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小室哲哉容疑者:世界進出で挫折…借金も15億円超
「ロジャム社は01年5月、香港の新興市場に上場。小室容疑者は会見で「アジアの国々に質の高い音楽コンテンツを提供していく」と高らかに宣言した。ところが、株価はわずか2週間で売り出し価格の半値を割り込み、その後も下落。02年度決算は約12億円の赤字となり、海外でのCD販売やプロデュースも伸び悩んだ。」
http://mainichi.jp/select/today/news/20081104k00 …

小室哲哉氏の転落のきっかけとなった事業の失敗ですが、
どうして失敗したのでしょうか?
小室哲哉氏絶頂の頃で、間違いなく高い質の音楽を生み出せていたはずです。
新株が2週間で売り出しの半値というのは聞いたことがありません。
事情を御存知の方、教えてください。

よろしくお願いします。

A 回答 (7件)

98年のロジャム設立後、アーティストの発掘・売り込みとロジャムディスコの経営に


小室哲哉氏は自分の財産をつぎこみ、乗り出すのですが
全くヒットが出せず、赤字が続きます。

このままでは、自分が出資した金の回収はおろか、会社の運営維持費に金を出し続ける
事になってしまいますので
01年に香港株式市場にロジャム株を上場させ、その株の利益で
自己資金の回収と会社の運営資金にあてようと画策したのですが
2000年の世界規模で起こった「ITバブル崩壊」とその余波での「香港株式市場の下落」が
すでに起こっており、上場から数日でロジャム株は額面の半値以下になってしまいます。

結局、株式公開からの資金調達に失敗し、ここでやめておけば散財レベルだったのが、
小室哲哉氏は、失った自分の財産の回収と事業の立て直しに躍起になり
多額な借金で、吉本興業の 「R&C」株を取得して子会社化し、
ロジャムの経営にジャブジャブと金をつぎこんでしまいます。

しかし、全く業績は上がらず、当然株価も下落状態。支出だけがかさみ

04年、ついに自分の資金も底につき、これ以上の借金も不可能になったため
ロジャムの経営から身を引き、株を吉本に買い取ってもらい借金返済にあてますが、
70億もの借金が残りました。

その後、海外の資産を全て売却し、借金返済にあてても
結局15億円が残り、前妻への慰謝料やスポンサー料も払えない状態になります。
唯一の収入源である自曲の著作権も債権者や前妻に差し押さえられ
その上、何のヒット曲も出せないこともあって借金返済はお手上げ状態でした。

そして、詐欺行為に走ってしまいます。

> 小室哲哉氏絶頂の頃で、間違いなく高い質の音楽を生み出せていたはずです。
・・・
99年(1月に華原朋美と別れた頃)ころには既に小室哲哉氏はヒット曲を全く出せない
状態でした。

理由は、大きく言って以下の2つ。
・・・「飽きられた」
元々90年代のカラオケブームに乗って、「シンプルな曲調、歌い易い歌詞」が
小室哲哉氏の曲の特徴だったのですが、いつまでたってもそのスタイルから脱却できず
にいました。
・・・「CD不況と海賊版の横行」
高く設定された価格や違法コピーの横行やレンタルの普及。
そして消費者が携帯に志向が動き、少子化の影響もあってCDが売れなくなりました。
香港での小室哲哉氏の失敗要因はここにあったと言われています。
アジアや中国では違法コピーが日本よりも凄まじいからです。

2000年以降はCD不況はインターネット配信により、より一層進み
もはや小室哲哉氏の居場所は無い状態でした。
しかし、80年代後半から90年代なかばまでの小室哲哉氏の楽曲も含め
CDの大量販売は「異常だった」、「CD不況の現在が普通」と指摘する識者もいます。

結局、小室哲哉氏は自分の才能と中国バブルとアジア市場を過信し
90年代に自分の作曲スタイルやセンスの「変革」を行わず、時代の変化に無頓着で
無意味な浪費と素人的な投資に明け暮れたのが元凶でした。

かつて矢沢永吉氏も部下の背信行為により35億円の負債をしょいこみましたが
金融での金儲けではなく、著作権を大事に保持し、地道な音楽活動とメディアへの積極的な
露出により完済しました。
小室哲哉氏も生活の立て直しで、浪費をやめ、時間をかけてでも本職の音楽活動で
負債の返済に取り組めば、15億円ほどの金額など完済は可能だったはずです。
詐欺行為に走った背景には、「自分の才能への絶望」という自己否定と悲観思考が
あったと思います。

詐欺による逮捕で、小室哲哉氏はほぼ「自己破産」になるでしょう。
でも、ヒット曲を出せなくなったとはいえ、80年代後半からの10年間
の小室哲哉氏は「神懸かり」的な状態でした。
2~3年以上懲役と言われていますが、すぐに戻ってこれると思います。
彼の復帰を待つ関係者は、
いっぱいいますので、復帰後の活動は容易でしょう。
5年ぐらい地道に活動すれば、借金も返せるでしょう。
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今から20年前に、ロンドンに進出して、自分の才能に限界を感じています。

(当時のソニー出版系のインタビューより)
その後、角川事務所の社長と組んで、映像の会社を設立しますが、角川氏が薬で捕まって、尻切れトンボ。
三度目の正直の海外進出だった事と、海外進出は、親戚のお姉さんとの大切な約束だった。
でも、とにかく昔から、ファンに計画を発表しては、途中で止めてるような性格の方でした。
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ちょこっと打ち込みの上手い小室氏をうまく演出した人々がいるのです。


それを本人が勘違いして踊らされた挙句の出来事だと思います。

タイミングよく、御伽噺?がありました
http://shadow-city.blogzine.jp/net/2008/11/post_ …
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音楽のことはわかりませんが、彼はミュージシャンとしては才能があったが、事業家としての才能はなかったとういう事ではないでしょうか。



個人にとっての億単位というお金と、企業にとっての億のお金は価値が違います。
おそらく、彼は自分が立ち上げた会社の資産状況、果ては決算書の内容など把握していなかったのではないでしょうか。
「損益分岐点」を把握していたら、お金の使い方もどこかで歯止めがかかっていたはずです。
周囲に有能な税理士や弁護士がいなかったのか?
誰かが助言しても耳を傾けなかったのか?
犯罪に手を染める前に、何か回避できたような気がします。

多分、いつかは巻き返せるいつかまた・・・という思いと、これで終わり幕引きになってしまうという二つの思いで揺れたと思います。

ある意味、逮捕されて楽になったんでは。

事業に手を出さず、音楽だけをしていればよかったのかもしれません。
会社を潰す人に小室氏のようなタイプの人は結構います。
一度成功すると「執着」が捨てれないのです。
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日本のような芸能ミュージックが通用する国というのは今のところ少ないのです。

というより日本の用にミュージシャンより芸能タレントが、ヒットチャートの半分以上を占める国というのはそうそう存在しないです。
小室氏といえば日本ではアイドルプロデューサーとして相当のセールスを稼ぎだし、クライアントの要求にもしっかり応え商業ミュージシャンとして立派な功績を持っていますが、日本の音楽業界はかなり独特な事や、まだまだ途上国でのエンターテイメントは業界が育っていない事など、多くの要因で失敗したのでしょう。
簡単にいって日本でのクライアントへの対応での成功とは全く商業モデルが違ったのでしょう。

(ちなみに小室氏ぐらいのミュージシャンというのは、日本の音楽業界にはゴロゴロいます。ただ当時のミュージシャンで(そこそこ売れたミュージシャンで)カラオケ対応とかの商業性を意識し、あそこまで商業的な部分に積極的に関わり、商品としての音楽提供を行ってくれる人物はめずらしく、そんな人は小室氏を置いて他にはほとんどいなかったでしょう。当時はそれどころかちまたで流行りはじめていた、カラオケというサブカルチャーは、ミュージシャンの間ではすごく嫌われていましたから、そういう意味でも、小室氏のような話のわかる人は重宝されたのでしょう。)
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ANo.1さんのおっしゃる「過去のパクリ」とかについては、知らないのでわかりませんが、私も彼の音楽に対する志の程度には疑問を持っていました。

彼がプロデュースしたアーティストの何人かは、声質など才能はある程度感じましたが、ろくに練習していないかんじでしたし、楽曲もとって付けたような印象を受けました。

あと、結果から見ての発言で少しずるいと思いますが、彼の経営のセンスの欠如とか、芸能ビジネスそのもののリスクなどを考えると、当然の結果ではあったと思います。
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>>小室哲哉氏絶頂の頃で、間違いなく高い質の音楽を生み出せていたはずです。



私は、絶頂期でさえも、「過去のヒット曲のメロディのパクリか、どーでもいい曲」って彼の曲には嫌悪感を持っていました。
なので、海外において、きっちりと曲の評価が正当にされた結果ではないか?とそのニュースを見て思いました。

個人的感想でしかないのですけどね。
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