毛沢東時代と現代中国の政治の違いについて、分かるとこを教えていただけませんか??
レポートの参考にしたいんです。
よろしくお願いします。

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A 回答 (1件)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%B9%E9%9D%A9% …
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2008&d=10 …

改革開放以後、社会主義市場経済に以降したのです。
都市部から進み、豊かになりこの30年で12倍を超す収入になりました。
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Q「伊藤博文の千円札」は韓国の反発は無かったのか?

「伊藤博文の千円札」は韓国の反発は無かったのか?

今もし千円札の肖像画の図柄が変更されたとします。
それが「伊藤博文」の復活だったら…
おそらく、韓国は猛反発するでしょう。

なぜなら、伊藤博文は朝鮮半島植民地支配のシンボルだからです。
また、伊藤博文を暗殺したテロリストは韓国では英雄とされています。

さて、昔は千円札の肖像画は伊藤博文でしたが、それに対して
韓国人は不快に感じたり抗議したりしてなかったんでしょうか?

Aベストアンサー

q:「伊藤博文の千円札」は韓国の反発は無かったのか?

a:「伊藤博文」への韓国の反発はありませんでした。
 そもそも、日韓併合への反発は韓国政府による作られた
 韓国民の感情に過ぎないのです。

 私の若い頃、韓国人の対日感情に関する世論調査統計で
 日本統治を知っている世代に比べ知らないはずの世代ほど
 反日感情が強い傾向が示されており、不思議に思った記憶が
 あります。

 韓国初代大統領、李承晩は、日韓併合により中世的特権を奪われた
 両班階級だったので、亡命臨時政府を作ったのですが、日韓併合
 で、中世的頚木から開放された朝鮮庶民は誰も従って行きませんでした。
 なので、日本と戦う兵士も当然居なかったのです。
 実態の伴わない亡命政府だったのです。

 日本の敗戦を機に事大主義が伝統の朝鮮人は反日に大きく態度を
 変えるわけですが、韓国内での政権の求心力強化や、韓国民の
 統合のアイデンティティのため、徹底的反日教育と、理不尽な
 対日要求を行ったのです。これが不可欠だったのです。

 権力者の言動に追従する朝鮮民族の国民性と、高学歴者の言動に
 盲従する朝鮮民族の国民性が相俟って、今日の日韓併合への韓国
 民の感情が醸成されてきているにすぎないのです。

q:「伊藤博文の千円札」は韓国の反発は無かったのか?

a:「伊藤博文」への韓国の反発はありませんでした。
 そもそも、日韓併合への反発は韓国政府による作られた
 韓国民の感情に過ぎないのです。

 私の若い頃、韓国人の対日感情に関する世論調査統計で
 日本統治を知っている世代に比べ知らないはずの世代ほど
 反日感情が強い傾向が示されており、不思議に思った記憶が
 あります。

 韓国初代大統領、李承晩は、日韓併合により中世的特権を奪われた
 両班階級だったので、亡命臨時政府を作った...続きを読む

Qなぜ中国の国民は毛沢東のしたことに非難の声を上げないのか?

 毛沢東は生涯に7000万人もの自国民を死なせたと言います。(“マオ”を読みました)
 それも、昔の話ではなく、多くは日中戦争の後の話です。つまり、最近と言える時代に行われているのですから、それを体験し見てきた人が今も沢山いるということです。
 南京の30万の殺戮←事実だったと認めてもいいです。しかし、同胞を殺したのは70万人でも、700万人でもありません、7000万人です!日本軍がやった悪事の比ではない。
 それもヒットラーやスターリンがやったような秘密裏の粛清はなく、公開で見せしめに行われてきた。(「人が死ぬのはけっこうなことだ、土地が肥えるから、その上に植物を植えなさい」毛沢東語録より)
 共産政権の触れられたくない部分ですから、言論の自由が規制されていることは知っています。そのガス抜きでのために反日教育や抗日記念館の拡張・新設も進めていることも知っています。
 しかし、それにしても-----日本軍の悪事を非難するなら、同時に同胞の指導者がしたことにたいして、どうして中国民自身が非難の声を上げないのか不思議でなりません。
 民意が低いということなのか?有史以来、民主主義を経験したことのない国民だからですか?

 毛沢東は生涯に7000万人もの自国民を死なせたと言います。(“マオ”を読みました)
 それも、昔の話ではなく、多くは日中戦争の後の話です。つまり、最近と言える時代に行われているのですから、それを体験し見てきた人が今も沢山いるということです。
 南京の30万の殺戮←事実だったと認めてもいいです。しかし、同胞を殺したのは70万人でも、700万人でもありません、7000万人です!日本軍がやった悪事の比ではない。
 それもヒットラーやスターリンがやったような秘密裏の粛清はなく、公開で見せしめに行...続きを読む

Aベストアンサー

中国で起きている事が、グローバルスタンダードです。多分!
ソ連・中国・北朝鮮と社会主義国の末路はあんなものです。
何処も独裁や専制国家になっています。
言論の自由はなく、情報の統制も行われています。
反勢力はすべて粛清されています。
アメリカや日本のように指導者に文句を言えない国なのです。
言えば、確実に死が待つのみです。

反日教育により、民意を操作し、大虐殺をでっち上げ(ゲリラに対しての虐殺は在ったのかも知れません)いまだに、ODAの支援対象国!
そのお金でミサイルや兵器を作ったり買ったりしています。

あの軍事費の1割でも国民に還元すればよいのに!
ともあれ、国民をマインドコントロールしている国です。

マルクス主義を唱えた指導者、スターリン・毛沢東(の妻、江青)・金日成など大粛清を行った、独裁者ばかりです。
共産主義とは人間が強い理性を持っていることが、前提となっている思想です。

現在、共産国の歴史家はすべてプロパガンダであり、遠い将来に歴史家がどのように判断するか?というう事ぐらいしか私たちはいえないのです。
多分、最悪の独裁者ということに、なると私は思います。
毛沢東については、とりあえず政治能力は皆無、優秀な人間は追放か粛清となったため馬鹿な方策ばかりで失敗続き。

こんなことが言えるの日本に住めてよかったとつくづく感じます。
日本は、唯一、民間技術が軍事技術の上を行く国です。
各国は、軍事転用を狙い輸入したくてたまらないようです。

中国で起きている事が、グローバルスタンダードです。多分!
ソ連・中国・北朝鮮と社会主義国の末路はあんなものです。
何処も独裁や専制国家になっています。
言論の自由はなく、情報の統制も行われています。
反勢力はすべて粛清されています。
アメリカや日本のように指導者に文句を言えない国なのです。
言えば、確実に死が待つのみです。

反日教育により、民意を操作し、大虐殺をでっち上げ(ゲリラに対しての虐殺は在ったのかも知れません)いまだに、ODAの支援対象国!
そのお金でミサイルや兵器...続きを読む

Qアメリカに伊藤博文を建てたらどうだろう?

 アメリカの従軍慰安婦の像の横に伊藤博文像を建てたらどうだろうか?
伊藤博文は朝鮮の独立のために日本が戦った日清戦争の立役者でありながら、なんとその朝鮮人のテロリストに殺された悲劇の人物です。従軍慰安婦の横に伊藤博文像を建てたら韓国人が非常識であることが国際的に理解されると思います。

Aベストアンサー

日本は韓国より悪だと思われているので無理です。
日本が戦った国はどこですか?
日本人は終戦ボケしたらいけません。保守には終戦ボケが多い。


建てるならば、韓国の日本大使館前です。超合金です。器物損壊者を韓国警察が逮捕しなければ国際問題です。日本政府は賠償請求です。日本政府がすると思いますか???

Q政治思想>>現代政治思想

1.新左翼(New-Left)と新右翼(New-Right)の相違点等を教えて下さい。

2.「小さな政府」を目指すという点では新自由主義(Neo-Liberalism)も新保守主義(Neo-Conservative)も共通の政治目標を掲げているのですか?日英米等の政党・政治家に例えていただけると幸いです。

3.一昔前より聞かれ始めた「小さくても強い政府」というのはどのような政治理念なの教えて下さい。「小さな政府(≒夜警国家)」との相違点は何でしょうか?

Aベストアンサー

この前は1だけ回答しましたので、残りを。

2.について
以前は「新自由主義(ネオ・リベラリズム)」と「新保守主義」は、イギリスのサッチャリズムやアメリカのレーガノミクスをさす、という意味では同じ意味で使われることが多く、「自由経済と強い国家」(A・ギャンブル)という端的な表現がされることもありました。一方で市場の規制緩和を行い被用者や弱者の保護のための社会的規制を弱めたり、福祉施策を削るなどして高所得者や企業の負担を軽減したりして、市場原理に任せるという政策をとって企業活動の活性化をはかります。この面を強調するときには「新自由主義」を用いることが多いです。他方で、軍備を拡大し、警察力を強化して、物理的強制力を伴う「夜警国家」の分野では国家機能を高め、価値観のレベルでも「国家」「共同体」「家族」といった伝統的な紐帯を強調します。この面に焦点をあてる場合には「新保守主義」を用いることが多いです。日本でいうと、両方を体現したのは中曽根康弘氏です。現在の小泉政権も、「構造改革」で新自由主義を、有事法制の整備やイラク派兵などで新保守主義を、と両方を追求しているといっていいと思います。
新自由主義と新保守主義を区別するのならば、大雑把に言って、イギリスのブレア政権は、新自由主義だが、新保守主義ではない、ということは可能かもしれませんが、ブレア政権も「夜警国家」機能の強化は進めているので、微妙なところです。日本の民主党の政策の基調はブレア路線と似ているといわれることもあります。
しかし、イラク戦争の直前から、ジャーナリズム分野で、ブッシュ政権内の超タカ派をさして「ネオコン(新保守主義者)」という表現が使われることが多くなり、現在ではこちらの意味で「新保守主義」が使われることが多いと思います。この場合は、「自由」「民主主義」「市場」といったアメリカ的な価値観(同じ言葉を使ってもヨーロッパ的なものとはだいぶ意味が違う特殊アメリカ的価値観が特徴)を普遍的なものとし、それを発展途上国に力で押し付けることを善とする思潮や勢力をいいます。

3.について
現在でも、政治的スローガンとしては「小さな政府」を用いることが多くて、僕個人の印象としては「小さくても強い政府」というのはあまり聞いたことがないような気がするのですが、「小さな政府」には抜けている「強い政府」を強調するのに使う言葉でしょうけど、新自由主義による社会秩序や社会規範の拘束力の弱体化を憂う傾向に対処しようとするものです。「小さくても強い政府」は、新自由主義・新保守主義政策を主張するときのスローガンであるといえます。市場原理のかく乱作用や、金融不安などの市場原理そのものが破局に至る可能性があるときには政府が介入して強権で市場を維持するのが新自由主義ですから、そういうとらえ方では別物ではありませんが、スローガンとして「強い政府」をいうときには、そういう狭い意味での経済に限定されず、むしろ治安維持の強化や対外強硬策をイメージしている場合が多いと言えます。厳密には、市場中心主義を意味する「小さな政府」と国家主義を意味する「強い政府」は論理的には矛盾します。現に、アメリカではあらゆる政府機能を最小限に縮小すべきだというリバータリアニズムが一定の影響力を持っています。
「夜警国家」という場合には、19世紀の英米の国家のあり方をさすのが普通です。いずれも、その「夜警」の分野では、徴兵制はなかったし、警察力も「政府」というよりは「コミュニティ」というべき地域社会の自治に基盤をおいていました。強大な軍事力はもっていましたが、それはもっぱら領土や植民地の拡大に用いられるもので、本国が戦場になることは例外的でした。経済秩序では、無数の小企業が林立する文字通りの自由競争が主流でした。
20世紀前半には、2度の世界大戦で総力戦が展開され、経済では少数の大企業が市場への支配力を強める寡占状態になります。また、市場原理が貧困や失業を解決しないことも政治的に問題となり、経済や社会への政府の介入を強めることになり、「大きな政府」の時代となりました。
戦後の高度経済成長が終わった1970年代後半から、原点回帰というニュアンスで「小さな政府」のスローガンによる新自由主義政策への支持が高まることになります。しかし、寡占状態が変化したわけではありませんので、市場原理重視は、同時に寡占企業への規制を弱めるということになるので、意味はだいぶ違うといわなければなりません。社会政策の縮小も、富者の負担による所得再分配に、富者が不満を募らせたことという要素が大きいといえます。
現在は、米英は徴兵制をとっていませんが、軍事力はハイテクによってだれもアメリカの敵たり得ないのは周知のことです。ベトナム戦争後の軍縮基調を変えたのが、レーガン政権でありサッチャー政権でした。

この前は1だけ回答しましたので、残りを。

2.について
以前は「新自由主義(ネオ・リベラリズム)」と「新保守主義」は、イギリスのサッチャリズムやアメリカのレーガノミクスをさす、という意味では同じ意味で使われることが多く、「自由経済と強い国家」(A・ギャンブル)という端的な表現がされることもありました。一方で市場の規制緩和を行い被用者や弱者の保護のための社会的規制を弱めたり、福祉施策を削るなどして高所得者や企業の負担を軽減したりして、市場原理に任せるという政策をとって企業活動...続きを読む

Qもし、伊藤博文さんが韓国に住む事になったら?

もし、サラリーマンの伊藤博文さんが韓国に赴任する事になったら、伊藤博文さんの韓国ライフはどのような事になるのでしょうか!?

事情通のみなさん、どうなんでしょうか?

Aベストアンサー

本来、伊藤博文公は、親韓派の重鎮として「征韓論」の防波堤として機能した方です。
従い、日本の政治家の中では、朝鮮半島で最も受け入れられて良いハズで、サラリーマンの伊藤博文氏も、ちょっとした人気者になるハズですが・・・。

しかし朝鮮半島においては、歴史を正しく認識せず、むしろ180°くらい捻じ曲げますので、サラリーマンの伊藤氏は、お気の毒ながら、生命の危険に曝される可能性も危惧されます。

従い、日常生活は、変名・偽名にした方がよさそうですね。

尚、半島の方が海外に行くと、「韓国人お断り」などに遭遇しますが、平気で国籍を偽って「日本人だ!」などと言う国民性です。
日本人は、そんな卑劣なことはしませんが、こと韓国においては、便宜上、変名・偽名を用いる程度は、何ら問題なく受け入れられるでしょう。

Q蒋介石と毛沢東

最近の中国の反日騒動で、日中の歴史に興味を持ち
いろいろ調べているのですが、

蒋介石(国民党)は、毛沢東(共産党)と対立していたのに、張学良に拉致された後、毛沢東と話し合い、今までと一変して、共に日本と戦おうという事になりましたよね。

日本からの援助等で、親密だった蒋介石が、なぜ急に反旗を翻したのか、この話し合いがどのようなものだったかというのが知りたいのです。推測でも結構ですので、どうか宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

密室での交渉なので推量するしかありませんが、
仲介に立った張学良は父親を日本軍に暗殺された事から強い反日家でしたが日本軍の進撃をくい止めるにはそれまでの内紛をやめ国共合作して日本に当たるべきであると蒋介石に迫った筈です。

蒋介石は張学良により軟禁状態でしたからこれを拒絶すれば身の安全は補償されないのでやむを得ず承諾したのだと思います。
しかし蒋介石は信義を重んじる人なので、密約で脅迫されたからと破棄する事無く国共合作を守り抗日戦を続けました。

しかし張学良の裏切りは許さず彼を逮捕監禁を続け、台湾へ逃走する際も同行して監禁し続けました。
張学良が自由の身になったのは蒋介石の死後かなりたってからです。

国共合作は結果的に成功で日本軍は中共軍のゲリラ戦法により多大の損害を受けその対策に大兵力を割かざるをえませんでした。 
優勢であった中国戦線で敗北を喫したのは中共軍との戦いくらいです。 

おそらく密約の中には対日単独講和禁止もあったと思われ、日本政府の国民政府への講和交渉も阻まれたと思います。
思えば日本が張学良の父親を満鉄爆破事件で暗殺したことから始まった一連のドラマともいえましよう。

   

密室での交渉なので推量するしかありませんが、
仲介に立った張学良は父親を日本軍に暗殺された事から強い反日家でしたが日本軍の進撃をくい止めるにはそれまでの内紛をやめ国共合作して日本に当たるべきであると蒋介石に迫った筈です。

蒋介石は張学良により軟禁状態でしたからこれを拒絶すれば身の安全は補償されないのでやむを得ず承諾したのだと思います。
しかし蒋介石は信義を重んじる人なので、密約で脅迫されたからと破棄する事無く国共合作を守り抗日戦を続けました。

しかし張学良の裏切りは許...続きを読む

Q安重根と伊藤博文

伊藤博文を安重根が暗殺いたしまして、韓国では安重根は英雄となっておりますが、なんとなくですが
安重根が伊藤博文を暗殺したのがきっかけで韓国併合といった形になったような気がしまして、伊藤博文は韓国併合までは考えてなかったような気がします。暗殺しない方が良かったのではないかと思うのですが、ご意見をいただけたらと思います。

Aベストアンサー

よく勘違いされることですが、伊藤が暗殺されたのが1909年10月26日、
日韓併合が決められた閣議決定が1909年7月6日です。
つまり、伊藤が暗殺された時には既に決定事項でした。
ですから、「伊藤暗殺がなければ日韓併合は無かった」という説は
あまり考えにくいものです。



ところで、一部の研究者が主張するように、日本が朝鮮を植民地化
することを望んでいたかというと、そういえない部分もあります。
当時の歴史を見ると、その時の政府の実権を握っていた国王(高宗)は
今の北朝鮮のように平気で国家間の約束を破り、庇護する国を変え、
何度も煮え湯を飲まされた日本が締め付けを厳しくしていきました。
伊藤の考えも、朝鮮が一国家として日本と渡り合えることを望み、
それを統監として指導したこともありました。
その過程で起こったのが1907年の「ハーグ密使事件」です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%82%B0%E5%AF%86%E4%BD%BF%E4%BA%8B%E4%BB%B6
日本の世論は激高しましたが、伊藤は李完用政府にまかせました。
これは、伊藤統監から珍田捨巳外務次官に宛てた1907年7月19日付の
「往電秘第64号」に記録されています。
これによると、事態を重視した韓国政府が高宗の退位を促し、
四面楚歌の高宗が「伊藤君たすけて!」とお願いしてきますが、
伊藤は「よく閣僚と話し合ってください」とお断りしました。
また、李完用には「韓国政府が決めたことならそれでいいけど、
日本が強制したことにしないでね」とお願いしました。

さて、この時の日本の対応ですが、誰でも見られるまとめがあります。
アジア歴史資料センター
http://www.jacar.go.jp/
「韓国二於テ第二回万国平和会議へ密使派遣並二同国皇帝ノ譲位
 及日韓協約締結一件 第一巻/分割1」
(レファレンスコード:B06150550500)
議論の過程では、内治政務を統監に委ねさせる案や譲位させる案等
色々議論されていますが、結論としての採決がP97(P93も同じ)。
日本への移譲は全員反対。
皇太子(純宗)への譲位も賛成は寺内(正毅)のみで他は反対です。
現在は韓国の妄想からか日本が強制したことになっていますが、
このように、当時はまだ日本の朝鮮併合の意思は弱く、
その後に財政破綻などで行き詰まった韓国政府からの申し入れで
日本による併合となりました。



>安重根について

安重根による暗殺の動機は、近年にリッパート大使が襲われたように
単純に言えば政治に詳しくない激情家が自己主張のための襲ったもの。
現在の韓国では神聖化されていますが、当時の新聞を見れば
国王(純宗)がお詫びしたりで、朝鮮の世論は「申し訳ございません」
一色でした。前述のように、日韓併合が既定路線で、この時には
国民の大多数がそれを望んでいました。
この当時は政治テロが盛んで、李完用(未遂)やアメリカ人顧問の
スチーブンスが暗殺されています。
しかし、安重根を批判するのはタブーなので、当時の調書に
弟が「勉強が嫌いでろくに勉強せず遊んでいた」とか
母親が「私は知らないし、本当なら悪いことをした」とか
「家出後に名前は応七を自称しているけど、本名は子任」とか
(ちなみに応七の名前の由来は胸に七つの黒子があるから)
自伝(安応七歴史)で述べた「参謀中将」は本人しか知らないとか、
韓国映画「多黙安重根」など、「死刑後に9歳の子どもを毒殺」ですが
当時の安重根の長男安丕篤は4歳、次男の安瑪寶は2歳で
この子達はその後は親日家になったなどとても言えないでしょう。
どこから来たのか嘘とデマばかりなのです。



>伊藤が日韓併合に消極的であった

アジア歴史資料センター
http://www.jacar.go.jp/
「韓国新内閣大臣ニ對スル伊藤統監ノ演説」
(レファレンスコード:B03041513400)
長いのですが、内容としてP6~P15で述べられたように、
伊藤は韓国閣僚のふがいなさを叱り、韓国の自活を説いています。
当時の認識としては、韓国が自立することを望んでいました。
しかし、当時の韓国は大国の庇護を求めて堕落していました。
日本が日韓協約で内政に関与するようになったとき、
「韓国施政改善ニ関スル協議会」がありましたが、議事録によれば
国王が玉璽を私用で使って私欲を貪ったり、許認可を政府と皇室が
それぞれ認めて手数料を取ったり、国有地を私物化して販売したり、
国家とは思えない自堕落ぶりでした。

現在の認識では、これらの資料は無視されて、
「(きっと)日本が侵略したかったから」などと言われます。
歴史家を自称される研究者は、少しは資料を見て欲しいものです。



おことわり

先ほど確認したところ、現在はアジア歴史資料センターに
アクセスできません。
直接行けば見られると思いますが、ネットでは確認できません。
以前は見られたのですが、この点は申し訳ありません。

よく勘違いされることですが、伊藤が暗殺されたのが1909年10月26日、
日韓併合が決められた閣議決定が1909年7月6日です。
つまり、伊藤が暗殺された時には既に決定事項でした。
ですから、「伊藤暗殺がなければ日韓併合は無かった」という説は
あまり考えにくいものです。



ところで、一部の研究者が主張するように、日本が朝鮮を植民地化
することを望んでいたかというと、そういえない部分もあります。
当時の歴史を見ると、その時の政府の実権を握っていた国王(高宗)は
今の北朝鮮のように平気で国家間の約...続きを読む

Q毛沢東は自国民を何人殺しましたか?

文化大革命による死者はおよそ、何人ですか?・・・

これによる餓死者は約、何人ですか?・・・

総計の死者は約何人ですか?・・・・・・・・・・・・

★現在の中国共産党はなぜ、極悪人である、毛沢東を今尚、崇拝しているのですか?・・・

Aベストアンサー

諸説があって定かではありません。
数十万説から一億人説まで色々あります。

”現在の中国共産党はなぜ、極悪人である、毛沢東を今尚、崇拝しているのですか?”
    ↑
なんと言っても、建国の英雄です。
彼を否定することは、共産党の否定に
繋がります。

ただ、最近は毛沢東を手放しで賞賛は
していませんよ。
文化大革命については、問題にする人も
増えています。
1981年6月に第11期6中全会で、文化大革命は
「指導者が誤って発動し、反革命集団に利用され、
党、国家や各族人民に重大な災難をもたらした内乱である」
としていますし、
鄧小平は、毛沢東を「七分功、三分過」と評しています。

尚、学者の間でも、毛沢東批判が増えており
「袁腾飞」という歴史学者は次のような過激発言をして
おります。
「毛沢東は悪い奴だが、一つだけ良いことをした。
 それは死んだことだ」
最近の重慶スキャンダルでは、博氏が毛沢東の真似を
して、権力を握ろうとした、ということで騒ぎに
なっております。

Q安重根が伊藤博文を暗殺した理由

安重根は日本による朝鮮併合を阻止する意図で伊藤博文を暗殺した。
ところが伊藤博文は朝鮮併合には反対だった。
安重根は政治的な知識、情報に乏しくかったので、併合反対してる人間を殺してしまった。

ということですが、もしかしたら安重根は日本による併合を願ってた、ということはありえないのでしょうか?

それと、安重根が伊藤博文を殺さなければ、朝鮮併合が無かったかもしれないのに、なぜ安重根は英雄とされてるのでしょうか?

Aベストアンサー

暗殺の理由については、以下の事を日本の裁判所で語ったと言われています。

1:明成皇后を殺害した罪
2:1905年11月、韓国を日本の保護国にした罪
3:1907年丁未七条約を強制的に結ぶようにした罪
4:高宗皇帝を退位させた罪
5:軍隊を解散させた罪
6:罪のない人々を虐殺した罪
7:韓国人の権利を剥奪した罪
8:韓国の教科書を燃やした罪
9:韓国人たちが新聞に寄与しないようにした罪
10:(第一銀行)銀行紙幣を強制的に使用した罪
11:韓国が300万ポンドの負債を抱えた罪
12:東洋の平和を破った罪
13:韓国に対する日本の保護政策を糊塗した罪
14.:日本の天皇の父上である孝明天皇を殺した罪
15:日本と世界を欺いた罪

↑の内容については、シンガポールの英字新聞が発見されています。(画像参照)


>もしかしたら安重根は日本による併合を願ってた、ということはありえないのでしょうか?

理由の2と13から、それはないと思います。


>それと、安重根が伊藤博文を殺さなければ、朝鮮併合が無かったかもしれないのに、なぜ安重根は英雄とされてるのでしょうか?

今の韓国の反日教育では、当時の日本は韓国を侵略する目的で様々な事を仕掛けていたという事になっています。
なので、伊藤博文もそのような考えで動いていたとされています。
その為に、伊藤を殺した彼は英雄と言う事になります。

しかし、当時の伊藤博文は日韓関係について↓のように語っています。

【明治日本の対韓政策】(深谷博治著 友邦協会)
「日本は非文明的、非人道的な働きをしてまでも韓国を滅ぼさんと欲するものではない。韓国の進歩は多いに日本の望むところであって、韓国はその国力を発展せしむるため、自由の行動をしてよろしいけれども、ただ、ここにただ一つの条件がある。すなわち、韓国は日本と提携すべしということ、これである。日章旗と巴字旗(韓国旗)とが並び立てば日本は満足である。日本は何を苦しんで韓国を亡ぼすであろうか。自分は実に日韓の親睦を厚くするについては、自分の赤誠を貢献しようとしている。しかも、日清・日露の両大戦役の間、韓国は一体何をしたか。陰謀の外に何をしたか。戦争中は傍観しただけではないか。諸君は、日本が、にわかに来たって、韓国を亡ぼすならんと思うのは、果たして何に基づくのか聞きたいものである。
 日本は韓国の陰謀を杜絶するため、韓国の外交権を日本に譲れというた。だが、日本は韓国を合併する必要はない。合併は甚だ厄介である。韓国は自治を要する。しかも、日本の指導監督がなければ、健全な自治を遂げ難い。これが今回の新協約を結んだ所以なのである」


更に、1905年の伊藤のメモには、「韓国の富強の実を認むるに至る迄」という記述があり、
彼は、保護国とするのは国力がつくまでの一時的なものと考えていたと思います。


しかし、後述する義兵闘争が盛んになった為、1909年に桂太郎(首相)と小村壽太郎(外相)の併合方針を是認しました。


理由の1~15についてですが、ほとんど彼の誤解や無知によるものだと思います。

1は、閔妃殺害事件のことですが、伊藤博文や日本政府が直接関与したという資料はありません。
大院君の部下である李周會が「自分が閔妃を殺害した」と供述し、処刑されています。
それに、暗殺団は閔妃の写真を持っていたので彼女だけを殺したとされていますが、現在ではそれは別人の写真とされています。(↓動画参照)

【閔妃暗殺は内ゲバ?!~やはり真人間は生きられない韓国】
https://www.youtube.com/watch?v=Y-G5R9o8NFw



2は、1905年の日韓保護条約(第2次日韓協約)です。
日露戦争の講和条約で「日本は朝鮮を指導、保護、監督する権利を有する」という条項が基になっています。
こうなった原因ですが、朝鮮は1895年の下関条約で独立しましたが、その後もロシアに擦り寄るなどしており、このような朝鮮の行動によって北東アジア情勢が混乱しており、東洋の治安と朝鮮の保全のために、この保護条約は必要なものでした。


3は、7ヶ条の第3次日韓協約のことです。

↓が協約の内容です。
A:高級官吏の任免権を韓国統監(当時は伊藤博文)が掌握すること(第4条)、
B:韓国政府の官吏に日本人を登用できること(第5条)

こうなった原因ですが、高宗は2の保護条約を無視し、1907年にオランダのハーグで開かれた万国平和会議に密使を送り、日韓保護条約の無効を訴えました。
(これは国際条約を無視し行為であり、締結国である日本の体面を傷つけた事になります)
 これの事件で激怒した伊藤博文は、高宗に謁見し電報の写しを見せながら
【かくの如き陰険な手段を以て日本保護権を拒否せんとするよりは、むしろ日本に対し堂々と宣戦を布告せらるるには捷径なるにしかず】
と迫ったと言われています。


4の退位ですが、実は退位を最も強く迫ったのは、朝鮮の農商工部大臣、宋秉畯だった。
(皇帝である高宗を怒鳴りつけたそうです。)


5の軍隊の解散ですが、
 詔書を出したのは、純宗皇帝(高宗の子)です。
理由は、両班制度が残る軍隊は役立たずだった為と、後日に徴兵制を実施する為です。


6は、4の高宗の退位と5の軍隊解散に対して決起した「義兵」を、日本軍が殺したことについてです。
 しかし、その「義兵」は正規の条約に基づいた朝鮮駐留の日本軍を襲うなどしており、それを鎮圧するのは自衛権として当然のことです。
それに、その「義兵」は何故か、朝鮮民衆、日本人、シナ人を襲うなどしています。


7の権利の剥奪ですが、
独立しても、自立できずに1~7のような有様では仕方がないと思います。


8と9ですが、教科書と新聞の規制ですが、
1~7の結果保護国になった状況で、「反日的排他的教科書」や「反日煽動新聞」を取り締まるのは当然だと思います。


10の第一銀行券の発行ですが、
第一銀行券の使用は1905年で、伊藤統監の就任以前(1906~1909)に発行しています。
それに、それ以前の朝鮮は清国の属国だった為に通貨の発行権がなく、定額の銅銭しかないような有様で、紙幣どころか貨幣経済以前の状態でした。


11については、国債2300万円を募り、官吏の間で分配し、この時土地も奪ったと言っています。
しかしこれらは根拠がありません。


12は、大韓帝国皇帝を退位させる等の行為を言っています。
しかし、大韓帝国皇帝の高宗は、日露戦争中はロシアに通じ、外国人記者を買収し、日本軍の鉄道・電信の破壊を内密に命じる等しています。
これらは明確な日本に対しての背信行為です。
(それに、彼は当時のイギリス、フランス等の植民地の国王が同じことをしたら、どうなるか考えた事があるのでしょうか。)


13は、親日派と協力して、保護の名目で大韓帝国に不利な施策を行った(と思っている)事についてです。
これも1~12までの事への誤解によるものです。


14.の孝明天皇の暗殺ですが、
考明天皇の崩御は1866年12月25日で、当時の伊藤博文は長州の三田尻にいましたし、そもそも宮中に入れる身分ではありません。

15は、国際社会に「大韓帝国は無事です」と宣伝したこと(彼の中では事実を欺いている)ですが、
当時は世界最貧国で、清国の属国で、権力闘争による王族の殺し合いや、それらの悪政による両班の横暴、賄賂、人身売買、盗賊の横行など、国とは言えない状態でした。
それを日本が保護国とすることで治安が確立し、朝鮮人の生活は改善されました。
私は、これが無事ということだと思います。
(そもそも、清国の属国やロシアの傀儡が「無事」なのでしょうか)

暗殺の理由については、以下の事を日本の裁判所で語ったと言われています。

1:明成皇后を殺害した罪
2:1905年11月、韓国を日本の保護国にした罪
3:1907年丁未七条約を強制的に結ぶようにした罪
4:高宗皇帝を退位させた罪
5:軍隊を解散させた罪
6:罪のない人々を虐殺した罪
7:韓国人の権利を剥奪した罪
8:韓国の教科書を燃やした罪
9:韓国人たちが新聞に寄与しないようにした罪
10:(第一銀行)銀行紙幣を強制的に使用した罪
11:韓国が300万ポンドの負債を抱えた罪
12:東洋の平和...続きを読む

Q【政治と経済と賄賂】政治は民主主義。経済は資本主義。政治家は政治と経済の橋渡しをするのが仕事。

【政治と経済と賄賂】政治は民主主義。経済は資本主義。

政治家は政治と経済の橋渡しをするのが仕事。

言い換えると、

政治家は民主主義と資本主義の橋渡しをするのが仕事ということになる。

で、

政治家は資本主義の大資本家の言うことを聞いて政治をやる方が、資本がない貧乏人の意見を聞いて弱者を助ける政治をやるより国のGDPは高くなり、大資本家の言うことを聞いてる方が国は成長してみんなハッピーになる。

要するに政治家は賄賂をたくさんくれる人の意見を優先して政策でやっていくと自ずと国は成長する。

逆に貧乏人の意見を聞いて政策を打ち出して実行しても国になんらメリットがない。

だから、賄賂をたくさんくれる人の意見を優先して聞くことは政治家にとってもこの国に対してもメリットだと思いました。

どう思いますか?

賄賂が一種の大資本家のバロメーターだったので日本は著しい経済成長が出来ていたのでは?

それを平等主義やら言って弱者救済政策を打ち出し、弱者の何の金にもならない意見を聞き、成長率が落ちた。

違いますか?

政治家は賄賂を貰ってなんぼだと思う。賄賂を貰うことによって賄賂を渡す資本主義に競争原理が働き賄賂の額が上がっていって、最後に払えた大資本家の意見を政治に取り入れるのがこの国の最もスマート(賢い)政治だと思います。

【政治と経済と賄賂】政治は民主主義。経済は資本主義。

政治家は政治と経済の橋渡しをするのが仕事。

言い換えると、

政治家は民主主義と資本主義の橋渡しをするのが仕事ということになる。

で、

政治家は資本主義の大資本家の言うことを聞いて政治をやる方が、資本がない貧乏人の意見を聞いて弱者を助ける政治をやるより国のGDPは高くなり、大資本家の言うことを聞いてる方が国は成長してみんなハッピーになる。

要するに政治家は賄賂をたくさんくれる人の意見を優先して政策でやっていくと自...続きを読む

Aベストアンサー

賄賂ではなく票でしょう。
票をもらって政治家でいる限りにおいては、賄賂以上の利権や私欲を満たすことが出来ます。
賄賂でどうのこうのやっていた時代は、田中角栄や中曽根、竹下などの金権政治だった時代です。
大資本家ということならば、今は経団連です。自民党や政府と一蓮托生の仲ですから、お互いの利益を貪る政策を実行します。


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