自分のお店を開く時の心構えとは? >>

http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=443023での質問の続きですみません。
不可抗力により、大学の定期試験が受けられなかった場合、その追試を受けられる権利は法的に認められるのでしょうか?

事故や身内の不幸などで試験が受けられなかった学生を救済することはできるのでしょうか?

宜しくお願いします。

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A 回答 (9件)

どちらが、分かっていないのか?



 単位認定は、その講座の担当教官の裁量行為だから、
   「救済」してもらう権利はない。
       あるとすれば、 その担当教官の好意である事。


  たとえば、入試に対して、「事故や身内の不幸などで試験が受けられなかった」受験生も果たして、あなたの理論で、救済されるのですか?

 (答えてもらわなくても、結構です。貴方(DoubleJJさん)とは、議論するつもりはありません)


 大学で学ぶという事は、定期試験を受ける事ではなく、いかに、学問としての知識を持ったか?
 その本質を忘れて、たかだか、定期試験の受験する権利を云々するのは、どうか?
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まだわかっていないようですね。


質問者の方はフェリーが沈没して32時間遅れた事例や、忌引きや伊勢湾台風などの本人側に無過失な事例が発生した場合に、学校側に追試を求めることができるかと質問されているのであって、あなたが言うような卒業論文の提出に1分遅れたとか、雪で学校にくるのが5分遅れた場合のような事例について質問されているのではありません。

確かに卒業論文提出に1分遅れたという場合、それは提出者がもっと余裕をもって提出すればよかったと考えられますので、過失ありかもしれません。雪で学校に5分遅れたという場合も、余裕をもってこなかったのが悪いということになるかもしれません。

しかし伊勢湾台風であるとか、フェリーで32時間遅れた、忌引きで学校に行かれないという場合、その生徒になんの過失があり、「甘い」というのでしょうか。伊勢湾台風が来るようなところに家を建ててしまったのが過失であり、「甘い」というのでしょうか。沈む可能性があるようなフェリーに乗ることが過失であり、「甘い」のでしょうか。死んでしまうような身内を出してしまったことが過失であり「甘い」のでしょうか。


>試験が単位認定や、合格に対する1本勝負であれば、それに対する、対応、心構えがあるだろうという事です。

なるほど、忌引きをしなくてすむように、試験が近づいたら身内が死なないように健康管理に気をつけさせなければいけないということですね。この結論はあまりにも馬鹿馬鹿しいですね。

>>私は、どちらかと言えば、「法律学」を学んだほうでしょう。
 その、理論構成は、1つだけが正しいのではなく、さまざまな、アプローチ、理解の方法がある事を忘れないで、ください

法律学以前に読解力を学んでいただきたいものです。さまざまなアプローチ、理解の方法以前の問題として、質問に的確に答えていないのではないでしょうか。
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この質問に、もう答えるつもりはなかったのですが、


N06の方が、“3の方には質問文を読めと言いたいところですが・・”が書き込み、私を「バカ」扱い、否、私の心中には、この「アキめ○○(目の不自由な人の差別用語)、お前みたいな『ばか』は、書き込むな」と、非難していると感じられましたので、改めて、書き込みます。(No6の人は、そこまでの私を非難する意思は、無いかもしれませんが、私には、そこまで感じられるということです。)

 大学の単位認定は、各講座を主催している「教授」の裁量であることを述べたいだけです。

 私は、大学に複数入学したおかげて、いろいろな教授・助教授・講師等々に出会うことができました。
 これは、余談ですが、最後に卒業した大学では、小中学と同級の者が、他の大学の講師をしており、そのアルバイトで、私の通っていた大学の非常勤講師として講座を一つ担当していました。キャンパス内で、彼に出会い、その大学における、互いの「身分」の違いを知り、大声で笑いあいました。

 さて、その中で、知ったことは単位認定は、それぞれの担当教官の裁量であるということで、単位認定の方法も、その担当教官に一任されているということです。
 単位認定で、「試験」を行うか否か。
 「試験」を行うとしても、その「試験」の方法(資料持ち込み可・不可)
 単位認定は、その試験の成績だけで、行うのか、救済措置を講じるのか否か?
 成績以外に、日常の出席状態・受講態度・毎講義修了後等に行われる質問・異議等から判別する理解度等々を加味するか否か?
 等々、その講座に対する単位認定に関する権限は、その講座の担当教授に全権委ねられているという事を知りました。

 多くの、教官は、講座開始の第一時間目に、その講座における単位の認定方針を告げていました。
 一番ユニークだったのは、ある大学の「政治学」講座で、自分が書いた本は、「○○○」。これに対して、12月までに、異議意見を示したレポートを提出し、その後、そのレポートについて、議論し、その学生が、一定以上の知識と理論だった思考ができる事等が分かれば、単位を認定する。
そのレポートを出さなくても、試験を行う。その試験は、この1年の講義中に問題提起するもので、その結果・評価は、試験終了後速やかに、各自に返す。その評価について、異議があれば、それも受け付ける。その議論のなかで、学生の理解、自分の理解のまずさ、誤解等々が、認識できれば、評価は変える。

 まさしく、単位認定は、講座担当教官の自由裁量行為です。

 と、同時に、大学における講義とは、その学問の基礎知識を知り、科学的な思考をいかに身につけるかであって、試験を受ける事が目的ではないという事です。

 そして、自分の知識を評価できるのが、1回限りの試験しかないのなら、その試験を受けることに対して、最大の努力をするという事です。

 試験開始5分や10分前に到着するような、交通スケジュールが、果たして万全の体制なのか?
 冬の旅行で、前日や前々日に、帰り着くような予定を組んで、それが、果たして、真剣勝負を行う上で、万全な体制なのか?という事です。


 また、ある私立大学の理事(教授)をされている人と話す機会がありました。
 ちょうど、雪の季節で、入試に遅刻する事が話題となりましたが、そのなかで、その理事は、「入試には、1時間の退出禁止時間を設けている。いわば、この時間内であれば、遅刻も認められるわけだが、その時間内に、最悪の交通手段で、試験会場に入る事自体も、いわば、入試の一環であり、評価の対象である」というのです。
 「一人前の大人として、雪による交通の乱れを、想像・加味しない学生は、こちらの大学生として、必要ない。近時のことだから、追試や、救済措置を要求する輩がいるだろうが、その追試等を認めるにしても、私は、その追試組に対しては、基礎点から10点や、20点を減点するように主張する」等々のことでした。

 試験が単位認定や、合格に対する1本勝負であれば、それに対する、対応、心構えがあるだろうという事です。


 私は、どちらかと言えば、「法律学」を学んだほうでしょう。
 その、理論構成は、1つだけが正しいのではなく、さまざまな、アプローチ、理解の方法がある事を忘れないで、ください。

 自分の価値感に基づいた理論構成が正しいのか?
 私は、考える事があります。
 その上で、他の人を、非難・批判する事も多々ありますが・・・。
 
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3の方には質問文を読めと言いたいところですが・・



5の方のおっしゃるように、部分社会の法理により追試を認めないというのが妥当のようですが、この場合は一般感覚からみると追試等を行うのが妥当と考えられるはずなのに、大学はそれすら行わなかったということで大学側の不作為を認め、追試を行わせるという判断を示す可能性もありますね。なぜなら当然と思われる対応(追試処分)すらしない場合には、部分社会でいうところの自律的判断を尊重する必要はないと考えられるからです。

微妙なところですが、場合によっては追試を行わせるという判決が出る可能性もあると思います。なお、当該単位が進級等に必須の科目であったという場合には、ほぼ原告の主張が受け入れられそうです。
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k-maxさん、お久しぶりです。



前回の補足ということで、結論から申し上げて追試を要求する権利は認められません。
部分社会の法理と呼ばれ、最高裁判例でも認められている理屈によるものです。
詳しくは、憲法関係の書籍で調べるとよく分かります。
部分社会の法理とは、裁判所の司法審査が及ばない司法権の内在的限界の一つを説明する理論です。
大学のほか、地方議会、政党などの自律的機関は、その自主性・自律性を尊重し、内部的問題は自律的解決に委ねるべきであり、裁判所の司法審査は及ばない。
ただし、その問題が一般社会の法秩序と関連する問題である場合は、司法審査の対象になりえる。
例えば、学生の除籍処分は一般社会における学生という身分喪失と関連する問題なので、その是非を巡って裁判で争うことができる。
というのがその理論の概要です。
部分社会の法理というのは、他の分野でも議論されたりしている理論なのでこれ以外の意味に用いられることもありますが・・・
ということで、大学内における一般学生に対する単位認定やその他の処分については原則として司法審査の対象外であるというのが、法学における判例・通説と言われています。
ですから、大学が追試を認めていない場合、追試を要求する権利は認められません。
この理屈に納得できる・できないは別として、訴えが認められる可能性は極めて低いでしょうし、そうなるとフェリー会社に対する金銭的賠償による解決を図るしかないと思います。
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どこまでも、自分に甘く生きてください。

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一体、どのような事、状況を、不可抗力とよぶのでしょうか?



私が、法律学を学んでいた時、不可抗力と認められたのは、「伊勢湾台風」位だったと思います。

それに比べると、貴方の言う、「不可抗力」とは、相当緩い概念のようですね。

かつて、ある国立大学での事件です。
卒業論文の締め切りが、ある日の正午だったのですが、当然、午前11時58分頃に提出した学生は、受理されましたが、12時1分に、提出場所に持参した学生は、受理されませんでした。
 これが、たしか、新聞で物議を醸しました。
 最終的にどのようになったのかは、分かりませんが、その講座の教授の判断しだいだったと思います。

 これもある国立大学の農学部での話ですが、卒業論文のテーマで、メロンを取り上げ、十数個のメロンを温室で、育てていたようですが、その成果を纏める直前に、全てのメロンを盗まれてしまったのです。

 結局その学生は、卒業論文を纏めることができず、卒業が、半年遅れることになりました。

 後者の話は、その学生自体、メロンを盗まれた事、卒業論文が作成できなかった事実を認め、「あきらめ」ました。
 新テーマを見つけるにしても、卒論提出に1カ月をわっている状態では、新しい、実験テーマをみつけ、結論をだす事は、無理だからです。

 前者については、相当、議論がありましたが、たしか、時間厳守を貫いたように記憶していますが・・・。

 たとえば、ある選挙で、ある人が、投票時間締め切り1分後に投票場につき、投票できなかったために、彼が投票しようと候補者が、その1票で、落選した場合、投票させなかった、選挙管理委員会相手に、訴えるなり、選挙無効を申し立て、認められるでしょうか?

 逆に、1分遅れの投票を認め、1票以内の差で、落選すれば、どうなんでしょうか?

 良い例が見付かりませんが、時間厳守は、「公平さ」において、重要な要素を占めている事は間違いありません。

 貴方の質問を読み、あまりに、「自分達に甘すぎる」と、感じてしまいます。

 定期試験のような、重要な日には、相当の余裕をもって、試験会場に向かう、のは、昔から言われてきた事です。

 それでも、遅刻すれば、試験は、受験しなかった事実を謙虚に受け止め、その最終決定を行う、講座の教授・教授会等の「好意」にすがるしかないと思われます。

 それこそ、3回生までには、ほとんど、卒業単位をそろえ、4回になれば、2~3講座以内の履修で、卒業できる状態でも、万一、そのうちの1講座でも落とした場合、予備の講座も履修するくらいの用心をしていました。


 答えは、法的権利はないので、「自衛」するです。
 
 そして、救済措置は、教授等の判断しだいでしょう。

 ただ、事前に、大学での規則等で、救済措置が認められているのなら、その範囲で、認められる。

この回答への補足

回答ありがとうございます。

私の学生時代に講義を受けていた講師は
「就職試験、電車の遅延、忌引きなどでも出席、再試験は認めない」
と公言していました。

もちろん自分に重大な過失がある寝坊などの遅刻を認めるべきだとは思いません。

ここで私が思う「不可抗力」とは、前の質問であったような32時間遅れたフェリーの乗客だった大学生が試験が受けられなかった例(ニッポン放送ラジオ報道)や、私の母校の講師の「忌引きも認めない」などや、bonnnouさんがいわれた「伊勢湾台風」などの災害による、自分自身に過失を認めるには相当無理がある例です。

また、これが大学の必修科目で進級や卒業がかかっている例になると、多めに履修科目をとるといった自衛措置もかなり難しいと思います。

ですので、補足として
1:試験を受けられないと判明した時点で、大学教務課などに連絡をとる。
2:受けられない理由の証明書を速やかに提出する。
3:連絡できなかった場合でも、その理由の証明書を事後速やかに提出する。
などといった事をした学生に対してまで、教授側、大学側の「好意」によるとするのではなく、法律の保護をのもと再試験を認めるべきではないか、と思うんです。

長々とすみませんでした。

補足日時:2003/01/19 00:52
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不可抗力による、救済措置についてどうするかは、大学やその教授会の裁量権の範囲内ではないでしょうか。

公序良俗の範囲としては、そのような救済措置はあってもいいとおもいますが。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>大学やその教授会の裁量権の範囲内

あくまで講師ひとりの裁量ではなく、複数の教授による教授会の裁量の方がはるかに公正でしょうね。

お礼日時:2003/01/19 01:20

大学にもよるとは思うんですけれど、


事故、身内の不幸などなど証明書が出るような類のものは
確か追試が認められていませんか?
私が在学していた所はそうでしたよ。
所定の手続きが必要ですので、それに間に合わなかったらどうなるかはわからないですが…。

この回答への補足

ありがとうございます。

>事故、身内の不幸などなど証明書が出るような類のものは
>確か追試が認められていませんか?

私の母校では、あくまで「考慮する」ということでした。
そのため、ある講師は「就職試験や忌引き等でも再試験は認めない」としていたのだと思います。

補足日時:2003/01/19 01:16
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Q大学の定期試験の再試験って意味あるの?

★alamoana★と申します。

大学には,定期試験で合格できなかった学生を対象に
「再試験」という制度が設けられている場合があります
(病欠者に受けさせるいわゆる「追試験」のことではありません)。

この「再試験」を実施することの是非について,
みなさんの率直なご意見をお聞かせください。

たとえば,次の2つの立場があるかもしれません:

A.  再試験は意味がない。
理由:たとえ再試験で優秀な成績を取ったとしても,
   それは,他の学生よりも習得に時間がかかったということだ。
   定期試験までに必要な学力を身につけるのに失敗したということは,
   実社会で言えば,〆切までに業務が遂行できなかったのに等しい。
   結局,再試験の結果如何によらず,定期試験に不合格だったという評価は,
   そのままで妥当である。

B.  再試験には意味がある。
理由:定期試験に不合格となるには,様々な理由と事情とがあるはずだ。
   「一度は失敗しても次は頑張るぞ」と努力する態度を育てるべきだ。
   また,「大器晩成」という言葉もある。

みなさん,どう思われますか?
   
   

★alamoana★と申します。

大学には,定期試験で合格できなかった学生を対象に
「再試験」という制度が設けられている場合があります
(病欠者に受けさせるいわゆる「追試験」のことではありません)。

この「再試験」を実施することの是非について,
みなさんの率直なご意見をお聞かせください。

たとえば,次の2つの立場があるかもしれません:

A.  再試験は意味がない。
理由:たとえ再試験で優秀な成績を取ったとしても,
   それは,他の学生よりも習得に時間がかかったということだ。
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Aベストアンサー

お礼の言葉ありがとうございます。
再試験の意味がないっていった理由は、
きちんと理解しやすい授業、適正な試験さえ行われれば、
再試験などする必要はないということで、そのような制度が存在すること
自体が、その大学の制度の試験実施システムの甘さをあらわ
しているようであると思うからです。
ようは、試験は適切な方法できちんとやっていれば1回で済むんです(追試は別)。
たとえば、再試験での合格を認めるならば、最初の試験で合格した人の
立場は? 最初の試験で頑張った人は頑張り損ですよね。
ですから公平なのは、1回といえます。

今回のalamoanaさんのような不当な評価と思われる事態への対処は、再試験という方法では結局すまないし、根本的には方法の見直しでしょう。

大学的に再試験やらざるを得ないのは、皆さん予測されるとおり、大学の事情なども含めよい理由ではありませんね。そういった大学は改善されるといいですね。

ただ、実際やらずに済んでる大学も多いと思います。
自分の出身大学も全然やっていないし。それですんでいるし。


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