゴロしたら着替えよう。休みなんだから無理しない』と考えて、ベットに横たわると、夜になっています。
 つまり、土日はまるまる2日、ほとんど寝ているんです。熱はないし、食欲がない、いくらでも眠れる・・・という感じで、とにかく衰弱してるんです。今日も20時間ほど、トイレもいかずに寝ていました。
 月曜日になると、朝6時に起きて、始業時刻の1時間前には出勤し、12時間以上働いて帰宅します。平日はこの調子で金曜まで元気いっぱいです。でも、この土日になると、とたんに無気力になり何にもできないんです。この症状は、ここ数ヶ月続いており、夜に“見舞い”に来る友達は“1人暮らしゆえの甘え”だと言い呆れています。
 世間には、私のような人はいらっしゃらないでしょうか?ほんとに怖いくらい無気力になってしまうんですが、これって、病気ではないでしょうか?

 週休2日制(土日休み)の仕事をしており、金曜日が来ると「よし、この2日はこんなことしよう!」と色々計画を立てるのですが、何一つ実行できません。
 まず、朝、起きることができません。昼、なんとか起きて食事を作るものの食べたら、次の行動を起こせないんです。例えば、友達と約束をしていても外出することができません。着替えたり、髪型を整えるのが“大きなハードル”となり、『もう10分ゴロゴロしたら着替えよう。休みなんだから無理しない』と考えて、ベットに横たわると、夜になっています。
 ...続きを読む

Aベストアンサー

私は病気でした。
同じように月曜から金曜までは仕事に行くのですが
土日は寝たきりでした。
結局、うつ病による過眠とわかりました。
当時は精神的落ち込みなど感じませんでしたが。
一度、受診なさることをお勧めします。お大事に。

Q末期癌~死ぬまでの状況を教えてください。 

末期癌~死ぬまでの状況を教えてください。 
末期癌の母は現在ホスピスケアを受けています。
これから母の面倒を見るのは私の役目なのでこれからどうなるのか不安です。

母がすいぞう癌だと宣告されたのはおよそ1年前です。
肝臓にも転移しており既に手遅れでした。
今年の3月頃までは癌だと思えないほど元気な母でしたが
4月頃から急に階段を転げ落ちる様に容態が悪くなってしまいました。
あらゆる箇所の骨に転移し、強い痛みも出てきました。
肺へも転移し、咳がひどいです。
今ではほんの少し動いただけでも息切れがひどく、時々咳き込んで嘔吐してしまいます。
急に食欲もなくなりました。
一日、一日ごとにどんどん体力がなくなり弱くなっていきます。
母はこれからどうなっていくのでしょうか。
苦しみが増しますか? 
意識は最後まであるものですか?
自分でトイレにも行けなくなったらどうすればいいのですか?
この状態で、あとどのくらいと考えていればいいでしょうか。。。

文章がうまくまとまっていなくてすみません。
少しでも心の準備ができればと思います。
宜しくお願いします。

Aベストアンサー

「人はがんでは死なない」という言葉があります。
がんが特別な毒素を出すわけではありません。
では、なぜ、人はがんで死ぬのか?
それは、がんが増殖することで、臓器に様々な障害が起き、
その障害が引き起こす様々な症状によって、死にいたるのです。

様々な症状の一つには、疼痛もあります。
これは、モルヒネなどによりかなりコントロールできるようになってきました。

気管支のがん細胞が増殖して気管支を塞げば、窒息の危険があります。
肝臓のがんが増殖して、肝臓の機能が低下すれば、体内の様々な化学作用
が止ることになり、肝性昏睡などの様々な症状を起こします。
大きな血管にがんができて、血管が破れるということも起きます。
腎臓の機能が低下すれば……
脳の機能が低下すれば……

つまり、がんがどこにあり、その臓器は、どんな仕事をしているのか、
ということです。
何が起きても不思議ではない、ということです。

「苦しみが増しますか?」
軽くなるということはないでしょう。
出てきた苦しみを押さえるということになります。

「意識は最後まであるものですか?」
わかりません。
先に昏睡状態になる場合もありますし、最後まで、意識がはっきりしている
場合もあります。

「自分でトイレにも行けなくなったらどうすればいいのですか?」
状況によりますが、オムツということも考えてください。
尿はカテーテルを留置することになります。

残酷な言い方ですが、何らかの理由で昏睡状態になった場合、
「それを治療して、昏睡から醒めさせて、延命をする」ということを
しないという選択肢もあります。

末期症状は、医師や看護師がよく知っています。
まずは、医師や看護師と相談してください。

「人はがんでは死なない」という言葉があります。
がんが特別な毒素を出すわけではありません。
では、なぜ、人はがんで死ぬのか?
それは、がんが増殖することで、臓器に様々な障害が起き、
その障害が引き起こす様々な症状によって、死にいたるのです。

様々な症状の一つには、疼痛もあります。
これは、モルヒネなどによりかなりコントロールできるようになってきました。

気管支のがん細胞が増殖して気管支を塞げば、窒息の危険があります。
肝臓のがんが増殖して、肝臓の機能が低下すれば、体内の様々な化...続きを読む

Q戦国時代の戦は実際に互いの軍の兵士や武将たちがワーワー叫びながらだだっ

戦国時代の戦は実際に互いの軍の兵士や武将たちがワーワー叫びながらだだっ広いようなところで敵味方混ざりながら戦っていたんですか?
戦国時代がかかれた映画とかゲームとか見るとそんな感じでかかれていますが

Aベストアンサー

何とも言えませんが・・・そうですね、自然に考えれば戦闘の際は現在の科学戦法と違い、真っ向勝負が基本だった事が「何々合戦図屏風」なんかを見れば、分かります。敵味方入り乱れて背中に自分の軍である幟を背負い目印にし、ワーワーやっていたんだろうという事は想像に難くありません。大声を上げるのは「自分を鼓舞」するのと「相手を威圧」する効果があるので、「おりゃ~」「きさま~」「死ね~」「お前らの負けじゃ~」とか言いながら戦闘してたんでは無いですかねぇ。それが入り混じれば、ワーワーとしか聴こえないので、12noname34さんが疑問に思っている事は正しいと思いますよ。

Q日本にミサイル撃った瞬間北朝鮮終わりと言うが?

きのうの大阪読売テレビ「何でも言って委員会」で、
北朝鮮は日本にミサイルを撃った途端終わりになる事が判っているからそんなバカな事をしない、
と言ってました。
この意見は識者の間で半ば常識のように何回も言われています。

なぜ日本にミサイルを撃ったら北朝鮮は終わりになるのか判りません。
アメリカが反撃すると期待してるのでしょうか?
アメリカは自国が攻撃されてないのに、自動的に反撃する事はないと思います。

まず日本自身が戦争状態に入り、自衛隊だけで負けそうな時米軍に救援を求めるのではないですか。

北朝鮮からミサイルが一発飛んできたからといって今の日本は戦争に踏み切る勇気はないと思います。
例によって、「遺憾の意の表明」とか安保理に泣きつくとか・・
自衛隊に出動命令を出すには腰の据わった気骨のある総理大臣とかでないと出来ないし、何より国民のバックアップが必要だと思います。

平和ボケした知識人がまた例によって「外交努力で」・・とか言い出して、とてもミサイルで反撃などする気骨はないと思います。

日本自体が負け犬根性なのに、米国は動かないでしょう。

したがって、北朝鮮が日本にミサイルを打っても、多分 撃たれっぱなしだと思うのですが、
どこから 「瞬間に北朝鮮は終わり」という論理が出てくるのでしょうか?

きのうの大阪読売テレビ「何でも言って委員会」で、
北朝鮮は日本にミサイルを撃った途端終わりになる事が判っているからそんなバカな事をしない、
と言ってました。
この意見は識者の間で半ば常識のように何回も言われています。

なぜ日本にミサイルを撃ったら北朝鮮は終わりになるのか判りません。
アメリカが反撃すると期待してるのでしょうか?
アメリカは自国が攻撃されてないのに、自動的に反撃する事はないと思います。

まず日本自身が戦争状態に入り、自衛隊だけで負けそうな時米軍に救援を求めるのでは...続きを読む

Aベストアンサー

アメリカは自国が攻撃されてないのに、自動的に反撃する事はないと思います。
>一応、日本が攻撃された場合アメリカは動かざるを得ません。日米間でそういう取り決めがあるからです。それが、日米安全保障条約です。
日米安全保障条約
第5条(共同防衛)
(1)各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。

これにより、日本国の施政領域(統治している領域)内で、米軍・日本自衛隊いずれかの組織に武力的打撃があった場合、全力で防衛するということです。また、日本の領土が武力進行された場合も同様です。

ですが、アメリカ合衆国本土が戦場となっても日本が助け舟を出す義務はありません。
あくまでも、日本国憲法第9条を遵守し自衛権の発動のみを規定している為、他国への武力援助・交戦はする必要がないことになってます。

Q磔と逆さ磔の違い

戦国時代の刑罰に
磔と
逆さ磔の刑があったと言われますが、
この二つの刑の違いとはなんでしょうか。
どちらにしろ、磔された後、槍などで突かれ殺されるのでしょうが、
わざわざ逆さに磔ることに何らかの意味があったのでしょうか。

Aベストアンサー

逆磔刑(読みは「さかばっつけ」か「さかさばっつけ」)は
最大限に苦しめてジワジワ殺す刑罰です。
人間は逆さに吊るされた状態では
血液が脳にたまり、脳浮腫をおこしてすぐに死んでしまうので
こめかみの静脈を切って少しずつ血がしたたるようにして
長く苦しんで死ぬようにされました。
これは戦国時代などは裏切った武将やその家族など、
江戸時代ではキリスト教徒を弾圧するために用いられた方法です。

いわゆる拷問処刑であって、
磔刑も、どちらにしろ槍でつかれるといいますが、
そんなに簡単には殺してくれません。
長く磔のまま放置され、乾きや餓え、痛みに苦しむことになります。

この種の刑罰は、受刑者が苦しむ様を見せることが
本来の目的であるため
できるだけ長く苦しむようにされました。
ですから現在の死刑とは全く次元が異なります。

磔、逆磔、串刺、鋸挽、牛裂、車裂、火焙、釜煎、簀巻、

すべて恐ろしい刑罰でどれも楽には死ねません。

Qグロテスクな画像を見たがる心理

インターネット上にはグロ画像・グロ動画と呼ばれるメディアが沢山出回っています。
汚物や死体や人が殺されている現場や拷問されている現場、その他嫌悪を催すものを題材にした映像類のことです。

ずいぶん前からこの手の画像や動画を見たりしていて、止められないのです。もちろんこういうものを見ると不愉快な感情になりますし、人が殺されている現場などを見ていることに罪悪感や恐怖も感じます。
論理的に考えれば、そんなもの"みたい"なんて思うわけないのですが、気が付けばグロ動画を検索しているような状態です。

このような人は沢山いると思うのですが、第三者から見れば私は普通のサラリーマンだと思います。
会社勤めもしていて、仕事も任されています。
友人は少ないですが、恋人も作れるし家族とも仲良くしています。

なぜこのようなことになってしまったのでしょうか。
どうしたら健全な状態になれるでしょうか。

学術的なアドバイスでも、宗教的なアドバイスでもよいので私に教えてください。

Aベストアンサー

これは、きっと、あなただけの問題ではなく、
いま日本の社会が、もっている、社会的な病理、情報構造の病理ともいえるのかと思い投稿させていただきました。
これらの画像や映像を見ようとする行為というのは、自らは、観察者として(絶対的な安全が確保された上で)自分と関係の無い他人が、生きている状態から無残な状態へと変貌させられるという過程を息を呑みながら「視る」という行いです。
あなたはただそれを見ているだけと思っているかもしれませんが、あなたが、視たことによって引き起こされた感情なり想い(ショック、悲しみ、不条理感、怒り、無力感)によって、実は何事も行動しなかったという行いもしているのです。さらに、視たことを自分の心の中に隠匿し、なおかつ背徳感を抱きながら、ある部分悩んでいるという行為をも・・・。
質問文の最後に「なぜこのようなことになってしまったのでしょうか。どうしたら健全な状態になれるでしょうか。」とあるようにあなたの心は、その行為の、背徳性をすでに知り、健康な状態への志向が顔をだしているのでは?
画像や映像によって知った「現実」に対して、これが人間の性だとか、これが今の社会の現状だとか思わせられてしまうのが、自分は何もできない、巨大な情報ネットワークであり、「考察」や「分析」であり政治や教育、経済もそれに深く絡んでいます。
人は、いつも世の中で何が起こっているのか知りたいのです。
それは、きれいなこともひどいことも。隣町で戦争が起こって、人が悲惨な状態になり、または、誰かが人を殺そうとしたりしている、あるいはしてしまったとしましょう。それを、見に行こう知ろうとするのはむしろ必要なことかもしれません。勇気のいることであるとも言えます。むしろ、それらが起こっていることを知りながら、そこから遠ざかろうとするだけでは人間として不十分なのかもしれません。しかし、それを視たことによって、どんな想いを描くかが問題でしょう。それを視て喜ぶのか、自分もやりたいと思うか、加担しようとするか、悲しみ、憤ることもできるでしょう。人びとに訴えることもできるでしょうし、そのようなことを阻止しようとすることも助けようとすることもできるでしょう。起こっていることが何なのか考えることも、見ている自分が何なのかも考えることができる。さらにもっとできることはあるはずです。最初は小さいかもしれませんが、自分自身が、社会に何か作用する力を持っているということを思い出してください。多分、昼間は目一杯会社で働かされて、夜や休みの日自分の時間を休みとして刺激の最も強いもので様々な縛りからのがれようとしているのかもしれませんが。
それらの画像や映像を撮るときどんな想いによってそれがなされたでしょう。それをネット上にアップする人の気持ちの根底にどんな想いがあったのでしょう。そういう邪悪な感情とは同調しないようするのが
いいのではないかと思います。
知り得た事実に対してどのように行為できるかが現代の人びとの大きな課題だと思います。

これは、きっと、あなただけの問題ではなく、
いま日本の社会が、もっている、社会的な病理、情報構造の病理ともいえるのかと思い投稿させていただきました。
これらの画像や映像を見ようとする行為というのは、自らは、観察者として(絶対的な安全が確保された上で)自分と関係の無い他人が、生きている状態から無残な状態へと変貌させられるという過程を息を呑みながら「視る」という行いです。
あなたはただそれを見ているだけと思っているかもしれませんが、あなたが、視たことによって引き起こされた感情...続きを読む

Qもし現代人が江戸時代で1ヶ月生活するとしたら、何で困るでしょうか?

空想の話で恐縮です。

時代小説を読んでいて時々思うのですが、もし今の日本人がタイムマシンか何かで数百年前の江戸時代に戻り、そこで1ヶ月ほど当時の一般庶民の家に滞在するとしたら、何で困ると思われますか? あるいは何も困る事はないでしょうか?

例えば食事。 衛生状態は今ほど清潔ではなかったはず。 もしかして最初の食事で腹痛や下痢をおこし、ギブアップになるでしょうか? それとか味付け。 現代人の口に合うでしょうか? 我慢しないで1ヶ月食べ続ける事に何も問題ないでしょうか? それとか、今のように肉食はそんなにしなかったはず。 せいぜい鳥や兎の肉くらいでしょうか? あと、お酒もそうですね。 現代人に飲めますか?

匂い。 どうでしょうか? 当時の家の中や、町全体、一体どんな匂いがしていたでしょうか? そして1ヶ月間、現代人に耐えられるでしょうか?

風呂。 現代人が躊躇なく当時の銭湯に入れますか? 当時は毎日入っていたんでしょうか?

トイレ。 現代人に当時のトイレで大・小できるでしょうか? 特に女性の場合。

人によって感じ方が違うと思いますが、上に挙げた以外で 「1ヶ月滞在するとしたら、おそらく大多数の現代人にはこれが苦痛だろう、あるいは無理だろう」 と考えられるのは、どんなものでしょうか?

空想の話で恐縮です。

時代小説を読んでいて時々思うのですが、もし今の日本人がタイムマシンか何かで数百年前の江戸時代に戻り、そこで1ヶ月ほど当時の一般庶民の家に滞在するとしたら、何で困ると思われますか? あるいは何も困る事はないでしょうか?

例えば食事。 衛生状態は今ほど清潔ではなかったはず。 もしかして最初の食事で腹痛や下痢をおこし、ギブアップになるでしょうか? それとか味付け。 現代人の口に合うでしょうか? 我慢しないで1ヶ月食べ続ける事に何も問題ないでしょうか? ...続きを読む

Aベストアンサー

 下級武士のご新造さんの一日(朝のみ)。
(1)最初にご新造が起床、用便を済ませます。汲み取り便所だから臭いですね。蛆が湧いています。ハエが便所に限らず、そこいらじゅうブンブン飛び回っています。しゃがんでウンコ・オシッコするのはきついですぞ。
(2)次に井戸端で洗顔します。釣る瓶で水をくみ上げて、その水で洗顔、大体は外の吹きさらしですから、これからの季節は寒いですぞ。
(3)朝食の準備にかかります。井戸端で味噌汁の実にする大根を洗い、米を研ぎます。台所の水がめに水を張ります。ブリキのバケツではなく、木の桶で運びますから重たい。道具は何でも重たくて大変。飯炊きの釜や薬缶もアルミ製のものはありません。みんな鉄か瀬戸物です。
(4)カマドに火を着けます。火打ち石でやります。なかなか火が着かず難しいです。火吹き竹で空気を送り込んでやっと景気よく燃え出しました。飯を炊きます。一人当たり三匹の目刺をあぶります。
(5)雨戸を開けます。障子はみな紙です。ガラスではありませんので、吹き降りの日だと雨戸を閉めないといけません。昼間でも暗いです。
(6)家族そろって朝食。
(7)食器などを洗います。油の着いた食器を洗うのは大変です。ママレモンはありませんのでギトギトがなかなか取れません。水道の水でジャージャーやるわけのもいきません。
(8)井戸端で盥で洗濯します。これも大変です。

・・・女性は大変でしょう。田舎の明治生まれの女は、以上のようなことをやっていました。江戸時代とそんなに変わりません。電気(裸電球)とマッチだけが江戸時代よりマシなだけです。

>「1ヶ月滞在するとしたら、おそらく大多数の現代人にはこれが苦痛だろう、あるいは無理だろう」 と考えられるのは、どんなものでしょうか?
・・・夏場の暑いときに一ヶ月滞在すれば、参るでしょう。
・網戸がないので蚊に食われる。
・ハエがブンブン飛び回る。食卓の食べ物にハエがたかる。
・冷房や扇風機がないので暑い。雨の日は雨戸を閉めるのでこれも暑い。
・便所が臭く、人の体も臭い。
 夏場でいいことは、行水などで女性の裸を見る機会が多いことくらいかな。

 下級武士のご新造さんの一日(朝のみ)。
(1)最初にご新造が起床、用便を済ませます。汲み取り便所だから臭いですね。蛆が湧いています。ハエが便所に限らず、そこいらじゅうブンブン飛び回っています。しゃがんでウンコ・オシッコするのはきついですぞ。
(2)次に井戸端で洗顔します。釣る瓶で水をくみ上げて、その水で洗顔、大体は外の吹きさらしですから、これからの季節は寒いですぞ。
(3)朝食の準備にかかります。井戸端で味噌汁の実にする大根を洗い、米を研ぎます。台所の水がめに水を張ります。ブリキ...続きを読む

Qいわゆる江戸時代の娼婦はどうやって避妊してたんでしょうか

コンドームのない時代にどうやってたのかな?
とよく思うんです。

事のあとで洗浄するとか、外出しですか?
(あの時代にはピンと来ない方法ですが…)
それとも妊娠の都度、堕胎したんでしょうか?

ご存知の方いらっしゃったら、教えてください。

Aベストアンサー

吉原細見というHP(http://yosiwarasaiken.net/)に「遊女と避妊(http://yosiwarasaiken.net/moyou/hinin.html)」というサイトページがあります。それによりますと…

遊女(吉原の花魁などの幕府公認遊興場の売春婦=女郎;深川・辰巳などの岡場所の売春婦は売女と言った)の世界では妊娠は恥とされていた。当時は絶頂を迎えると妊娠しやすいと言われていたため「男に負けた」的な捉え方をしていたようです。
避妊の方法は「洗浄」「薬」「灸」それに「道具」。道具は男性用として大人のおもちゃのようなものと、女性用として御簾紙という薄い髪を丸めたタンポンのようなものとがあったそうです。いずれも紙製の頼りないもので避妊率は極めて低い、ほんの気持ち程度のものでしかなかったようです。
それでも妊娠すると堕胎する場合がほとんどだったそうで、場合によっては遣り手(遊女を取り仕切る年寄り女…「遣り手ババア」は吉原のこの役職の女性が語源)に強引に堕胎させられていたとか。当然ダメージを負った女性の中には性病や容姿の悪さなどで追いやられた遊女達と一緒に羅生門河岸という最下級の場所に送られたとか。

…というと江戸時代=昔=封建社会という背景も助長して「女性がとても虐げられている」というイメージが強いですが、実は江戸市中でも最も女性が強かった地域でもあるのです。特に花魁ともなると容姿はもちろん最高級の教育を受けた教養の高い女性であり、「源氏物語は、全部読んでありんす」というスーパーウーマンであり、それぞれの廓屋の看板であり、身分の高い武家階級や大金持ちの大店の主人を相手にするにふさわしい女性であったのです。
廓屋が大枚を叩いて徹底的な教育を仕込む所なんざ映画「プリティ・ウーマン」を思い起こさせますが、あの程度の金の掛け方では花魁の簪ひとつ分くらいじゃない?というくらい破格のものでした。今風に言えば伊東美咲に叶姉妹やマリエやデヴィ夫人や西川先生の持っているそれぞれ10倍くらいのものを与えちゃった、って感じです。
おまけにこれだけのスーパーウーマンだから、誰でも床入りできるような「安い女じゃない」のです。なんと花魁が気に入らなかったら床入りを拒否出来ちゃったんです。「いっくら金積んだって、あちきはあんたみたいな下衆とは、お断りでありんす」だったんですな。それだけに花魁目的で廓屋に通う男達は身だしなみに気を使いセンス良く知的におしゃれして花魁に気に入られようと必死だったのです。事実一生処女のまま生涯を閉じた花魁もいたのです。

それなりに格のある身分の遊女はおいそれと抱く事はできなかった、というわけですが…今の時代もそうですね。銀座の高級クラブはもちろん六本木の超有名キャバクラ嬢だって、気に入らなきゃ「おめえとなんか寝ないよ、バーカ」です。故杉浦日向子さんは「江戸時代の江戸市中は女性主導の社会だった」と指摘している通り、実は花のお江戸は女性によって成り立っていたようです。それが男尊女卑に一変したのは明治維新以後…長州と薩摩の習慣が入ってきたせいかなぁ、と個人的には考えています。
もちろん廓屋という特異な世界では劇になるような悲惨な面もありますが、実は現代とさほど変わらない面もたくさんあるんですね。

吉原細見というHP(http://yosiwarasaiken.net/)に「遊女と避妊(http://yosiwarasaiken.net/moyou/hinin.html)」というサイトページがあります。それによりますと…

遊女(吉原の花魁などの幕府公認遊興場の売春婦=女郎;深川・辰巳などの岡場所の売春婦は売女と言った)の世界では妊娠は恥とされていた。当時は絶頂を迎えると妊娠しやすいと言われていたため「男に負けた」的な捉え方をしていたようです。
避妊の方法は「洗浄」「薬」「灸」それに「道具」。道具は男性用として大人のおもちゃのようなもの...続きを読む


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