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静御前の子供は牛若丸とあと二人男の子がいたはずですが、それぞれどんな生涯だったのですか。
腹違いの兄、頼朝の方も含め姉妹もいたのですか。

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A 回答 (4件)

お母さんは「常盤御前」ね。

子供は今若、乙若、牛若。
もう簡単に検索で調べられるけど、一応、書く。

子供は全員、平清盛と常盤御前との約束で、僧籍に入ることになります。
しかし今若も、長じて阿野全成と名乗り、頼朝の挙兵に合流。
頼朝の信頼を得るとともに、妻に北条政子の妹である阿波局を娶る。
阿波局は頼朝の次男千幡丸(後の実朝)の乳母だった関係で、
頼朝の死後は、頼家と対立し、全成は謀反人として捕縛され、
常陸国に配流。その後誅殺されました。
乙若は、長じて源義円と称し、叔父源行家が尾張で挙兵すると、
頼朝の命により合流。墨俣川の戦いの時、
義円は単騎敵陣に夜襲を仕掛けようと試みて失敗し、戦死した。

頼朝、義経の兄弟姉妹というと、要するに義朝の子供ってことだが、
男が9人で女が1人。生まれ順だと、
義平(悪源太)、朝長、頼朝、義門、希義、範頼、全成、女(女子の場合は通常名前不明、坊門姫とも、一条能保の妻)、義円、義経。
ほか、詳細不明の女子が一名と、落胤説のあるひとが何人かいる。
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この回答へのお礼

静は母ではありませんでした。
常盤の子たちはやはり一生を僧侶で終わることはなかったのですね。そして同じ母を持つ義経には見方しなかったのですね。
めずらしいほかの兄弟の名前を教えていただいたのでどんな人物だったか調べて楽しんでみます。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/11/04 00:03

おっと,#3訂正。

静御前ではなく常磐御前。
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牛若丸は静御前の三男で,上に今若・乙若という二人の兄がいます。

それぞれ出家をして(させられて),全成・円成という法名が付きます。二人とも頼朝の挙兵後,(義経同様)鎌倉に下り,頼朝に従って武士となりました。

兄の今若=全成は,還俗後の名前を「阿野全成」と言います。幕府の御家人になり,北条氏と縁戚になりましたが源頼家の代に北条氏によって滅ぼされます。ただし,子孫は阿野氏として続きます。

二番目の円成は(源)義円と改名し,1181年平家との戦いに出ましたが,討ち死にします。ただ,その子は愛智という苗字を名乗り,代々続きました。

義経は九郎というくらいですから,腹違いの兄弟を含めると8人の兄弟がいました。頼朝は三男で上の二人の兄弟は,源義朝と共に敗死します。四男と五男の義門、希義については詳しいことが分かっていませんが,同じく平治の乱で死んだのではないか,と推測されています。

六男は蒲冠者範頼で,この人も頼朝挙兵に従って源義仲・平氏追討に赴きます。後に謀反の疑いで頼朝に殺されます。その下の七男・八男が今若・乙若ということです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。平穏に僧侶で過ごし人はいないようですね。

お礼日時:2008/11/04 00:11

静御前は、義経の妾です。


義経は、義朝の九男だったかな。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
やっと間違いに気付きました。
母は常盤ですね。

お礼日時:2008/11/04 00:08

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