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ミュージカルから、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフのエリーザベト皇后に興味を持ってネット上で調べております。
その中で、彼女の称号をバイエルン王女としている場合とバイエルン公女としている場合があることに疑問を持ちました。
彼女はバイエルン公爵とバイエルン王女の夫婦の間に誕生していますので、公女(公爵の息女という意味合いで)が実情に沿っているかと私は思うのですが、バイエルン女公の称号も持っていたようですので、混乱しております。
なにか、母方のバイエルン王家のシステムや、彼女自身の婚姻の際の事情などから王女の称号を与えられた事実などがあるのでしょうか。お詳しい方がいらっしゃいましたら、ご教授いただきたいと思います。

A 回答 (3件)

> バイエルン女公の称号も持っていたようです


これに関しては、もしかして、ドイツ語の"Herzogin in Bayern"を「バイエルン女公爵」と間違って訳したのではないかと思います。

"Herzogin in Bayern"は、確かに「バイエルン女公爵」の意味もありますが、「バイエルン公爵夫人」か「バイエルン公爵令嬢」でもあるんです。
すなわち「公爵家の女性」は『みんな一緒』なんですよ。

ドイツ語の文献等を見る限りでは、シシィの母親(Maria Ludovika Wilhelmine)の「出自」は"Prinzessin von Bayern(princess of Bavaria=バイエルン王女)"となっています。
そして、結婚して"Herzogin in Bayern(duchess in Bavaria=バイエルン公爵夫人)"になったとされています。

ですが、シシィの出自は"Herzogin in Bayern(バイエルン公爵令嬢)"となっていまして、"Prinzessin von Bayern"としているものは目にしたことがありません。
"Elisabeth,Prinzessin von Bayern"でヒットするものはありますが、内容を見ると、別人のことでした(私が探した範囲では)。
そして、"Kaiserin von Oesterreich(=Empress of Austria=オーストリア皇后)"、"Koenigin von Ungarn(=Queen of Hungary=ハンガリー女王)になったとあります。

ですから、シシィを「バイエルン王女」としているのは、単なる「訳し間違い」ではないかと思います。
また、シシィが、結婚に際してバイエルン王家の王女に「身分を直した」という話は聞いたことがありません。
「バイエルン公爵家」の『相続権』を放棄しているのは事実ですが。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなってしまい、失礼いたしました。丁寧な回答に感謝いたします。
なるほど、公爵令嬢→公爵夫人ですか。それでエリーザベトの姉妹がHerzogin in Bayernを皆持っている理由がわかりました。
私も史料をあたると、エリーザベトの称号は主として挙げていらっしゃる3つで、姓名の記載もin Bayern→von Oesterreichで、彼女がPrinzessin von Bayernであったというものが出て来ませんでした。
ただ、No.1・3の回答の通り、皇女や王女の称号を持たない女性はオーストリア皇后にはなれないはず。姉が候補として挙げられたくらいなのですから、問題としてはクリアできる状態ではあったと思われますが…うーん。
もう少しがんばってみようと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2009/01/02 19:09

>彼女はバイエルン公爵とバイエルン王女の夫婦の間に誕生していますので、公女(公爵の息女という意味合いで)が実情に沿っているかと私は思うのですが…。



Elisabethは次の称号を持っていました。
Prinzessin in Bayern バイエルンの王女(ただし、王位継承権はないまたは継承権の順位がはるかに下位)
Kaiserin von Oesterreich オーストリアの皇后
Koenigin von Ungarn ハンガリーの女王
http://www.amazon.de/Elisabeth-Prinzessin-Kaiser …

Prinzessin von Bayernはシシィの母親とフランツ・ヨーゼフの母親のの称号でバイエルン王家の娘のこと、王位継承がある場合、Kronprinzessinとも呼ばれる。

シシィの場合は複雑で、ロミ・シュナイダー主演の映画の中で、彼女は身内以外の家臣などからはいつもPrinzessin(姫様)と呼ばれていました。彼女の父親はHoheit(殿下)、母親は同じ家の家臣からKoenigliche Hoheit(大公妃殿下)と呼ばれていました。このことは、皇帝や王家の中と呼ばれ方は同じです。

フランツ・ヨーゼフとシシィの母親同士は姉妹で彼と彼女は従兄弟同士です。 

フランツ・ヨーゼフの結婚にあたり彼の母親が彼に
「皇帝のお妃になる人は、若くて、美しくって、厳格なカトリックでなければいけません。」
「そんな娘(人)は知りませんが。」
「いいえ、インスブルックで会いましたよ。 従兄弟のヘレーネ(シシィの姉)ルドヴィカ叔母さんの娘ですよ。ただ、マックス・バイエルン公爵という点が汚点ですが…。」

フランツ・ヨーゼフの誕生日にヘレーネと母親ルドヴィカはシシィを連れてバート・イシュルに出かけます。誕生日会は婚約発表の場であることをマックス・バイエルン公爵には告げず、彼は家でシシィの妹や弟達と家で留守番をし、ルドヴィカはバイエルンの王家代表でフランツ・ヨーゼフの誕生日会に出席します。
フランツ・ヨーゼフに誕生日の挨拶をする場でイレーネ(ナナ)とエリザベート(シシィ)はIhre koenigliche Hoheit Prinzessin in Bayern(バイエルン王女)と紹介されます。
また、他の客もプロイセンやザクセンの女王様たちで、彼女達もシシィの母親と同じ様にフランツ・ヨーゼフのおばにあたる人たちでした。
ハブスブルク家では家憲があって本来なら公爵の娘は身分が低いことで、皇帝の皇后になれないので公爵の称号は隠したかったか、親のどちらか地位の高い身分を名のるのが当たり前だったのだと思います。(このあたりは「篤姫」が嫁入りするにあたって、島津斉彬の養女になり、公家の養女になってから嫁いだことと似ていますね。)

ということで、
ミュージカルの中で、シシィの称号をバイエルン王女としている場合とバイエルン公女としている場合があっても間違えではなく、両方の称号を持っていたとお考えになるのがよろしいかと思います。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなってしまい、失礼いたしました。丁寧な回答に感謝いたします。
Prinzessin von Bayernだと、バイエルン王家の息女ということで、王女たちの中では別格になる、ということですね。日本における内親王殿下と同じですね。納得いたしました。
ただ…Prinzessin in BayernだとBayernはバイエルン王国なのでしょうか、バイエルン公爵家ではないのでしょうか。公爵でも領地の元首権がある場合は息女にはPrinzessinの称号が使われる場合があると聞いたことがあったような気がするのですが…。
もう少しがんばってみます。ありがとうございました。

お礼日時:2009/01/02 19:34

>彼女の称号をバイエルン王女としている場合とバイエルン公女としている場合があることに疑問を持ちました。



フランツ・ヨーゼフの家系であるハプスブルク家では婚姻の際、皇室の王女でカトリックしか認めていませんでした。ですから、エリーザベトも彼との婚姻が決まっていなければ、公女でもまたはタイトルがなくても良かったかもしれません。
ただ、彼女の母親Ludvika(ルドヴィカ)はバイエルン王のMaximilian I. Joseph (マキシミリアンI世・ヨーゼフ)で王女でした。
エリザベートもマキシミリアンI世の孫に当たりますから、王女と呼ばれても当たり前のことです。
ちなみにエリザベートの従兄弟はあのメルヒェン王のバイエルン王、ルードヴィッヒII世です。ヴィテルスバッハの家系は美男子、美人の家系ですね。

フランツ・ヨーゼフとエリザベートの皇子の不幸やエリザベートの暗殺などとハプスブルク家の家系にこだわる婚姻の家憲のせいで不幸が続きました。結果、皇太子として甥のフランツ・フエルディナントが迎えられたのですが、彼の妻ゾフィー(ボヘミア伯爵の娘→ホーエンベルク大公妃という称号が与えられた)の身分が低いことから、彼達の子供達には帝位を継がせない約束をさせられました。後にこの二人は1914年6月28日にボスニアの首都サライェヴォで暗殺され、それは第一次世界大戦と、ハプスブルクの滅亡の引き金になりました。

参考URL:http://www.unterwegs-mit-sisi.de/Stammbaum.pdf
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この回答へのお礼

お礼が遅くなってしまい失礼いたしました。丁寧な回答に感謝いたします。
フランツ・フェルディナント夫妻の逸話は存じていたのですが、ここで必ず出てくる貴賎婚を禁じる「家憲」。この詳しい資料を現在探しております。
もう少しがんばってみようと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/01/02 18:44

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