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1.たとえば、化粧をする理由を尋ねられたとき、
「だってー、世間が要求するんだもの」
と、答えた女性が仮にいたとします。ちょっぴり高尚ですが。

彼女はその言葉を発したときに、おぼろげに他者を一般化して
世間と読んでいると思います。他者一人一人の個性を忘れ
全体としてみています。

こういう場合の他者のことをどのように呼べばよいのでしょう。
僕は勝手に「幻想の他者」などという言葉を作ってしまいました。
それとも、それをただ単に他者と呼ぶのかな。
教えてください。

2.また、先ほども書きましたが、「他者」の定義を教えて
ください。

よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

「建て前」で付き合う相手達のことです。

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純粋な定義が知りたい場合は辞典で調べてください。


僕なりの答えを出しますと・・・

僕は「集合的他者」くらいが妥当かと思います。
言葉遊びみたいなものですが、実際にいる人たちを一般化しているわけですから幻想よりは集合的かな、と。

次に他者の定義についてですが、
前提に「自分」があるのは間違い無いでしょう。多分にデカルト的な答えですが、自分の心だけは在ることが疑いようがない。自分以外のものに心があるかどうかわからないですが、自分だけは確実です。そういう点から自分と他者という区別、定義が与えられるんじゃないでしょうか。
「他」が「自分以外の」を意味し、「人」は「ヒト科の生物」を指しますから、他人は「自分以外の人」でいいでしょう。

ただここで少し議論の余地があるとすると、例に出された化粧をする女性の言った「世間」は自分以外の人全てではないという点ですか。
彼女が気にしたのは友達や会社の同僚、家族、彼氏でしょう。つまり彼女が言った「他人」は「自分が会ったことのある、自分以外の人」と限定されます。こっちの考えから行くと、他人とは「自分の住む環境」と言えるんじゃないでしょうか。
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回答ではなくて随想という程度の内容ですが、思う事があるので少々書かせてもらいます。



「幻想の他者」というのはある意味で正しいと思います。ただその言い方をするのならば、同じように「幻想の自分」というニュアンスを持っているべきではないかな、という気がします。
問題の彼女は化粧に向かう欲望の源泉を他者に求めているわけですが、そもそも他者は「自分」「自己」の確定を前提にしているにもかかわらず、その「自己」も自律的に存在するわけではないからです。

実際に社会学で消費行動を論じる場合の話ですが、ひとの欲望はざっと2種類に分けられるわけです。ひとつは生理的欲求、つまり食事や睡眠のように本質的に必要かつ不可欠なもので、ふたつ目がそれ以外の欲望です。
後者の欲望は社会の網の目の中で作り出されるものだと言えます。「~したい」「~が欲しい」という欲望は、まわりの社会に映る「それを求めている自分」とか「それを達成した自分」といった像と不可分です。他者に映る自己像が自分に織り返され、それが重層的に繰り返されて欲望は作られます。

例えば、誰でもいいから有名人とつきあいたい、という欲望を持つ人がこの世に存在することを考えるとわかりますが、他者が欲するものを欲すること、広くは他者の承認や認知を得ることが「欲望」というものの実は本質のひとつ、と言ってもいいのだと思います。
ハンサムや美人とつきあいたい、ということも「他人が美しいと思うものを欲する」という風に見れば、それは既に社会的な網の目に乗った欲望であって、単純に言えば「他者を欲しがっている」とすら言えるでしょう。

つまり、自分の欲望というものには常に他者のイメージが織り込まれていて、それは「自己」の確定に常に先行しているのです。
大抵の場合、自分はこうしたい、という欲望の集合体として自己というものの輪郭は自覚されているわけですが、その時の「自己」も、結局他者の媒介を受けているわけで、実のところ「自己」と「他者」は落語の花見酒というべきか、互いに筆頭株主になった2つの企業みたいなもので、根拠のもって行き場がないというわけです。

ここでリアリズムとかノミナリズムなどを言い出すと厄介ですが、単純なはなし、社会学で「本当の~」という表現が死んでしまったのと全く同じ意味あいにおいて、「自分の~」という表現も死んでしまっているわけで、使うにしてもカッコつきの抑制を自覚していなければいけないことは言えるでしょう。仏教で言えば「諸法無我」ということになります。

こういう事を書いていると、フーコーが取り上げたパノプティコンのことを思い出しました。ご承知なら早いのですが、中央に監視塔を、その周囲に常に監視塔の視線を受けるようにドーナツ状に独房群を配置する、いわゆる「一望監視施設」です。
フーコーはこれを権力の読解について用いたわけで、常に監視を受けている状態に置かれている可能性が囚人の中に次第に内面化されて、囚人が自立的に自己を服従させるようになる可能性のあること、つまり権力の遍在化を説きました。

まあ陳腐な譬えですが、このパノプティコンの権力を上の「他者に絡めとられた欲望」に置き換えてみることはとりあえず可能なのではないでしょうか。私たちはこの囚人と同じように、実はいないかも知れない他者の存在を想定することで「自分が服従関係の源泉になる」(フーコー)ような囚われの身となっているのかも知れません。
(大変主観的なもので、最初に断ったように回答にはなっていないと思われればどうぞ無視して下さい)
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>たしゃ 【他者】


>
>(2)〔哲〕 あるものに対する他のもの。自己に対する何ものか。

「他者」という言葉は、日常会話での「他人」といった意味と共に、
「自己」に対立する外的なものの総体に使われますよね。
だから「一人一人の他者」も他者だし、
「他者一人一人の個性を忘れ全体」も他者で良いと思いますが。

「世間」てのは、阿部謹也が色々と分析を試みてますよね。
画期的な翻訳と言われる白水社の「方法叙説」では、
通常「世界」(「自己」対立する概念)と訳される仏語を、
「世間」と訳しているのを思い出しました。

参考URL:http://dictionary.goo.ne.jp/cgi-bin/dict_search. …
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