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授業では「西郷隆盛が中心となって征韓論を唱えるも、欧米視察から帰ってきた岩倉具視を中心としたメンバーが外国のことより国内のことを優先すべしとの方針により、征韓論はつぶされ、その後、機が熟してから韓国併合への道程をとった。」と習っていたので、西郷隆盛の征韓論と後の韓国併合への道程は単に時期が違うだけと思っていたのですが、先日古書店で立ち読みし、興味を持ったので購入した雑誌によく分からない箇所がありました。その箇所とは「私は韓国精神文化研究員の院長をされた李★(★=王ヘンに宣)根さん(故人)と何回もお会いしています。ソウルでも会ったし、東京でも会いました。李院長は反日の巨頭とも言える激烈な人なんだそうですけれども、その李博士がいうのには、とにかく日本には悪いやつが多いが、西郷さんにだけは頭を下げる、西郷さんが礼儀作法正しく、軍隊を連れずに韓国の王宮を訪問するという方針を出したことは、自分の心にちゃんと宿っていると、こう言うんですね。[文芸春秋1986年12月号 日韓大闘論 の記事の村尾次郎氏の発言]」という部分です。この箇所を読むと、西郷隆盛の主張した征韓論と後の韓国併合への道程とは180度方針が違うというように思えるのですが、そもそもこんな話など今まで聞いたこともなくさっぱり意味がわかりません。同じ韓国支配でも西郷隆盛が目論んだものは政府の方針とは異なるのでしょうか?

A 回答 (1件)

西郷隆盛は、いわゆる「征韓論」を主張したと学校の歴史の授業ではならいますが、彼の実際の発言を調べるとそうではないことがわかります。



政府の公式な会議の場での発言は、李院長の言う様に軍隊を連れず丸腰で当時の李氏朝鮮に訪れるといったのです。
つまり西郷の本意は、板垣退助らのような軍事力行使ではなく、あくまで外交で決着をつけるというものでした。

後の大久保利通らとの政争の関係で、西郷と板垣たちをまとめて「征韓論」と今までの歴史授業では区分していましたが、西郷の本心が外交にあったとする考えから、西郷だけ「遣韓論」だったという意見が近年になって研究者の間から出てきています。

参考:『(西郷隆盛の生涯)西郷の遣韓論』
 http://www.page.sannet.ne.jp/ytsubu/syougai11.htm
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
西郷隆盛が参考URLのような言動をとったことは知りませんでした。
李院長のような韓国人でなく、日本人の私が聞いても西郷隆盛には頭が下がる思いです。

あと、質問文の中に間違いがありましたのでこの場で訂正します。

(誤)韓国精神文化研究員
(正)韓国精神文化研究院

お礼日時:2009/01/26 22:09

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