プロが教えるわが家の防犯対策術!

「適応障害」に関する質問です。
私の同僚が医者から「適応障害」と診断されました。上司から何か仕事をお願いされると胃痛、不安、震え、涙もろさに襲われるそうです。仕事が終わってからも、次の日の仕事のことを考えてしまい、何もやる気が起きないそうです。
「適応障害」について調べてみると、確かに彼のような症状が出るそうですが、彼の話を聞いていると、単に逃げているだけのような気がしてなりません。というのも、彼は、自分が適応障害だということを盾にして、自分から何もしようとしないからです。そのことを指摘すると、適応障害だから仕方がないと言って聞く耳を持ちません。そこで質問です。
適応障害を前提にした考え方では、この病気が治るとは思えないのですが、どうなのでしょう?私には、適応障害が問題というより、この考え方が問題だと思えてなりません。適応障害を治すには、その原因となっているストレスを取り除くのが良いそうですが、果たしてそれで解決される問題なのでしょうか?
長い文章になりましたが、専門家でない私には答えが出せないため質問させて頂きました。
どなたか回答頂けましたら非常に助かります。よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

こんにちは



>適応障害を前提にした考え方では、この病気が治るとは思えないのですが
>適応障害を治すには、その原因となっているストレスを取り除くのが良いそうですが、果たしてそれで解決される問題なのでしょうか?
今の精神医学の考え方ではその環境から離脱する事が最良の治療と言われています。

以前の日本の精神医学では、これらをその環境への過剰反応と捉えていたようです。
その環境で自分を良く見せようとしたり、自分の能力以上の事をすると
その環境に過剰反応して心身に変調を来たす。
故に本来の自分を取り戻して、あるがままの態度、姿勢でおれば回復すると言われていました。(所謂 森田療法の考え)

私は専門家ではありませんので、いずれが本質を捉えているか判断できません。
皇室の某妃殿下は「適応障害」と診断されそうです。
認知療法の第一人者が治療に当たっていますが
今だ完全なる治癒に至らないようです。

そこから、推測すると自己の囚われや歪んだ物の捉え方だけの問題ではないように感じます。
認知療法は自己の囚われや歪んだ物の捉え方を認知し、修正する心理療法です。(森田療法とアプローチの仕方は違いますが、本来の自分を取り戻す治療法に変わりはありません)
森田療法
http://www.mental-health.org/mh13-3.html
認知療法
http://profile.allabout.co.jp/pf/ginzataimei/col …

これらを勘案すると、やはりその環境から離れるのが有効なのではないでしょうか?
実際、精神科の医師も出来ることなら、その環境から離れる事を薦めるそうです。
参考になれば
    • good
    • 0

神経症が完治した者です。

その経験から書かせて頂きます。精神疾患と言うものを見た場合、その原因は「意識した事」が原因となっている感じがしています。人間が生きていると様々な場面に出会うかと思いますが、その中でフット意識してしまう事が有ります。それは以前に感じた嫌な事かも知れません。

それが感じられた場合に、又嫌な事が起こるかも知れない予感がして、そうして、本当に嫌な事になります。そうした場合に、そうなりそうな感じがしただけで、またそうなると思って、もうどうしようもない不安、予期恐怖と言う感じになってしまうのかと思います。

人間は「意識した場合」その意識したものがすぐに忘れられるなら問題となりません。「意識した事から離れられなくなる事が有ります」その事が問題を作り出します。意識した事を問題として「意識」する事が問題を大きくしてしまいます。

人間は意識して仕事をしています、その事によって「常に意識して」仕事をしていると思っています。是は大いなる間違いと言えます。人間が一番仕事が出来ている時や、一番幸せに感じている時は、意識がない時と言えます。ほかの言い方をするならば、自我意識が引っこんでいて無意識が自分の体を使っている時です。

オリンピックなどの体操やスケートなど難しい演技をしている時等です。繰り返しの練習で技を磨いているように見えていますが、本当は無意識の意識に体を預ける練習をしているとも言えます。自我意識で何かをやろうとする事が精神疾患の元を作っています。

例えば神経症と言うものが有りますが、これは「意識した事」がそっくり症状名になっています。神経症の場合は大抵が意識した事から離れられなくなって、その事が苦しさ、辛さの元になります。自我意識だけで字を書こうとした場合に書く事に意識が行ってしまい、無意識を使えなくなります、これが書痙の正体です。

不眠症にしても、自我意識だけで眠ろうとしていると言う事です。神経症の場合自我意識だけで生きてゆこうとして「無意識」を使えなくなっている状態になってしまいます。無意識にも分かり難いのですが、かすかにですが、意識は有ります。無意識の意識を使えなくなっていると言う事で、無意識自体が自我意識に、気が付いてもらい事で自我意識に圧迫を加える事になります。是が精神疾患の「辛さ」「生き難さ」と言う事になります。

うつの辛さと言っても同じ事です。根本が自分自身の中に在ります。自分で自分を苦しめていると言う事が精神疾患の原因となっています。それは、薬に因っても治り難い、或いは、治ったと思ってもまたぶり返すと言う事になります。その原因は、本人の認識の誤りと言えます。自分自身の中に自分自身を悩ませているものが存在していると言う事を、精神科医達も知らないでいる人たちもいるように感じます。

この先は難しい話になりそうなので、ここまでとします。貴方が感じている事「本人が何もしない事は適応障害を盾にしているから」と言う事は当たっていません。本人はしよう、したいと思っています。それは丁度、不眠症の人が眠れないと言う事と同じ原理から出来ないのです。

しようと意識する事から、あべこべに出来にくくなっています。人間が意志、或いは自我意識の計らいで何かをしようとした場合には出来にくくなる事が有ります。精神疾患の場合が丁度今言った事に当たります。

それは自分で地獄を作って自分で苦しんでいます。この事を解消するためには本人の認識を変える他は有りません。精神疾患とは世の中を天国と地獄と二つにして見ていると言う認識をしています。地獄に落ちないために身動きできなくなっていると言う状態です。

その事を解消する事は大変な決心が必要かも知れません。ですが判ってみれば簡単な事です。地獄に行きたくないと言う自我意識が地獄を作っています。地獄に行っても良いと言う決心が出来たなら。今ここが天国になります。逆な言い方をするなら、天国を捨てたなら、同時に地獄も消えます。精神疾患の元は本人が地獄と極楽を作って、そして自分で地獄に入ってしまう事になっています。

精神疾患は自我意識のほんのちょっとした勘違いに過ぎません。
    • good
    • 0

私はうつ病、適応障害で休職中です。



適応障害だけについては、ちょっと明言できません。
というのも、鬱からくるものか、適応障害からくるものか分からない不安感があるからです。

しかし、私の場合は軽度の適応障害なのかも知れませんが、
引越したとき、もの凄い不安感に押し潰されそうで、自殺まで考えました。
楽しみで仕方なかった引越し、更に同棲生活をスタートさせたのに何故だろう。 分からないんです。

楽しみにしていた外勤先でも、やはり常に緊張状態。
意識が飛ぶ事もよくありました。
恐らく適応障害の症状なんだと思います。

休職してしまったので仕事については不明ですが、引越後の不安感は、
日を追う毎に無くなっていきました。
「慣れる事」が一番必要なんだと思いました。

経験しないと分からないと思いますが、本当に辛いのです。
しんどくて、でもどうする事もできずに、ひたすら頑張るのみなんです。
同僚さんも、慣れれば良いのかなと思います。
でも、心の病を盾にして仕事をしない人がいる事も事実です。

私は会社の人に、「鬱病だから」「適応障害だから」と言い訳した事はありません。
逆に「これお願いできるかな?」と言ったように気を遣われてしまい、
いつも申し訳ない思いでした。
なので、嘘や大袈裟に訴えている事も想像してしまいました。
そういう人がいる事で、心の病と本気で闘っている人は偏見を持たれるなどと苦労しているのです。
同僚さんは本当にそうなのか、ちょっとオーバーなのか分かりません。
性格の違いもありますから。。

どうか、「嘘に決まっている」などとは考えないであげて下さい。
そして優しく仕事をお願いしてあげて、非難はしないであげて下さい。
「理解している」という態度で接して貰えると、とても楽になると同時に、やる気も起きます。
長い目で見てあげる事が、1番の近道だと思います。

この回答への補足

回答ありがとうございます。
LattE093さんは環境への慣れによって、病気を克服されたのですね。
文章からLattE093さんの頑張りが伝わってきました。環境への慣れが重要だということがわかりました。
ただ、私の同僚は環境に慣れることすら避けよう(意識してか無意識なのかは不明ですが)としており、今の仕事はしたくない、向いていないと決めつけています。仕事をやめたいと絶えず言っています。今の環境に慣れることをあきらめているようにみえます。
私にそうみえているだけで、彼なりに必死に頑張っているかもしれないという指摘を他の方からも頂きましたので、LattE093さんのおっしゃる通り、もう少し長い目で見てあげた方が良いのかもしれませんね。

補足日時:2008/10/29 23:10
    • good
    • 0

心の問題というのは、確かにある一面において、「病名」に逃げてしまう場合がないとは言い切れません。


けれど、実際にどれだけ辛い思いをしているか、またどういった努力をしているかは、周囲の『経験のない』人には見えにくい場合が多いです。
そのため、「何もしようとしない」ように見えて、ついそれを指摘してしまいがちですが、目に見える変化が伴っていないだけで、実際には相当努力している時、その指摘は言われた当人には非常に辛く、目に見える変化を周囲に見せることができない理由や状況について説明することすら苦痛になり(=理解されないだろうと思い)、「●●だから仕方ない」という言葉になってしまうことも往々にしてあります。

また、心の問題は、2-1=1というような、これをこう取り除いたら解決する、というものではありません。
あくまで、「こうすることが効果がある」とされるもので、明確な「答え」が出ないものです。

御参考になれば幸いです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
pick-chanさんの言うとおり、私には彼の努力が見えておらず、「何もしようとしない」という私の指摘によって、彼をより辛い状況にしてしまっているかもしれないですね。彼が適応障害を盾にせず、努力していることを切に願います。
とても参考になりました。
ありがとうございます。

お礼日時:2008/10/29 23:05

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!